最後の大学運営委員会で挨拶。最後の教職員懇親会で挨拶。

  • 午前中は研究室:4月の4つの講演の資料準備。
  • 午後は九段:大学運営委員会:最後に挨拶「10年間、大学運営委員会にすべて出席した。混乱から組織的運営へ。量的にはあるレベルに達した。例えば2012年作成の初の学部中期計画では名目就職率98%・実質88%という挑戦的目標をたてたが、2018年度には達成した。高い目標を持つことが大事だ。今後は質の向上に向けて教育はアクティブラーニング、研究はジェロントロジーという方向感ははっきりしている。今年の卒業生総代の一人は不登校で通信教育高校からの入学者でアクティブラーニングで目覚め首席となった。もう一人は大学の提供した海外留学、インターゼミなどにフル参加して著名企業に就職している。提供している教育プログラムを信じ、こなせば未来が開けるというモデルだ。ここを自信を持って説明すべきだ。私は研究をテーマとする特任としてはどんどんまとめていく予定。総研所長としては卒業生の「知の再武装」のための参画のプラットフォームを提供し大学本体をバックアップしていきたい」。
  • 夕刻からは新宿の京王プラザホテルで全学の教職員懇親会:学長、理事長の挨拶。永年勤続表彰(10年・20年・30年)。退職者挨拶。入職者紹介。

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ここでの挨拶は、他学部や大学院の先生たち、全学の職員、そして新しく入職する教職員に向けてなので、先日の教授会で述べたメッセージ性の強い内容と同じにした。

「10年一昔。多摩大の30年。最初の10年は大学改革の旗手として黄金の輝きで航海を始めました。ただこの船は「紙」の船でした。次の10年は牡蠣殻がつき速度が落ち最後は「泥」の船に変わりました。次の10年で教職員一丸となって努力し「再建のステージ」は完了しました。皆さんと一緒に「木」の船に作り替えることができたと思います。これからの10年、波が高いけれど、チームワークという強力なエンジンが装着できているので、十分に戦える体制にあると思います。次の10年で木の船を「鉄」の船に改造していくことを期待しています。お世話になりました」。

理事長から「感謝状をいただく」。

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「名言との対話」3月29日。大河原良雄「(日本はアメリカに対して)『NO』と言い過ぎている」

大河原 良雄(おおかわら よしお、1919年2月5日 - 2018年3月29日)は、日本外交官。

大河原は外務省で一貫して日米関係を担当している。最後は1980年から5年にわたった駐米大使である。本省のアメリカ局長、官房長に加えて、1960年代、1970年代、1980年代とアメリカ勤務を3回している。アメリカ側は60年代は無関心、70年代は貿易不均衡、80年代は経済以外にも日本に関心という流れであった。

大河原良雄へのロングインタビュー『オーラルヒストリー 日米外交』を今回読んだ。以下は、その本の内容である。

駐米大使時代は、以下のような事案に取り組んでいる。日米貿易摩擦。イラン石油輸入問題。自動車の対米輸出規制。牛肉・オレンジ交渉。シーレーン防衛。鈴木総理の日米同盟関係発言。日昇丸事件。中曽根総理の不沈空母発言とロン・ヤス外交。対日規制法案。先端技術分野の日米競争。、、、。日本は大平、鈴木、中曽根総理、アメリカはカーター、レーガン大統領の時代だ。

大河原駐米大使がアメリカ全土で講演活動を行っているニュースを日本でもよく耳にしたし、帰国してからも記者クラブ(外務省、日本、外国特派員)などでも「経済摩擦、対日批判、日本がとるべき対応」などを講演し、日米関係を良好にする努力を重ねた。

ワシントンポスト、ニューヨークタイムスの幹部からは、アメリカ世論を親日にするためには東京の特派員を大事にしろとアドバイスを受けている。また日本の新聞社特派員の記事は時差の関係で夕刊に間に合うから、日本ではトップになりやすい。その記事がアメリカに逆流するというメディアのサイクルが回っている。ここは注意が必要だという。

日米関係は永遠ではなく、互いに努力しなければ良好な関係は続かないという危機感も強い。「相手の事情を理解しあえるよう努力することが不可欠」「お互いに相手に対してショックを与えることにないよう、努力する必要がある」「不断の努力を怠ってはならない」。キッシンジャーは1970年代から、日本はいずれ軍国主義になり核兵器を持つ、と言い続けていたという述懐もある。このインタビューは2002-2003年に行われており、30年経ってもそうはならなかったと笑っていたが、それから15年以上経って現在に至っている。世界情勢の変化でどうなるかはわかない。

盛田昭夫石原慎太郎の『NOと言える日本』という本が話題になったが、大河原は逆に「NOと言い過ぎる日本」とユーモアを交えながら語っている。最初から「NO」と言いすぎているのではないか。相手の反応をみながら一歩づつ下がるという交渉スタイルは後味が悪いという。難しいアメリカとの付き合いのコツを熟知した人の未来へ向けての貴重な遺言である。

 

オーラルヒストリー 日米外交

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