夜:福祉図解塾の第1回。午後:同窓会(JAL)。午前:平松礼二展(横浜そごう)

夜:福祉図解塾の初回を開催した。参加した塾生は7名。神奈川、千葉、京都、岡山、などからの参加。児童福祉関係者を中心に、高齢者福祉、キャリアコンサルタント、塾を経営する大学院生など。

総論の講義と簡単な実習を行った。宿題は「私の仕事」の図解。

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以下、塾生の学びから。

  • 久恒先生、ありがとうございました。そして、皆さんもご参加いただき、ありがとうございました。無事に開催できたこと、とても嬉しいです。引き続きよろしくお願いいたします。全体像がわからないから、わかっているようで、説明できないというお話はそのとおり過ぎて、刺さりました。図解はごまかせない、図解は鳥の目、図同士の関係性、構造の理解、図解は個性。図解にまつわる大切なキーワードをたくさん学べました。そういえば、最近、手書きをしていないことに気づきました。体を使うことの大切さがわかりました。鉛筆探して、丸と矢印でどこまで表せるのか課題に取り組もうと思います。作った図解をもとに福祉関係の人達と対話ができるようになりたいです。
  • 福祉図解塾始まりました。2月の蜃気楼大学に久保さんに誘われ、久恒先生に知り合えたのがきっかけで、半年も経たないうちに仲間を集めて福祉図解塾がスタートできたことをとても感慨深く思うのと同時に、久恒先生のやってみようというエネルギーと、企画して実行する久保さんの実行力、図解の有効性を理解して集ってくれたメンバーの皆さん、この学びを得る機会もらい感謝の気持ちです。第2回が7/16、以降8/6、8/20、9/3、10に予定されているので、なんとか仕事を調整して、しっかり宿題にも取り組んでいきたいと思います。 今日の福祉図解塾は、前半は久恒先生から図解についての講義でした。図解塾にも参加している私は度々耳にするキーワードもありましたが、特に「完璧な図解は反発を招く」「図解して理解を得るには、作図の過程に一緒に参加してもらうことが大切」という言葉が印象的でした。厚労省やこども家庭庁による行政説明の図を見ていると、どこか自分のところとの実情とズレに着目してしまったり、何か押しつけられているような不快な気持ち抱いたりしたことがあり、理解を得るには一緒に作るプロセスが必要なことを学びました。また、「図は相談者と一緒に可視化できる。ホワイトボードやA4の紙に書いた図を見ながらの対話や、同じ方向を向きながらの作業がとても意味がある」と先生が話されたとき、久保さんや渡邊さんをはじめ多くの児童相談所の職員が実践している、3つの家の絵(図)を書いて、相談者と一緒に作りあげていくサインズオブセーフティの技法とイメージが重なり、関係性の『やじるし』が加わったらバージョンがアップするのではと感じました。「物事の理解には、部分理解、全部理解、があり、さらに関係性が理解できると説明ができるようになる」先生の講義で度々耳にするキーワードは、その場で一瞬理解したような気持ちなるのですが、図解論を図解できない現状から見て、未だ理解が遠く及ばないことを実感します。後半は演習で、用紙の中心に自分の円を書いて、仕事について説明する課題に取り組みました。はじめは組織図的に横に広がりそうになりましたが、私の周りにいる登場人物や仕事の内容、関係組織を「⇒」で繋いでいる内に、上にも下にも自然と展開していきました。繋いだ先の手前に加筆したり、奥にも仕事のテーマが出現したりして、頭の中にある材料が「⇒」を繋ぐことで導き出される体験をしました。消しゴムの消しカスが多くでている状況は良いと先生に言ってもらい、自分の思考を図解化ようとした跡というか、表現しようとあがいている軌跡が消しゴムカスに現れていると感じました。まずは、PowerPointなどをつかわずに「手書きで書くことは身体全体をつかって考える事」という意味を少し実感しました。
    最後に、前半の講義の中で、AIによる、図解塾の塾生のコメントの要約はとても興味深く、日頃の蓄積を解析して要約することは、AIの有効性を今更ながら目の当たりにしました。図解とは直接関係ないですが、こういった技術に触れた瞬間のインスピレーションはとても新鮮で印象に残ります。例えば、これからの面接記録はその場で文字興しして要約したモノを残すことで、業務は著しく改善されることが期待できますし、児童相談所の会議、リスクの捉え方も変わってくるでしょう。福祉図解塾を通して、図解だけでなく、様々なインスピレーションを得る機会に次回以降もなればと思っています。
