蜃気楼大学「日本人論」~日本人の幸福論PJCTの発表」を3人で行います。

蜃気楼大学NPO法人知的生産の技術研究会2 「日本人論」~「日本人の幸福論」PJCTの発表。

①「倖せ学の体系」
久恒啓一 NPO法人知的生産の技術研究会理事長。幸福塾塾長。多摩大学名誉教授。
キャリアの前半はビジネスマン(日本航空)、後半は教育者(宮城大学多摩大学)として活動してきました。一方NPO法人知的生産の技術研究会で研鑽を積むという二刀流のキャリアの道を歩んできました。

キャリアの後半あたりから、全国の人物記念館の旅を17年間行って、2022年に1000館を達成しました。その成果を土台に、『遅咲き偉人伝』(PHP研究所)などの著作を刊行しています。また、2016年からは、noteで「名言との対話」を3000日近く毎日書いてきました。

内容
コロナ禍で始めた「図解塾」から派生し、2022年に「幸福塾」を立ち上げました。人物論とは実は幸福論であったとの認識から、日本人の幸福論を塾生と一緒に考える講座となりました。2年間の塾の結果、独自の「倖せ学」の体系と豊富な実例ができあがってきました。このプロジェクトのエキスを紹介します。

②幸福塾に参加し学んだ先人の教えは、ヒタムキさと上機嫌と好奇心
垣内 武 (カキウチ タケシ) NPO法人知的生産の技術研究会 幹事
1964年生まれ神奈川県在住、妻と娘の4人家族、某メーカーで商品開発に従事(勤続三十うん年)、勤務先主催の出前授業イベントで認定講師を務める(小学5年生対象、テーマは「地球温暖化」「自動運転」)、2007年1月、社内教育「図解コミュニケーションによるクロスファンクショナル研修」を受講し、講師だった久恒先生と出会う。その際先生がPRされていたブログを毎日チェック。ある日「図解塾」開講をブログで知り入塾を即決、現在に至る。
内容
社会の様々な価値基準のなか不安な心持ちの私達は、先達の偉人達を「俯瞰」し「アタマ」と「ココロ」を磨いて行きたいものです。「起業家」、「〇〇の父」、「ライフワーク」など、古今東西様々なその人びとの「生き様」をテーマに、毎回久恒幸福塾で浴びた怒涛の如き人物シャワーから学んだ事は、「平凡なヒト」が「運命的に出会ったテーマ」を、「地道に継続する」中で周りからの理解が得られ、遂にはその分野の第一人者へと発展するという共通した一つのパターン。これは自分への励みとなりました。張り合いと希望をもっていかに健全に生きるかという命題に、力まず素直に正直に生きる『ヒタムキさ』は非常に大切な要素。その原資は『上機嫌』と『好奇心』である。と確信しています。

③いつから始めてもいいんだよ!私人・個人の幸福物語
鈴木 章子 (スズキ アキコ)
1965年生まれ。大阪市在住。地方公務員(行政職)を2023年3月に早期退職。福祉、教育、労働等7部局で計40年勤務。障がい福祉や障がい者雇用など障がい者を対象とする業務を長く担当。2002年頃『図で考える人は仕事ができる』を購入し、久恒啓一先生のメルマガに登録。2020年のクラウドファンディング支援をきっかけに図解塾に入塾。現在はNPO法人知的生産の技術研究会 幹事、一般社団法人日本栄養睡眠協会 栄養睡眠カウンセラー、メンタルマネジメント認定講師、手話通訳士として活動中。
内容
幸福塾では、古今東西の「幸福論」を通して、「現代人の幸福とは何か」を考えてきました。幸福とは何か。幸福になるための方法とは何か。明確に説明できないものですが、先人が残したものや、その生き様の中から感じ取ることができました。仕事上の功績以外の分野、趣味や地域活動など、私人・個人としての活動から読み取った「幸福」について、いくつかご紹介したいと思います。 あなたが思う「幸福」や、探していた「幸福」が見つかるかもしれませんよ。

 

蜃気楼大学2024~参加型社会学会による「講義フェス」 (peraichi.com)

申し込みは、このサイトの最後にあります。

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  • 雑誌『イコール』到着。
  • 『川柳まつど』の1月例会に川柳12句を投稿。
  • デメケン。
  • 1.1万歩。

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「名言との対話」1月15日。太田敏郎「お風呂は人を幸せにする」

太田 敏郎(おおた としろう、1927年5月20日 - 2020年1月15日)は、日本実業家ノーリツ創業者。

兵庫県姫路市生まれ。陸士と海兵に合格し海軍を選ぶ。1950年に能率風呂商会、翌1951年に能率風呂工業を設立し専務取締役。その後、ノーリツの専務取締役、社長、会長などを歴任。財界では、神戸商工会議所副会頭を務めた。

以上の経歴をみれば、順調のようにみえるが、さにあらず。創業社長でありながら、解任され、自重した後に、再び社長に復帰するという残酷物語がある。

1964年に取締役会代表取締役社長を突如解任され、専務に降格される。1967年には常務に降格となる。1968年には自身の解任を主導した後任社長が多数決で首になった。一緒にこの件を推進した専務に社長になってもらうが、この社長にも10年ほどやっているうちにおごりが生じて危機を迎える。1980年太田はとうとう社長に復帰する。クビになってから18年目だった。この物語は長く権力の座に胡坐をかいた者に巣食うおごりの怖さを教えてくれる。 自身の反省も含め、そう述懐している。

『お風呂は人を幸せにする』(神戸新聞総合出版センター)を読んだ。「風呂は人を幸せにする。わしの発明した能率風呂は日本一じゃ」という「能率風呂」の発明者・植松清次から特許権を買い取って事業を起こし、プロパンガスが普及する中、ガス給湯器の開発で成功し、家庭への浴室普及を促進した。その原点は海軍兵学校時代に、訓練後の入浴のお湯のおかげで生気を取り戻す経験をしたことだ。

この本で、太田は「株主資本主義」に反対する。従業員、協力会社、取引先、株主との深いつながりや支援のおかげで企業はなりたっているとの考えである。今でいうステイクホルダー資本主義だ。

 1995年1月17日の阪神大震災で本社が倒壊した。翌18日に東京で開く予定の全国代理店会に神戸から役員一同と必死でかけつけ「本社は倒壊したが生産工場は大丈夫だ。商品は間違いなく送り届ける!」と宣言し、会社は生き残った。一瞬の判断が生死を分ける恐ろしさを知ることになった。

1994年からの神戸商工会議所副会頭時代には、神戸復興の象徴として「鎮魂と希望」の願いをこめて、「神戸ルミナリエ」の実現と継続に尽力している。大きな被害を受けた神戸に「明かりを灯そう」と、商工会議所の先頭に立って資金集めなどに奔走した。神戸の年末の風物詩になった。突撃隊長型の太田は「ルミナリエおじさん」と呼ばれている。

2021年5月14日の東京新聞には「お風呂が沸きました」が2021年3月にメロディと声をあわせて音商標登録されたという記事が載っていた。商標の対象は文字や図形だけだったが、視覚障碍者の不便を解消しようと音の商標登録が1997年に始まった。大正製薬の「ファイトー イッパーツ」も認定を受けている。「お風呂が沸きました」は、自宅で私もよく聞いている。この音声を聞くたびに太田敏郎を思い出す。まさに「お風呂は人を幸せにする」。