深呼吸学部オープンセミナー:山手國弘・講演記録上映会。

深呼吸学部オープンセミナー(第一回)山手國弘・講演記録上映会 共催・深呼吸学部+FlatBase。13時から。10人ほどのメンバーが参加。ほとんどが旧知のメンバー。1992年の講演会の記録。

「思考というのはどこから入っても突き抜けたところでは一体になる、ということを感じました。政治経済文学美術ビジネス生活身体意識……あらゆる領域の究極に山手國弘がいます。」(橘川さんの案内文より)

あまりの博覧強記と壮大なスケールの話に驚く。生命科学、地球科学、宇宙科学、物理学、ヨガ、仏教、西洋哲学、脳と下半身の身体論、古代遺跡と宇宙人論、歴史学、人間論、簿記、創業経営者論、、、。自然科学、社会科学、人文科学を総覧した「生命論」だった。

以下、キーワードのみ。ーーー久原久之助。下中弥三郎。風圧の正体。見当識。指南識。機会と立地。天才。宇宙イメージ。気はエネルギー。デーモン。カルマは見かけの運動。実体はない。科学は錯覚。原気。昼寝は無我の境地。三昧の境地。創業者の境地。意識のサーチライト。意識狭窄の人間。意識の力。根っこ。ヨガナンダー。瞑想。入れ子構造。太陽は不完全。コロイド生物。宇宙は盲目的。全宇宙生命。根源は数個、4つ。特異性と共通性。バランス。生死というものはない。入力=出力。西洋の実存。東洋の甘え。超電導。超微粒子。宇宙は再編。水素金属。宇宙からの働き。世界の伝説の共通性。共通性と特異性。人類は植民された生命。農業の時代・イデアの時代・交換の時代・信託の時代・授権資本の時代、人格の産業。宇宙時代。ハーモニーの時代。和装。100%が生命産業。地球生命体、宇宙生命体。

山手國弘さんは、偉大な創業者である天才たちは宇宙意識を感じながら大仕事をしたという。それは超法則的世界だ。その心境が三昧という全能感だ。この説を聴きながら、私は宇宙飛行士のことを思い出していた。立花隆「宇宙からの帰還」を読むと、宇宙から地球を眺めた時、全能感を感じ、神の目とその存在を身近に意識するらしい。その結果、彼らの中には全く違う人生を歩む人も多い。宗教者、政治家、起業、、、。「偉人」たちの意識は宇宙飛行士の意識とおなじだということかもしれない。

山手さんの講演をすべて理解することはできないが、こういう生命観、宇宙観、全体観があることは意識していきたい。

1924年10月10日、広島県生まれ。戦争とその後の混乱の中で、東京大学医学部を中退し、生活装置研究会を設立。その後、企業と社会のオリエンテーション機関として有限会社「イオ」(集団頭脳プロダクション・生活プロダクション)を設立。現代ヨガの会も主宰し、「原気呼吸による脱カルマ瞑想」を江古田・浅間湯コミュニティ・ホールにて行なっていた。1996/12/5に亡くなられる。

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途中の渋谷で岡本太郎から元気をもらった。

  • 朝はヨガで1時間。
  • 夜は妻の誕生日で外食。

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「名言との対話」7月29日。ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「僕は人物を描きたい、人物を、もっと人物を」

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホオランダ語Vincent Willem van Gogh1853年3月30日 - 1890年7月29日)は、オランダポスト印象派画家

27歳、画家になる決心をする。29歳、娼婦のシーンと同棲。33歳、パリの弟テオと住み始める。34歳、収集した浮世絵展をカフェ・ル・タンブランで開催。34歳、パリ生活に疲れ、精神に異常をきたしていく。35歳、アルルに到着。1887年、1888年の2年間は、日本と日本人をモデルに芸術家のユートピアを夢想し、南仏のアルルに芸術家の共同体を実現しようとした。しかし加わったのはゴーガン一人だった。そのゴーガンをカミソリで襲おうとし、睨み返されて引き下がり、自分で自分の耳をそぎ落としてしまう。精神病の発作だった。ゴーガンと共同生活。破局。精神病院。37歳、拳銃自殺。画業は27歳からのわずか10年だった。

2017年、東京都美術館ゴッホ展 巡りゆく日本の夢』をみた。ゴッホの日本びいきがこれほどまでとは思わなかった。また、ゴッホには天才と狂人が住んでいると改めて感じた。

ゴッホは、日本の浮世絵の澄んだ明るい色彩、自然の生き生きとした描写力によって鬱病を克服し、心身の回復をはかっている。渓齋英泉、歌川広重、、、。

「日本の芸術を研究することによって、誰もがみな必ず、もっと陽気に、もっと幸福になるだろうと思う。」

「ぼくらは日本の絵画を愛し、その影響を受けている。このことはすべての印象派画家について言える。」

「日本美術を研究すると明らかに賢者であり、哲学者であり、知的な人物に出会う。」

「まるで自身が花であるかのように、自然の中に生きる、こんなに単純なこれらの日本人が教えてくれるものこそ、まずは真の宗教ではないだろうか。」

「ぼくらは日本の絵画を愛し、その影響を受けている。このことはすべての印象派画家について言える。」

「私の作品は、日本美術の上に成り立っている」

「まるで自身が花であるかのように、自然の中に生きる、こんなに単純なこれらの日本人が教えてくれるものこそ、まずは真の宗教ではないだろうか。」

2021年。東京都美術館の『ゴッホ』展。ゴッホの生涯の作品を順番に観るという貴重なチャンスだった。ゴッホは37歳で亡くなるのだが、晩年の作品がやはりいい。美術館という形で永遠のコレクションを残したヘレーネ・クレラー=ミュラーの生涯を知った。ゴッホの絵は生前は一枚も売れなかった。そのゴッホが、偉大な芸術家と言われるようになったのは、4歳年下の画商の弟・テオの存在が大きいが、もう一人いた。ゴッホの死後、無名の頃からゴッホの絵に魅せられてた女性の蒐集家だ。イレーヌ・クレラー=ミュラー(1869-1939)である。この女性は遂にはクレラー=ミュラー美術館をつくるまでになり、そのおかげでゴッホという存在が永遠になったのだ。この美術館は、若い頃から晩年にいたるまでのゴッホの作品をそろえている。その規模は世界一である。

 

「偉大なことははずみでなされるものではない。小さな積み重ねによって成し遂げられるものである」というゴッホは、「カテドラルよりは人間の眼を描きたい」と精進した。「僕は人物を描きたい、人物を、もっと人物を」の後には、「赤ん坊からソクラテスに至るまで、白い肌の色の黒髪の女から陽に焼けて煉瓦色の顔をした黄色い髪の女に至るまで、この二本足の動物のシリーズは僕の力ではどうにもならない」と続けている。あのゴッホにして人間を描くことが最も難しいと言っているのだ。

小説も「人間」を描くことがテーマだ。この「名言との対話」も、同じようにキリのない「人間」の正体に挑んでいることになるのだろう。