「20X20原稿用紙」展(町田市文学館ことばランド)ーー作家の原稿料番付が面白い

町田市文学館ことばランドで開催中の「20X20原稿用紙」展を訪問した。

2020年に引っ掛けた企画である。著名作家たちの愛用した原稿用紙と、自筆の文字を見ることができた。 


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原稿用紙の起源は、鉄眼道光『一切経』(1678年)。20字・10行。江戸の出版文化で誕生。頼山陽は22字10行の原稿用紙をつくった。両脇に降り仮名と返り点用の細長い枠。

 明治期の作家の原稿が掲示されている。それぞれの原稿料も添えてある。森鴎外は一枚1円50銭。樋口一葉は30銭(再掲時70銭)。夏目漱石の「猫」は1回目80銭で30枚13円。10回目38円50銭。二葉亭四迷「平凡」は1枚1円。坪内逍遥2円。

漱石の自家製の原稿用紙には「漱石三房」と印字してある、デザインは橋口五葉、新聞連載用に19字。谷崎潤一郎は最高で10円。作家の原稿と一緒に原稿料を掲載してあった。

大正7年「作家原稿料一覧」が掲載されており、面白かった。

2円:坪内逍遥三宅雪嶺。福本日南。吉野作造堺利彦。1.5円~2円:島崎藤村正宗白鳥田山花袋谷崎潤一郎。1円~1.5円:泉鏡花中条百合子。1円:芥川龍之介森田草平小山内薫徳田秋声。50銭~1円:武者小路実篤鈴木三重吉有島武郎。有島生馬。80銭:与謝野晶子。70銭:与謝野寛。50銭:佐藤春夫

与謝野晶子は80銭で、夫の与謝野寛は70銭と逆転している。大正7年は1918年で、寛45歳、晶子40歳だ。26歳「明星」に「君死にたまふことなかれ」、33歳「青鞜」に「「山の動く日」、34歳、寛を追ってパリへ。帰国後、鉄幹との共著『巴里より』で、「要求すべき正当な第一の権利は教育の自由である。」と、女性教育の必要性などを説いている。寛は1908年の35歳で「明星」を廃刊後は極度の不振に陥っている。パリ帰国後に再起をかけた訳詩集「リラのはな」も失敗している。1915年には総選挙に出馬し落選。1918年は寛が慶応義塾大学文学部教授に就任する前の年になる。1918年は第一次世大戦が終結、日本では米騒動原敬内閣成立、東京女子大創立の年。この1918年で輪切りにすると、作家たちの年齢や立ち位置の関係と原稿料にあらわれる世間の評価がわかるはずだ。

谷川俊太郎赤川次郎赤瀬川源平森村誠一常盤新平井上靖田河水泡小林秀雄白洲正子遠藤周作草野心平幸田文三浦しをんなどの原稿もみた。人それぞれだが、字が上手い人はいない。

同時開催は「ニコニコ(2020)絵本原画展」。おぼまこと(1937年生)、わたなべゆういち(1977年生)、中垣ゆたか(1943年生)。 

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夜はYAMI大・深呼吸学部に遅れて参加。途中で京都の藤原先生からの電話もあり、中途半端な学びとなった。喜寿を迎えた藤原さんは8月に日本心理臨床学会(会員3万)の会長になったそうだ。身体と心の関係について深い会話となった。

「歌(短歌)は時代のエキス」「情報化社会とは情報(「メディア)の中で知り合った人と関係ができ、新しい現実を創っていく社会」「ネトウヨの構造」「芥正彦、橋川文三桶谷秀昭保田與重郎(「日本の橋)、亀井勝一郎」。

亀田さんの「食と地域」のミニ講義も興味深かった。肉、魚、果物、菓子など、地域との関連でものすごい情報量だ。真珠をつくるあこや貝が輸入のウイルスで危機、五島列島で新機軸。醤油の味は違うのに量を言いうレシピは疑問。日本独自の釣り文化を観光化、、、、。

 橘川さんの講義を聴きながら、そのテーマで自分の考えをまとめていく。「日本とは何か、日本人とは何か」。人の話を刺激として自分の考えを図解を描きながら整理していくスタイル。

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メンズ・ヨガ:1時間。昨日の疲労は解消。

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「名言との対話」(戦後命日編)10月3日。河西昌枝「あの程度の相手なら必ず勝ちます」

河西 昌枝(かさい まさえ、結婚後の姓は中村、1933年7月14日 - 2013年10月3日)は、女子バレーボール選手。

山梨県立巨摩高等学校 から バレーボール選手として、日紡関ヶ原 、 日紡足利 、そして伝説の日紡貝塚へ。河西は『東洋の魔女』の主将として1962年世界選手権優勝、1964年東京五輪でコーチ兼キャプテンとして金メダルの獲得に大いに貢献した。

当時の監督の大松博文は「鬼の大松」と呼ばれるほど徹底したスパルタ式のトレーニングで知られており、根性バレーで徹底的に鍛えた。選手たちは「回転レシーブ」という武器で拾って拾って拾いまくるバレースタイルを身に着けた。このときのことを、目に見えな積み重ねでいつかできるようになる、敢闘精神にあふれた河西は後に語っている。チームメートたちは「オリンピックが終わったら、婿は世話をする」という大松監督の言葉に安心して励んだ。

174㎝の河西はオリンピック終了後の1965年1月に日紡を退社し、5月30日に佐藤栄作総理の取り計らいで2歳年上の自衛官(172cm)と結婚した。大松監督の仲立ちで結婚したのは6人中4人であり約束は守られたのである。そして河西はママさんバレーの指導者となった。2003年3月には日本バレーボール協会の女子強化委員長に就任し、 2004年アテネ五輪では全日本女子チームの団長を務めた。2008年はバレーボール殿堂入りを果たした。

