午前は自宅でリモート会議。午後は、新宿(橘川幸夫)、有楽町(渡辺幸裕)。

9時半:「人物記念館ミュージアム」のHPの打ち合わせ(リモート)。

15時:新宿「らんぶる」で橘川さんと打合せ。構想が進展。

16時:有楽町の「帝国ホテル」17階でギリークラブの渡辺さんと情報交換。ここは本当に久しぶり。帝国ホテルは、タワーから順次、建て替えをする。

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  • 都心の往復でNHKラジオ「昭和人物誌」で、「片岡球子」①②と「棟方志功」①②を堪能した。片岡球子の「面構え」シリーズは歴史上の代表的日本人を対象とした人物探求なのだ。賑やかな富士山を描く作品群は、富士という山の面構えを毎回違う姿で描いた作品ともいえる。棟方志功の人物の魅力は無邪気にまっしぐらに突き進む人柄だ。そして版画作品は、日本への回帰がもたらしたことによる成功だった。
  • 帰宅後、昨日の「アクティブ・シニアの時代」の動画を観る。

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「名言との対話」8月27日、松山善三名もなく貧しく美しく

松山 善三(まつやま ぜんぞう、1925年4月3日 - 2016年8月27日)は映画監督、脚本家。享年91。

神戸で出身で横浜で育つ。1948年、助監督公募に合格して松竹大船撮影所助監督部に入社する。鈴木清順監督は同期である。1950年の『婚約指輪』で木下監督につき、次の『カルメン故郷に帰る』からは、シナリオの口述筆記に携わった。

 『旅は道連れ 雪月花』の「追記ー亡き父・松山善三に捧ぐ」には「本来は幸せになれないはずのカリスマの女(高峰秀子)を、幸せにしたのは、松山善三である」との長女の言葉がある。

脚本家・映画監督の松山善三は、一歳年上の大女優・高峰秀子の夫であり、本人の言にあるように婿同然に高峰の家に転がりこんだ。「人間は一人では、生きることも死ぬこともできない」と思っていた女・道産子と、男・浜っ子の結婚である。

 「彼女は、一か八かで僕を選び、僕は恍惚と不安の中で、うなずいた」と松山はこの本で述べているから、高峰が積極的だったのだろう。映画スターと助監督の結婚である。

高峰秀子は天才子役スターから始まり、木下恵介小津安二郎など日本映画界の巨匠の作品に数多く出演。女優引退後はエッセイストとして活躍した。『わたしの渡世日記』では第24回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しているほどの名手でもあった。その妻によれば、「ひどい偏食男」「独断と偏見の人」「日に3回入浴する、こまめに着替える」「呑べえ亭主」「物書きのはしくれ」となる。食いしん坊の二人は、余裕のできた中年以降、無理なコースはとらないこと、最高のホテルに泊まること、美味しいものを食べること、という3つの条件を課した旅を敢行する。

妻が偉大であったので、夫の紹介を忘れるところだった。助監督、調音、照明、美術などの着の木下恵介監督の撮影チームは木下組と呼ばれていた。これが木下学校と呼ばれるようなった。こ木下恵介監督の学校からは、「名もなく貧しく美しく」「われ一粒の麦なれど」の松山善三監督、「秋津温泉」「戒厳令」の吉田喜重監督、「岸辺のアルバム」「ふぞろいな林檎たち」の山田太一監督らが出ている。高峰秀子は、木下監督のお気に入りだったのだ。

松山は成瀬巳喜男監督の『娘・妻・母』、川島雄三監督の『接吻泥棒』、渋谷実監督の『好人好日』、小林正樹監督の『あなた買います』など多数の脚本を手がける。 1961年、若くして結婚した聴覚障害者の夫婦の第二次世界大戦末期から戦後にかけての生活を描いた『名もなく貧しく美しく』で監督デビューする。この作品は、毎日映画コンクールブルーリボン賞脚本賞を受賞する。その後も、『ふたりのイーダ』、『典子は、今』などの話題作を監督する傍ら、『人間の條件』『人間の証明』、『恍惚の人』、『親分はイエス様』のような大作、話題作の脚本もこなし続けた。

松山は1951年、木下恵介の監督映画『善魔』に、後の三国連太郎を推薦、三国は28歳でデビューし、役名の「三國連太郎」を芸名にする。

この本では、京都、東京、金沢、札幌、熱海、神戸、小豆島・広島、博多などの出色の紹介がある。松山によれば、京都は「うまいものが、数限りなくあり、集まり、それが四季それぞれの特色を見せて旅客を楽しませてくれる。、、世界一と言ってもよい」、東京は「東京の面白さは、、、日本全国から、ごった煮のように集まった人間そのものをみることだ」「東京には世界中から、うまいものが集まってくる」ところだ。

代表作となった1961年の『名もなく貧しく美しく』は松山のデビュー作だ。戦争末期から戦後にかけての聴覚障碍者夫婦が主役の作品である。主演は妻の高峰秀子だ。主演は毎日映画コンクールブルーリボン賞脚本賞を受賞した名作だ。あいまいだが、この映画は私も子ども時代に母に連れらて観たような記憶がある。

名もなく貧しかった松山善三は、仕事では名をなし豊かになり、そしておしどり夫婦という美しい生涯を送り、先に逝った妻のもとに帰ったのである。

旅は道づれ雪月花 (中公文庫)