東京MXテレビ「寺島実郎の世界を知る力」ー今月の世界。日本の経済・政治・宗教。

東京MXテレビ寺島実郎の世界を知る力」(20日)。

今月の世界

  • IMF予測:2023年のGDP:米「減速」。EU「失速」。日「減速」。ロシア「低成長弱体化へ」。中国「半減」。アセアン5「5%」。インド「6.1%」。
    2050年の世界:GDP比率:米22%。アジア33%。日3%。日本の貿易:米12%。中国25%。アジア54.2%。
  • アメリ中間選挙民主党善戦。マイノリティ・女性(中絶)・若者。青いアメリカ(東西の海岸線)がビジネスセンター。活力は若い経営者(マスク51歳、、)と多国籍軍(ジョブスの父はシリア人、ザッカーバーグユダヤ系、グーグルのピチャイはインド系)。トランプ現象は分断をもたらした。2040年には白人がマイノリティ。分断は続く、終わらない。中南米もピンク一色に。平均寿命:白人米国人76.4歳(2歳減)。ヒスパニック77.7歳。アジア人81.5歳。日本人84.5歳。
  • 中国は習近平第三次政権。習近平と6人の小人たち(全員が漢民族)。「社会主義的現代化強国」「中華民族の偉大な復興」。成長力の鈍化(3%台)と不動産バブルの崩壊。7000万人の華人・華僑の失望が足かせに。毛沢東には周恩来がいた。苦闘する中国へ「国際の利害調整」「国内は不安定」。苦しむだろう。

日本の経済

  • 日本の埋没:GDP比率:1994年17.9%。現在4.2%へ。一人当たりGDP:世界27位(アジア4位)から2021年は世界30位(アジア5位、台湾に抜かれる)。アジアの先頭ではない。
  • 異次元の円安:企業・不動産・水のバーゲンセール。安きに流れた。規律と金利体系の連動が大事。健全な財政と国力、経済力は連動している。

日本の政治

経済と宗教

  • 日本のピークは1990年代(1994年17.9%。1997年所得がピーク)。1980年代末から90年代にかけて霊感商法合同結婚式。1995年の地下鉄サリン事件。宗教をめぐる不可解な事件。21世紀に入って、9・11、3・11、コロナ、ウクライナ戦争で、心のレジリエンス(耐久力)が問われている。
  • 日本総研「幸福度ランキング」の6回目。北陸3県が上位。東京3位。日本海側が上昇してきている。アジアとの物流と相関。

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昼間:今日は孫娘の小学校の発表会で有明ガーデンと豊洲。東京ガーデンシアター(8000人収容)。

夜:参加型社会学会ミーティング。力丸さんとのミーティング。深呼吸ゼミのミーティング。ZOOMでそれぞれ30分。

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「名言との対話」 11月21日。三原脩「覇権を握るのは難しい。覇権を持続することはさらに難しい。しかし一度失った覇権を奪回することはさらに難しい。」

三原 脩(みはら おさむ、1911年11月21日 - 1984年2月6日)は、プロ野球選手監督球団経営者

香川県仲多度郡神野村(現:まんのう町)出身。選手の調子・ツキを見逃さない慧眼の持ち主で、周囲の予想を超える選手起用・戦術で知将とも呼ばれたプロ野球の監督である。

セ・パ両リーグで日本シリーズ制覇、3球団での優勝、監督として最多の3284試合の采配という記録の持ち主である。だが、三原は記録よりも記憶に残る監督だった。

攻守走の三拍子そろった選手ではなく、代走、代打、など一芸に秀でた「超二流」を縦横に使った采配が見事であった。アテ馬偵察メンバー)やワンポイントリリーフなどの発明者であり、アイデアマンであった。こういう人であったことから、三原には名言が多い。

「野球は筋書きのないドラマである」

「監督はゲームに勝てる雰囲気を醸成し、技術・精神をつねに調整するいわばエンジニアである」

「タイプの違った二人の選手の長所をうまく組み合わせて起用すれば、一人のスーパースターに匹敵する戦力が生まれる」

「弱小チームを強くするのは男子の本懐である。ただし、チームを強くするのは監督ではなく、球団の姿勢だ」

野村克也『私が選ぶ名監督10人 采配に学ぶリーダーの心得』(光文社新書)を読んだ。名監督野村が評価しているのは、三原水原茂鶴岡一人川上哲治西本幸雄の5人だけである。10人の監督の中で三原は「情感」で選手を動かす監督に分類されている。野村によれば、三原は「人心掌握術」と「采配や選手起用の引き出し」が多くあった。世間からは「三原魔術」「三原マジック」と呼ばれている。

三原を語るにはライバル水原茂を語らなければならない。二人は高松中学、早稲田大学出身の三原武蔵と、高松商業慶應出身の水原小次郎といわれた永遠のライバルだった。

水原の巨人監督に就任にもなって九州の西鉄に移り4年目でパリーグ優勝。その後、鉄腕・稲尾、中西・豊田・大下の強力打線で、3連敗後の4連勝で巨人に雪辱を果たし、3年連続日本一を獲得する。6年連続最下位だった大洋監督になると、1点差勝負に徹し、1年目で日本一になる。この業績で菊池寛賞を受賞している。近鉄監督時代には永淵、ヤクルト時代には外山を投打二刀流で起用して成功している。

三原・水原の二人の物語は、プロ野球ファンの注目の的だった。実力の拮抗した好敵手の存在があったため、覇権を握ってはすぐにライバルに追いつかれ、失った覇権を取り戻すにはそれまでの努力以上が要求される。近代以降の世界の歴史においても、「覇権」を巡るこの言葉は当てはまる。三原の多くの名言の中でも、ライバルとの「覇権」をめぐるこの言葉は、選手、監督、オーナーの世界を歩いてきた苦労人・三原のとどめの名言だ。

