白州次郎・白州正子・渋沢栄一・ドラッカー

午前中、小田急線鶴川の白州次郎白州正子の武相荘を訪問。GHQが「従順ならざる唯一の日本人」と書き留めた次郎。NHKの「その時 歴史が動いた」では「マッカーサーを叱った男」としてとりあげられている。吉田茂首相を助けて通商産業省をつくた。白州正子は、70代、80代にもっとも執筆量が多く、根強いファンが多い。正子の美的生活にあこがれる人がたくさ訪れていて驚いた。


午後、渋沢栄一史料館。日本の会社500以上の設立に関わった日本資本主義の父。王子の飛鳥山公園の一角にある史料館を訪問する。インドの詩人タゴール蒋介石など内外の要人を招いた晩香慮(ばんこうろ)と青淵文庫(青淵は渋沢の号)も公開されていたので観る。もともとは9千坪の自宅だったが、敗戦でわずかな部分が残った。


学会の前の時間を利用して、YKKのPR誌のインタビューをホテルで受ける。日本政府の発行する「白書」がテーマ。7月発行。


夜、リ-ガロイヤルホテルで行われたドラッカー学会総会・ドラッカーを偲ぶ会に出席。上田惇夫代表(ドラッカーの本のほとんどを一手に翻訳。ものづくり大学名誉教授)、野田一夫顧問(「現代の経営」の監訳者、ドラッカーを日本に初紹介。多摩大学名誉学長)、小林薫理事(ドラッカーに関する著作は日本最多。産業能率大学名誉教授)、藤島秀記理事(ダイヤモンド社でのドラッカーの翻訳書の編集者。淑徳大学客員教授)などが挨拶。何人もの知り合いにあったし、新たらしい出会いもあった。

野田一夫「若い人が多くてびっくりした。定見にとらわれないのがドラカーの精神」

藤島「ドラッカーは日本の経営を自信をもって推進せよと言っていた。大いなる遺産を糧に」

ドラッカー学会会員は現在217名。経営者130人、学者30人ほど、コンサルタント22人ほど、マスコミ11人、、)毎日入会が積みあがっているとのこと。

20時36分の新幹線で仙台へ。