曽野綾子「人間にとって成熟とは何か」--信仰の功徳

曽野綾子「人間にとって成熟とは何か」(幻冬舎新書)。

1931年生まれの曽野綾子は今年82歳。
クリスチャンの美貌の女性作家は、1995年から10年間、危機に瀕した日本財団の会長をつとめた。
内外に700億円の資金を配分する仕事で得た経験が、人を見る眼をより確かにし、この人のエッセイを豊かにしている。

神はいるかもしれないしいないかも知れない。
信仰を持つと自分の行動の評価を他人に委ねなくなる。誉めたり怒ったりする評価者は神しか考えられない。だから人の目をことさら意識することはなくなり、心が平穏になる。信仰がないと、常に人に正当に評価してもらおうとするから毎日が穏やかにならないのではないか。

曽野綾子はこういうことを語っている。これが信仰というものの功徳だったのか。よくわかる説明だ。
そして震災でいなくなった家族が生きているという希望をもって毎日を過ごすうち、その希望は祈りに変わっていく。信仰する対象に助けてください、と祈ることができる。

さて、この本では人間の成熟というテーマを扱っている。
成熟していない人というのはどういう人か。
他罰的傾向のある人。定年後にしたいことがない人。人生の雑音から超然としている人。人からの好意を受けるだけの人。論理は正しいがゆるやかに実現するといううまみに欠ける人。無思想な人。残りの人生でこれだけはやりたいというものがない人。

成熟している人はどういう人か。
謙虚に満たされた楽しい日々で自然に笑顔がでる暮らしをしている人。責任を引き受ける人。川の流れに立つ杭のような人。正義を通すための初歩的な生活の技術という判断のできる人。地理的・時間的空間の中で小さな自分を正当に認識できる人。経済的・時間的に苦労や危険負担をしていて話が面白い人。ものごとを軽く見ることができる人。目立った服装ができる人。

エピソードも面白い。
宇野千代「病気の話をするのはやめにしましょう」。これは参考になる。広めよう。

曽野綾子は、最近「老いの才覚」「人間の基本」「人間関係」「人生の原則」「生きる姿勢」などのタイトルの本を書いている。
こういったことをストレートに書ける女性はなかなかいない。実績と年齢が人を聞く気にさせのだろう。
飾りもなく、本音で、遠慮なく、人生の機微を語ってくれる人は貴重だ。

次は、岩波ホール支配人だった高野悦子の自伝を読み始めた。

                                                          • -

今日は原稿執筆中心の日。遅遅として進んでいるという状況。百里の道も一歩から。