横浜そごう美術館の「ミュシャ展 運命の女たち」。2017年5月の国立新美術館の「ミュシャ展」に続き2度目のミュシャ。今回は畢竟のライフワーク「スラブ叙事詩」に焦点をあてて鑑賞した。
「あるゆる国民の進歩は、それぞれがそのルーツから生命体のように絶え間なく成長して初めて可能となる。その絶え間ない成長を確実なものとするには、過去の歴史を知ることが不可欠である」(1928年に「スラヴ叙事詩」がプラハで公開されたときのミュシャの言葉)
アルフォンス・マリア・ミュシャ(Alfons Maria Mucha、1860年7月24日 - 1939年7月14日)は、チェコ出身のグラフィックデザイナー、イラストレーター、画家。
ミュシャはチェコのモラヴィアに生まれ、28歳でパリにでて大女優・サラベルナールノデザイナーとしてパリでアール・ヌーボーの旗手として栄光に包まれる。1904年、40歳のミュシャは「私は自分を才能をいかに浪費してきたかに、また本来我が民族のものであるべきものをいかに浪費してきたことに気づいた。、、、私の残りの人生をひたすら我が民族に捧げるという神聖な誓いをたてた」。スメタナの「我が祖国」」を聴き、50歳で故郷に帰り、16年間かけて「スラブ叙事詩」という超大型の連作画20枚を完成させる。
オーストリア(ハプスブルク帝国)、オスマン・トルコなどの支配下にあった東欧諸国が「スラブ」の旗印のもとに団結したのが「汎スラブ主義」で「大スラブ国」の建設が夢であった・ドイツを中心とする汎ゲルマン主義に対抗するものであった。ミュシャは熱烈な汎スラブ主義者だった。slave(奴隷)に由来しているとういう説もある。
歴史画では構図、構成力が重要だ。「スラヴ叙事詩」では多焦点構図を採用している。
1「故郷のスラヴ人ートゥラン人の鞭とゴート族の剣の間で」。2「ルヤナ島のスヴァントヴィト祭ーー神々が戦う時、救いは芸術にある」。3「大ボヘミアにおけるスラヴ的典礼の導入ーー母国語で神をたたえよ」。4「ブルガリア皇帝シメオンーースラヴ文学の明の明星」。5「ボヘミア王プシェミスル・オタカル2世ーースラヴ王朝の統一」。6「セルヴィア皇帝ドゥシャンの東ローマ帝国皇帝即位ーースラヴの法典」。7「クロムェジーシュのヤン・ミリーチーー尼僧院に生まれ変わった娼家」。8「グリュンワルの戦闘の後ーー北スラヴ人の団結」。9「ベトレーム礼拝堂で説教するヤン・フスーー真実は勝利する」。10「クジーシュキでの集会ーープロテスタントの信仰」。11「ヴィートコフの戦闘の後ーー神は権力でなく真理を伝える」。12「ヴォドニャニのペトル・ヘルチッキーーー悪に悪をもって応えるな」。13「フス教徒の国王ポジェブラディのイジーーー条約は尊重すべし」。14「クロアチアの指令官ズリンスキーによるシゲットの防衛ーーキリスト教世界の盾」。15「イヴァンチッチェでの聖書の印刷ーー神は我らに言葉を与え給うた」。16「ヤン・アモス・コメンスキーーー希望の灯。17「聖山アトスーーオーソドクス教会のヴァチカン」。18「スラヴの菩提樹の下で誓いを立てる若者たちーースラヴ民族の目覚め」。219「ロシアの農奴解放の日ーー自由な労働は国家の基盤である」。20「スラヴの歴史の神格化ーー人類のためのスラヴ民族」。
ライフワークとは何か。ミュシャの生涯はそれを教えてくれる。スラヴの中心はチェコとポーランドとセルビアだ。ヤン・フスという宗教家も調べたい。
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午前・ヨガ:1時間
午後・ジム:ストレッチ、ウオーキング35分、筋トレ、バス。2時間。
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「名言との対話」12月17日。岸田今日子「妻になっても人は変わらないけど、母親になると変わると思う」
岸田 今日子(きしだ きょうこ、1930年4月29日 - 2006年12月17日)は、日本の女優、声優、童話作家。
父は劇作家で文学座創設者の岸田國士、母は翻訳家の岸田秋子。姉は詩人で童話作家の岸田衿子、従弟に俳優の岸田森がいる。俳優の仲谷昇は元夫。
自由学園高等科を卒業。1950年に文学座の「キテイ颱風」で初舞台。1960年、三島由紀夫演出の「サロメ」で主役に抜擢される。1962年「破戒」などで毎日映画コンクール助演女優賞、1964年の主演映画「砂の女」でブルーリボン助演女優賞を受賞。1969年からアニメ「ムーミン」の主人公の声を担当し、ドラマ「大奥」のナレーションも務める。映画「八つ墓村」やドラマ「傷だらけの天使」で独特の存在感を示す。1994年に紫綬褒章を受章。1999年に紀伊国屋演劇賞個人賞。晩年は九条の会の他、「イラク攻撃と有事法制に反対する演劇人の会」に参加するなど、護憲運動に関わった。
女優としての独特な存在感のある演技には私も何度も接している。どんな役でもこなすため「怪優」という人もいた。「人間の記録「岸田今日子」を読んでみたが、父や母など家族の断片的な思い出、谷川俊太郎や三島由紀夫などの人物評、日常のエッセイが多かった。
NHKアーカイブ「あの人の会いたい」では、久しぶりに顔と声をみた。舞台ではキツネつきのように、何かがつくことがあるという。ある一言からイメージが広がっていくのだそうだ。「演じるとは飛び込むことだと考えていた時期もあったが、いまは裸になることじゃないかなと」と語っているのが印象的だった。
「あたし、魔女の役がやりたいわ。人間は楽しくないもの」といったこの女優は俳優の中谷昇との結婚生活では何もしない妻だったようで離婚したが、子どもが生まれて母となってからは変わっていったと、中山千夏、富士真奈美との3人の「井戸端会議」で語っている。怪しげな雰囲気、不思議な存在感、独特の個性、謎めいたセリフまわしのこの女優は、母となって演技も変わっていったのだろうか。 1998年に日本エッセイスト・クラブ賞を獲った、67歳の時のエッセイ「妄想の森」を読んで確かめたくなった。