  • 福祉図解塾(初回)に参加した。お題は、「私の仕事」を全く知らない人に説明する、図を作る。マルと矢印で図解する。日本語で。俯瞰する。鉛筆で手書き。何度も消しては描いてを繰り返す。描きながら分かってくるところがある。箇条書き的にマルを出して、矢印で関係を結ぶ。すると構造(全体)がどんどん見えてくる感じ。部分最適から全体最適へ。サイモンシネックのゴールデンサークルが頭に浮かぶ。〔なぜ→どのように→何を〕方向を変えて〔何を→どのように→なぜ〕考える。深みにハマってくる。まさに脳に汗をかきながら、全身で考える感覚体験だった。
  • 本日は、福祉図解塾に参加させていただき、先生、久保さん、皆様ありがとうございました。自己紹介を通じて、福祉に関する多様な専門分野を持つ方々が集まっていることを知り、これからの意見交換がとても楽しみになりました。今回の図解塾で特に印象に残ったのは、円と矢印だけで全てを表現する図解の基本技術です。 この方法を用いることで、誰でも一定のレベルに達することができると実感しました。また、図解を用いることで、文章よりも視覚的に伝わりやすくなり、相手に理解してもらいやすくなることを学びました。全体像を俯瞰し、構造を視覚化することの重要性を改めて感じました。図解を通じて、複雑な関係を理解しやすくし、人にわかりやすく伝えることができると感じました。福祉の現場における多様な課題を明確にし、解決策を見つけやすくなると感じました。今回の図解塾では、実際に手書きで図解を作成する演習がありました。テーマは「自分の仕事」についてでした。私は認知症グループホームで介護支援専門員と介護職として勤務し、認知症介護指導者としても活動しています。今回の演習では、私の仕事内容と利用者・ご家族の関係を図解にして描いてみました。→の方向性や矢印を使って関係性を視覚化すると、全体が俯瞰できるようになり、日頃気づいていなかったことにも気づくことができました。仕事内容を説明するのが難しいと感じていましたが、図解を使うことでわかりやすく伝えることができると感じました。次回の講座では、今回の演習で描いた内容を説明する宿題が出されましたが、図解を用いることで少しでもわかりやすくお伝えできればと思っています。図解は、パワーポイントでまとめるのではなく、手書きで全身を使って情報を整理することで理解しやすく、記憶にも残りやすいことがわかりました。これからは手書きの図解を多く描いて練習し、図解力を高めていきたいと思います。全体を視覚的に理解し、物事の全体像を把握し、それを効果的に伝える能力は、どの分野においても重要であると感じました。次回の福祉図解塾も楽しみにしております。ありがとうございました。
  • 大切な初回をカメラオフになってしまい申し訳ございませんでした。今後ともよろしくお願いします。児童相談所の前はとある児童養護施設に勤めていました。そこでは「共に住まう」ということを大事にし、子どもも大人も共によりよく生きていこうよ、ということを目指し、制度や枠にとらわれない「くらし」を追求していました。いくら海外の施策を学んでも、ここは日本であること、福祉の業務に就く私にも自分の家庭があり、家族がいて、よりよく生きるためにはどうしたらいいのかを考えている、社会を構成している1人なのだと改めて感じました。自分の生き方を俯瞰してみることで、どうあるべきか、何をしたいのかがはっきり、クリアに見えてくるようにも感じました。今後ともよろしくお願いいたします。
  • 本日は第1回目で、図解は関係学だと言われたのがすごく心に残りました。そして、手で描くことが考えるための大切なことだと・・ついパソコンで作成してしまいがちだけれど、一生懸命描くことが大切なことを今日の最後のワークで実感しました。消しゴムで消すのは大変だけれど、より自分の思っているものに近づけようと思うとやっぱりゴシゴシ消して書き直すことをしていくなぁと思いました。 自分の仕事を説明する図を描いたつもりだったけれど、よくよく見てみると、これは仕事の説明なのか??単なる組織図的なものなのかもしれないと思ったら分からなくなりました💦でも、面白いと思いました。
  • 初回の図解塾お疲れ様でした。そしてありがとうございました。久恒先生の「図解は関係学である」という言葉が印象的でした。他にも、、、考えることは関係を考えること。 図解は全体の「構造」と部分同士の「関係」を考えること。図解思考があると良きリーダーになれる。などなど、図解とは何ぞやというまさに「図解の概論」を学ぶことができました!あとは、仲間づくりでも図解は使えるなと思いましたので、早速 仲間に共有しました◎プロジェクトで活用しようと思います。
     
