朝から夜まで、リモートとリアルのハイブリッド生活。
- 8時:橘川・田原との定例ミーティング(ズーム)
- 10時:日本実業出版の編集者へ『大全』の加筆修正原稿を手交。いくつか注文が出た。表紙は来週早々に完成。「図解王」として紹介されることになった。(リアル)
- 13時から16時:『アクティブ・シニア革命』の編集作業で都築さん、近藤さんと3時間の共同作業。(ズーム)
- 17時:岩澤君と食事をしながら打ち合わせ。人物記念館HPと図解ウェブの新構想。(リアル)
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「名言との対話」11月8日。島倉千代子「くじけましたけど、歌があるから生きてこられました」
島倉 千代子(しまくら ちよこ、1938年(昭和13年)3月30日 - 2013年(平成25年)11月8日は、日本の演歌・歌謡曲歌手。享年75。
東京都出身。日本音楽高校に入学。在学中に第5回コロムビア全国歌謡コンクールで優勝し、日本コロムビア(本社・東京)と契約を結び、専属歌手となった。1980年、「この世の花」でデビュー。同作は、同名の映画作品の主題歌となり、200万枚の大ヒットとなった。
その後も、ミリオンセラーとなった「東京だョおっ母さん」(1982年)をはじめ、「からたち日記」(1983年)、「恋しているんだもん」(1986年)、「ほんきかしら」(1991年)など多数のヒット曲を出した。
1981年にNHK紅白歌合戦に初出場して以来、連続30回出場(通算35回)。先輩の美空ひばりとともに、日本コロムビアの看板歌手として活躍した。2004年には、「人生いろいろ」が130万枚の大ヒットとなり、日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞。女優としても多くの映画やドラマに出演して活躍した。
歌手冥利に尽きるほどの活躍であったが、私生活では波乱万丈であった。阪神タイガースの4番打者、藤本勝巳と結婚するも5年後に離婚。70年代には、借金の保証人となり多額の負債を背負ったが、足かけ7年で完済している。また乳がんの手術も受けている。1999年、紫綬褒章を受章。
「振り返ると遅れちゃう。一歩進めるところが半歩になっちゃう」と語っているように、振り返らず、ずんずんと前に進んでいく人であった。預けた実印を勝手に使われて保証人になってしまうなどの不運も、こういった覚悟で乗り切っている。清らかな歌声からは想像できなかったが、悪戦苦闘した生涯でもあったのだ。
「泣いても、歌が歌えるようになると、涙も吹き飛ばして頑張れます」、そして「くじけましたけど、歌があるから生きてこられました」と続けた。成果もあったが、落とし穴も多かったのだ。その島倉千代の生き方を示したのが、この言葉である。
60代半ばでの大ヒット曲「人生いろいろ」の「人生いろいろ 男もいろいろ 女もいろいろ 咲き乱れるの」で終わる歌詞は、島倉千代子の人生を想像させる。ファンたちは、そういうことを頭に描きながら、この歌を聴いて、そして自分の人生を重ねながら、歌ったのだろう。