「図解塾」第6期の「世界の名著」シリーズは「東洋の名著」8冊。「世界の名著」全47冊の図解講義が終了。

「図解塾」第6期の「世界の名著」シリーズは、今回の「東洋の名著」8冊で終了。

孔子論語」。老子老子」。孫武孫子」。韓非「韓非子」。司馬遷史記」。太宗「貞観政要」。孫文三民主義」。毛沢東毛沢東語録」。

ここ数カ月間で、西洋36冊、中洋3冊、東洋8冊で、合計47冊の世界の歴史的名著を概観したことになる。

古い時代から始めたので、それぞれの思想がどのように発展してきたか、どのように関係しているか、現在の世界とどのようにつながっているのか、そういう流れがある程度理解できた感覚になったのではないだろうか。

今回の「東洋」では、やはり孔子の「論語」がキーであった。老子を始めとする批判、「貞観政要」などの実践的応用など、いずれも「論語」を軸とした思想の展開がよくわかったのではないか。

以下、塾生の学び。

  • 久恒先生、みなさま、本日は図解塾ありがとうございました。今日は「世界の名著」シリーズ最終回。中国の名著。『論語』『老子』『孫子』『韓非子』『史記』『貞観政要』『三民主義』『毛沢東語録』でした。この中で特に馴染み深いのが『論語』『老子』『孫氏』。語られている言葉も昔からよく聞くものが多く、生活信条として日常に溶け込んでいると感じました。たとえば、『論語』に出てくる「君子」は、「君子」とは何ですかと聞かれるとうまく答えられませんが、理想像に向かって絶えず修養を積む人のこと、と言えば、自分もそうありたいと素直に思います。また、欲を捨てる、「無為自然(あるがまま)」が一番、という『老子』的な考え方も身の回りに多く、自分の好みに通じていると感じました。また、『孫子』の「彼を知り己を知れば百戦あやうからず」もよく聞く言葉。これらの名著は、「名言の宝庫」との話もありましたが、確かに腑に落ちる、身に染みる言葉も多く、改めて読んでみたいという気持ちになりました。 3か月にわたり西洋・中洋・東洋と  「世界の名著」を久恒先生の図解で概観してきましたが、これだけ多くの名著に触れることができたのは初めてで、楽しく貴重な機会となりました。ありがとうございました。
  • 久恒先生、皆様、本日もおつかれさまです。図解塾、本日は世界の名著、『東洋編』の最終回!8つの名著について久恒先生よりレクチュア頂きました。①『論語』(孔子 BC551-BC479)教えを弟子達に説いた、孔子の死後弟子達が論議し、相応しい言葉へと錬磨、弟子たちがまとめた。儒教の教えに繋がる、仁(人の道)・礼(儀礼)、全て身に着けたヒトは「聖人」、一般人(小人)は努力を積んで「君子」を目指す。「過ちて改めざる是を過ちと謂う」など…名言の宝庫。②『老子』(老子 BC551?-BC471?) 同時代を生きた孔子を批判。孔子の教えは現世で頑張る事、積極的に世の中を直そうという考え、一方の老子は頑張らない主義、「道」(万物の根源)は見えない、聞こえない、触れない、今の暮らしに満足せよ、有るがままでいい(Let it Go!)。③『孫子』(孫武 BC5-AD4?)   情報を集め、心理を分析し、必ず勝つ戦いをせよ、彼を知り己を知れば百戦危うからず(負けない)、戦わずして勝つのが良い、負けないことが重要。戦国武将は要傾聴。④『韓非子』(韓非 BC280?-BC233?) 法律が大事(法と術、法治主義)個人は利己的で信用できない「性悪説」で良い、法とノウハウで世の中を納める、罰と褒章、王は強くなくて良い。⑤『史記』(司馬遷 BC145?-AD135?) 「総合の歴史書」、『列伝』=人物論、『本紀』=年代記。「紀伝体」:個人や一つの国に関しての情報がまとめて紹介する方法。⑥『貞観政要』(じょうがんせいよう、太宗 598-649) 問答集、優れた部下をそろえた(人材登用)、君主と臣下と人民との関係を説く、圧政をしない、人民は水、君主は船、荒れたら沈む、帝王学の基礎。⑦『三民主義』 (孫文 1866-1925) 中国建国の父、台湾の父、民族主義清王朝満州族)を打倒して民族の独立をめざした、民権主義:選挙権、罷免権、創制権、複決権の4つの民権で人民が政治を適切に管理すること、民生主義:国家主導で近代化と社会福祉を充実させること。⑧『毛沢東語録』(毛沢東 1893-1976) 資本主義、世界主義、共産主義は矛盾がある為戦う必要がある、真の英雄は人民、謙虚でおごらず、創造的な仕事の3要素:若い、貧乏、無名…国民を励ました。本日学んだすべてが今に残る名著ですから、夫々に学ぶすべきポイントは有るものの、当方はやはり日本人になじみ深い『論語』が本日のレクチュアの中でいちばん分かり易い気が致しました。日々後悔・失敗の中で時としてヘコむ事も有りますが、イイ齢して「未だ小人」と、冷静な視座を取り戻させてくれる「応援」とも感じられ、有難い気持ちになれた事が本日の収穫となりました。冒頭お話頂きました「遅咲き偉人伝」では今『最前線』に立つ原田マハ(キュレータ・作家)、タモリ(タレント。長寿番組司会者)とマスメディアで大活躍中の身近な方々を紹介頂き、偉人コレクションも益々の充実ぶり。寺島先生『世界を知る力』では、久恒先生一流の「図メモ」の解説を頂きました。ポイントは話題一つに紙1枚でゆったりメモする事。コトバ同士の関係性がわかる様配置し、線で結ぶことにより図メモが完成。番組1本でA4用紙6枚。当方メモはきっちりツメツメで3枚、Busyで見直しづらい仕上がり。今後の参考になります。おわりに当方気付きを一つ、6/10付け東京新聞の切り抜きより「昭和天皇」の手相『長く力強い運命線』をご紹介します。1983年4月29日皇居長和殿ベランダに立たれ「お手振り」される昭和天皇の右手がクローズアップされており、その特徴的な手相が見る事が出来ます。後年新宿西口の易者数名に名を伏せてその写真を鑑定してもらったところ、「主体的な気質」、「目的達成の為突進む」、「幼少時から精神力運ともにもかなり強い」、「物事は自分の考えで進める傾向」、「努力次第で大きな成功」と案の定ポジティブな言葉がしきり。一方、この写真を撮ったカメラマン大木氏の『天寿を全うされた昭和天皇の傍らで、 戦死した兵士にも「強運の手相」の持ち主は居たかもしれない』という、運勢など全く役立たない『運命の時代』が昔あったという事を今を生きる我々は忘れてはならない。というメッセージを読み、「武力の行使に訴え出る暴挙を許してはならない」と改めて認識させてくれましたので、パワポを共有させて頂きます。有難うございました。次回も宜しくお願い致します。