     
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昼:JAL時代の同窓会(客室)。横浜の相鉄ジョイナスのライオン。

左から、望月、環、堀、私。

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朝:横浜そごうの美術画廊「平松礼二」展。絢爛たる画風で、心が豊かになる。販売額は、数百万からで、最高額は大型の屏風の2000万円。

富士山、ジベルニーの庭園など。飛鳥Ⅲでも洋上美術館を開催するとのこと。

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日本画家・平松礼二については、湯河原町立美術館の平松礼二館。平松礼二アトリエを訪問したことがある。また箱根の成川美術館の企画展で何度か見たことがある。

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「名言との対話」7月2日。桂歌丸落語を残すのは落語家の責任。落語のお客様を残すのも落語家の責任」

 歌丸(かつら うたまる1936年昭和11年〉8月14日 - 2018年平成30年〉7月2日)は、日本落語家。本名は椎名 巌(しいな いわお)。享年81。

神奈川県出身。小学校4年生には落語家になると決めていた。中学時代に5代目春風亭柳昇の落語を聞き、決意を固める。

中学3年生時に古今亭今輔に入門、その後に四代目桂米丸門下になる。1964年に桂歌丸に改名。落語芸術協会第5代会長。

1968年の「笑点」のテレビ放送開始から大喜利の回答者であったが、五代目三遊亭円楽の後を受けて、半世紀以上の長寿の人気番組「笑点」の三遊亭円楽の降板後の2006年の70歳から第5代司会者として活躍した。歌丸は茶の間の人気者であった。

私もこの人の味のある笑いを長い間楽しんだ。歌丸は2016年に80歳での「笑点」引退後には、終身名誉司会の肩書きをもらっている。この功績で2016年に文部大臣表彰を受けている。

2018年にテレビで死去のニュースを聞いたのは、旅行中の広島県厳島だった。翌日の朝日新聞では、一面には逝去の記事と天声人語での紹介、そして社会面には評伝が載っていた。また、黒柳徹子の「徹子の部屋」は緊急追悼番組で、1982年の46歳時の放送から、49歳、56歳、66歳、69歳、76歳、78歳、そして2016年の80歳までの7回の映像を流していた。

大喜利歌丸で終わりたくない。落語家になりたい」と志した桂歌丸は、40歳前後から古典落語に身を投じ、江戸・明治期に活躍した名人である、落語中興の祖・三遊亭円朝作の長尺の怪談、人情噺を現代に蘇らせた。

今回は「ユーチュブで「紙入れ」を聴いた。川柳と落語は縁が深いとして、いくつか紹介している。「町内で知らぬは亭主ばかりなり」「間男と亭主抜き身と抜き身なり」「間男は亭主の方が先に惚れ」などを落語の枕に使うそうだ。

その結果、最終的に「笑点歌丸」から、「円朝物の歌丸」になった。「慌てず、急がず、自分のペースで」、自分の道を歩いた勉強家である。長編落語には体力が要るが、最後は36キロまで体力が落ちていたことを最後の映像で語っていた。大変だったろう。

この映像の中で、噺家歌丸で終わりたいと語って生涯現役を貫た歌丸は「落語を残すのは落語家の責任。落語のお客様を残すのも落語家の責任」と言う。この言葉には納得させられた。

大きく成功しても、それに甘んじることなく、自分は何を為すべきかを自分に問い、落語家として大いに意義のあるライフワークに邁進した。落語のすそ野を広げる30代から続けた「笑点」の顔と、青年期・壮年時・実年期を通じて取り組んだ「古典落語」の名人の二刀流の落語家人生だった。この落語家の目標は真の落語家になることだったのだ。