始まったばかりの朝ドラ「寅に翼」の主人公は、日本初の女性弁護士・三淵嘉子。「女性初」というキーワードで、人物を探してみることにしました。みな、ガラスの天井をうち破った人。三淵を入れて50人。
二階堂トクヨ:日本最初の女子体育専門学校(日本女子体育大学)を創設。
佐藤千夜子:日本人レコード歌手第一号。「波浮港」。
田部井淳子:女性で世界初のエベレスト登頂に成功。女性世界初の6大陸最高峰征服。
大関早苗:女性におしゃれの仕方を教える学校(東京チャームスクール)を開設。
向井千秋:日本女性初の宇宙飛行士、日本人では3番目。
荻野吟子:日本最初の女医。
樋口久子:全米女子プロ選手権を制したゴルフの女王。
吉永みち子:女性競馬記者第一号。『気がつけば騎手の女房』で大宅賞。
杉野芳子:日本初のファッションショーを開催。ドレスメーカー女学院。
徳永恕:日本で最初の母子保護施設を創設。「母の家」。
藤原あき:タレント議員第一号。
吉沢久子:家事評論家第一号。
野田愛子:女性初の高等裁判所長官。札幌高裁長官。
中根千枝:東大初の女性教授。『タテ社会の人間関係』。
緒方貞子:女性国連公使第一号。
桂由美:日本初のブライダル専門店を設立。「桂由美ブライダルサロン」
黒柳徹子:史上最大のベストセラー作家。『窓ぎわのトットちゃん。』。
小林則子:日本女性初のヨット太平洋単独横断成功。
和泉雅子:日本女性初の北極点到達者。
奥むめお:主婦連を創立した婦人運動家。
松井須磨子:レコードヒット歌手第一号・発禁レコード第一号。「カチューシャの唄」。「今度生まれたら」。
岩崎恭子:リンピック史上最年少金メダリスト。バルセロナ五輪女子200m。
浅賀ふさ:日本最初の医療ソーシャル・ワーカー。
太田朋子:女性初の学士院賞受賞。
伊藤みどり:世界女子初のトリプルアクセル成功。ジャンプの女王。
伊達公子:日本女子プロテニス史上初の世界トップ10入り。4位。
前畑秀子:日本女性初の五輪金メダリスト。ベルリン五輪。日本女性初の米国水泳殿堂入り。
岡本綾子:日本人初の米国ゴルフツアー賞金女王。
田中絹代:日本初の女性映画監督。
保井コノ:女性博士第一号。
黒田チカ:日本初の女性理学士。女性2番目の理学博士。
中山マサ:女性大臣第一号。厚生大臣。
高橋久子:女性最高裁判事第一号。
江上トミ:日本初のテレビ料理番組に出演。
松永はつ子:日本初のトイレ壁画デザイナー。
今きいれ教子:日本女性初のヨット単独無寄港世界一周成功。世界2番目。女性で世界初の「単独太平洋往復横断航海に成功。
以上、『県別 はじめて人物伝』(河出書房新社編集部編。1997年刊行)より。
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午前:図解塾の準備
平野啓一郎『三島由紀夫論』を巡って、島田雅彦、白井聡。(エア・レボルーション)。『People』2月号。
夜:デメケンミーティング。
「アクティブ・シニア」編集会議
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「名言との対話」4月8日。植田康夫「どんな場所でも自分の書斎に変えられるということのほうが大事なのではないでしょうか」
植田 康夫(うえだ やすお、1939年8月26日 -2018年4月8日)は、日本の編集者、ジャーナリスト。享年78。
上智大学文学部新聞学科卒。「週刊読書人」勤務。編集長、取締役、退社。上智大学文学部新聞学科助教授、教授。取締役『週刊読書人』編集主幹、編集参与、代表取締役社長、顧問。上智大学名誉教授。大宅壮一・東京マスコミ塾の第一期生で、後に大宅壮一文庫の副理事長もつとめている。
1983年に私の所属する「知的生産の技術」研究会で『私の書斎活用術』という本を編んだことがある。16人の知的生産者の取材報告だが、「子供部屋との兼用書斎で執筆を続けるタフガイ」というタイトルで当時は毎週月曜日発行の『週刊読書人』勤務で、上智大学で非常勤講師の42歳の植田康夫を紹介している。
「限られた時間、限られた空間に負けることなく、敢然と知的生産に挑む姿には心底尊敬の念を抱いた。サラリーマンをやりながら、これほどの活動を行う人がいるのだから、時間がないとか、書斎がないとかいうのは言いわけにすぎないことがわかる。全国のサラリーマンよ、植田氏を見習おうではないか。」(1981・8・29)。これは取材後の感想である。2DKの6畳を娘と併用。通勤電車の中で原稿を書く。足を進行方向に向けて160度開いて固いノートを台にしてボールペンで書く。その姿を実演してもらった。その後、私も試してみた。年中無休で朝6時から2時間執筆する。これが縁で『週刊読書人』に書評を頼まれて「副業、複業」をテーマに書いたことがある。
手にした植田康夫編『読書大全』(講談社)は、『週刊読書人』の創刊25周年企画で過去の「読書論」を編集した本だ。五味康介、高田宏、尾崎秀樹、水田洋、、などの小論を読んでみた。
『編集者になるには』(ぺりかん社)では、出版は「人間的な全的な活動」を開花させる仕事であるから、覚悟があるなら小さな出版社で仕事をすることをすすめている。また編集者を志すなら布川角左衛門『本の周辺』の最終章「編集者という仕事」を読めという。芸術家、職人、実務家の才能の統一が編集者という論考である。
2014年の日本作家クラブ主催の小中陽太郎先生の『翔べよ!源内』(平原社)が第一回野村胡堂文学賞の受賞し、その祝賀パーティで久しぶりにお目にかかった。週刊読書人の社長という名刺をもらった。
どこでも書斎として活用せよという植田康夫は「時間の使い方は、時間の制約のある勤め人の方がうまい」「会社の仕事と、物書きとしての自分の仕事とを関連づけるようにしています」などと語っていて、30代に入ったばかりの私は影響を受けている。
植田康夫の生涯を眺めると、テーマが一貫していること、そして関わった組織などと長く誠実に付き合っていることが印象的だ。夢は明治以来の編集者の歴史をたどり、書籍と雑誌双方の編集の方法を体系化したい、だった。
それは、『出版の冒険者たち。 活字を愛した者たちのドラマ』(水曜社)という死去する2年前の著作になったのだろうか。