NHK「新プロジェクトX」ーー挑戦者たち 無名の人々による挑戦の物語」の初回は、「東京スカイツリーーー天空の大工事ーー世界一の電波塔建設に挑む」だった。
「18年ぶりに復活する新プロジェクトX。初回は「東京スカイツリー」建設工事。高さ634mの天空の現場に挑んだ技術者と職人たちのドラマを追う。施工の責任を負った技術者が胸に秘めていた、亡き上司への誓い。鉄骨加工を請け負った職人が交わした妻との約束。そして完成間際、東日本大震災が発生した中、鳶(とび)を率いるリーダーが下した決断。のべ58万人が総力を結集した日本の建設史上空前の難工事。その知られざる物語」を堪能した。
今回は、大林組の技術者、とび職の棟梁、鋼板加工職人らが登場していた。「新プロジェクトX」では「失われた30年」と言われる平成から令和にかけての挑戦者たちを取り上げ、視聴者の奮起を促す狙いだ。彼らもまた、代表的日本人である。
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スマホと手帳の両方を使いこなそうという提案と銘打ってはいるが、実は「紙派」の主張が満載である。
長きにわたって「手帳術」をにこだわった著者ならではの40項目の具体的技術が細かく語られており、参考になった。
著者は「アナログなんかアナクロだ」だと限定しないで、日々のできごと、感想などのメモをとる最初の記録媒体として、紙の手帳を活用し、それをデジタル化して、知的生産に役立てて欲しいという願いでこの本を書いている。
読者対象は主としてデジタル世代を念頭に、日常を豊かにする技術を伝授しようとしているが、アナログ派にも参考になる。考えてみれば、私も両刀使いになってはいるが、メモやスケジュールなどの一次情報は「紙」であり、それを加工してデジタル化しているのだった。
さて、本を読むと、触発されて、自分の考えが深まってくる。それが成長ということだろう。以下、触発されて書いた。
「手帳」とは何か。ヒト、モノ、カネ、情報、時間という有限な資源を、最適に組み合わせながら、最高の人生をおくるための道具である。これが私の定義である。
ダ・ビンチの「発見の手帳」、梅棹忠夫ら人類学者の「野外手帳」と呼ばれたフィールドノート、根強いファンが支えた「能率手帳」そして一大ブームとなった「システム手帳」などの歴史がある。ほとんどの人はある段階で自分にとって最適の手帳に行き着いているようだ。私もその一人で、手帳をめぐる意識は安定していて心が乱れることはなくなっている
この本の中に「段取り」という言葉が出てくる。池波正太郎は「約束も段取り・仕事も生活も段取りである。一日の生活の段取り。一ヶ月の仕事の段取り。一年の段取り。段取りと時間の関係は、二つにして一つである」と言っている。膨大な作品を書き続けたこの人の秘密は、段取りであった。その段取り力で締め切り前に仕事を終わらせ、自分の時間を楽しんだのだ。
段取りのうまかった人とその言葉をあげてみよう。佐藤忠良「段取り半分」。佐川清「段取りの出来る者が作業の進行を握り、やがては作業全般を掌握するのは成り行きだ」。伊藤雅敏「利益は仕事の段取りや効率を示すモノサシである」。
「段取り力」とは、スケジューリング力ともいえる。自分と他人の能力と持てる時間を俯瞰し、スムーズに流れるように計画し、進め、最速のスピードで仕上げていく力である。
どんな仕事でも、そして人生という大仕事においても、この段取り力がキーワードになる。スピード感をもって残業をしない人、膨大な仕事量をなんなくこなす人には、この段取り力がある。それが締め切りを守ることになる。
ものを書く場合は、早めに手をつけることも、この段取りの一つだ。早めに着手すると、考えることの回数が自然に多くなる。他の情報との関連でヒントをもらうこともでてくる。テーマに対し立体的に取り組むことになっていく。気がつくと早めにかなりの作品ができあがることになる。
