「戒語川柳 百選」の「あとがき」。「川柳まつど」へ12句を投稿。『大全』の最終チェック。『革命』のチェック。駅前の古本市で3冊購入。


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朝のウオーキングで見かけた花々のある家々。


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11時から:東京MXテレビ寺島実郎の「世界を知る力」11月

共著『趣味』の本に書いた「戒語川柳 百選」の「あとがき」を執筆。

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高校時代、「高遠純」というペンネームを持って「詩」を書いていましたが、社会人となってすっかり忘れていました。

還暦を迎えた頃、歌人の母から夫婦で「短歌」の手ほどきをうけましたが、微妙な心情をキャッチする能力はなさそうだと諦めました。妻はそのまま続けて2冊の歌集をものにしています。それでは「俳句」かとトライしてはみたものの、自然を詠むほどの感性もありませんでした。

古稀を迎えて今度は「川柳」を試しました。人間、人情、世間をテーマとする人間諷詠は、ミニ・エッセイ的なところが気に入っています。師匠につかずに、「吐鳳」という柳号で句会への投稿だけで気楽に楽しんでいます。川柳はユーモア、うがち、皮肉、などを織り込める、知性が必要な文芸のようです。

気がつけば、まわりまわって、日本独特の「短詩」の世界のひとつにようやく居場所を見つけた感があります。人生100年時代、続けられればいいなと思っています。

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  • 雑誌『革命』の担当の記事のまとめ。記事のチェック。
  • 『大全』の最終チェック
  • 11月分の「川柳まつど」への投稿。12句。「一万円 福の神から 渋チンへ」「両雄は つむじ曲がりと ヘソ曲がり」「幸運は 人の形で やってくる」など
  • 駅前の古本市で3冊購入:『湛山回想』。『大隈重信演説談話集』。千葉敦子『死への準備日記』
  • ウオーキング:8000歩(昨日と同じ)

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「名言との対話」11月17日。結城了悟「殉教者の話を聞きなさい、そして届いた声を心に納めなさい」

結城 了悟(ゆうき りょうご、1922年10月17日 - 2008年11月17日)は、イエズス会司祭・キリシタン史研究者。 日本二十六聖人記念館館長。享年86。

スペイン・セビリアの農家に生まれる。1939年 イエズス会に入会。マドリードで哲学を修める。1948年 来日。日本語を学ぶ。1950年 広島にあるイエズス会長束修練院のラテン語教師に就任。1951年 南米コロンビア・ボゴタのハベリアナ大学神学修士課程に留学。1954年 ボゴタで司祭叙階。南米日系コミュニティでの宣教活動に従事。

1956年 再来日。福山カトリック教会助任司祭に就任。1958年 イエズス会長束修練院副修練長に任命される。1960年 長崎に異動、日本二十六聖人記念館の開館準備に奔走。1962年 日本二十六聖人記念館開館とともに館長に就任。1970年 長崎新聞文化賞受賞。1975年 沖縄海洋博バチカン館のプロデューサーを務める。

1978年 日本に帰化し、ペトロ岐部と187殉教者の一人結城了雪にちなみ「結城了悟」に改名。1981年 西日本文化賞受賞。1982年 天正少年使節遣欧400周年記念事業「昭和少年使節」の総責任者を務める。2000年 勲五等瑞宝章受賞。2004年 記念館館長を退任。2008年11月17日に長崎市で死去。11月19日、長崎市カトリック中町教会で葬儀ミサが行われた。

2009年に多摩センターの多摩美大美術館で開催されている「建築家・今井兼次の世界」を見学した。教会建築がテーマだった。今井兼次は日本二十六聖人殉教記念館、早稲田大学図書館、早稲田大学演劇博物館、根津美術館、大隈記念館などを設計した建築家だった。母と長崎を旅行した時に、この殉教記念館は訪問している。

