2月の「世界を知る力」ーー2024年の世界経済見通し。第3の戦争。現物資産「金」の暴騰。全員参加型秩序。日米関係の落とし穴。

「2月の「世界を知る力」(寺島実郎)。「体系的・課題解決・進化」。ユーチューブ1021万回。3割は海外から。

  • 世界経済(IMF見通し):世界は2023年3.1%成長、2024年3.1%。意外にゆるやかなスローダウン。米は2.5%、2.1%。独は低迷。日本は1.9%、0.9%。アジアは堅調:印6.7%、6.5%。アセアン5は4%台。中は5.2%m4.6%となっているが苦しい(国内は不況、デフ。外交は孤立)。ロシアはルーブルの下落、孤立。
  • ウクライナイスラエルに続く第3の戦争が中東で起こる恐れ。イランのシーア派ヒズボラ、イエメンのプーシ派など、、。正面戦でなくこういうゲリラなど相手の非対称戦争はアメリカは苦手。スエズ運河通過に問題があり喜望峰まわりでコスト2割上昇(イタリアパスタなど)・パナマ運河渇水で物流は4割ダウン。
  • 金価格の高騰:2000年から「1億円:現金̠▲1割。株1.8億。原油3倍超。土地▲6割。米ドル1.2億円。金9.3億円」。金(ゴールド)の暴騰は1次と2次の世界大戦の間、1973年の石油危機の時代、そして21世紀の今と3回ある。金は炭坑のカナリア説。リスク不安、インフレ不安、ドル基軸通貨体制への不安など、構造変化への不安で、現物資産の金に向かっている。中東諸国は金が好き。
  • 18-19世紀の イギリス発祥の「産業資本主義」は、20世紀は大量生産大量消費、フォーディズムで大衆資本主義となりアメリカの世紀となった。冷戦の終了後のIT革命(シロコンバレー、GAFAM、ビッグテック)による「デジタル資本主義」、そして理工系の金融分野進出(ヘッジファンドデリバティブ、ウオールストリート)による「金融資本主義」へと変質。実体経済と信用経済の巨大な落差が金指向に投影している。
  • 2024年は選挙の年。21世紀の日米関係はそうなるか、日本はどこに進むべきか。20世紀から21世紀の日本は、アングロサクソンとの2国間同盟だった。20年間の日英同盟、70数年の日米同盟(1994年には世界GDOの18%)。国連、ガット、WTOなどの国際主義。それが過剰な固定観念化した。
  • 21世紀の世界システムは、全員参加型秩序に移行中だ。国家だけでなく、巨大企業、地域統合、多国籍武装勢力、、、。同盟に多次元の要素を加えて向かい合わねばならない。
  • 日米関係の落とし穴:アメリカ経由でせかいをみる視点、過剰同調と過剰依存という固定観念アメリカのジャパンハンドラーという知日派親日派ではない。アーミテージグループ、ジャパノロジスト、安保マフィアたちはトランプ以降は排除されている。日本の転機でもある。ワシントンの変化もある。4月の岸田首相訪米のテーマは何か。非核平主義、アジアへの責任、日米関係の柔らかい見直しなど。

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大町陽一郎/ブルックナー:交響曲第8番

「名言との対話」2月18日。大町陽一郎「指揮者というのは教育家である」 

大町 陽一郎(おおまち よういちろう、1931年8月22日 -  2022年2月18日))は日本の指揮者。享年90。

少年時代、作曲家呉泰次郎が開いていた音楽私塾で音楽理論、作曲法、指揮法の手ほどきを受ける。旧制成城高等学校を経て、東京芸術大学作曲科に入学したが、指揮への興味が募り指揮法を学ぶ。東京芸大、卒業後ウィーンに留学。カラヤンベームらに師事。東京フィル、ドルトムント歌劇場の常任指揮者、ウィーン国立歌劇場専属指揮者などをつとめる。東京芸大教授。

大町陽一郎『楽譜の余白にちょっと』(新潮文庫)を読んだ。

親しかった解説の深田祐介によれば、大町は精力的な勉強家であり、好奇心が強気、エネルギッシュだ。そして芸術とは「考え抜く」行為を指すといいう。

大町によれば、音楽家としての自分の分野は、指揮者、作曲家、ピアニスト、教育家、訳詞家、評論家、そして旅行家でもあるという。棒振りは同行の人たちに説明する旗振りでもあるわけだ。

芸大で先生から、指揮では、岩城宏之山本直純大町陽一郎三羽烏と言われ、その気になる。食えるかどうかわからないので、高校教職課程の単位も取得していたから、多忙だった。

大町は指導者に恵まれているようだ。留学先のウイーンではカラヤンベームに師事している。東京フィルのホームページの大町のインタビュー記事が掲載されている。オーストリアの巨匠、カール・ベームとの交流のことだ。昼前にミュンヘンのホテルで会ったとき、ベームデュッセルドルフへの午後の便がキャンセルとなり指揮する予定があり焦っていた。大町はワーゲンの新車で800キロのアウトバーンを走った。その6時間で指揮者として必要なことをすべて学んだと語っている。ちょっとした偶然が縁で大きな運を引き寄せたのだ。

1961年から運がまわってきて、当時は「不急不要」といわれていた東京フィルの常任指揮者に就任し、10年を過ごす。 

音大の卒業生の大半は卒業時には「近所の小さい子にピアノを教えます」という。最優秀の数人が演奏家、次がNHK、民放、音楽雑誌の編集者、そして最後のグループが批評家になって演奏家をこきおろす、という構図になっている。就職のことを視野に、実際的な教育の方向に進むべきだと憂いている。

このエッセイの中で、2000曲以上を書き94歳で亡くなった作曲家ロベルト・シュトルツをシューベルトの次に来るべき作曲家と讃えている。86歳のカール・ベームについては「偉大な指揮者を失って、町(ウイーン)は色褪せて見える」と書いた。天才カラヤンからも直接指導を受ける幸運を授かっている。大町は「幸運にも私は師に恵まれた」と語っているが、持ち前の好奇心、行動力で、運を勝ちとってきたのだろう。

さて、「指揮」とは何か。大町陽一郎の指揮論を聞いてみよう。

1・「指揮とは信頼である」。信頼感がないと集団は従わない。2・「指揮とは準備である」。規律が大事である。マネージャー的仕事が大事。3・「指揮とは練習である」。遅れない、意見を持つ、直すべきところは直す。4・「指揮とは手旗信号である」。送るべき内容を送るのが指揮だ。5・指揮とは音楽的教養である。楽曲の解釈者として音楽的知識が指揮者の真髄。6・「指揮とは経験である」。経験と熟練と柔軟性。7・「指揮とは威厳である」。なんとなく言えない雰囲気。

以上を踏まえて、大町は指揮とは人の心をつかむこと、二つの手で百のハートをつかむことだと結論づけている。

大町自身は指揮者の次は、教育であるという。「指揮者は教育家である」が持論だった。芸大以外にも、小学生などの指導にも熱心だ。縁のあった社会人と過ごす「大町サロン」、そして教育家として「大町スクール」からも、多くの音楽人材が生まれているのだろう。 

起業家、経営者、芸術家など、それぞれの分野で名を成した人たちは、教育に向かうことが多い。次世代の人づくりである。