河西のことを調べるのに、『時代を創った女たち』の中村昌枝を読んだ。この本はNHK「ラジオ深夜便」のインタビューをまとめたものだ。各界で抜群の功績を挙げている女性の発言もついでに堪能した。志村ふくみ「日本人の精神の根本には色がある」。森下洋子「一日一日の積み重ねがすべて」。樋口久子座右の銘は平常心」。山田満知子「リンクの冷たい空気は、私の体の一部なんです」。今井通子「物事って、始めてしまえば思っていた以上のことができてしまうんですね」、、、。

東京オリンピックの女子バレー優勝決定戦は、家族全員で見た記憶がある。一喜一憂し、興奮してみた。 NHK[あの人に会いたい」では、「勝つためにみんなが 一つの目標に向かってやった 青春時代に命懸けでやったことが その後の人生の大きな宝物」と語っており、さわやかな印象だった。

「あの程度の相手なら必ず勝ちます」とは、ソ連戦で第一セットを落とした時に、葛西が監督に語った言葉だ。チームの中心にこういう冷静なリーダーの存在が優勝には必要だった。

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「全国地域リーダー養成講塾」の講師。久しぶりのリアルの講演研修なので気合が入った。

今年も一般財団法人地域活性化センター主催の「全国地域リーダー養成講塾」に出講した。14時15分から17時15分までの3時間。テーマは「説得から納得の政策形成へーー図解思考のすすめ」。

コロナ禍で講演ができなくなって、キャンセルが続いていたが、久しぶりのリアル中心の研修だった。ZOOMで参加している人も多く、ハイブリッドだった。ブレークアウトセッションで行うグループワークも、助手の人たちが差配する画面に直接参加するスタイルを試すことができてよかった。

北海道の芽室町から、長崎県まで、全国自治体の行政マン23人と地域活性化センターの職員が受講対象。平均年齢は30代前半か。

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以下、感想のアンケートから。

  • もともと、図で考えるのは好きだったのですが、図にここまで効果があるとは思いませんでした。自分の周りのこと、リーダー塾での学びも図にしてみようと思います。
  • 図を描くことで「誰のために」「何のために」「何を」しているのか、仕事の大枠が認識できた。
  • 「図解コミュニケーション」に触れたのが初めてだったので新鮮でした。つながりがある事を書きだしていくことで視野が広がって、新しいことを考えられそうでした。自分で考えることが理解と疑問と反論だということがピンときました。
  • 頭の回転、大変共感しまひた。以前、先生の「図で考えれば文章がうまくなる」を読んだことがありまうs。思考が止まらない、楽しくなるやりか方を心がけたいと思います。
  • 私の仕事を図でかき、グループで説明していく中で、頭の整理ができました。少しづつ組織風土を変化させていきたいと思いあます。組織の理念と市民の存在を忘れることなく、仕事に邁進していきます。
  • 久しぶりに手書きしました。頭が活性化された気がしました。帰ったら人生の図をかいてみたいと思います。
  • 図で示すと自分の中で整理がつく、自己思想の問題が見える化できるのを実感しましたしかしながら、図解を第三者に見せるときに伝わるために第三者が「納得」できるための図を描くには相手の立場に立った視点がいると思うのですが、その点についてなにアドバイス等あると嬉しいです。本日はご講義ありがとうございました。
  • 仕事、人生、難しく書いてある文献や本も図にすると、誰にでも理解しやすくなることが学べてよかったです。なぜ、図にたどり着いたのですか?教えてください。
  • 公務員の性質か自身の仕事周りに注目しがちでしたが、改めて市民・市長をプレーヤー(相手)として意識すること、相手にわかりやすくするための図解化というところを意識させられました。講義ありがとうございました。
  • 実際に図を書いて、共有してみて、図を書く前に、目的を書くことで、自分の仕事が大きな視野で書けると感じました。(目的がないと、視野が狭まり自分の仕事ばかりかいてしまっていた)また、図の大きさ(規模、力関係)、位置取りを考えながら書くと、自分の立ち位置が明確になるので、頭がすっきりしました。
  • 自らの仕事を書く際に、すべてを詰め込もうとして、わかりにくいものになってしまったことと、市民などを書いていない点で視野が狭かったということを実感しました。これらのことを踏まえて、案内を見直していきたいと感じました。
  • 図におこすことで、頭の中がクリアになっていくのを実感できました。先生のおっしゃる通り、引き継ぎ書など箇条書きのものを図解することで的確な伝達ができると思うので、実践したいと思います。
  • 講義ありがとうございました。図にすることによって、自分の視野の狭さを痛感しました。また人によって図が全然違うのも驚きました。
  • 講義ありがとうございました。図にすることによって、自分の視野の狭さを痛感しました。また人によって図が全然違うのも驚きました。
  • 図解を通して自分の仕事の向いている方向が明らかになりました。少し恥ずかしくもありましたが、改めて向き合い、向くべき方向を考えさせられました。これからも課題一つ一つを図解してみて、向いている方向を確認していけたらと思います。本日はありがとうございました。
  • 図にすることで、頭を整理でき、市長や市民の存在を忘れていた、自身の視野が狭くなっていることにも気づくこともできました。普段の仕事や修了レポートの作成においても、図にして考える癖をつけて、思考停止に陥らないようにしていきたいと思います。
  • 図解を考え読み解く際の思考は、記録率向上につながるとともに、業務等の効率化が図られること、また図解化する際のポイントを学ばせていただきました。今後の業務の中で意識していきたいと思います。
  • 自分の仕事を図にするとき、目の前の業務を細かく記載することに注力していました。市民や市長など、自分の仕事の利害関係者を書くことで、何のためにその仕事をしているのか俯瞰することができると思いました。便利なため箇条書きやフレームワークを使って考えることが多かったので、改めたいと思います。本日はありがとうございました。
  • 最初苦手だなぁと思い、例題は典型的な考えない図になってしまいました。苦手と思いながらも図を作ることで考えるきっかけになりました。図の中に少人数意見をいれるというのが参考になりました。
  • 図を作成した際に自分に仕事が襲ってきているような書き方をしていました。仕事が襲ってきているのではなく、自分から発信している図の構成にしなければいけないと思いました。また、線の太さや形でも見る人の印象は違ってくるためそこも、今後図を活用する際には気をつけたいと思いました。ご講義ありがとうございました。
  • 図を描いていて、当たり前のことですが自分の認識にないことは描けないということに気づきました。先生からの指摘にあった、県知事、県民という視点が抜け落ちていたり、或いはもっと言うと時代認識とか他地域あるいは世界の中での位置づけなど、総合知といえる見識が求められる作業だと感じました。 また、事前質問で出していたキャリアデザインについても講義の中で言及いただき誠にありがとうございました。今後、先生の著書を読んで自分なりに学んでいきたいと思います。 f:id:k-hisatune:20201003044450j:image

