市ヶ谷:新葉館出版。日本実業出版社。新宿:橘川さんと。自宅:『川柳まつど』。浴読。

13時:市ヶ谷駅の「to the herbs」で川柳専門出版社の新葉館出版の竹田麻衣子副編集長と面談。面白い企画が誕生しそうだ。『川柳マガジン』10月号と『川柳の理論と実践』(新家完司)をいただく。いい写真が撮れた。

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15時:市ヶ谷の日本実業出版社で数年来取り組んでいる本のゲラの7割ほどを受け取る。今月中に残りをもらって、11月初めにまた会って説明を受けることとなった。

 

17時:新宿の「珈琲西武」で、橘川幸夫さん、柴田さんと打ち合わせ。この店の隣は新装開店した貸衣装屋。5000円から借りられる。

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3人で歌舞伎町の焼肉屋『元ちゃん』で食事。

 

ドイツ料理の立ち飲みの店『BERG』。ここも次は訪れたい。

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新宿の名物となっている「猫」。

 

  • 20時過ぎに帰宅すると、『川柳まつど』458号が届いていた。採られたのは2句のみ。「天災とまだら模様の人災と」(宿題「活発」)「いつまでも孤立の陣を張ってゆく」(宿題「クリーン」)。次の11月の宿題は「意欲」「いそいそ」「イメージ」「彩る(いろどる)」。12月の宿題は「醍醐味」「たまたま」「ダイナミック」「耕す」。
  • 出かける前に浮川初子さんから贈っていただいた浮川和宣『私の履歴書 文字を超える』(日本経済新聞出版社)を浴読(風呂)で読了。

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「名言との対話」10月25日。原口統三驚くものを詩人と呼び、驚かぬものを批評家と呼ぶ

原口 統三(はらぐち とうぞう、1927年1月14日 - 1946年10月25日)は、日本の詩人。『二十歳のエチュード』の著者として知られる。

ソウル生まれ。大連一中を経た後、旧満州国を転々とする。一高文科に入学。。先輩の清岡卓行、そして橋本一明、中村稔らと付き合う。

一高3年に在学中の1946年10月2日に自殺未遂。10月15日逗子海岸で入水自殺。

生前の原稿は、橋本によって編集され、1948年に『二十歳のエチュード』として刊行された。原口は「夭折の詩人」として人気があり、この本はその後も版を重ねている。

友人の清岡は、詩人、小説家として活躍し法政大学の教授となり83歳まで生きている。橋本はフランス文学者となって国学院大学の教授となったが42歳で没している。また中村は同じく詩人であるが、職業は弁護士となった。詩人としては文化功労者だ。現在の時点では96歳でまだ生きている模様だ。一方、原口は19歳で自殺をしている。

『二十歳のエチュード』を読んでみた。この本は、原口から、橋本一明君へのメッセージと言う形をとっている。清岡さんという名前がよく出てくる。また橋本、中村の名前もある。

そして詩人のランボーを中心に多くの詩人、哲学者、文学者が登場する。また東洋で論語老子も出てくる。原口はこれらの人たちと会話をしているのだ。以下、登場した名前をあげてみよう。

バレリー。ユーゴーパスカルボードレールフローベールベルグソン。カント。フィフィテ。ヘーゲルショーペンハウエル。シュペングラー。ニーチェドストエフスキー。ポォー。ショパン。リスト。モーツァルトドビュッシー。バッハ。ソクラテスプルーストゲーテ論語エピクロス孔子。ルナアル。コペルニクス。クロオデル。中原中也漱石森鴎外パスカルトルストイ。また神話、プロレタリアートアメリカ、ロシア、ギリシャ文化。、ニヒリズムデカダンスカトリック教、永劫回帰、悪魔、ハムレットなどの言葉もでてくる。西洋を中心に膨大な本を読み込んでいる。

「驚くものを詩人と呼び、驚かぬものを批評家と呼ぶ」

「真の詩人は詩論を書かぬものであり、真の信者は信仰を説明しないものである」

「いかなる思想も、なんらかの「妥協」の衣を着せて提出しなければ通用しない」

「精神のより真奥を目指して進むものは、より「生きること」から遠ざかるのである。」

自画像が書いてあった。「一高の生徒としての僕。ーーーフランス語は優等生。操行は劣等性生」。また、自殺についても述べている。「自殺を決意する僕を批判するのに、生きようとする「処世術」を持ち出すのは、いささか見当はずれだ。処世術を破壊し拒否する男に処世術の枠をはめ込もうとしてもだめである」

この本の言葉は難解であるが、不思議な強いメッセージ性がある。高く評価され多くの人を魅了した。感化された詩人の長澤敦子はこの本の発刊から1年後に、17歳で自殺している。強い影響力の詩人だった。

1946年10月1日赤城山で書いた文章がある。それは自殺未遂の前日の文章だった。僕はもう自分を誠実であったとも言うまい。沈黙の国に旅立つ前に、深く謝罪しよう。「僕は最後まで誠実ではなかった」と。」

原口統三の言葉では、「驚くものを詩人と呼び、驚かぬものを批評家と呼ぶ」を採りたい。これは、作曲家と批評家、革命家と評論家という対比と同じである。詩人、作曲家、革命家たちは銅像が建つが、批評家、評論家には銅像が建つことはない。