締め切り直前に頑張っても、作品の質はおぼつかない。質が高く、膨大な量の仕事をしている人の秘訣は「段取り力」なのだ。考えてみれば、複雑な人間関係を総合的に扱っている家庭の主婦たちの仕事も、この段取り力で成果が違ってくる。この力は、誰にとっても重要なものであることは疑いがない。
「名言」。世界は名言でできている。人生も名言でできている。私も折に触れて自分の琴線に触れた言葉をメモしている。そしてこのブログに記す「名言との対話」に生かすようにしている。
「日記と日誌」。日記と日誌は違う。日々の作業、面談、仕事などの事実を記す日誌、それに感想などを加えることで、日記が誕生する。まずは日誌をメモすることであり、そのためには手帳が一番いい。
あるテーマで本を書くとどうなるか。そのことによってテーマが深まり、次の書くべきテーマがみえてくる。それが積み重なってライフワークになることもある。
もう一つは、書いたことによって興味がなくなることがある。本を書くということは、知っていることを書くというより、よく知ろうとして、あるいは課題を解決しようとして書くのだ。だから解決してしまえば、興味が失せることもある。「手帳」をめぐる散策は、私の場合は、随分前に終わっている。
知的ライフスタイルを確立した後に、人はライフワークに向かうのである。
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ヨガ教室で1時間。
土曜日は近所の今年の桜を満喫した。
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「名言との対話」4月6日。京唄子「おもろい夫婦」
京 唄子(きょう うたこ、1927年〈昭和2年〉7月12日- 2017年〈平成29年〉4月6日)は、女優・漫才師である。享年89。
京都市西陣出身。本名は鵜島ウタ子。宮城千賀子劇団をへて瀬川伸子劇団にうつり、同劇団で鳳啓助と出会い、結婚。1956年にコンビをくんで漫才で人気が出た1965年の離婚後もコンビをつづけた。1969年から1985年まで16年間にわたり放送された人気番組だったフジテレビの「唄子・啓助のおもろい夫婦」の司会で高い人気をえる。毎回2組の年配の夫婦を招き、苦労話などを二人がインタビューする、泣き笑いのある番組だった。二人の結婚と離婚、そのネタでも笑いをとっていた。
エンディングにはテロップで「夫婦、不思議な縁で結ばれし男と女。もつれ合い、化かし合い、許し合う、狐と狸。夫婦、おもろきかな、おもろきかな。この長き旅の道連れに幸せあれ…。」が流れた。これは啓助の詩である。私もテレビでよく見かけている。
その他、女優の京唄子では、中学、高校時代の私の記憶にあるのは藤田まこと主演の人気コメディ「てなもんや三度笠」だ。唄子はスリの姉御お銀を演じていた。子分の千太は鳳啓助。旅して歩くスリのコンビ。お銀は口が大きいのをネタにされているが、大口開けて嵐を起こしたこともあり妖怪呼ばわりされてしまうという役柄だ。
大きな口と大きな帽子がトレードマークで、「私は仕事が好き 手を抜かず何事も一生懸命やる」ことを信条としていた唄子は日本テレビの芸人オーディション「お笑いスター誕生!!」では審査員としてのコメントは辛口だった。
NHK「あの人に会いたい」の映像では、「人と人との出会いの尊さ。皆さんとの出会いを大事にしたい」と語っている。
1994年、鳳啓助が死去した際には「一緒にいたときは食べられないこともあったけど、思い出すのはいいことばかり。元気でいてくれたら良かったのに。やっぱり早かった」とコメントし「もう一切、漫才はやりません」と漫才の封印を誓っている。
2008年に「上方演芸の殿堂」入りをする。「表彰は身に余る光栄。亡くなった啓助さんも喜んではると思います」と語った。
京唄子は4度結婚しているから、ファンも含めて出会いは多かったが、やはり最高の出会いは、私生活もそうだが、仕事の相棒としての鳳啓助だったのだろう。二人は結婚し、離婚する。しかし、仕事のコンビは解消せずに、二人で大きく育っていく。まさに「おもろい夫婦」であった。