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午前の2限目は「立志人物伝」の2回目の授業。

受講者はリアル171名、リモート94名、計265名になった。

本日のテーマは「仰ぎ見る師匠の存在。紹介した人物は「高杉晋作」「吉田松陰」「森鴎外」「白洲正子」「白洲次郎」。

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「名言との対話」10月2日。土居君雄「もったいない」

土居 君雄(どい きみお、1926年3月23日 - 1990年10月2日)は、日本の実業家ドイカメラのドイ)創業者。 

問屋から製品を仕入小売店に納入する二次卸から始まり、写真、電化製品を扱う小売業に進出する。ヨドバシカメラら競合店と「新宿カメラ戦争」と呼ばれた安売り合戦を展開し話題となる。最盛時は、九州、関東関西地方などに約130店舗を展開。1989年度売上は346億円に達し、カメラの専門店チェーンとしてはヨドバシカメラビックカメラに次ぎ日本で第3位となった。 しかし、1990年に病気のため急逝する。土居は日本でのミュシャ((1860年-1939年)の紹介者の一人であり、1989年、チェコ文化功労最高勲章が授与されている。土居の死後、ドイは、2003年8月に民事再生法の適用を申請して倒産し再建を目指したが2006年に破産した。

土居君雄は、稼いだ金は好きな洋画自動車の蒐集につぎ込んだ。特にミュシャBMWの世界的コレクターであり、どちらも遺族から大阪時代に居を構えた大阪府堺市に寄贈され、約500点にのぼる「ドイ・コレクション」として堺市立文化館アルフォンス・ミュシャ館でで公開されている。ミュシャアール・ヌーヴォーを代表するグラフィックデザイナーで、女優サラ・ベルナールのために制作された7点のポスターなどの貴重な作品が収蔵されている。ミュシャの祖国である現チェコ共和国でも観ることができない大型の油彩画や下絵など、貴重な作品を加えた厚みあるコレクションだ。

私は2017年に国立新美術館で「ミュシャ展」で、サラ・ベルナールのデザイナー作品やスラブ叙事詩という超大型作品をみて強い印象を受けている。2019年には横浜そごう美術館の「ミュシャ展」もみた。

ミュシャスメタナ交響曲「わが祖国」の演奏を聴いて、スラブ民族の連帯を主題とする連作絵画を制作することを意識する。1909年には「スラブ叙事詩」20点を制作するスポンサーを見つけて、翌年プラハに戻る。このときミュシャは50歳。プラハ市は専用の美術館を建てると約束しこの大事業に着手し、1911年から16年間かかって「スラブ叙事詩」が完成する。

本業の「ドイ」は無くなったが、「もったいない」が口グセであった土居君雄は付き合いなどに金は使わず、創業者として得た富でミュシャの絵画を買い続け、それが「ドイ・コレクション」として残った。本人がいうような単なるドケチではなかったのだ。金は使い方が大事なことがよくわかる。

 

 

 

 

秋のリレー講座の第1回:寺島実郎「コロナ禍という試練ーー日本の針路」ーー次の基幹産業は医療・防災を中心とした「安全・安心・幸福」産業。

  2020年秋のリレー講座「現代世界に関する全体知の試み」の第1回は、寺島実郎「コロナ禍という試練ーー日本の針路」。

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以下、図メモからのまとめ。

  • 大統領選でオクトーバーサプライズか:戦争で対外緊張も。中東、南シナ海、台湾、北朝鮮、、。
  •  全体知が必要:コロナ対策では専門知が必要以上に凍り付かせた。科学ジャーナリズムの力が弱くなっている。新聞は2000年の4740万部から1000万部減少。特に2015年から400万部減少。それが科学ジャーナリズムの弱体化に。テレビはうすっぺらに。2020年1-6月で死者が1.6万人減少(外出自粛)。コロナの死者は1500-1600人。事故死3.9万人(溝落ち1500人、もち3000人)。自殺1.9万人、30代までの若者の自殺が5000人と深刻。
  • 情報鎖国:PCR検査は5/25の27.5万件から170万件増えて10/01で208万件と7倍以上。感染力が強いが弱毒性で致死率は低い(5月5%、9/151.9 %)。退院者91%。検査数はアメリカ1.07億件。中国1.6憶件。PCR検査数も並べて報道すべきだ。日本ではアクセス回路が悪く、努力しないと本当の情報にたどり着ない。情報が制約されて情報鎖国状態。
  • 時代認識には全体知が必要: 専門知ーー総合知(学際的アプローチ。アメリカ20万人死亡。格差と貧困。無健保が5000万人)ーー全体知。人類は新参者(地球46億年、微生物30億年、新生人類20万年。微生物1万メートルなら人類は1m未満)。ヒトは常在菌と生きている(ヒト37-60兆の細胞。常在菌数百兆)。人に内在するレトロウイルスは人類の進化に寄与してきた。
  • 人間の人間たるゆえん: ヒトゲノムの解読でDNAはチンパンジーとは1.2%の差、個体差を含めると1.06%の差しかない。人間の人間たるゆえん(京大の松沢先生)=共育(子育てに父親、祖母も参加するのは人間だけ。コミュニティや学校で人を育てるのは人間だけ)。雰囲気、空気、背中、至近距離、触れ合いの中で、人間が人間を育てる。リアルで時代の変化や問題を感じる。だからリアル授業が重要。
  •  知の三段階:流動性知能(記憶力)。結晶性知能(課題解決力。30代からんじょ体験、知識の蓄積で、ある時期から優れてくる人はこの知能がある人。誰の智恵を借りるか、何をもって乗り切るか)。唯識性知能(全体知。五識:眼識、耳、鼻、舌、身。九式:六識+末那識+阿頼耶識+阿摩羅識)
  •  日本埋没論:GDPの世界での割合。1970年6%、1988年16%、2018年6%、2025年4%未満、2050年1.8%。GDP▲5.8%予測(実体経済)だが株価は23000円と高い。アベノミクスの異次元の金融緩和でカネが株に流れた。財政出動:一人10万円で14兆円、、。赤字国債の発行を日銀が買い取り。財源の議論はない。国と地方の謝金は1114兆円(後代負担)。無利子国債相続税減免などのアイデア。株価時価総額でGAFAが日本のGDPを超えた。アップル一社で2兆ドル。日鉄の200倍、トヨタの10倍。日本の埋没感は円安も原因。食料・エネルギーの輸入コスト27兆円は円安で2割高くなっている。戦闘力が失われた。危機感や怒りの無さ、、、。
  •  次の基幹産業:基幹産業はメルトダウン地震、気候変動などの自然災害、医療・防災を中心とした「安全・安心・幸福」産業という新しい方向感。その実装化、プロジェクト化へ

