「副学長日誌・志塾の風」171215
・10時:久米先生:昼休みの録画のテーマを相談。事前に考えていたことで一致!
・10時40分:授業「立志人物伝」12回目:マネジメントの名言「孫正義」「スティーブ・ジョブズ」。佐高信のセミナーまとめの解説。吉本せい・浜田庄司・東海林太郎・大谷竹次郎・ノーベル。エニアグラムによるタイプ別適職の解説。久恒の職歴とエニアグラム。パワーポイントによる図解の描き方講座。
・12時半:久米先生とT-Studioでトレンドウオッチャーの録画。テーマは「人生100年時代とSNS」。30分近い長い対談となった。
・飯田先生:来週のちょい飲み会。
品川のインターシティでコーヒーを飲もうとしたら、ビルの入り口に多摩大大学院の各種チラシがいい位置にいてあったのを発見。
17時半:品川キャンパスで授業準備。徳岡研究科長と渡辺先生の件、時間割の件。
18時半:大学院「立志人物論」の7回目の授業。以下、「立志人物論」の総括感想。
本日の講義もありがとうございました。これまでの講義でたくさんの偉人や名言に触れることができました。そのなかで初めて知る人物も多く、その人物の経歴や業績についてさらに知りたいと思いました。章としては仰ぎ見る師匠の存在についてが一番印象に残りました。私はもともと山本五十六という人物に興味がありましたが、その師は河合継之助であることを知りました。河合継之助について調べると山田方谷との出会いが大きな影響を受けたことが分かりました。このつながりからも人生の師をもつことの大切さを改めて感じました。講義で取り上げた人物としては司馬遼太郎が一番印象に残りました。まだ『坂の上の雲』しか読んでいませんが来年は河合継之助を取り上げた『峠』や『翔ぶが如く』を読みたいと思います。そして東大阪の記念館にも足を運んでみようと思います。最後に、この講義の第1講で自身の座右の銘を見つけることを課題にしていましたが、私の座右の銘は「好きこそものの上手なれ」でいきたいと思います。偉人たちは驚くべき仕事量をこなし、ずっと高い志を持ち続けていました。それを周囲の人々は偉業と讃えるのと同時に凡人からみるとそんな苦行は真似できないと感じてしまうものだと思います。しかし当の本人たちは苦行とは感じていないのではないかと思います。それは取り組んでいることが大好きだから継続できるのだと思いました。司馬遼太郎にしても日本の歴史や幕末から明治にかけての日本人が大好きだったのではと思います。だからこそ丹念に歴史を調べ、膨大な資料を読み込むことであれだけの本が書けたのだと思います。私もまずは好きなことからはじめたり、今取り組んでいることの面白さを見つけていきたいと思います。次回は最終講になりますがフィールドワークとその後の飲み会を楽しみにしております。次回もよろしくお願いいたします。
立志人物論を受講して。受講の初期は、過去の人物の解説と思っていました。しかし、受講を重ねるに従って、その人物の生き方、考え方がその人を歴史に残る業績、伝説として形成される事を教えていただいていると感じるようになりました。その分野が芸術、作家、政治家、社会活動家など多種にわたりますが、その生き方はすべての人物で、能動的で積極的に前向きに生きている事がわかりました。自分の今までの人生を振り返りそしてこれからの生き方を考えると、彼らのように、前向きに、積極的に考え生きなければならないと思いました。有言実行、今から生きようと誓いました。有意義な価値のある講義でした。ありがとうございました。
久恒先生、第7回めのご講義ありがとうございました。率直な感想としても、まだまだ講義を受け続けたい、あと1回しかないというのが寂しい思いです。私は今まで古典や歴史、過去というものにどちらかというと苦手意識があり、避けてきました。しかし、久恒先生の講義を受けて、その考えは間違っていたと認識しました。それは、どの偉人の生き方も考え方も、それは全て過去のものではなく間違いなく現代に通用するものだからです。その中で特に衝撃を受け、自分自身の考えを改める必要があると思った講義は、圧倒的な仕事量のテーマでした。私は10年以上会社経営をしていますが、自分が楽になるために効率の良さばかり追求してきたところがあります。しかし、その仕組み作りばかり追いかけた結果、日々行じることを忘れ、薄っぺらい無知な経営者になっていることに気付き、今春から大学院の門を叩きました。がむしゃらに仕事に没頭することによって、その先はいずれ見えてくるはずなのに、先のことばかり考えていた私です。そのようなことを立志人物論という講義で過去の偉人から学び、改めて初心に帰る必要があると思った次第です。
