大江健三郎のことーーわからない方がありがたい?

NHKラジオの「声でつづる昭和人物史」で、大江健三郎の肉声を聴いた。ノーベル文学賞をもらった文豪である。100冊を超える著書がある。この作家の生い立ちから亡くなるまでの軌跡を2回に分けて聴いた。

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愛媛県の寒村に生まれた大江は、松山の中学で都会育ちのスマートで最先端の知識を身に着けている、後の映画監督・伊丹十三と知り合う。伊丹からフランス文学についての書物を教えられ、とりつかれたように読む。特にラブレーという作家に傾倒した大江は、この書物を書いた渡辺一雄という人を生涯の師とすることに決め、東大文学部に入学する。

在学中に師事した渡辺は、自分が敬愛する人物が生涯を終えるまでの全ての作品を読もうとしてきた。自分の場合、それは70歳あたりまで生きたラブレーだと語る。これに対し大江は渡辺一雄先生をその対象としたいと答える。渡辺は、大事なことは人間らしく考えることだ、人の考えたことをそのまま繰り返す機械になってはいけないと語り、それをヒューマニズムと呼んだ。日本のフランス文学の礎を築いた渡辺は立派な先生だったようで、小林秀雄な多くの弟子に慕われた。渡辺は73歳で亡くなるが、大江は師の教えを実行し、88歳で亡くなるまで仕事をしている。昭和8年生まれの伊丹、10年の大江、9年の井上ひさしは、焼け跡世代と呼ばれている。皇国教育から民主教育への大転換を子ども時代に体験したから、彼らは日本国憲法を護る立場で奮闘する。

聴きながら思いだしたのは、仙台の宮城大学時代の2000年頃に、大江健三郎がみえたことがあることだ。大講堂で学内だけでなく、社会人にも解放した大講演会となった。大江健三郎の本は「沖縄ノート」などいくつか読んだ記憶があるが、総じて難解なところがあるので私は熱心な読者ではなかった。講演も同じくやはり難解だった。しかし聴衆はこの作家のいうことをありがたく聞いている。ふと隣の人をみると、驚いたことに両手を合わせたお参りの姿であった。大江の姿を神のように拝んでいたのだ。

「こんな偉い人のありがたい話を自分がわからないのは自分のせいだ」という感じであった。そのとき思ったのは、講演は難解で相手がわからない方がありがたく感じるのではないかということだった。私の講演はわかりやすいと言われて喜んでいたのは間違いではないか。わからない方がありがたがられるのでないかということで苦笑を禁じ得なかった。私はノーベル賞をもらうほど偉くはないので、わかりやすい路線でいくしかない。

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「大全」の執筆のための整理を行ったので、見通しが明るくなってきた。

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「名言との対話」11月14日。ジャン・パウル「人生は一冊の書物に似ている。ばか者たちはそれをいそいでぺらぺらとめくっていくが、かしこい人間は、念入りにそれをよむ。なぜならば、彼らはただ一度しかそれをよむことができないことを知っているから」

ドイツのバイロイト出身。30歳で自分の文体を確立し、32歳の『宵の明星』『フィクスライン』で成功をおさめる。その後、わーまーるに移住しゲーテらと交流。182年、『巨人』を完成。41歳以降は故郷のバイロイトで過ごした。1817年、ハイデルベルク大学ヘーゲルから名誉哲学博士号を授与される。

ジャン・パウル(Jean Paul, 1763年3月21日 - 1825年11月14日)はドイツ小説家。該博な知識に基づく機知とユーモアに富んだ中長編を発表。主要作品に『ヘスペルス』『陽気なヴッツ先生』『ジーベンケース』『巨人』『生意気ざかり』『彗星』など。享年62。バイライトに銅像が建っている。

『巨人』という代表作は、フランス革命の時代のドイツの小国の命運を握る侯爵の子息、自らの出自を知らない主人公の教養小説である。芸術至上主義の友に恋人を奪われ、諧謔家の師友に先立たれながら、君主として小国を統治する決意を固め、魂の巨人を志していく物語。

作曲家のマーラーはジョン・パウルの愛読者で、交響曲第1番に「巨人」。の標題をつけている。

以下、パウルの言葉から。

  • 富、眠り、健康はそれを取り戻した時になって、はじめてその味わいを満喫できる。
  • つねに謙虚であるならば、ほめられたときも、けなされたときも、間違いをしない。
  • 友人を信用しないのは、友人に欺かれるよりもはるかに恥ずべきことである。
  • 人は子供をおとなしくなるようにと、小学校にやる。そして、うるさくなるようにと、大学へやる。
  • 賞賛された時ではなく、叱責された時に謙虚さを失わない者こそ真に謙虚な人間である。

人生は旅である、これが大方の人の理解だろう。このアナロジーで、人生行路で出会う人々との邂逅や別離、自分を巡る数々の事件、そして現在の自分の立ち位置をつかむことができる。

しかし、旺盛な読書に支えられた知識と機知豊かな、このジョン・パウルという小説家は、人生は一冊の書物であると喝破する。旅という比喩が価値的には中立であるのに対して、この考え方は読み方、つまり我々の生き方への自覚を要求する。

ぺらぺらとめくっていくとは、うすっぺらに軽く「経験」していくというほどの意味だろう。念入りに読むとは、できごとを深く「体験」していくということである。一度の体験を深く味わい、そこから教訓を汲み出し、次のステージに備えていく。そういえば、学生時代に台湾を旅行したとき、ある経営者と知り合った。その台湾人は、日本の若者が海外へ旅していることを「考験」と言っていた。体験し、考えるという意味だろう。経験し、体験し、考験していくのが人生だともいえるかもしれない。

書物を見た、読んだ、とい「通読」という段階ではなく、自分でその書物が述べている内容を「精読」し、深く考えた人が、本当に人生を生きた人なのだというメッセージだろう。同じ経験をしたからといって、同じ教訓をくみ取るとは限らない。切実さの深い方が、高いレベルの知恵を獲得していくのは自明である。ジョン・パウルのいう賢人として人生を歩みたいものだ。