インターゼミ(社会工学研究会):研究計画発表会を開催。

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サービス・エンターテイメント班「日本の消費の原女医と今後の展望」

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地域班「ソーシャル・キャピタルから紐解く持続可能な地域社会--若者が考える豊かな地域とは」

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 多摩学班「100年時代を幸せに過ごす社会システムの要件とは」

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AI班「くらしを助けるAIとしごとを取って代わるAI」

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アジア・ユーラシアダイナミズム班「モンゴル帝国の興隆と衰退--大英帝国との比較を通して」

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「名言との対話(平成命日編)」6月16日。住井すゑ「生きるとは創造すること」

住井 すゑ(すみい すえ、1902年1月7日 - 1997年6月16日)は、奈良県出身の小説家。享年95。

講談社の婦人記者を経て文筆活動に入り、小説・児童文学などを執筆する。小学館児童文化賞第1回受賞者。農民作家犬田との結婚後は、ともに農民文学運動を展開した。被差別部落の問題を描いた、未完の長編『橋のない川』が代表作である。

1944年の秋、住井すゑは「戦争には負ける」「降伏は遅くとも来年の初夏あたりだ」「天皇はラジオ放送で降伏を国民に告げる」「その後間もなく農地解放が行われる」とと予言し、頭の固まっている男達は反論したが、その予言通りに歴史が進行した。

・教育の要諦は「嘘を教えない、嘘をつかせないこと」

・ものを書くのは40歳からだ。人間は一年増しに賢くなる。知恵は自分から生まれ出るものだ。

・定年制は資本主義の落とし子であり、それを認めるから老後になってしまう。人間の天職は人間であることであり、人間ひとすじに生きている場合は、人間という思想を持っているから、生涯、現役なのだ。

・自分の一生は一番よかったと、自分で思えるように、毎日を人間らしく精一杯生きていきたい。

・芸能の中で最高のものが落語。能や歌舞伎は権力の側についている太鼓持ち的な芸。

6歳、小学2年生のときに『古事記』を読んで、「いつか新古事記をかいてやる」と決意する。それから50年間、材料をあたため、55歳で夫が亡くなった後、56歳から書き出す。それが『橋のない川』になったのだ。70歳過ぎまでの15、6年間で5000枚の原稿になっている。

橋のない川』は1部から7部まで刊行されたが、第8部は表題のみを残し作者のすゑが死去している。全編を通じて部落差別の理不尽さ並びに陰湿さが書かれており、水平社宣言をもって締めとしている。1969年 - 1970年と1992年の2度にわたって映画化された。野坂昭如日本書紀古事記もウソだということが、わかった。『橋のない川』が本当だ」と評価していいる。

天皇制批判であるから、書いているうちに殺されることも自覚していた住井すゑ本人は2000年時点で500万部売れていた『橋のない川』は長い未来にわたって千万冊は売れると予言している。現在既にに800万部を超えている。住井すゑは歴史を知る上で日本人には読む責任があると語っている。この予言もあたりそうだ。これは読まねばならない。

56歳からライフワークに本格的に取り組んだ住井すゑは、書くのが面白くて朝は寝ていられずに書きまくった。その時間が青春のときであった。長い準備期期間を過ごした後に、創造の喜びを手にし、古事記にかわる歴史を完成させたのだ。その勇気と気概に敬服する。 

住井すゑ 生きるとは創造すること (人生のエッセイ)