  • 本日もありがとうございました。今回は、中国の名著の数々でした。古いものから順を追って紹介していただいたので、つながりが見えて内容を追いやすかったです。
    孔子の『論語』が修養により仁を体得し礼を実践すれば君子に近づける。これを批判し『老子』は、あるがまま無為自然を説いていて、自然の先に人間のよさがある。違いがよくわかりました。『孫子』は「彼を知り己を知れば百戦あやうからず」と必ず勝つ戦いを目指すが実戦では臨機応変にと、5グループに分けられた図解が分かりやすかったです。経営戦略の参考書になっている意味がよくわかりました。『韓非子』では、孔子の「仁」「義」「礼」による『徳治政治』を批判し、普通の君主でも「法」で臣下をまとめ「術」でにらみを利かせれば国を治められると説いている。これも論語の説明を聞いた後でしたのでイメージしやすかったです。 司馬遷の『史記』は、中国の歴史書。列伝は伝記なので取り掛かりやすそうだと思いました。太宗『貞観政要』は、太宗が重臣たちと交わした問答集だったのですね。部下の意見を聞いて、人材登用が大事。次は、孫文の『三民主義』こちらは、貧困の解決「生」を保護する民生主義に、民族復興の民族主義、人民に政権をコントロールする権力を与える民権主義、中国革命の基本思想となった。最期は『毛沢東語録』、中国は社会主義大国だけど貧しいという矛盾、帝国・資本・封建主義における矛盾には革命運動で共産主義へ発展して戦いがない社会へ。矛盾は物事の本質を発見すれば解決できる。指導者の謙虚でおごらない姿勢が進歩を生む。難しく今ひとつピンときません。世界の名著47冊、図解と先生の説明を思い浮かべながら、講義の学びとして文字にまとめてきましたが、とても大雑把ですが、、知識として定着してくれるといいなと思います。次回からも、どうぞよろしくお願いいたします。
  • 図解塾に参加させていただきました。久恒先生、皆様、ありがとうございました。本日は、「世界の名著」について図解により、わかりやすく説明していただき、肝臓や意見を言って情報共有しました。今回紹介されたのは、①「論語孔子、②「老子老子、③「孫子孫武、④「韓非子」韓非、⑤史記、⑥「貞観政要」太宗、⑦「三民主義孫文、⑧「毛沢東語録毛沢東の8つの中国の名著でした。どの名著も聞いたことがあるような本の題名で内容はよく知らなかったのですが、図解により、どんな事が書いてあるか、少しだけ理解できました。どの名著も良い点があり、自分の置かれた状況により、考え方など活用出来たらと思いました。「論語」では、「仁」「礼」を今の私にはできていないので大切にしたいと思いました。「老子」では、「無為自然」にあるがままに生きれたらどんなに自由だろうかと思いました。「孫子」では、「実戦では臨機応変に戦え」についての「虚実」「兵勢」「始計」という戦い方の方法が、とても参考になりました。 韓非子」の法治主義は、現在の日本も同じようになっているように思いました。「史記」については大変興味深いのでまた調べてみたいと思いました。「貞観政要」の考え方は、現代でもチームワークにおいても役立つと思いました。「三民主義」では、民生主義の人民の生活が印象に残りました。生活が崩れては、何事も成し遂げれないし、人生も大きく変わると思うので生活については常に意識していきたいと思いました。「毛沢東語録」の謙虚でおごらないという考え方は大変素晴らしいので、なかなか難しいですが、実践していきたいと思いました。一つの名著だけでなく、いろいろな名著を読むことでそれぞれの違いがよくわかりました。大変参考になり、ありがとうございました。次回も楽しみにしております。
  • 久恒先生、みなさま、本日もありがとうございました。今回は、「図解コミュニケーション全集」第7巻「応用編1 世界の名著」の最終回。東洋編として「論語孔子)」、「老子老子)」、「孫子孫武)」、「韓非子(韓非)」、「史記司馬遷)」、「貞観政要(太宗)」、「三民主義孫文)」という中国の8つの名著について、解説がありました。 日本でも長く学ばれている名著揃いで、今でも教科書に掲載されたり、ビジネス書として活用されたりしていますが、今回特に印象に残ったのは「孫子」です。実戦においては必ず勝つ戦いを目指さなければならない。目的は勝利することであるから、かの有名な「彼を知り己を知れば百戦殆(あや)うからず」という言葉があり、これは「負けない」戦いになると言っているとのこと。相手についての情報を集め、状況や人間の心理を分析すれば「負けない戦(いくさ)」ができるということであって、決して「勝つ」とは言っていない。久恒先生の図解を見て、この本のポイントを改めて学ぶとともに、私が今まで解釈を勘違いしていたことや、「負けない」ことの重要性を改めて感じました。また、これまで解説いただいた名著の中でも今回の東洋の名著は、日本人にとって歴史的に関わりが深く、現代においても馴染み深いものであることを痛感しました。最後に、「図解 世界の名著がわかる本」について、本当にわかりやすい本だと思いましたし、誰もが知っておくべき情報満載だと思いましたので、機会を見つけて若い人たちにアピールしていこうと思います。そして、日本の名著についての図解も待ち遠しいです。よろしくお願いいたします。

