似鳥昭夫(経営者)。坂井修一(歌人・学者)。大町陽一郎(指揮者)。

東京MXテレビ寺島実郎「世界を知る力」の対談編。本日の相手は「ニトリ」の似鳥昭夫会長(1944年生まれ)。

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ニトリは2000年の売上は489億円、2021年2月は7169億円と14.7倍に成長。店舗は50から772へ拡大。島忠との統合以外に、毎年100店舗開設という方針(内海外30)。時価総額でベスト10入りをうかがう。

以下、似鳥昭夫語録。

  •  人のやらないことを、人と違うやり方で。
  • 何でもいいから世界一に。
  • 垂直統合:企画、仕入れ、製造、な販売まで一気通貫
  • アジア重視:生産拠点は台湾、韓国(技術が高い)から始まり、中国(経営権問題)、インドネシアを経て、ベトナムへシフト(巨大な工場)。
  • 業態はなくなる:アメリカは20-30年先。家電、スポーツ店などは壊滅。
  • 商品開発:リフティ、多機能ベッド、、。
  • 立地:郊外型店舗(年収800-1000万)でシェア拡大、5年前から都心へ(プランタン跡地、アトレ目黒、、)
  • 変化への対応は誰よりも速く違う方法で:2020年テレワークで好調、2021年逆境。
  • 文化戦略:札幌の美術館、小樽の鰊御殿を料亭に、京都の對龍山荘、、、。
  • 住生活を総合的によくしたい:家の外、家の中、日用品、、、。単品提供から、コーディネートの提案へ。
  • 年齢との闘い(77歳、喜寿):密度濃く。7倍速で。
  • ライフスタイル提案型企業:家電開発。女性ファッション。みんなのグリル、、

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歌人の坂井修一の日経文化欄の「うたごころは科学する」で今日は「観潮労楼に向かって」だった。東大の研究室から鴎外の住んだ「観潮楼」がのぞめる。坂井は鴎外の『渋江抽斎』について「しばしば私を励まし、俗に流されそうな心に警鐘を鳴らし、人としての本筋に引き戻してくれた本だった」と書いている。

坂井修一(1958年生。62歳)は20歳で短歌結社「かりん」に入会。2015年に編集人、2016年現代歌人協会副理事長。

2001年東大大学院理工学系教授、2013年、研究科長、2021年副学長。

「学者」と「歌人」の二刀流の人だ。「軍人」と「小説家」であった森鴎外をモデルとしてきたのだろう。その鷗外は「津軽藩医」と「考証学者」を両立させた渋江抽歳の存在を励みにした。この流れは、日銀理事と山一證券研究所理事長であり、鴎外研究家の吉野俊彦、そして吉野をモデルの一人にしてきた私の世代に続いている。坂井修一もその一人で同志であったのだ。この人の歌集を手にしたい。

「詩歌は、、、調べや情感によって物を言うジャンルである。論理を大切にしながら、揺れる心情を吐露する、そんな文芸のありかた、西洋ならホメロス以来、日本なら記紀以来、人間の心にはりついてきたものだろう」(「歌壇2020年3月号「蘇る短歌」)

 

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「名言との対話」8月22日。大町陽一郎「指揮者というのは教育家である」

大町 陽一郎(おおまち よういちろう、1931年8月22日 - )は日本の指揮者。

少年時代、作曲家呉泰次郎が開いていた音楽私塾で音楽理論、作曲法、指揮法の手ほどきを受ける。旧制成城高等学校を経て、東京芸術大学作曲科に入学したが、指揮への興味が募り指揮法を学ぶ。東京芸大、卒業後ウィーンに留学。カラヤンベームらに師事。東京フィル、ドルトムント歌劇場の常任指揮者、ウィーン国立歌劇場専属指揮者などをつとめる。東京芸大教授。

大町陽一郎『楽譜の余白にちょっと』(新潮文庫)を読んだ。

親しかった解説の深田祐介によれば、大町は精力的な勉強家であり、好奇心が強気、エネルギッシュだ。そして芸術とは「考え抜く」行為を指すといいう。

大町に寄れば、音楽家としての自分の分野は、指揮者、作曲家、ピアニスト、教育家、訳詞家、評論家、そして旅行家でもあるという。棒振りは同行の人たちに説明する旗振りでもあるわけだ。

芸大で先生から指揮では、岩城宏之山本直純大町陽一郎三羽烏と言われ、その気になる。食えるかどうかわからないので、高校教職課程の単位も取得していたから、多忙だった。

大町は指導者に恵まれているようだ。留学先のウイーンではカラヤンベームに師事している。1961年から運がまわってきて、当時は「不急不要」といわれていた東京フィルの常任指揮者に就任し、10年を過ごす。 

音大の卒業生の大半は卒業時には「近所の小さい子にピアノを教えます」という。最優秀の数人が演奏家、次がNHK、民放、音楽雑誌の編集者、そして最後のグループが批評家になって演奏家をこきおろす、という構図になっている。就職のことを視野に、実際的な教育の方向に進むべきだと憂いている。

このエッセイの中で、2000曲以上を書き94歳で亡くなった作曲家ロベルト・シュトルツをシューベルトの次に来るべき作曲家と讃えている。86歳のカール・ベームについては「偉大な指揮者を失って、町(ウイーン)は色褪せて見える」と書いた。天才カラヤンからも直接指導を受ける幸運を授かっている。大町は「幸運にも私は師に恵まれた」と語っているが、持ち前の好奇心、行動力で、運を勝ちとってきたのだろう。

さて、「指揮」とは何か。大町陽一郎の指揮論を聞いてみよう。

1・「指揮とは信頼である」。信頼感がないと集団は従わない。2・「指揮とは準備である」。規律が大事である。マネージャー的仕事が大事。3・「指揮とは練習である」。遅れない、意見を持つ、直すべきところは直す。4・「指揮とは手旗信号である」。送るべき内容を送るのが指揮だ。5・指揮とは音楽的教養である。楽曲の解釈者として音楽的知識が指揮者の真髄。6・「指揮とは経験である」。経験と熟練と柔軟性。7・「指揮とは威厳である」。なんとなく言えない雰囲気。

以上を踏まえて、大町は指揮とは人の心をつかむこと、二つの手で百のハートをつかむことだと結論づけている。

大町自身は指揮者の次は、教育であるという。「指揮者は教育家である」が持論だった。芸大以外にも、小学生などの指導にも熱心だ。縁のあった社会人と過ごす「大町サロン」、そして教育家として「大町スクール」からも、多くの音楽人材が生まれているのだろう。大町自身は本日で卒寿、90歳を迎えた。