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始まる前に寺島さんと懇談:TOKYO MXテレビの「日本再生論」第5弾の「図解塾生」の反応を手交。図解塾、国道16号線の本、、、。

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杉田先生:近況を聞く。

長島先生:総研。

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「名言との対話」10月1日。上羽秀「いちばん好きな時いうたら、お店に出てる時。なんや遊ばせてもろてるよう」

上羽 秀(うえば ひで、1923年大正12年1月15日 - 2012年平成24年10月1日)は、川口松太郎の小説『夜の蝶』、および同名の映画のモデルとなった人物である。

おそめという通り名で知られた。当時は「ムーンライト」という深夜便があって、深夜2時ぐらいに大阪着の飛行機があり、京都と銀座に店を構えて飛行機で度々往復する生活を送っていたことから「空飛ぶマダム」と呼ばれた。 大好きなオールドパーをロックで飲んでいた。

青山二郎は上羽秀という女の印象を、以下のように日記に書きとめた。「でッぶりしていて品がよくシツカリしていてハイカラで、祇園の出である。東京では見られない(松八重)と対照的な美人だ、吸い寄せられる様な魅力がある。松八重が一流の唐津なら、おそめのマダムは織部の傑作だ」。秀の魅力について妹は「品格、というか雰囲気が独特なんです。それが人さんを惹きつける。だから姉はそのために生まれてきたような人です。人に好かれるという能力を持っている」。色の白い絶世の美人で、その上に人当たりが良く、話上手で、クラブ制の文壇酒場は、文化人だけでなく、政治家、経済人にも絶大な人気があった。

里見弴や吉井勇は秀のために短歌も何首か残している。服部良一は2曲の歌をつくった。大佛次郎小津安二郎川口松太郎東郷青児石川達三川端康成中山義秀吉川英治、政治家の石田博英吉田茂佐藤栄作田中角栄中曽根康弘にいたるまで。。、。色と欲がテーマの女の確執を題材として大ヒットした川口松太郎の「夜の蝶」には、白洲次郎も登場する。ライバルの銀座一と言われていた「エスポワール」のマダムが「私はね、銀座を征服しなくちゃ気が済まないのよ」と新派公演で語る映像をユーチューブでみた映画では京マチ子や、秀を演じた山本富士子が出演している。おそめこと、上羽秀は東映のプロデューサーの俊藤浩滋ずっと事実婚だったが、70代になって結婚している。冨司純子は俊藤の娘で、その子が寺島しのぶ尾上菊之助だ。

祇園の芸妓から夜の蝶、空飛ぶマダム、織部の傑作、、などと言われたように、上羽秀は波乱万丈の生涯を送った。秀は一流の客たちから遊ばせてもらっていたのではないかと述懐している。彼女が輝いていたのは、仕事と遊びが渾然一体となった店で接客している時だった。

 

 

「オンライン図解塾」の第3講ーーショック、思考パターンの破壊、アート感覚

 ZOOMによる「図解塾」の第3講。20時から22時。17人が受講。

以下、終了後の感想。

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図を書きながら文章を読むことで、理解が深まる、考えているということがよくわかりました。関係詞(接続詞)の使い方について、以前より、考えていたので、久恒先生もそれを大事にしていらっしゃると聞けて、安心いたしました。関係詞の使い方を磨いていきたいです。<国語力の低下の図メモ>現状~原因~問題点~解決策という流れを意識することができました。箇条書きとあまり変わりがないように見えるかもしれませんが、自分では、一歩前進したような気がしています。★講義内容とは違いますが、中川さんと矢口さんが、お子さんを寝かしつけながら受講されていたことに感動しました。熱心に勉強なさって素晴らしいです。そして、そういうことができる時代になったこともうれしいことだなと思いました。

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図解塾の第3回目、どうもありがとうございました。
今日は冒頭からいささか自分にとってショックでした。
寺島さんの「日本再生論第5弾」をパワーポイントでうまくまとめたといい気になっていたところへ、「手書きでなければ全身での作業にならない。」「色を使いすぎるのはダメ」と言われてしまったからです。
「手書きが全身での作業」というのが実感として分かってないところがありますが、長年のワープロ、箇条書き生活が奥までしみ込んでしまっているせいかもしれません。
また、朝日新聞「論壇」の記事の図解も、重要な点は一応理解したつもりでも図の中に枝葉末節まで入れ込もうとして見にくくなってしまいました。
さらに、この文章をそのまま受け入れてしまって批判的に読み取る視点が弱かったと思います。例えば筆者が揚げていた3つの問題点相互の関係性など、全く気付いていませんでした。と言うわけで、たいへん勉強になりました。

