今日も生涯の一日なりーー朝4時から24時までの記録

久しぶりに、iphoneで音声入力。起きてから寝るまでの記録。

iPhone 13 Pro SIMフリー

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今朝は朝4時に起きてしまった。私の朝の儀式は、養命酒のキャップ一杯と白湯を飲むことから始まる。白湯は「又吉・児玉・向井のあとは寝るだけの時間」(NHk)から学んだ習慣。

最近は4時45分に目覚ましをセットしている。そして5時から机に向かうことにしている。ドイツの哲学者・カントの真似をしている。カントは召使いに4時45分に必ず起こすように指示をしていた。そしてどんなに嫌がっても起こせと厳命をしていた。私には召使いはいないので、目覚まし時計を召使いの代わりにしているというわけだ。

まず、パソコンに向かいブログを書く。私のブログは2つのパートに分かれている。1つは毎日の日記である。毎日何かひとつ、トピックスを書くことにしている。もう一つは、2016年から続けている「名言との対話」だ。今日取り上げた人物は池田成彬という財界人だった。名前は知っていたが、これほどの人物とは知らなかった。毎日、何かしら新しい発見があるから、やめられない。

6時25分からのテレビ体操を10分やって体をほぐす。そして夫婦で近所の神社へのお参りといういつものルーティーン。話をしながら歩く、このコースは約3000歩になる。

NHKの朝の連続ドラマの過去のものと現在のものを見ながら朝食。過去の番組は、「まんぷく」で、安藤百福のラーメンの開発の物語。現在のものとは、笠置シヅ子のブギウギ。「らんまん」と違って、賑やかだ。


9時ごろから机に向かう。今日の午前中の大きな仕事は、月一回の幸福塾の準備。何人もの仕事師たちの仕事ぶりを紹介することにした。明日、もう一度、書類を読み、資料を準備すれば講義は大丈夫だと思う。

途中で新しく企画している雑誌の記事について、岡山の松本さんからの添削依頼が来たので、対応する。YouTubeの「遅咲き偉人伝」という番組の紹介の文章。この雑誌には、神保町の「猫の本棚」に開いているシェア書店「人生100年書店」についてのエッセイも書いている。

休憩を兼ねて、大学時代の探検部の仲間の山田君に電話をした。先日福岡で行われた同窓会の様子を聞く。考古学の東中川は佐賀県庁の公務員だったが、吉野ヶ里遺跡を案内してくれたそうだ。馬場君は喋り続けていたらしい。米倉君も鹿児島から駆けつけたとのこと。みんなそれぞれ元気だったとの山田くんの報告だった。

昨日はビジネスマン時代に一緒に働いた同期の松尾君と電話で話をした。松尾君は故郷の福岡で暮らしている。最近コロナにかかってエクモの寸前までいったとのことだった。もう1人は故郷の大分県の宇佐に住む千葉雄君。90代の後半になっていると思われる父親と一緒に住んでいる。ご苦労なことだ。かれは私のブログの最も熱心な読者の1人である。時折その感想を直接くれるので、それをFacebook等にあげて誰もが見れるようにしてもらいたいと要望を出しておいた。


昼食の後、少し休む。富山さんに木曜日の時間と場所をSNSで伝える。新同窓会のネーミングは、「実年期を楽しむ会」、にしようか。

その後少し歩いて「星乃珈琲」へ。妻は短歌の本を読んでいる、私はiPhoneでの音声入力をGoogleドキュメントで改めて試してみた。ある本の1節を読んでみた。

「人間が仕事をする基本条件が、大きく変わろうとしています。印刷術の発明や、インターネットの登場によって、生じた変化に匹敵するような(多「分、それ以上に大きな)変化が、これから起こると予想されます。ただし、この新しい技術は登場したばかりであり、それがどれだけの力持ちのかが、まだはっきりとは分かりません。」

しばらくこのやり方をやっていなかった。またやっていこう。

キーワードの書き出し:孤独。孤立。時間。時間管理。巡礼。ネーミング。童話。作曲。刑務所。読書。故郷。出版。出会い。天命。野党。中国。監督。会心。幸福。リスク。ユーモア。教養。黒人。エベレスト。理想。子供だまし。仏教。宗教。イノベーション。サラリーマン。運命。ライフワーク。楽観。情報。神様。創造。命がけ。カラオケ。冒険。スリル。職人。母親。チャンス。宇宙。世界観。デザイン。テーマ。沖縄。学校。、、、。


妻が先に帰ったので、支払いを終えて帰ろうとしたら、思いがけず、雨になっていた。近くのコンビニまで走って 傘を買って帰った。NHKラジオ深夜便アーカイブで、歌う生物学者として有名な本川達夫先生の話を聞きながら歩く。