 

 

ユーチューブ「遅咲き人伝」、第22回「野上弥生子」をリリース。

ユーチューブ「遅咲き人伝」をリリース。

取り上げたのは小説家の野上弥生子。享年99。

https://www.youtube.com/watch?v=OuSlVfbSHWA

以下、野上弥生子の言葉から。

  • 「日本でも画家は七十八十でなほ本格的な仕事をすてないのに、文学者には一人もないなら、私がその一人になって見ようか。」(70歳)。
  • 「私は今日は昨日より、明日は今日よりより善く生き、より善く成長することに寿命の瞬間まで努めよう。」
    「書くまでは思いもつかなかった事が、書くあいだに順々に出て来て、こんな片々たるものでもよい思ひつきであったと自分で考へられる考へや表現がある。それでこそ執筆は怠ってはならない。書かなければ、現はれるものも、現はれないで終るのだから。」
  • 「一日のことは、その日だけに生じ、感じ、出逢ふもので、一生にもう一度といふことのないものだけ、どんな無為で変化のない日でも、その人にとっては大切なものと知っていながらこの怠りを繰り返すのは残念である」(38歳から62年間ほとんど毎日書いて1.9万枚で単行本63冊相当)
  • 「一日怠ればその日はただ水の泡として消え」る。

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・東京MXテレビの「世界を知る力」の内容は、明日記す予定。

・「図解コミュニケーション全集」第6巻の見本が到着。

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「名言との対話」11月20日。田嶋一雄「難有り有難し」

田嶋 一雄(たしま かずお、1899年11月20日 - 1985年11月19日)は、日本実業家ミノルタカメラ(現:コニカミノルタ)創業者。

和歌山県海南市出身。慶應義塾大学経済学部卒業後、日本電報通信社(現在の電通)に入社。関東大震災を機に、神戸市で父が経営する田嶋商店に入社した。1927年、父にすすめられて中近東、東欧への日本商品旅商団の一行に入り6カ月の旅に出る。行程終了後、同郷の日疋誠(仏国通商パリ支配人)を訪ねる。フランス第一の光学兵器会社を見学したとき、「光学兵器は難しく日本では作れない」と日疋から言われ、興味を持った。

帰国後、カメラ製造を決断し、「日独写真機商店」で操業を開始し、国産カメラの製造に取り組む。

1929年に第1号機「ニフカレッテ」、1931年に第2号機「ミノルタ」、そして1935年には国産初の二眼レフカメラミノルタフレックス」を開発した。1937年、千代田光学精工(株)に改組。戦時中は海軍士官用プリズム双眼鏡を製造。

1962年、アメリカ初の有人衛星に「ミノルタハイマチック」が搭載され、このカメラで写した地球の写真が世界中に配信されm宇宙を飛んだカメラになった。この年、ミノルタカメラ(株)に商号を変更した。田嶋光学機器(Machinery and INstruments OpticaLby Tshima)からMINOLTAと命名した。「稔る田」の意味も含んでいるそうだ。

1983年に会長となったが、開発の仕事は続けている。「ミノルタベスト」の試作機を問屋に持ち込んだ時には、誰もが「こんな常識はずれのものは売れませんよ」という態度であった。「売ってみなければわからないじゃないか」とたった一人が言ってくれて、後にこの製品はヒット商品となった。

1985年には世界初の本格オートフォーカス一眼レフカメラ「α-7000」を発売し、国内外で史上空前の売れゆきとなった。このカメラは私も購入し、子どもが小さかったこともあり、野外やプールなどで写真を撮りまくった。懐かしいカメラである。

田嶋一雄はカメラ以外にも、複写機、マイクロ写真機器などにも事業を拡大している。順調に成功したようにみえるが、さにあらず。座右の銘は「難有り有難し」であった。

難は困難ではなく、「艱難」である。襲ってくる艱難を必死で切り抜けてきたのだろう。そしていつか艱難はありがたい神からの試練であるというまでに至ったのだ。

「艱難」という言葉は、今では死語のようになっているように感じる。あまり使わなくなった。今までこの言葉を使った人を調べてみた。

  • 島津源蔵(島津製作所の二代目)は「事業の邪魔になる人」として「艱難に堪えずして途中で屈伏する人」をあげている。
  • 西郷隆盛「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕抹に困るもの也。此の仕抹に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」
  • 清水安三桜美林学園創業者)は「どんな艱難にあっても希望の光を灯し続ける心を育てる」ことを教育方針としている。
  • 土光敏夫経団連会長)「我に艱難を与えたまえ」
  • 森鷗外(文学者)「君も往きたまえ、艱難の道を」
  • 浜田耕作(京都帝大総長)「艱難は漬物の重しようなものでこれなくしては人間に味が出てこない」
  • 徳間康快(実業家)「人間的魅力だ。これさえあれば、あらゆる艱難辛苦は乗り越えられる」
  • 東郷民安(実業家)「艱難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ずることを知ればなり」
  • ヒュー・ミラー(独学の地質学者)「私が唯一正しい教えを受けたのは、世間という学校である。そこで艱難辛苦という厳格で高貴な教師にめぐりあった」
  • 高杉晋作「艱難を共にすべく、富貴を共にすべからず」
  • 教育勅語における修身の教科書「艱難汝を玉にす」