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図解マイスター 久恒啓一先生によるzoomオンライン図解塾の第三回。
今回の宿題は、MXテレビ寺島実郎の日本再生論 第五弾」を見て、図解メモを創ることでした。
正直に言えば、私は惨敗の劣等生。リアルタイムでメモを取るのがやっとで図解にまとめることはできませんでした。そこで、前半は、久恒先生の図解メモをみんなで見ながら解説してもらったのですが「見事」としか言いようがありません。
私の質問「図解は手書きとワープロどちらが良いか?」に対しては、即座に「手書き」との答え。「手書きだと全身で書ける」からだそうで、手書き後にパワーポイントなどでまとめるにしても、手書きの方が頭を使って考え抜くのに向いているそうです。
修行を積まねばなりませんが、ワープロ慣れ、箇条書き慣れした私の思考パターンを「図解」は破壊してくれそうです。
後半は、某新聞のあるコラムを図解するワークショップ。まずは、新聞のコラムの重要なキーワードに下線を引き、抜き出し、〇で囲みます。それらの関係性を〇と→を組み合わせて図解化していくのです。
みんなで発表していくうちに、誰もが気づきました。このコラムは「無駄が多くて論理的でない上、結論もあいまいな破綻した文章」だと…。線引きと図解をすることで、重要でない部分の記述が冗長だったため、重要な結論、具体的な代替案が出せないまま「憂うだけ」の文章になってしまっていることが浮き彫りになりました。
このワークショップで、新聞にコラムを連載している私も背筋が寒くなりました。次回からは、まず図解で、論理的な設計図を描いてから、コラムを書くことにします。
つまり図解することで真の読解力が身につくのです。
本でも新聞でも、図解しながら3つに分けることが大切だと久恒先生は力説します。
1 理解できたこと
2 疑問に思うこと→質問する
3 意見が違うこと→発表する
この健全な批判精神と自立した思考法を身につけたいと肝に銘じました。そうすれば、読解力と合わせて、論理的で自分の意見が明確な文章を作成する力も体得できるでしょう。というわけで57歳の手習いで改めて自分の未熟さを感じる2時間。大変貴重です。次回も楽しみになってきました。前回、図解塾受講生仲間のみなさんからいただいたアドバイスをいただいて「ぐるっとパス」の図解も改良してみました。まだ先がありそうなのですが、とりあえず今はこんなところで。久恒先生、見放さずにご高導のほどよろしくお願いいたします。

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久恒先生、みなさま、本日もありがとうございました。
久恒先生の講義内容とお話だけでなく、みなさんのコメントがそのまま学びに繋がっていて、本日も非常に有意義でした。
以下、第3回の感想になります。
■印象に残った久恒先生の言葉
・図解は手書きがよい。手書きは全身を使う。全身を使うことは全身で考えることだ。
・文章を書いているときは、頭が回らない。
 図を描いているときのみ、頭が回る。
・図解する、ということは自分の考えを持つこと。
 書かれているものの考えに、負けない。
・問題意識をもって読む、と、自分の考えを持てるようになる。
・これまでは分かっていないことを分かったふりをしてきた。
・図解することは、「理解したこと」、「疑問なところ」、「意見が違うところ」を分けること。
・図解は経験。描けば描くほど、レベルが上がる。
■個人として、印象深かったこと
・階層化、並列化して、読み解けた!と思ったところで、自分の思考が止まっていることに唖然としました。。。
・言葉、内容、関係に疑問を持つことをしないと、そこで、思考が止まってしまう。
・手を動かすことは、考え続けること、図解MAPを頭の記憶においていくこと、ということが繋がりました。
 身体性が、認知・思考・記憶を動かしていく、ということの具体的な理解が良く出来ました。
・また、書き手の内容を、無条件・無批判に受け入れているところがあることをよく自覚できました。
 キーワードに部分的に反応して受け入れないことは、私の場合、よくあるのですが、図解して論理構造を掴むことで、より理解を深めていくこと、伝えること、対話に繋がっていくことを学べたと思います。 今後の実践を通じて、体得度を深めていきます。以上になります。
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昨夜の、久恒啓一先生による「図解塾3回目」に加えて頂きました
感想を一言で申せば➔楽しく学ばせて頂きました。思考の勉強になりました
仕事柄ですが…PowerPointをよく利用しています。
正確に申すと、近日何でもPowerPointに頼って作成している感じです
チラシ系、既存状況の提示、改善の提案、報告書etc.
特に、保険会社への被災状況の報告に有効であるの感触があります。
今回や前回の図解塾講義に於いては違っているようです
PowerPoint思考で講義には付いていけそうだなぁと一瞬過りました
➔そう簡単ではないであろうの慎重思考も持っていたのです
久恒先生は
PowerPoint思考に頼っていては論理的でなくなるとの事
➔鉛筆の手書きで書いては消してのアナログ思考が有効
➔モノトーンで、使い分けには明暗や網掛けが有効
PowerPointを使うと、色を加えたくなる
➔色に頼ると論理的ではなくなるとの事です
本日のメモ図、前回のメモ図を添付します
では次回もよろしくお願い致します。
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本日の学び
・図解は楽しい!
・正しく理解するのではなく、自分なりにどう理解したかが大事
・図解によって、理解・疑問・意見が違うところが明らかになる
→これこそが「考える」ということ
今の国語教育で行われている、書き手の意図を読んだり想像したりすることの価値もあるとは思いますが、このような、相手と意思疎通を図るため・自分で考えるための図解こそ、国語教育の中に取り入れられると良いなと感じました。まだ教えられる人が限られますが…本日もみなさまありがとうございました。

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本日もありがとうございました。
例文から図解に落とし込むとき、これは本当か、と自問自答、分析しつつ、批評的精神を持って読解することが「科学」という鉄則を少々忘れていたため、最初「本人の論旨を形にする」というアプローチをしてしまい、時間をロスした感があります。
関係詞のお話、論理は段落である、というレクチュアに大いに納得いたしました。
来週も楽しみにしています(^^)
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皆様本日もお疲れ様でした。お題の文章ではアンダーラインと丸をくれた部分どうつなげるかだけを考えていたら、並列の部分の矛盾に始め気がつきかず、まんまと騙されました。ちゃんと関係性を考えながら進める。書いてある事が必ずしも正しいとは限らない。事を学びしました。しかしながら、国や文化を超えてコミュニケーションする為に必要な課題としては共感したので、そんな作図となりました。

