参加型社会学会の深呼吸学部の研究バンド「高度成長とは何だったのか?」からJAL時代についてのインタビューを受ける

本日の夜はZOOMで1時間のミニ講義と1時間の質疑の時間。
教育関係の大手企業、総合電機メーカー、情報通信大手企業、画家、介護施設勤務、主婦などが参加。女性が多い。
毎月、インタビューをして、本にまとめる予定とのこと。インタビューを受けてくれる人を提案することで貢献しようか。
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私たちは、参加型社会学会の深呼吸学部で研究バンドを組み、調査した内容を発表する活動を行っています。
今回は、高度経済成長時代に活躍されていた会社員の皆様にお声がけをして、当時のお話を伺うイベントをスタートすることになりました。
高度経済成長時代に爆発的に広がった事物を当事者だった皆様に教えていただくことで、戦後の昭和にあって今は忘れ去られてしまったこと、高度経済成長期にあって忘れ去られたことを私たちが再発見するきっかけを作り、今後の世の中について考えるヒントを増やしていきたいと思っています。
第一弾は久恒啓一(ひさつね けいいち)氏です。

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講義の内容。

  • 前提(キャリアの前半はビジネスマン。後半は教育者)。日本航空(常に危機。政治と行政。語る資格があるか)。語る方法(経験から現場での問題意識を本社で解決)。独自の方法論(探検部:プロジェクト・記録。「知的生産の技術」研究会。図解仕事人)
  • 企業は学校(成長のプラットオーム)。装備工場。ロンドン空港支店。客室本部労務担当。広報部。サービス委員会(経営改革)。

質問に答えて

  • 「本気」「構想」「真の顧客」「問題解決」「短期と長期」「図解という武器」「組織と個人」「数字」「相対化」「体制内改革」「実績と信用」「時間」「会社が潰れるとき」、、、、。

https://www.youtube.com/watch?v=RCKJp6c-jhw

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「名言との対話」12月26日。菊池寛「私は頼まれて物を言ふことに飽いた」

菊池 寛(きくち かん、1888年明治21年)12月26日 - 1948年昭和23年)3月6日)は、小説家劇作家ジャーナリスト

香川県高松市出身。この人は学歴的にはずいぶんと回り道をした人だった。東京高等師範明治大学早稲田大学、一高、京都帝国大学。28歳でようやく京大を卒業。
28歳「父帰る」、32歳「真珠夫人」で流行作家になった。35歳、文藝春秋社設立。47歳芥川賞直木賞創設。51歳菊池寛賞創設。55歳大映社長、満州文藝春秋社長。59歳公職追放、死亡。

芥川「菊池と一っしょにいると何時も兄貴と一しょにいるような心持がする」。芥川龍之介の河童忌に詠んだ俳句が目についた。 河童忌や 集まる人も やや老いぬ。

その菊池寛自身の遺書には「私はさせる才分無くして文名を成し、一生を大過なく暮らしました。多幸だったと思います」とあった。

2013年に高松の記念館を訪問した。芥川賞直木賞の全受賞者の名前と写真が並んでいた。日本の文学界の巨匠だらけで実に壮観だ。この賞が与えてた影響力を改めて感じてしまった。

菊池寛の言葉。「日本精神というのは外来のあらゆる文化の思想を包容して、しかも本来の真面目を失わないところに存する」「日常生活が小説を書くための修業なのだ」

菊池寛賞は、日本文化の向上に貢献した人・団体に与えられる賞で、宮崎駿イチロー曽野綾子桂三枝新藤兼人高野悦子安藤忠雄いわさきちひろ、近藤誠などの名前がみえた。

井上ひさしは「菊池寛という人はどうやら、生活の場ではグータラでものぐさ、勉強や仕事になると別人のごとく勤勉というタイプだった」と喝破している。

2022年3月に松本清張菊池寛の文学」(1987年10月31日。江藤淳と同じイベントでの講演)をオーディブルで聞いた。ーー菊池寛の文学は「貧乏」と「醜男」であることが源である。逆境と貧乏と学校の相次ぐ中退。書斎派の漱石を嫌悪。人生派のリアリズムに大きな価値。本物の感動を与える作品。清張「たった一本の代表作、人口に膾炙した作品があるかが作家の価値を決める」。「坊っちゃん」の漱石と鴎外、「金色夜叉」の尾崎紅葉

文芸春秋創刊の辞では「私は頼まれて物を言ふことに飽いた。自分で考えていることを、読者や編集者に気兼ねなしに、自由な心持で言って見たい。」そして、「文芸春秋は、左傾でも右傾でもない、もっと自由な知識階級的な立場でいつまでもつづけて行くつもりである」とも述べている。文春はその遺志を長く守っている。

文藝春秋 創刊100周年記念の新年特別号』を2021年末に手にした。『文芸春秋』は大正12年1月30日に第3種郵便物認可を受けている。その1923年から100年近く刊行が続いている菊池寛が発行した総合雑誌だ。「創刊100周年記念特別号」は2023年2月号まで14冊続く、その第1号だそうだ。記念特別号が1年以上続くという大がかりなこの企画は、この100年を総ざらいするものになるだろう。毎号、楽しみにしたい。「文春」を買うと、いつも読む項がある。各界で成功したいろいろな学校の同級生たちが登場する「同級生交歓」。トップが阿川弘之立花隆藤原正彦と続いている「巻頭随筆」。経済界の人事情報を明かす「丸の内コンフィデンシャル」。官僚社会の人事を説明する「霞が関コンフィデンシャル」。最近亡くなった人物を悼む「蓋棺録」(今月は中根千枝。古場竹識ら)。「巻頭随筆」のトリは、いつもローマに住む塩野七生だが、載っていなかった。病気かなと思って中を覗くと「ローマでの大患」というタイトルの闘病記が載っていた。

1年後の2023年1月号。「101人の輝ける日本人」。昭和天皇から池田理代子まで。物故者が中心だが、現役も選ばれている。私の「名言との対話」では物故者はほとんど取り上げている。未だなのは数人だ。当然のことながら、存命中の人はまだである。人選の基準が不透明な気がする。以下、読むべきところ。保阪正康「平成の天皇皇后 両陛下大いに語る」。林真理子「私は日大をこう変える」。内館牧子「集まれ! 老害の人」。鹿島茂菊池寛アンド・カンパニー」⑬。「続100年後まで読み継ぎたい100冊」

出版には、書き手と読者とをつなぐ編集者という職が存在している。誰の役割が面白いかと考えると、特に雑誌の場合は、執筆者よりも編集者の方が断然面白い。私にも経験があるが、一つの新しい世界を創造する愉しみである。長く続いている文芸春秋社と。才能を発掘する芥川賞直木賞ををつくった菊池寛の功績は偉大である。