田嶋一雄の「難有り有難し」は、このような系譜の中にあるのだが、「有難し」の前にさらに「有り」をつけて、二重に有難がっているのが他の人にない特徴だ。どうしてそうなったのか、この人の伝記を読みたいものである。

 

 

 

 

北鎌倉で遊ぶ:円覚寺。明月院。息子夫婦と会食。

朝のヨガを終えて、北鎌倉で遊ぶ。

円覚寺。北条執権第8代の北条時宗の廟所。二度の元寇に際し、敵味方の区別なく数万の魂を救済した寺。開山は無学祖元。祖元は時宗を「此れ天下の人傑なり」と称賛。

円覚寺臨済宗鎌倉五山建長寺に次ぐ名刹夏目漱石の『門』の舞台。

現在の管長は横田南嶺。雑誌『致知』でいい話をする僧侶だ。この人の『禅が教える人生の大道』(致知出版社)を購入。


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明月院(紫陽花寺)。

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息子夫婦との久しぶりの食事会。「紫(ゆかり)」とコーヒー店


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「名言との対話」11月19日。今村善次郎「セメダイン」

今村善次郎(いまむら ぜんじろう 1890年11月19日ー1971年1月6日)は、発明家、経営者。

富山県高岡市出身。1907年、17歳で上京。仕事を転々としながら夜間中学を卒業した。1910年代に自分で製造した家具用ワックスや靴墨、またイギリス製のメンダインを販売していた。今村は「国産の接着剤」をつくりたいと、このメンダインに対抗してチューブ詰めの化学のりの開発を試みて、1923年に成功した。日本初の合成接着剤として製造販売を開始した。セメダインAは耐水性と耐熱性に弱点があり、研究開発に明け暮れて、1938年に「セメダインC」を発売する。当時、子供たちの間に模型飛行機ブームがあり、その接着剤として売れ行きも良かった。家庭用の黄色いチューブで黒字に赤抜き文字のセメダインCは工作用で、学校での工作や家庭でも使われていた。私もよく使った記憶がある。

株式会社セメダインの主力は、工業用接着剤であるが、家庭用についても次々に新製品を発売している。

結合材を意味する「セメント」と力の単位の「ダイン」を組み合わせた「セメrダイン」は、今村善次郎の造語で、接着剤の代名詞になっている。2013年にセメダインCは日本初の合成接着剤として国立科学博物館選定する重要科学技術史資料 (未来技術遺産)に登録された。

今村は「接着剤は世の中の進歩に貢献し努力が少しづつ結実することに無上の喜びを感じた」「よりよい製品をより多くの人々に、を合言葉に全力を尽くしたい」と、1970年の社内報で語っている。また今村の生前を知るある社員は「商品開発に力を注ぎ、マーケティングやデザイン、ネーミングなどで才能を発揮し、時代の最先端を行った」と述懐している。

2022年、株式会社セメダインは、カネカの子会社となった。

今村善次郎は「国産接着剤の父」「セメダインの父」と呼ばれている。ここにも「父」がいた。

 

文庫リレー塾は白井さゆり先生の講義。万葉歌碑「赤駒を、、」。全集第6巻進行中。

寺島文庫リレー塾は、白井さゆり「世界経済情勢とカーボンニュートラルに向けた投資の動向」。以下、ポイントのみ。

  • 日本の経済は弱い(2019年第一四半期まで届いていない)。貿易収支も赤字。
  • 2023年のリスク:アメリカの利上げ。4%成長の中国。ウクライナ戦争とエネルギー音大。米中対立。
  • 輸入物価急上昇(40%)。企業物価も上昇(10%)。消費者物価やや上昇(3%)企業努力によって転嫁されていない。
  • 食糧・飲料は7-8%アップ。エネルギーは17-8%アップ。しかし50%を占めるサービス(教育・医療・福祉、運賃、、)は、外食以外は、企業努力によってあがっていない。なんとかしのいでいる状況。
  • インフレ予想:家計は1年先は高騰、企業は一時的、市場は2%以下。需要が弱く、インフレは続かないと予想している。
  • 円安とはドルの全面高。アメリカの金利上昇と貿易赤字が原因、アメリカの金利上昇はゆるやかになり、貿易赤字は改善し黒字になっていくから、大幅な円安にはなっていかない。
  • カーボンニュートラルに向けて再生エネルギー設備投資は増えてはいない。産業革命以降1.2度上昇。目標は1.5度。現状のままだた2.7-3.0度上昇。化石燃料を再生エネルギーに置き換える必要。半分しかやっていない。
  • 温暖化による気候危機(自然災害)を避ける。政府の政策(気候政策・金融規制・金融政策)、ESG投資、市民社会の行動というサイクルをまわす。EUはきちんとやっている。アメリカは各州で。中国も政策は進んでいる。
  • 情報開示の標準化が進行。ISSB(国際サスティナビリティ基準審議会)。

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多摩ニュータウンの一本杉公園の万葉歌碑。

「赤駒を山野に放し捕りかにて多摩の横山徒歩ゆか遺らん」

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『図解コミュニケーション全集』第6巻「ライフデザイン(人生戦略)を編集中。「まえがき」「目次」「表紙デザイン」が終了し、来週初めに「見本」が届く段階。

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「名言との対話」11月18日。ジョージ。ギャラップ「I could prove God statistically. 」

ジョージ・ホレース・ギャラップ(George Horace Gallup、1901年11月18日 – 1984年7月27日)は、抽出調査の技法を開発したアメリカ合衆国の調査実務家で、世論調査に用いられる抽出調査の統計学的技法によって成功したギャラップ調査Gallup poll)の創始者