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今日もありがとうございました。すごく楽しく充実した時間でした。
以下、感想です。
・だいぶ、スピードで図解するのに慣れてきたように感じます。
・でも、まだまだ図解しながら、短時間で自分の疑問などを思いつくレベルになっていないなぁって思いました。
・自分は大学受験時代から接続詞は、+(並列)、→(順接)、➡(逆接)、←(理由・根拠)などを書き込んで記号化して読むようにしているため、図解と親和性が高いのなかと思いました。
・個人的には、たしかに作者の文章はヘタなんだけど、よくある文章レベルで、さほど分かりづらいこともなかったなぁって思いました。
・論文の話はその通りだなと思って大笑いしました。作者は工学の人なので、典型的なテンプレート思考な文章しか書けない人なので、こういう記事はヘタなのかもしれないなと思いました。
・作者の考えは、作文=感情、論文=論理なのかなぁと思いました。
次回もどうぞよろしくお願いいたします。

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今日も有り難うございました。頭を使ったフリはしている日常ですが、疲れました。
しっかりとはいかなくても、もう少し図解力をつけるようにしたいと思っています。
若い連中に図解ミュニケーションを読ませて教えて貰うことも始めています。

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梅棹忠雄著作集22巻の図解されているのことで、それぞれの巻のタイトルをキーワードとし図解すると、関係性がわかることが印象深かったです。
1冊で考えると、目次から図解できれば、各章の関係性が上手くできていて、読みやすいということですね。
図解の演習はキーワードに印をつけると、平面の文章が立体に見えてきて分かりやすくなりました。記事を理解しようと、書いてあるキーワードをただ並べ描いていたので、関係性まで気づきませんでした。気づけるよう、図を描いていきたいです。
寺島先生の講義の先生の図解からの説明は、自分で図メモしながら聞いていたので、再確認できとても分かりやすかったです。
図解して間違えても構わない。私はこう理解しました。大事なことは私。とても良い言葉ですね。このグループは皆さま偉大な方ばかりで、自信がないことばかりですが、挑戦してみます。
今日もありがとうございました。次回もどうぞよろしくお願いいたします。
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 本日も、ありがとうございました。

①深い処理=知識の蓄積
であり、いかに分かっていない事を分かっているフリをしてきたか私自身恥ずかしく思いました。正しく理解するのではなく、自分なりに理解し、調べ、自分が府に落ちて分かる人へも伝えられると改めて実感致しました。
②課題の文章
一言、読みにくいなぁ。というのが直感でした。文字の羅列、大小強弱もなく淡々と記しているだけなのかと見受けました。それを、図解にする事により疑問点や矛盾点を見出す事が出来ました。それに加えて、ソフト化の進んだ現代社会や国際化、ワープロではなくスマホSNS、5Gなどが当たり前になっているこの現代こそ、国語力が必要だと確信致しました。大学生などとプロジェクトをしていると、新聞の読み方すらも分からない。スマホの親指だけで文字を打つので、キーボードの仕組みすら分からない。
キーボードの1番上がtypewriterで構成されていることすらも意味がわからない世代かと思います。まさに、国語離れかと思います。
私自身、自分の国語力を磨きそれを現代に咀嚼して図にして説明していくことが大切だと感じる事が出来ました。
③振り返りの部分
久恒先生が、常日頃仰っている"接続語"="関係詞"。アロンアルファではなくて、文章のキーポイントになるという部分がとても共感致しました。確かに、中国の方などとお話しすると関係詞の使い方が文脈をおかしくしている事が多々見受けられます。
"読解力"=考える力+"文章力"=作文力、論理的思考↓国語力となるよう、より一層学んでいこうと実感致しました。図にする事は、とても頭を使いますし、様々な分野が共鳴し合い、それを一つに仕上げていくアートのような感覚だと個人的には感じる部分があります。色を使い過ぎるところがあるので、色のキチガイになり過ぎないように気をつけて様々な物を図にして捉えていきたいと思います。本日もありがとうございました。

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今夜もありがとうございました。
【学び】
作者が言いたいことを図解していく課程で自身の意見が出たらどう分類するか?
吹き出しにして(≒専用の図形を使って)識別する。「「私は」こう理解しました」を表すのが大切。図にすると疑問がわいてくる。「理解と疑問と意見の違いを分けることが出来る」=考えること。疑問は聞いてみる。意見の違いは発表する。
【課題の感想】
論壇を図解する過程で、「内容が濃い部分と薄い部分が解った」、「自分だったらこのキーワードたちで何を論ずるか」「つながりの中で、もっと知りたいことは何か」これを理解して分別できたのが、とても大きな収穫でした。
以下、感想でもお話しさせていただきましたが、、、わたしが初めて「キーワードを書いて矢印でつなぐ」を実践したのが大学の推薦入試、小論文だったのを思い出しました。90分一本勝負、途中で論理がズレていることに気がついたらアウト。触れたいキーワードをいくつか書いて、ルートを決める。次に、結論を決める。現状の認識→キーワード→キーワード→…→結論。最後はA3用紙下段に書いた「地図」を消して、突っ走った。なんだ、自分って図解にもう助けられてるじゃん。
…そう思いました。頭の中のセリフそのまま、口語で失礼しました。次回もどうぞ、よろしくお願いいたします。

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大学

・図解塾

・金曜日の授業の準備

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「名言との対話」9月30日。熊谷恒子「本建築は自力でしなければならぬ」

熊谷 恒子(くまがい つねこ、1893年1月28日 - 1986年9月30日)は、日本書家

京都出身。書道用具の老舗の銀座鳩居堂の支配人である熊谷幸四郎に嫁ぎ、東京にでる。子どもに習字を習わせることになり、自分も稽古につきあって川北桜嶼に漢字を習う。35歳であった。