これまで14限分の講義ありがとうございました。昨夜述べた感想と一部重複しますが, 毎回たくさんの偉人に出逢わせていただき, 大変刺激的でした。受講中〜復路でその時代を生き抜いた立志人物に思いを馳せますが, 一晩眠れば現実(多忙本務)に戻されるため, 十分な省察による自身の心意気や資質向上に繋げられていませんでした。来たる最終講のフィールドワーク@渋沢栄一資料館+🍻を機に, 今後は気の向くまま関連施設の訪問や読書を通して人物理解を深めようと思います。ちなみに, 心酔は別にして個々が人生の取組について考え, ロールモデルを見つけるには, 中等教育課程後期に本科目を設置するほうが適切かもしれませんね。また, 様々な側面から偉人について語る久恒先生の考察内容×文章表現力も今般の受講で勉強になりました。『知的生産技術』は私にとって必読すべき一冊となりそうです。立志人物論レポート1.18掲載〆切, 極力楽しみながら がんばります。
久恒先生,今回もありがとうございました。この授業を後、一回しか受けられないです。何となく、惜しい気持ちが出ました。毎回、偉人の言葉を拝読する時、必ず周りで起こたことと繋がり、自分の考え方を加えることができ、本当に大いに受益しました。つまり、偉人の生涯がしっかりわかって、また、自分の考える能力も高められる。留学生にとって、授業方法も非常に良いと思います。授業の最後、ほとんど日本人とチームをつくって、互いに感想を述べて、発表します。その過程で、面白い話題が様々出るかもしれませんし、自分と全く違う考え方も学べますし。自分の成長に大変役に立つと思います。今まで、先生とクラスメートの皆さんでも、色々ありがとうございました。
これまでの講義ありがとうございました。毎回は過去の偉人の言葉と生涯を紹介し、簡単ですけど全てはこれからの人生に助力になれると思います。毎回自分が気に入る偉人の生涯を学んで、尊敬、悲しい、惜しいなど複雑な感情が心底から生まれました。人生は辛い、厳しい、どこでも困難があり、僕達だけではなく、歴史上の偉人も同じです。でも何故偉人が成功したか、それは前進し続けられたのは、自分がやることを愛していたからです。怒涛の仕事量、持続する志、休養、鍛錬、研鑽など色々な方面、私は全部を学ぶべき、今からでも遅くない。また、私は留学生ですから、この講義が留学生に対して利点が多いと思います。毎回講義は偉人のことを学び、知識はもちろん、日本の文化と歴史も学べます。講義の最後、日本人と一緒にお互い感想を交流し、先生に発表します。日本式の考え方を学びながらコミュニケーション能力も上昇します。課外は実地に好きな記念館に行って、現場に偉人のことを体験し、大変勉強になりました。この講義は長時間の将来、私の人生に重要な影響があります。ありがとうございました。
立志人物論を受講して。刹那と言う言葉がありますが、その言葉が持つ時間の単位は置いておくとして、一種の無常性を表す言葉だと思います。過去の偉人の言葉も歴史の流れの中にあり、常ならぬ流れの中で、その解釈や受け止め方も変化して行くものかもしれません。しかし、その原点を学ぶ事は、時代に合った解釈をする上でも、とても大切な事だと思います。イノベーションも同じ事だと思います。原理原則、原点を学び、基礎と骨格をしっかりと作り、正統を芯にしてこそ、異端を融合することが可能になるのだと思います。最近、過去の偉人の言葉に触発されて自分なりに学んでみようと思い立ち、以下の書物にチャレンジを開始しました。中村元訳の『スッタニパータ』と『大パリニッバーナ経』、そして『原始仏典』です。なかなか、重量級で難儀しておりますが、後には井筒俊彦の『大乗起信論』の哲学、も控えております。立志人物論の講座は、ともすると揺らぎがちな精神を真っ直ぐなものに直すきっかけを得られる学びの時間だと思います。ラスト一回、何とかやりくりして出席したいと思います。ありがとうございました。
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「名言との対話」12月15日。いわさきちひろ「自分がやりかけた仕事を一歩づつたゆみなく進んでいくのが不思議なことだけれど、この世の生き甲斐なんです」
いわさき ちひろ(本名:松本 知弘(まつもと ちひろ、旧姓岩崎)、1918年12月15日 - 1974年8月8日、女性)は、子供の水彩画に代表される日本の画家、絵本作家。
