日経産業新聞(2022年7月20日)にIUの久米先生が「DX時代のデジタルお墓」のことを書いてくれました。
「今まで見た個人WEBで最も感動したのは多摩大学前副学長作の「久恒啓一図解WEB」だ」と紹介してもらった。「ライフワーク曼荼羅」「私の履歴書」「自分年報=人生の縮刷版」「デジタル霊園」、、、、、。
19日に「図解WEB」をリニュアルしたので、絶好のタイミングとなった。月曜日に流したこともあり、来訪者が1000を越して賑やかになった。
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「週刊現代」(7月20日発売)の「おとなの夏のうた」特集で有識者の一人としてインタビーを受けた記事が掲載された。準備で「夏の歌」のいくつかをユーチューブで聴いて懐かしかった。急な電話取材だったが、気分転換になり、面白かった。
私が推したのは吉田卓郎「夏休み」(4位)、南沙織「17歳」(12位)、南こうせつ「夏の少女」(17位)の3曲。
コメントが紹介されている人:作家の山本一力。多摩大学名誉教授(経営情報学)の久恒啓一。音楽評論家で尚美学園大学副学長の富澤一誠。東大名誉教授の船曳建夫。音楽プロデューサーの佐藤剛。ジャーナリストの大谷昭宏。コラムニストの中森明夫。著述家でプロデューサーの湯山玲子。
リストに紹介されている人:亀渕昭信(ニッポン放送社長)。斉藤孝(明治大学教授で教育学者)。崔洋一(映画監督)。森永卓郎(経済アナリスト)。
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「名言との対話」7月21日。遠山元一「だまされる幸福」
遠山元一(とおやま げんいち 1890年7月21日ー1972年8月9日)は、日本の実業家。日興証券創業者。
埼玉県川島町出身。豪農の家に生まれたが、実家が没落し、高等小学校を出るとすぐに東京に奉公に出される。15歳で兜町の株式仲買の半田商店に入る。1918年に独立し川島屋商店を創業。第一次世界大戦の好景気とバブル崩壊、昭和の金融恐慌を乗り切っていく。1944年には日興証券と合併し、初代社長に就任した。
戦後、米国証券市場視察団を結成し、他の証券会社の幹部とアメリカが大衆による株式投資の様子を知る。遠山は後に日本証券業協会連合会の会長となる。
酒もたばこもやらないが、美術品の収集という趣味を持っていた、苦労した母親のために建てた故郷の近代和風建築(国の重要文化財)が遠山記念館となっている。収集した美術品のコレクションが展示されている。源頼朝の自筆の書状、一遍上人を描いた絵巻、黒田清輝の日本最古級の裸婦像などがある。
東京証券取引所、経団連、東京商工会議所、日本証券連合会などさまざまの要職を歴任し、「株屋」といわれた証券界の近代化に奔走している。一介の小僧から出発した遠山は、いつしか「兜町の天皇」と呼ばれるようになったのだ。
自伝『兜町から』に「だまされる幸福」というエッセイを書いている。義理人情にほだされることはやむを得ないという悟りがある。遠山はだまされることをむしろ誇りとした。だますよりもだまされるほうが後味が悪くない。だまされることは不名誉なことではない。人情家であったのだが、こういう相場師も珍しい。だから実際よくだまされたが、その姿勢が慕われることになった。
長男の回想によれば「自分に万一のことがあったら、そういう精神だけは受けついでくれ」と言われている。そういう精神とは「だまされることはあっても、人をだますことはしなかった」ということである。
生き馬の目を抜くといわれる株屋界、証券界に、人情、倫理、道徳を説く遠山元一のようなリーダーがいたことは、この業界の僥倖であったと思う。「論語と算盤」を主義とした日本資本主義の父・渋沢栄一を思いだした。遠山は証券界の渋沢だったと総括しておこう。