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「名言との対話」6月21日。松戸覚之助「二十世紀梨

松戸 覚之助(まつど かくのすけ、1875年5月24日 - 1934年6月21日)は、農家。「二十世紀梨」の発見者。

千葉県松戸市出身。11歳、父が始めた梨栽培で梨に興味を持つ。13歳、ゴミ捨て場に実生している小さな梨の木をみつける。どこか違った感じがするのでわけてもらって自宅の果樹園に植える。管理委苦労するが、10年経った1898年、23歳のときに初めて成熟した果実を手にする五。上品な甘さと十分な水気が特徴だった。

園芸愛好家の大隈重信侯爵、本草学者の田中芳男男爵に寄贈し絶賛される。新太白と命名。1904年、苗木をわけてもらっていた種苗商の渡瀬寅次郎が東京帝大助教授の池田伴親と相談し、20世紀を背負って立つに違いないという意味で、「二十世紀梨」と命名されることになった。

覚之助は毎年数千本の苗木を、栽培者や業者に配布する。独占することなく広く開放したことによって、急速に普及し、二十世紀梨の時代が到来していく。1908年、東京新宿種苗株会社の園芸品評会で特等賞。1910年、ロンドンで開催された日英大博覧会で最高名誉賞を受賞。新品種の二十世紀梨は世間の関心のまととなった。

覚之助の死後の1935年には二十世紀梨の原木は天然記念物の指定を受けた。残念ながら1945年の空襲で梨園は全滅、1947年には原木も枯れて死を迎えた。1965年には「二十世紀梨誕生の地」の記念碑が建立された。「わが国梨界の王者として君臨する二十世紀梨」「松戸覚之助翁の苦心の賜もの」「水気と甘みは賞揚され」との言葉が記されている。

2002年には現在では梨の産地として有名な鳥取県から「二十世紀梨感謝の碑」が起草され、記念碑の横に設置された。また、枯死した原木の一部は鳥取市の木乃実神社の御神体として祀られている。

「梨」は中国が原産で、日本では登呂遺跡からわかるように弥生時代から食用に供された。「日本書紀」にも記述がある。693年の持統天皇の詔では、五穀とともに、「梨」の栽培を奨励している。江戸時代の新井白石は中心部ほど酸味が強いことから「中栖(なす)が転じて「ナシ」となたっと述べている、また松平定信は江戸近郊での梨の栽培が盛んであると記している。多摩でも稲城市は梨の産地である。山梨県という名前も野生の「ヤマナシ」からとったものではないだろうか。

子ども頃から、「二十世紀梨」をよく食べていた記憶がある。。甘く水気が多いこの品種は好物だった。21世紀を迎えた今、梨という木と実の歴史、そして一時代を画した「二十世紀梨」の誕生と成長の物語を知った。その中で、苗木を独占することなく、人々に分け与えた松戸覚之助という梨農家の存在が大きかったことがよくわかった。松戸覚之助の故郷は葛飾郡大橋村、八柱村、そして松戸市と名前が変わっている。この地の現在の名前にも関係しているのだろうか。ここは調べたい。いずれにしても、梨の歴史にも人がいることがよくわかった。

 

参考:大淀町果樹組合のウェブなど。