10月10日は「目の日」ということから始まった。体の大きな動物の目は大きい。これは餌を探すための仕掛けである。早く移動することができる。動物は目が大きい。これはぶつからないためである。同じ人間でも瞳の大きさは変わってくる。男性が、女性の写真を見ると、瞳が大きくなる。お互いの瞳を見つめ合うと幸福を感じる。人間と人間だけではなく、人間と犬とのあいだでもそういうことがある。

こういう話だった。そして最後に、以上のことがよくわかる本人が作詞作曲した歌を歌った。自作自演、これが本川先生のスタイルだ。歩数は7000歩になっていた。


風呂につかりながらもう一度この番組を聞いた。途中で知研セミナーのゲストをお願いしている渡辺さんから電話があり、風呂の中でやりとり。

夕食はビール1缶と日本酒を少々。テレビを見ながら寝てしまった。気がつくと、夜の10時近くになっていた。iPhoneに向かい、日記の続きを書く。それから1時間ほど机に向かう。明日、朝書くべき名言との対話の資料を揃えて読む。明日は明治の彫刻家、高村光雲の命日。頭の中にデータを詰め込んでおくと、寝ている間にまとまってきて、朝の執筆がスムーズにいくことになる。youtub「一月万冊」のNG記者対談(佐藤章・望月衣塑子)を聴きながら23時半に就寝。これで一日が終わった。今日も生涯の一日なり。

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「名言との対話」10月10日。高村光雲「芸術というものは、時には嘘でもよいのだ。その嘘を承知の上で作った方がかえって本当に見えるんだ」

高村 光雲(たかむら こううん、1852年3月8日嘉永5年2月18日) - 1934年昭和9年)10月10日)は、日本の仏師彫刻家高村光太郎高村豊周は息子。

東京都台東区出身。仏師となったが、明治維新以後は、廃仏毀釈運動の影響で、仏師としての仕事は無くなり生活困窮したが、光雲は木彫に専念し、西洋の写実主義も取り入れ木彫を復活させた。38歳から東京美術学校で教え、教授となった。江戸時代までの木彫技術の伝統を近代につなげる功績があった。

上野の西郷隆盛像は誰もが知っている代表作だ。皇居前広場の楠正成像、聖徳太子像、なども有名だ。私は立膝 姿で岩の上に坐り、はるか上空を見据える老いた猿を描いた傑作「老猿」に心をひかれる。

東京美術学校を創設した岡倉天心は、人に教えるような柄ではないという光雲に、「あなたがお宅の仕事場でやっていることを学校へ来てやってください」と説得している。

天心が校長を辞任することになったとき、光雲も辞めようとしたが、天心自身と文部省に慰留されて、思いとどまって、教育者として多くの人材を育てた。

1875年の神仏分離に伴い、従来神社に混淆されていた仏寺はことごとく分離され、仏教はいちじるしく衰退した。また仏教美術も破棄される運命となり、仏像の需要が減退し、仏像を彫る仏師の仕事も衰退した。それは木彫の衰退を意味した。多くの木彫家は象牙彫に転じたが、高村光雲のみは、木彫をまもった。その光雲弟子の一人が平櫛田中である。

岡倉天心高村光雲に、絵画の面では、どうにか糸口がついた、しかし彫刻の部では、なんにも手をつけていないので木彫家たちと会ってみたいと言う。そこで平櫛田中ら6名が天心を訪ねた。彫刻家たちが作品が売れないと苦しさを訴えたとき、後に生涯の師となる岡倉天心は「諸君は売れるようなものをお作りになるから売れません。売れないものをお作りなさい。必ず売れます」と田中らは言われている。このとき田中は、売れないものを作るのは雑作もない、自分の好きなものを作ればいいのだ、と感じた。それがきっかけで後に天心を会長とした日本木彫会が結成される。

2011年。大震災で打撃を受けていた東京江戸博物館が再開し、「五百羅漢」展を開催していいて訪ねたことがある。幕末の絵師・狩野一信(1816-1863年)というあまり知られていない画家の百幅の絵が増上寺にあるが、それをすべて公開するという画期的な企画である。この企画は法然(1133-1212年)の没後800年を記念した企画だ。高村光雲はこの絵師について、「画才はむしろありすぎるいふくらいありますが、ただ惜しむらくは人格が貧しい、それで重くは用いられなかったが、腕はなかなかあった」と評していた。

2017年に横浜美術館の「篠山紀信 写真力」をみたが、その篠山紀信は人物写真では「仮面の上に仮面をつけることこそ、その人のリアリティを獲得することだと思っている」と語っている。そして「いや、(写真は)芸術よりももっと上にあるものでしょう、、写真はもっともっと大きなものです」と信じ現代を疾走していた。嘘を承知で創るほうが、リアリティがでて本当になる。明治の木彫のトップ・高村光雲も同じことをいっている。

仏師という職業は無名の職人である。その仏師が名のある彫刻家となり、多くの優れた弟子を育てた。その一人が、長男の彫刻家・高村光太郎だ。高村光雲は、近世から近代への彫刻の橋渡しをしたのである。

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