アメリアイオワ州出身。応用心理学博士。大学で教えながら、1932年から大手広告会社で、印刷媒体やラジオの需要についての調査にかかわる。どんな広告が影響を与えているかという効果や、コミックがよく読まれていることを発見する注目度などを明らかにし評判をとる。

1935年に企業を設立。翌年のアメリカ大統領選で、ルーズベルトの圧勝を予測し、的中させ、全米を驚かせた。1937年からは、コロンビア大学を離れ、調査実務に集中していく。

1936年のアメリカ大統領選では、リテラシー・ダイジェスト誌は200万人以上のデータを収集し、共和党のランドンが57%を得票し勝利すると発表。ギャラップはわずか3000人のランダム・サンプリングという手法でルーズベルトが55.7%を獲得し勝利するという予測で対抗した。結果はルーズベルトは60%という大番狂わせの大勝利となった。

1945年にはイギリスの総選挙で、チャーチルの保守党の敗北と、労働党の勝利を予測している。

1958年、影響下にあった調査会社をグループ化し、ギャラップ社を結成する。ギャラップ社は、正確な調査とコンサルテーションを得意とする世界的大企業になっていき、ギャラップは世論調査の代名詞にもなっている。

ギャラップには「I could prove God statistically. Take the human body alone - the chance that all the functions of the individual would just happen is a statistical monstorosity.」という言葉がある。

ギャラップは私は神の存在さえも統計を使って証明できる、というのだ。たとえば人間の体を見てみようか。人間に備わったすべての機能のみごとな全体的統一は、統計的にはありえない現象だ。神が存在して作っているとしか思えない。だから神は存在するに違いない。統計という言葉を反語的に使っているが、こういった意味だろうか。統計はすべてを明らかにすることができるという自負をあらわした言葉である。

 

 

 

「日比谷公園で本多静六に近づくーー公園ウォーク、作家(北康利)を囲む茶話会」(ギリークラブの渡辺幸弘さん主催)

ギリークラブ(渡辺幸弘さん主宰)の「日比谷公園本多静六に近づくーー公園ウォーク、作家を囲む茶話会」に参加。作家とは最近本多静六 若者よ、人生に投資せよ』(実業之日本社)を書いた北康利さんだ。


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日比谷公園松本楼の脇に立つ「首賭けの銀杏」の前に、北康利さん、渡辺幸弘さんをはじめ10人ほどが集合。集英社同志社大学、食文化研究家、酒サムライ、大七酒造、弁理士都築電気など。松本楼の虫賀部長、日比谷パレスの一松支配人友名刺交換。

公園内を散策しながら、北さんの本多静六と彼がつくった日比谷公園についての解説を聞いた。

3度の災難を乗り切った銀杏の木。西郷札。土倉庄三郎(日本林業の指導者)。ドイツの医学・林学・兵学。恩を忘れない。実現力。松本楼孫文国葬会場。安田善次郎が寄付した浅沼稲次郎暗殺の日比谷公会堂と東大安田講堂。「歴史は繰り返す」。出口治明。「海を渡れ、川を遡れ」。SDGs・サスティナビリティ・ウェルビーングは本多静六にある。奥州鉄道の二重の防雪林と製材所。水と疫病と大仏・祭り。江戸の智恵。歴史に学んだ人。自ら働きかけ、投資し、責任をとる。偉い人。褒める人がいない。次世代の若者につなぐ。なぜ評伝か。成功者の共通点、真理を探す。生物の法則。多様化と変化し続ける。人間学。人間の本質。無性生殖(単細胞)から有性生殖への進化。死を選択したのは多様性を維持し変化に適応するため。生物は次世代のために死を選ぶ。利他性。本多は相続争いを避けるため生前贈与。美田を残さず。人間の面目は晩年にあり(郷里の先輩の渋沢栄一)。竹原ピストル大塚製薬守破離藤井聡太。玉飛車。稲盛和夫(フィロソフィー・アメーバ組織)と松下幸之助(理念・事業部制)。アンラーニング。オリジナリティ。感謝と恩を返す。イノベーションをやった人たち。革命は辺境から生まれる(レーニン)。自分を辺境に置け。佐治敬三のビール事業進出。幸福は人の形をしてやってくる。偉人は化学反応で出てくる。甲州財閥。人と人が出会いアウフヘーベンしていく。コロナでこういう機会を失ったのは大きな損失。国立国会図書館のデジタル化。本多静六没後70年。TPPで著作権は70年に。青空文庫本多静六記念館のデジタル化。今後は評伝は楽になる。恩送り。習慣。緑の大事さ。明治神宮の成り立ちをふり返れ。国民の浄財。本多は後ろ指を指されても実行。自己確立。仏教研究者。喜捨の精神(喜んで捨てる)。子孫のために金をまわせ。陰徳。石田達郎(ニッポン放送)。発酵文化。、、、、、。

評伝作家として日本の近現代の偉人の「評伝」を着実に積みあげている先達の北康利さんの志を感じる充実した時間だった。北さんは「人物」と「名言」の蒐集家であり、それが作品に昇華されているのである。

このような素晴らしい企画を考えていただいた、ギリークラブの渡辺さんに感謝したい。

 


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松本楼孫文資料。


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日比谷公園のイベントの前は、12時半から寺山君の上京を機会の中津北高の同級会。湯島のビストロ・グラッソにて。

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「名言との対話」11月17日。萬鉄五郎「画家は明日を憂えてはいけない。今日、今、最も忠実でなければならない」