岡田三郎助,中谷泰にまなぶ。にじみのある淡彩画は「ちひろ調」とよばれ,愛好者も多い。没後, いわさきちひろ絵本美術館がつくられた。「ちひろ美術館」は、西武新宿線上行井草から徒歩10分ほどの住宅地の一角にある。最後の22年間を過ごし数々の素晴らしい絵や絵本を描いた自宅跡にバリアフリーのいい雰囲気の私設の美術館として建っている。日曜日だったが、女性を中心ににぎわっている。入って右がちひろの作品の複製や本などを売るショップで、左に窓沿いに小さなテーブルと椅子が並べてあり、軽食やの飲み物を摂ることができる。従業員たちはファンなのだろう、よくみるとみんな子どもと花を好んで描いたちひろの絵のイメージのようにいかにも人柄の良さそうな若い人たちである。開館25周年の2002年に公開スペースを2倍に広げている。
展示室1は、ちひろの作品を展示している空間である。「ちひろ 花の画集」出版記念で、80種類以上の花の絵がある。チューリップ、バラ、あやめ、あじさい、ひまわり、シクラメン、、、。
以下、好きな絵のタイトル。
「野草とスイートピー」は水墨画風。「春と花のこぎつね」「花のダンス」「あざみと子どもたち」「秋の花と子どもたち」「春の庭」。。・すべて「花と子どもたち」をモチーフとしており、花を前方に描き、子供を後方に配した作品が多い。「赤いシクラメンノの花」。添えてあるちひろの言葉は「去年もおととしもその前の年も ベトナムのこどもの頭の上に 爆弾は降った。、、、、。あたしたちの一生は ずーっとセンスの中だけだったのよ」。
55歳で亡くなるまで9500点の作品を描き続けている。ちひろの作品は酸性紙に描いた作品が多いが、時間と共に色が変化するから、セイコーエプソンの協力でデジタル化した作品も展示してあった。それはピエゾグラフという。
二本のビデオを観る。はちきれそうな若さのちひろの写真、人柄の良さがわかる笑顔。ちひろの願いは、子どもの幸せと平和だった。意外なことにちひろは共産党員だった。絵という手段で平和の大切さを訴えた人だった。「子どもの四季」「戦火のなかの子どもたち」などの解説があったが、流れる童謡とのハーモニーはよかった。「戦火、、」」の方は、煙の中の子どもの目の表情が切ない。
安曇野ちひろ美術館のビデオでは、両親の故郷にある素晴らしい美術館を紹介している。絵本を美術の一ジャンルにしようと世界28カ国127人の画家の絵を蒐集している美術館である。入口の正面の山も建物の景色の中に取り込んでいるのも斬新だ。「立てひざの少年」という絵がよかった。2012年にこの安曇野の美術館を訪問した。その日に開会していたのが「「日中国交正常化40周年 中国の絵本画家展」だった。日中関係がこじれていた時期でイベントが次々と中止されたのだが、7人の中国人絵本画家を紹介する企画は行われていた。
2階の展示室2では、ミュンヘン国際児童図書館の架空の絵本展をやっていた。世界の絵本画家72人が描いた本のない絵が展示されている。2階には、図書室があり、その向かい側にはこどものへやがあり、若いお母さんのために子供を遊ばせておくことができるように配慮されている。一階に降りると、「ちひろの庭」がある。さまざまの花が咲く心地よい場所である。ちひろは、いつもここで過ごす時間を大切にしていた。
展示室3は、「ちひろのアトリエ」。絵を描く仕事場である。意外なことにちひろは左利きで、採光は右側からとっていた。大きな机に絵の具などの道具を広げて、小さくなった隙間を使って絵を描いていた。
31歳で再婚した8つ年下の相手の松本善明(衆議院議員)は、ちひろはどのようなひとだったかと問われると、「ちひろの描く絵のような人だった」と答えている。どこかで見た名前だと思ったら、この人は日本共産党の有名な幹部だった。ちひろも共産党員だったのには驚いたが、絵という武器で平和の尊さをアピールしていくのがちひろ流だった。32歳で長男が生まれ、48歳で夫が衆議院議員になる。この松本善明が書いた「ちひろ」という本は、亡き妻・ちひろを深い愛情を持って語っている。「鉄の棒を真綿でくるんだような人」といいうのが妹たちのちひろ評である。そのちひろは、「我は人の世の痛苦と失望とをなぐさめんために生まれ来つる詩の神の子なり」と述べた樋口一葉に深い共感を寄せていた。黒柳徹子の空前のベストセラー「窓際のとっとちゃん」の挿絵は、いわさきちひろの絵だった。
「私の若いときによく似た欠点だらけの息子を愛し、めんどうな夫がたいせつで、半身不随の病気の母にできるかぎりのことをしたいのです。」
混んでいるのでもなく、閑散としているのでもなく、ちょうどいい具合に人が訪ねてきて、それぞれが穏やかな顔をしてこの空間を楽しんでいる。いわさきちひろと一緒に幸福な思いに浸れる美術館である。
冒頭に掲げたのは1972年に書いた「大人になること」という文章の中で見つけた言葉である。いわさきちひろは、天が恵んでくれた技を用いて、自分しか描けない作品を通じて、平和を守ろうとする天命に生きた人だ。