次に仮名分野で今行成といわれる尾上柴舟先生の門をたたく。先生は漢字を教えぬというので、先生のお許しをもらって、岡山高蔭先生に師事する。そこで仮名へ開眼する。先生の逝去後は、古筆をたよりに、ひとりで勉強を続ける。

45歳ころに、目を患い、緑内障で右眼を失明。書を志すものにとって致命傷だが、夫は「片目が見えればいいではないか」と励ましてくれた。そして趣味がいつしか生涯の仕事となり、書壇で活躍し、ついに「かな書家」の第一人者となった。

63歳、大東文化大学講師。74歳、教授。82歳までつとめ続けている。72歳、皇太子妃美智子殿下への書道ご進講。74歳、勲五等宝冠章。87歳、勲四等宝冠章。80歳、夫・四郎没(享年86)。89歳、「卒寿記念・熊谷恒子展」。93歳、永眠。

川端龍子記念館から歩いて数分の大田区南馬込の住宅街の高台に熊谷恒子が住んでいた住宅が記念館として開放されている。2017年に大田区立熊谷恒子記念館を訪問した。大正時代から昭和初期にかけて、山王から南馬込一帯に多くの文学者や画家が住んでいた。 この界隈は「馬込文士村」と呼ばれていた一角だ。

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 平安朝のかな「上代様」を書道芸術最高のものとして、手本を真似る臨書を繰り返す主義であった。題材は四季の風情を詠む詩や歌である。

  「いろはから基礎をしっかりと身につけ、古典を十分に知った上で既存のものを打破して違ったものを考え出す。あるいは新しいものを創り出すと言うことが創作の一般と言えましょう」

「齢すでに七十を過ぎたのに今もって、せめて自分だけでも会心の作と思われる作品を生みたいと願っているが、出来ない私はこの道は他力本願であってはならないと思っている。礎石は出来ても、本建築は自力でしなければならぬ。全部借金して家を建てて人に誇っても、内心やましい気持ちがすることと思う。一にも勉強二にも勉強、私は若い人々にこの事を申し上げたい」

生前の写真をみると、実に品のよい婦人である。「歳をとったら恒子先生のようなお婆さまになりたい」と弟子達が話し合っていたという。高台にあり見晴らしの良い記念館の庭には、風格のある百日紅の木と、梅の花が咲いていた。絶筆は「ありがとう」の文字だった。「あ利可とう 恒 九十三」。

 記念館の二階は、座って墨で書を書けるようにしつらえてあった。私の座右の銘「今日も生涯の一日なり」と書いたら、熊谷恒子の落款を押してくれた。

古典は基礎である。その礎石の上に、新しい建物を自力で立ち上げる。借り物で見栄えのよい建物をつくっても、やましく、むなしいだけだ。自分にとっての本建築は、他力ではなくて、自力でつくれ。書だけではなく、あらゆる分野で一流の業績を挙げた人に共通する心構えである。熊谷恒子という女性は、温厚な風貌からはなかなか想像ができないが、自分に厳しい態度で、自分の道を歩んだ人である。

 

図解三昧の日。

朝からずっと図解資料づくり。手描きの図をパワーポイントで修正しながら清書していく。10月の発表のめどがほぼついた。

 夕刻、ジムで気分転換:ストレッチ。ウオーキング。バス。

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「名言との対話」9月29日、佐藤しのぶ「いつも、自己ベストを出すことが私の目標だ」

佐藤 しのぶ(さとう しのぶ、1958年8月23日 - 2019年9月29日)は、日本ソプラノ歌手声楽家。夫は指揮者現田茂夫

東京都出身。日本が世界に誇るプリマドンナ文化庁オペラ研修所を最年少、首席で卒業。文化庁派遣による芸術家在外研修員としてミラノへ留学。1984年、「メリー・ウィドウ」「椿姫」に抜擢されデビュー。その後、「トスカ」や「蝶々夫人」を次々と園児、オペラ界のスターとなる。1998年、ウイーン国立歌劇場で主役でデビューし、以後、人気と実力を備えた歌手として世界中で活躍した。

2009年4月『天皇皇后両陛下ご成婚50周年&ご即位20周年記念コンサート』、2009年11月『天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典』に出演。2014年1~4月『夕鶴』つう役を初主演し、全国各地で大好評を博した。

 佐藤しのぶ『明日へ続く歌 出会いのハーモニー』(東京書籍。2014年発刊)を読んだ。

「才能とは強靭な意志を持続できること」「強靭不屈な意志力が欲しい」「規則正しく愚鈍を旨としよう」「わたしの歌は、皆様の愛でできています」「いつも、自己ベストを出すことが私の目標だ」「 呼吸を制する者は世界を制する」「 楽器が身体」「感動」、、、。

「人生は素晴らしい出会いに満ちている」とし、島田和子先生やピアニストの森島英子らとの出会いを綴っている。「人は、心から尊敬する生き方や、立派だと思う人に出会った時、自分自身の進むべき道がはっきり見えてくるものだ、そこに飛躍がある」。

 この本のメインの「対談」では、相手からいい言葉を引き出しているのは、人がらの功徳か。

中西れい「大陸的っていう言葉は、国境を跨げるということ」「音楽は空気みたいなものだから人の心への浸透性がある」。山下泰裕「道とは、そこで学んだことを、日常生活や人生で生かしていくこと」。工藤公康「プロとは、長く結果を出し続けること」「次の年はまた何か一つ成長していくものがないと、その世界の中で長く結果を出し続けるということはなかなか難しいんですね」。宮田亮平「俺は学長じゃない、芸術の行商人だ」「忘れるのは、新しいことを入れる原動力なんです」「今の自分が最高で花咲いている、ということが確実に感じられる毎日を送る」。保阪正康「昭和という時代は64年あるんですけど、人類の歴史が体験したことが全部詰まっている」「ものを書いて感動させるということは、もちろんないとな言わないけど、絵とか音楽に比べたら少ない、、、音楽が一番強い」。月尾嘉男「書を捨てよ、海へ出よう」。山本益博「おいしいものを食べるよりも、ものをおいしく食べたい」。大石久和「人為の国と天為の国」。衣笠祥雄「外連味(けれんみ)」「40歳で引退。これ以上練習してもうまくならない」。