萬 鉄五郎(よろず てつごろう、萬 鐵五郎、1885年11月17日 - 1927年5月1])は、大正昭和初期の洋画家。 享年41。

岩手県花巻市東和町出身。早稲田中学からサンフランシスコの美術学校で修業するが地震で帰国。1907年東京美術学校学校西洋画科で学ぶ。卒業制作は「裸体美人」。これは草の上に赤い腰巻をして裸婦が寝転んでいる絵である。日本の置けるフォーヴィスムの先駆的な作品とされている。1914年から16年にかけて故郷で制作に没頭する。「ぼくは眼を開けているときは即ち絵をかいている時だ」と友人への手紙に書いている。1917年、二科展に「もたれて立つ人」を出品。この作品は日本におけるキュービスムの最初の記念碑的な絵との評価を受けている。

萬鉄五郎は日本近代美術の先駆者の一人である前衛画家だ。萬の出た小学校が1984年に萬鉄五郎記念美術館になっている。私はここを訪れたことがある。生家の土蔵を復元した隣の「八丁土蔵」の2階で、萬鉄五郎の作品や生涯をハイビジョン映像で楽しめる。

黒田清輝らのアカデミックな画風が支配的であった日本洋画界に、当時の前衛絵画であったフォーヴィスムを導入した先駆者として、萬の功績は大きい。晩年は日本画の制作や南画の研究も行った。「自分が南画から消化し吸収すべき点があるとすれば、先ず第一に人間的なリズムと云う言葉によって代表せられる、プリンシプル、精神の世界を高調する思想及び人格拡充の主義、而して漢詩的構図は、新しき自分の詩によって置換えられても差支えないと思う」と「玉堂琴士の事及び余談」の中で述べている。

棟方志功は幾度となく萬の作品を前にしては高価で手に入れることができず、ようやく手にした萬の自画像の額裏に「萬鉄五郎先醒(せんせい)」と書いた紙を貼り、生涯大事にしたというエピソードがある。棟方は、「わたくしは萬氏の繪の事については、際限を持たない。それ程、わたくしは「萬鐵に首つたけ惚れて」ゐるのだ。仕方がない程、参つてゐるのだ」とも記している。(「『萬鐵』の繪心」『板響神』1952年刊)とその心酔ぶりを記している。大正期の画家萬鉄五郎に対して、日本の真実を油彩でなしとげた無類の人と手ばなしで認めていたのである。

萬鉄五郎は「画家は」というが、しかしどのような職業、どのような人にも「今日、今」という言葉は重要だ。

 

 

 

 

 

 

 

本日発売の「週刊現代」にインタビュー記事。図解塾は「比較宗教論」などの図解講義。落葉八景。

 

本日(16日)発売の「週刊現代」の「珠玉の名言 だから私はひとりで生きる」にインタビュー記事が掲載された。テーマは「孤独」。

 


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夜は図解塾。梅棹忠夫著作集第5巻「比較文明学研究」の図解講義の4回目。2時間。