結城了悟には、日本のキリスト教会に関する膨大な著作がある。以下、主な著作とその内容を記す。

  • 『海原のかなた』(女子パウロ会)。悲しみの果てに今なお光芒を放つ信仰と希望と愛。波涛を越えてヨーロッパから日本へ、人生の荒波を渡って天のふるさとへ、明治から昭和の初期にかけ、異国に葬られた人々の墓碑銘。  
  • 『ザビエルからはじまった 日本の教会の歴史』(女子パウロ会)。2008年の秋、日本の教会は、本書の中でもいろいろと紹介されている殉教者188人の列福を祝う。ザビエルがはじめてキリスト教を伝えてから、四百数十年、どれほどの迫害に耐えて、信仰は生き抜かれたか。日本に本当の信教の自由、良心の自由を確立するために、ぜひ学びたい教会の歴史。
  • 『長崎を開いた人 コスメ・デ・トーレスの生涯』(サンパウロ)。鎖国時代、海外との唯一の接点であった「長崎」。1570年、ヨーロッパとの交易、キリスト教の布教、日本国内の諸事情、数々の要素が重なってこの港町は誕生した。そして、この町の創設に中心的役割を果たした人物こそ、フランシスコ・ザビエルとともに来日し宣教に献身したコスメ・デ・トーレス神父であった。その生涯を資料を駆使して追いながら、長崎創設までの歴史を語る。
  • 日本二十六聖人殉教記』(聖母の騎士社ルイス・フロイス著、結城了悟訳。26聖人の殉教のわずか5ヶ月後、長崎で亡くなったフロイス神父が、 最後の力を振り絞って書き上げ送った公式の殉教報告。 ルイス・フロイスは「日本史」の著者として知られている。 生来文筆の才能に恵まれていたことから来日以来、 布教報告書の執筆者として重用されたが、 1583年に「日本史」の編述を命じられた、 以来、長崎の地を拠点にフロイスは全力を尽くしてその執筆を続け、 1597年7月8日の死によって擱筆した。 
  • キリシタンになった大名』(聖母の騎士社キリシタンになった大名の信仰を描くともに、いかにキリスト教が根を下ろしたかを探る。
  • ロレンソ了斎ーー平戸の琵琶法師』(長崎人物叢書)。キリスト教伝来の時代に生きた伝説の日本人、ロレンソ了斎。ザビエルの洗礼を受け、信長、秀吉の面前で神の教えを説いた。「長崎人物叢書」初めての伝記。
  • 『日本とヴァチカン―フランシスコ・ザビエルから今日まで』。16世紀半ばザビエルは日本に初めてキリストを伝えた。それから今日まで450年、日本とローマ教皇とのつながりはどのような変遷をたどったか―明日を築くために、歴史を知ろう! 

他に、『長崎を開いた人-コスメ・デ・トーレスの生涯 (著:パチェコ・ディエゴ/訳:佐久間正)(中央出版社)、『雲仙と有馬の殉教者』(日本二十六聖人記念館)、『天正少年使節-安土桃山時代・江戸時代初期』(小学館)、『新史料 天正少年使節 1590年‐1990年』 (南窓社)、『ザビエル』 (聖母の騎士社)、『最後の迫害-The Last Persecution』 (六甲出版販売)、『二十六聖人と長崎物語 』(聖母の騎士社、2002年)などがある。

日本二十六聖人記念館館長を42年間つとめたという功績もあるが、1969年から2005年まで、3年に1冊以上のペースで研究の成果を着実に著書も積み上げている。この人のおかげで日本におけるキリスト教の歴史と関与した人物が展望できるから、その功績には大きいものがある。記念館の訪問者に語ったのは、殉教者の話を聞きなさい、そして届いた声を心に納めなさいということだった。「彼らが、殉教者の話をするのを聞いたら、十分です」、これが結城のモチベーションだった。日本に帰化した結城了悟という人物には興味をそそられた。