宮城大学の開学当時。佐藤しのぶさんがご主人の現田さんと見えて、教壇に立ったことがある。社会人も多く集まり大人気だった。それ以降、何度か姿をお見かけしている。 

東京パレスホテルで野田一夫先生傘寿のお祝いの会。挨拶はオリックス宮内義彦会長、歌手のジュディオングさんと女優の檀ふみさんとオペラ歌手の佐藤しのぶさん、歌手の小椋佳さん、ソフトバンク孫正義会長、渡辺喜美行政改革担当大臣、経済産業省北畑隆生次官、電通新井満、俳優の津川雅彦さん、、、、。 

「草柳文恵さんを偲ぶ会」。文恵さんは交遊も広くて、オペラの佐藤しのぶさん、パソナ南部靖之さんらの顔もみえる。

対談相手が語った名言は、佐藤しのぶさんすべてが備えている感じがする。大陸的、プロ、道、今の自分が最高、、、。感動が一番強い音楽という最高の舞台で、自己ベストを更新し続けた人である。そのことに感動する。
明日へ続く歌:出逢いのハーモニー

明日へ続く歌:出逢いのハーモニー

 

 

 
 

『年齢事典』ーー「私はこう生きた。それで、君はどう生きる?」

『年齢辞典』(アスペクト。タダノキンシュウ著)という面白い本がある。「私はこう生きた。それで、君はどう生きる?」がテーマ。0歳から152歳で亡くなったとされるトーマス・パーまで、年齢ごとに人が何をしたかが記されている。

年齢事典―人生に起こり得る2815の出来事

年齢事典―人生に起こり得る2815の出来事

 

「 人物記念館の旅」でも、自分と同じ年齢のとき、この偉人は何を考えていたかに関心を寄せてきた。この事典でも、自分と同年齢の時にあの人は何をしたか、に興味が湧く。励まされる。

コペルニクス:地動説を唱える「天球の回転について」を出版。

鶴屋南北:歌舞伎狂言東海道四谷怪談」を初演し、代表作となる。

・山口伊太郎:錦織の「源氏物語絵巻」の制作を開始。

岡本太郎:テレビCMでの「芸術は爆発だ!」が流行語になる。

遠藤周作:「深い河」を発表。

岡本敏子岡本太郎の死去に接し、以後、岡本太郎ブームをまき起こす。

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10時:荻窪で秘書の近藤さんと打ち合わせ

10時半:日本地域社会研究所を一緒に訪問

12時:東京駅そばの「OAZO」のレストランでミニ兄弟会

17時:歯のチェック

20時:デメケンのZOOMミーティング

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「名言との対話」9月28日。寺田明彦「苦悩して苦悩して、ようやく一筋の光明が見える、その先で、光が閉ざされようとも、それでもやり続ける。それが覚悟というものです」

 寺田明彦(1936年4月23日〜2019年9月28日)は、経営者。ニチイ学館創業者。

経営誌「企業家倶楽部」が主催する第21回企業家賞の受賞式のスピーチをユーチューブでみたが、真摯な態度と誠実な語りかけが会場を圧していた様子がよくわかる映像だった。そのスピーチを軸に、ニチイ学館という企業の成り立ちと現在をプロットしてみよう。

1961年に始まった医療保険制度は、保険証さえあれば全国どこでも医療サービスが安価で受けられる。世界に類のない画期的な制度だ。医療機関は『診療報酬請求明細書』を提出しなければならない。その面倒な診療報酬請求業務の手伝いをしたところから、事業が始まり、国から仕事の依頼が舞い込むようになった。確かなニーズがあると気付き勤めている会社を辞め、計画的に人材を育成して全国の仕事を引き受けることにした。医療関連サービスのニチイ学館が誕生する。寺田によれば、「研修会で熱心な人を口説き、その人を中心に拠点を拡大していった。創業10年かけて、メディカルサポート事業は47都道府県に組織ができた。

2000年に介護保険制度が始まった。寺田は制度開始前に10万人以上の介護人材を育成し事業展開を推進していく。それは医療の仕事で育てた全国の拠点があったことで実現できたのだ。そして医療・介護・保育を軸に全国の企業組織網を強化・拡充し、各地域で雇用を創出していった。社是は「誠意・誇り・情熱」である。

2020年3月末で、社員37,185名、業務社員53,583名。売上高(連結)2,979億円。受託先は8300件に及ぶ。。本社、支社5、94支店が存在する。海外も中国を始め、オーストラリア・カナダ・フィリピンにも展開している。中期経営計画「VISION2025」では、「保育」や「語学教育」などへ事業領域を拡大させ、総合生活支援企業へ向かい、2025年3月期には、連結売上5000億円以上、営業利益率10%以上を目指している。

寺田明彦は、「人生百年時代に寄り添い社会に貢献したい」との願いを持っていたが、それは叶わず、すい臓がんで2019年9月28日83歳の生涯を閉じた。

社員への最後のメッセージは、超高齢社会に入った日本の「医療と介護」を支えていく覚悟をもって持ち、「未来」を変えるチャンスに参加しよう、だ。覚悟とは、「苦悩して苦悩して、ようやく一筋の光明が見える、その先で、光が閉ざされようとも、それでもやり続ける。それが覚悟というものです」であった。

医療事務という資格があることは1970年代から知っていたし、現実にその勉強をしていた女性を何人か私も見ている。その仕事を開発し、「医療と介護」の現場を支える人材を育てて、日本の課題に挑戦してきたのが、この寺田明彦であったのだ。 「医療も介護もニチイがいなければ始まらない」と言われるまでに成長したのは、創業者のこのような覚悟があったからだろう。寺田明彦は自らつくった医療と介護の仕組みを利用して最後を迎えた。本望であっただろう。

 

 

 

 
   

 

 

『図解コミュニケーション全集』:広告(26日の日経)と書評(アマゾンに3件)。

26日(土)の日本経済新聞の「全集」の広告第2弾。

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アマゾンに3つの書評が掲載された。