「比較宗教論」「二つの流れ」「西型と東型の対比」「インドにおける仏教の運命」を説明し、その後各自の感想などを発表し合った。


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以下、塾生の学び。

  • 久恒先生、みなさま、本日もありがとうございました。梅棹忠夫著作集第5巻「文明の生態史観」の4回目。今回は4枚の図解を使って、世界の宗教の全体像と関係性等について解説がありました。特に関係性については、各教義の違いにこだわるのではなく大枠(本質)で捉え、宗教を取り巻く外界との関係をはじめ、大きく二つの流れ(西型と東型)があることや、その二つの対比などが示されました。6つの宗教が東西に(バラモン教・仏教・ヒンドゥー教が東型、ユダヤ教キリスト教イスラム教が西型)に分かれ、しかもキリスト教と仏教は現在、ともにその中心地が発生地域から移動しているということや、世界観が「東型」は輪廻転生、「西型」は終末的とのことでした。今までは、各宗教の中の教義の違いや、どの国でどの宗教を信仰している人が多いのかなどを学ぶことが多かったので、宗教間の関係性に気づきませんでした。そのため、今回、東西で対称になった図を提示していただいたことで、世界の宗教を前回の講義とは違った視点で、大雑把に掴むことができました。 そして、お話を聞く中でふと「お天道さん」のことを思い出しました。「お天道さん」って具体的に何なのか知りませんが、子どものころに大人から教えられました。八百万の神を信仰する日本独自のもので、宗教ではないかもしれませんが、日本がいろんな宗教を自然に受け入れていることにつながるのかなと、想像した次第です。毎回新しい学びがあるのでワクワクして参加しています。次回もよろしくお願いいたします。
  • 久恒先生、皆様、本日もお疲れさまでした。本日は第6期図解塾の4回目。『梅棹文明学プロジェクト/第5巻_文明の生態史観』。先週に続き今週も『宗教』をテーマに久恒先生より4つの図解についてレクチュア頂きました。①「宗教を取り巻く外界との関係の研究」では、オリエント(西アジア/エジプト)から西欧、北インドから日本(極東)という東西ルート夫々において2つの仮説夫々での社会との関係性を説明。『地域』では、「移動」「分裂」を繰り返す過程での変化。『段階』では、地層に見立てた時代の流れに応じた変化について説かれていました。②「ふたつのながれ」では、「悪い世界が終わる(終末)」事を信じ研鑽を勧め、経典、絶対神に象徴される世界観と、「生死を繰り返しながらステージが上がる(輪廻)」ので悪行を慎む、という世界観、③「東西対比」では、②における「終末」と「輪廻」双方宗教観について経典・絶対神預言者を具体的に並べて構造比較、④「インド仏教の運命」では、発祥→隆盛→衰退→壊滅と時代の流れに沿ったステージ変化が夫々示されていました。1.  微細にとらわれず全体を視野に置きつつ構成要素をモレなく並べて関係性を簡単な言葉で整理する。2. 整理は、ある「仮説」に則り行なう。3. 方向、大小様々な視点で関連要素を比較し、関係性を重層的に表わす。という梅棹先生が示された説明ロジックが、図解によってより容易かつ明確に理解する事が出来ました。特に断片的な事実のみ説明するのではなく、全体視野のもと関連印史観の関係性を示すことにより「世界観」という一つのモノサシを持つ(=真理を理解する)ことにより、それ以降に出て来た事柄に対しても的確迅速に理解・対処が出来る。「真理」を得る事で、利害関係を超越した正しい見識を持つことができる。ただしこれを実践する為には、高い視座のみならず、世界観を形成する為の「専門性」が併せて必要でこれを満足する膨大な取材がこれを支えている事を忘れてはならないと感じました。今日パソコン・SNSメディア活用により検索がより容易になっては来ているものの、「他に足りないモノは無いか」と常に思考し取材するフットワークの良さの重要性を感じる事ができた事が本日の学びとなりました。本日冒頭で久恒先生ブログに登場した船山信次先生ご提唱の「地球誕生46億年の歴史1年カレンダ」における、「近代科学誕生:12月31日23時59分58秒」につきましてご参考まで、国立環境研究所配信の「古代からの大気中CO2濃度変化」のグラフ(南極氷床のボーリング調査に基づくデータ)を添付致します。社業の一環で小学5年生対象に「温暖化問題」を説く出前授業の冒頭にも引用している興味深いモノなので併せて参照頂けましたら幸いです。有難うございました、次回も宜しくお願い致します。
  • 久恒先生、みなさま、本日の図解塾ありがとうございました。今回は「宗教と宗教をとりまく外界との関係の研究」「ふたつのながれ」「西型と東型の対比」「インドにおける仏教の運命」という4枚の図解を使って、梅棹先生の「比較宗教学」の大枠を学びました。多様で複雑に関係している世界の宗教ですが、ユダヤ教キリスト教イスラム教を「西型」宗教、バラモン教・仏教・ヒンドゥー教を「東型」宗教と、大きく括り、それぞれ共通している構造やながれを比較すると、驚くほど対称性のあることが分かり、面白いと思いました。例えば、「西型」には「聖なる本」や「絶対神」「予言者」がいるという点で共通しているが、「東型」にはこれらはなく多神教。「西型」の終末的世界観に対し「東型」は輪廻転生。そのような違いがあるにもかかわらず、日本の浄土宗とヨーロッパのプロテスタントは似ているという話もあって、前々回にあった「文明の生態史観」の 「西欧と日本は似ている」という  話に繋がり、微妙に興味深く感じました。また、物事をとらえる際には大枠を「思いつく」ことが大事、そのためには専門性を大切にすること、広く世界を知っていること、という話も印象に残りました。次回も続きが楽しみです。
  • 本日もありがとうございました。文明の生態史観からみた世界の大宗教、西の「終末論的宗教観」と東の「輪廻的宗教観」でまさにクリアーに左右対称な比較の図が示され、大局的に掴むことができました。思えば、世界史の断片的な知識はあっても、受験生のような言葉だけの中身のないものであったことをこの歳になって痛感しています。この図式を頭に入れて、改めて世界史を学び直したい気持ちにさせられました。最後の感想を言い合うところで出てきた「お天道様が見ている」というのがローカルなのかグローバルなのか、大変興味深いところです。また、死後の世界についても共通性がありますが、そもそもどのように生じてきたのか、ということも考えました。昔の人々は自然災害、疫病、暴政など今と比べるとはるかに苦しんだと思います。仏教の極楽浄土、キリスト教などの天国に望みを託したのでしょう。内容以外でも「仮説を立てられる力」「専門をもつとともに幅広く見る力をもつ」など大切なことを学びました。ありがとうございました。
  • 本日もありがとうございました。仮説を思いつく力が大事。仮説は図である。いろいろな面に適用でき、法則となる。この考えを元に、宗教の比較文明論のお話を聞きました。地層などからその土地の宗教の変わり方の仮説をたて、キリスト教と仏教は、イスラム教やヒンドゥー教にとってかわられ、いろいろな場所をたどり、枝分かれしたりしながら、極西の西ヨーロッパ、極東の日本にたどりついた。比較すると相反している宗教だと思いましたが、結局は似ている側面がある、ということが面白く思いました。これらは、専門知識と大まかな広い知識を持って仮説をたてて論じられていて、図をみながらその説明を聞いて、大まかですが、宗教の歴史や、宗教がどういうものなのか知れた気がします。 今まで触れてこなかった分野ですが、関係性が明確に表れているこれらの図で、免疫力強化になるのではと思ってます。次回もどうぞよろしくお願いいたします。
  • 久恒先生、みなさま、本日もありがとうございました。仮説を思いつくチカラが大事で、それをできていたのが梅棹先生のすごいところだと改めて思いました。前回お休みした際の宗教生態学の考えでは、宗教は病原体と対比されているという話は、まだ少し咀嚼できていませんが、地域宗教が風土病と例えられているところはイメージできました。中洋から西に追い出されたキリスト教、東に追い出された仏教は似ているところがあり、そこから、キリスト教と仏教は同じグループで西ヨーロッパと日本は中洋よりも距離はあるけど、考え方が近くなるというのも全体観や時間的な流れなどから腑に落ちる部分もありました。とはいえ、宗教は難しいです。次回も先生の図に助けていただきながら、理解できるよう臨みたいと思います。
  • 久恒先生、皆さま、本日も図解塾ありがとうございました。梅棹先生の前回の比較宗教論への方法論的おぼえがきの復習の [疫学的アナロジー] による説明は、例えを使うことで流れや仕組みがとても分かりやすく、このことが、本日の具体的な個々の世界の宗教の図解につながってくるので、これは、大事だと思いました。 またどの宗教も疫学的アナロジーや精神の疫学に当てはめて理解することができると思いました。興味深かったのは、キリスト教と仏教の共通する点が、発生した場所とは異なるいずれもほかの土地で栄えたことです。  現代では、インドでは仏教人口が0.1%しかいないというのも驚きました。 比較宗教論では、宗教の教義などの内容より、社会的機能の視点として、システムとしてとらえる事に、宗教をそういうとらえ方もあったことを初めて知り、とても分かりやすいと思いました。特に印象に残ったことはキリスト教も仏教も変容から分裂をしながら、遠く離れたキリスト教なら西ヨーロッパ、仏教なら日本などずいぶんと遠くに広がっていくことが改めて分かりました。段階対応の仮説では、オリエントの第2層のキリスト教北インドの第2層の仏教は、免疫現象(3000年ごとの強い定着)としては、同じ時代の宗教だということが理解できました。比較宗教論の図解は、オリエントと北インドの図が左右対称で、理解しやすく、図表に美しいデザイン性を感じました。そのため、難しい複雑な宗教の内容が、頭の中にすっと入ってきて、構造を理解するスピードが、速まる気がしました。図表の理解の情報処理能力があがる分を本当に必要な内容(全体や流れや原因)の把握に時間をかけることができるのではと思いました。終末的世界観と倫理的世界観の意味や違いについても、分かる範囲で理解することができました。 二大宗教の源流の流れも図表で分かりやすく、メソポタミアではユダヤ教イスラム教は移動せず、キリスト教のみが移動と、 インドでは、バラモン教、ヒンドゥ教は移動せず、仏教のみが移動といったことなどは、メソポタミアとインドの似たような源流の流れを感じました。今回の久恒先生のお話を聞いて、複雑な世界の宗教について細部にこだわりすぎるととなかなか前に進まないのですが、大きく全体像を把握することができました。 また今まで知らなかった西と東、仏教とキリスト教の共通点を知ることもでき、大変勉強になりました。ありがとうございました。次回も楽しみにしています。

