「万力公園・万葉の森」。旧高野家住宅「甘草屋敷」「樋口一葉資料室」。知研セミナー「シェア書店」。

「万力公園・万葉の森」。笛吹川沿いの大公園。万葉集にうたわれた植物110余種を季節ごとに楽しむことができる。春の道、夏の道、秋の道。ここを訪れるのは3度目。

中西進の歌碑。「一つ松 幾代か経ぬる 吹く風の 声の清きは 年深みかも」(市原王/万葉集巻6-1042)

犬養孝の歌碑。犬養先生の解説と歌のよみあげも聞くことができる。「物思はず 道行く行くも 青山を 振り放け見れば つつじ花 匂え乙女 櫻 花 榮え乙女 汝をぞも 吾に寄すとふ 吾をもぞ 汝に寄すとふ 荒山も 人し寄すれば 寄そるとぞ言ふ 汝が心 ゆめ」(作者未詳/万葉集巻13-3305)

 


f:id:k-hisatune:20241122061442j:image

f:id:k-hisatune:20241122061438j:image

f:id:k-hisatune:20241122061447j:image

雁行堤という工夫で洪水を防いだ跡も。

 

旧高野家住宅(甘草屋敷)。江戸時代後期の民家と屋敷構えをそのまま歴史公園として活用。八代将軍吉宗の時代に薬用植物の甘草を栽培して幕府に納めていたことから「甘草屋敷」と呼ばれた。


f:id:k-hisatune:20241122061648j:image

f:id:k-hisatune:20241122061653j:image

f:id:k-hisatune:20241122061644j:image

 

甘草屋敷の中に、「樋口一葉資料室」を見つけて驚いた。一葉の両親はここ塩山出身で駆け落ちで江戸に住んだのだった。両親から塩山のことはよく聞いていたらしい。駅前の武田信玄像と。


f:id:k-hisatune:20241122061751j:image

f:id:k-hisatune:20241122061755j:image

f:id:k-hisatune:20241122061830j:image

富士屋ホテルで昼食。雲がかかっていて富士山は見えなかった。


f:id:k-hisatune:20241122061906j:image

f:id:k-hisatune:20241122061903j:image

f:id:k-hisatune:20241122061909j:image

 

一路、多摩へ。

15時:自宅へ到着。今朝書くべきブログを大急ぎで執筆。

16時:2月1日の蜃気楼大学の打ち合わせを覗く。

17時:大相撲観戦。
19時:知研幹部会

20時:知研セミナー「本のある場所~急増するシェア書店」。鈴木さん、深澤さんがゲスト。

シェア書店アンケート調査。多様な形態。地域交流。自己表現。棚主という言葉。中高校生の読書人増。読書会。、、、、、。

f:id:k-hisatune:20241122061944j:image

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【厨子屋開廊20周年記念企画】第1回「インテリアデザイナー内田繁の厨子」展 10月15日(土)より銀座にて開催 | 株式会社 保志のプレスリリース

「名言との対話」11月21日。内田繁「弱さのデザイン」

内田 繁(うちだ しげる1943年2月27日 - 2016年11月21日)は、インテリアデザイナー。享年73。

横浜市出身。日本を代表するデザイナーとして、商業・住空間のデザイン、そして家具、工業デザインから地域開発に至るまで、幅広い活動を国内外で展開した。美術と建築の総合学校であるドイツのバウハウス思想を継承した日本初のデザイン学校・桑沢デザイン研究所の出身者。彫刻の佐藤忠良など実務家が講師をつとめた桑沢デザイン研究所で、内田は所長もつとめデザイナー、クリエータなどデザイン人材を育てている。

六本木WAVE、山本耀司ブティック、科学万博つくば’85政府館、ホテル・イル・パラッツオ、神戸ファッション美術館、茶室「受庵、想庵、行庵」、門司港ホテル、オリエンタルホテル広島などが代表作。また、メトロポリタン美術館、サンフランシスコ近代美術館、モントリオール美術館、デンヴァー美術館等に永久コレクションが多数収蔵されている。

 内田繁の『普通のデザインー日常に宿る美の形』を読むと、フランスの学制改革に端を発したパリ5月革命から始まった1968年の世界的な若者の政治運動が原点であることがわかる。日本では全共闘運動の時代だ。このとき、20代半ばの内田は世の中のパラダイムが転換する未来が見えたと言う。社会のために人間をつくる工業社会から、個人のための社会をつくる情報社会への移行という大きなイメージである。

「デザインは心身のあらゆる側面に寄り添う仕事だ」「デザインとはすべて観察から始まる」「「美」は日常の中にある」と語る。「デザインとは、人間の暮らしを豊かにするものである」「日常の暮らしを清潔に簡便で穏やかに、そして能率的にできている国が良い国であり、日常の生活文化が良い国をつくっている」、これが内田繁の情報時代のデザインの思想である。

  日本文化の根源的性格は、「弱さのデザイン」にあるとし、それを自覚し近代を超克しようとする運動の最前線に内田は立った。わびしさ、はかなさ、心ぼそさ、、、こういう弱さを逆転し美に転換したのが日本文化なのだ。

デザインはものをつくりだす。それは強さを生む。その世界に「弱さ」を導入したことで、日本文化の本質をえぐり、それを強さのデザインを追う近代、世界を挑発したのである。日常、普通、無常、弱さ、というデザイン思想は時代の転換期をとらえた。

7つほど年下の私も1968年をともに生きたが、内田繁のように明確な時代のパラダイムの転換イメージを持つことはできなかった。負のイメージである「弱さ」に着目したのは慧眼であった。

2007年時点で60代初めの内田は、デザイナーの今後のテーマとして、「個人のための社会」「地域・民族の固有文化の尊重」「歴史に学ぶ態度」「地球規模で考える」、を挙げている。歴史と地理に学び、地球規模で個人の豊かさを考えようというメッセージととらえたい。

 

 普通のデザイン―日常に宿る美のかたち