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落葉八景。


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「名言との対話」11月16日。中西悟堂日本野鳥の会

中西 悟堂 (なかにし ごどう、 1895年 ( 明治 28年) 11月16日 - 1984年 ( 昭和 59年) 12月11日 )は、日本の 野鳥 研究家で 歌人 ・ 詩人 。

石川県金沢市出身。5歳で東京に小学校に入学。高等小学校卒業後、紙問屋、給仕などをし、工手学校の夜間部で学ぶ。1911年、天台宗深大寺で僧籍につく。1914年から曹洞宗学林(後の駒澤大学)に通う。1920年から島根県の長楽寺、普門院の住職となる。

30代をむかえた1926年から千歳烏山に住み、昆虫や野鳥の観察を開始し、全国の山々を巡り野鳥の観察を行う。1934年、鳥類学者、柳田国男などの民俗学者新村出などの文化人の後援で、「日本野鳥の会」を設立する。鳥類保護思想の普及と鳥類研究の推進が目的である。探鳥会を催すなど、会員数は1800名に達した。「野の鳥は野に」を合言葉に自然の中で鳥を楽しむことを提唱した。戦後は鳥類保護法の制定にも尽力している。

中西悟堂『フクロウと雷』(平凡社)を読んだ。

「私の家から、谷一つへだてた丘の農家、、」「軽井沢に鹿島ノ森をあるいていると、」など、フィールドワークのたまものであることがわかる。水の中で一日中袋をかぶってカイツブリという鳥を観察する記録は圧巻だった。普段はたった一人で大森林や、深い渓谷、高山を歩き、手帳に浮んできた想念を記録していく。自宅での多くの鳥たちと生活している。家族同様であった。

現在では普通に使われる「野鳥」という言葉は中西の造語である。また「探鳥会」という観察会と言葉も彼の造語である。第1回の富士探鳥行には、柳田国男北原白秋金田一京介ら100人が参加している。こういったオーガナイザー能力は大したものだ。

「昆虫や鳥類や即物の生態の観察には、卓越した多くの綿密な頭脳と、多くの熱意に充ちた生涯とをかけても尚あまりある研討の対象」であると語っている。そのために日本野鳥の会をつくったのである。

「神の無限の才能と創造力とを現実に見るような精巧さと多様さとの驚くべき種々相」「生命の保全と種族の保存との法則に貫かれている生活の万華鏡」「自然は常に最も偉大な師である」「自然が見せてくれる教訓は絶大無限である」「自然の環境に置かれてある限り、人々は常に美と徳との善き調和の中に置かれている」「自然の諸事物は、森の王女のように、心に跳んだ人々に発見される幸運を待ち、言葉を賦与される機会を待っている」

中西悟堂は57歳から冬でもパンツ一枚、上半身ハダカで過ごしている。「心の修養などは、あてにならぬ」「からだの修養からはじめよ」が信条であった。15歳年下で、悟堂が40歳の時に結婚した妻の八重子は「常識というものをどこかに置き忘れてきたような人ですが、人間に対する価値判断はびっくりするほど鋭い。心が童児のようにきれいだという点でも、深く敬意を表しております」と夫を評価している。

日本野鳥の会は存在感を放っている。近所の公園でもカメラを抱えた野鳥観察が趣味の人々をよく見かける。JAL時代に日本野鳥の会と組んでプロジェクトを行ったことを思いだした。新鋭のMD11という飛行機を日本の空に導入したとき、この機種を「Jバード」となずけ、絶滅危惧種の鳥を機種ごとに命名した。ヤイロチョウヤンバルクイナエトピリカなどの稀鳥の名で呼んで保護を印象づけた。このとき、日本野鳥の会の方々と連携した。この素晴らしい活動を行っている団体の創設者が中西悟堂だったのである。

 

 

 

 

NHKカルチャーラジオ「科学と人間」シリーズの、船山信次先生の「植物と人間」の連続講義から。

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NHKカルチャーラジオ「科学と人間」シリーズがある。ときどき、聞き逃し配信で聞いているが、船山先生に来年にゲスト講師をお願いすることになり聞いてみた。

毎回、実に面白いが、ここでは初回の講義から、地球の歴史を1年(365日)とすると、どういうことになるのか、を記述してみたい。

  • 1月1日:地球誕生:46億年前
  • 3月29日:生物誕生:35億年前。
  • 9月29日:動物と植物の分化。光合成(CO2+H2Oでエネルギー、糖)
  • 11月19日-22日:カンブリア紀に生物の大爆発。最古のヒシ植物は木蓮。5.4-5.5億年前。
  • 12月27日:ヒシ植物(花)。最古は木蓮科(もくれん、こぶし)。1万年前。
  • 12月25日:恐竜の絶滅。6500年前。
  • 12月31日14時:人類誕生。600-700万年前。
  • 12月31日23時58分50秒:農耕・定住。1万年前。
  • 12月31日23時59分46秒:キリスト誕生。2000年前。
  • 12月31日23時59分58秒:近代科学誕生。200年前。
  • 12月31日23時59分59秒:明治維新。150年前。

私たちは、最後の1秒に生きている! 3.5億年前の石炭紀(シダ類などの樹木)、原油(海洋プランクトン他。よくわからない)というエネルギーをどんどん使っている。

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「名言との対話」11月15日。岡本綺堂「史劇といういうものは、一面に時代の空気を現すと同時に、その人物を象徴として近代の思想を説明するものだ」

(おかもと きどう、1872年11月15日明治5年10月15日) - 1939年3月1日)は、日本の小説家劇作家。享年66。

東京高輪出身。東京尋常中学(後の府立一中、現・日比谷高校)時に劇作家を志す。180年東京日日新聞から始まり24年間の新聞記者生活を送る。

記者の傍ら、戯曲を書き歌舞伎界を代表する劇作家となり、「綺堂物」という言葉も生まれた。1913年から作家活動に専念し、長編、探偵物、怪奇怪談作品を発表。戯曲は196篇書いている。

1916年から「半七捕物帳」の執筆を開始する。これはシャーロック・ホームズの影響を受けた日本最初の岡っ引き捕物小説である。1937年、1938年まで小説や戯曲を執筆した。

代表作の「半七捕物帳」は、65歳まで書き続け、計69作品となった。岡本綺堂『半七捕物帳 全巻セット』(オリオンブックス)を手に取った。「お紋の魂」、「石燈篭」、「勘平の死」「湯屋の二階」、「お化け師匠」から始まり、「地蔵は踊る」「薄雲の碁盤」「二人女房」「白蝶怪」で終わるシリーズである。

最初の短編「お紋の魂」は、子供が語り手で、知人のおじさんから半七の活躍を聞く形になっている。第二短編「石燈篭」では、第一作では子供だった語り手は大人になっており、すでに引退した半七から聞くという体裁だ。綺堂の巷談は舞台では六代目菊五郎が演じ、落語では三遊亭圓生も演じている。

女方役者の花柳章太郎は「役者と作者が結びついた時、芝居は繁盛する」と言い。小団次と黙阿弥、そして左団次と岡本綺堂を例に挙げている。

NHKラジオの「聞き逃し配信」では、朗読「半七捕物帳」「奥女中」1・2を聞いたことがある。シャーロックホームズの世界を江戸を舞台に日本的に展開した岡本綺堂が20年書き続けたシリーズだ。まだこの名作は生きているのだ。

2016年に読んだ渡部昇一『実践 快老生活』(PHP新書)では、高橋是清『随想録』、幸田露伴『努力論』、本多静六『私の財産告白』などと並んで、岡本綺堂『半七捕物帳』をすすめいていた。

2007年に読んだ昭和4年生れの谷沢永一昭和5年生れの渡部昇一の対談本『人生後半に読むべき本』(PHP)というタイトルで、2人の稀代の読書家による読書論を読むと、ここでも岡本綺堂「半七捕物帳」が挙げられている。

「史劇といういうものは、一面に時代の空気を現すと同時に、その人物を象徴として近代の思想を説明するものだ」。これは戯曲を書く劇作家の言である。そういうつもりで史劇を書いていたのである。

明治維新に破れた佐幕党の子であり、藩閥政府全盛の時代には士族系統の人間の出世の目標は「官員」であり、藩閥の敵の子孫にはこの方面の望みはなかったと綺堂は、『岡本綺堂全集』第1巻のはしがきで述懐している。一高への進学をやめたのはこういう事情があったのだ。岡本綺堂は新聞記者、劇作家、小説家として在野の道を歩み、存命した時代に大きな影響を与えた。そして今なお綺堂の作品が読まれ、耳にするように長く影響を与えている人物である。