『安井仲治 生誕120年 僕の大切な写真』展ーー「僕はこんな美しいものを見たよ」

東京ステーションギャラリーの『安井仲治 生誕120年 僕の大切な写真』展を先日訪問した。この企画展は愛知県美術館兵庫県立美術館でも巡回展示される。200点以上の作品を堪能した。

38歳で夭折した安井仲治(1903-1942)というカメラマンは写真の可能性を切り拓いた偉大なアマチュア写真家だった。戦前のわずか20年の仕事ぶりは、「写真とはかくあるべきものだ」と興奮して叫んだ土門拳や、「初めてのリアリズムであり、モダニズムではなかったか」と熱っぽく語った森山大道などから賞賛を受けている。

代表作は以下。「猿回しの図」(見物人に焦点)。「メーデー」(報道写真の先取り)。「流氓(るぼう)ユダヤ」シリーズ。「山根曲芸団」シリーズ。「熊谷守一のポトレート」。撮影場所で即興的に組み合わせる「半静物」。

分厚い公式図録『安井仲治作品集』は、「日本写真史に燦然と輝く天才写真家の傑作を集成!」と紹介されている。安井仲治松尾芭蕉に傾倒していた。俳句と写真、どちらもスナップショットだ。

安井仲治の言葉を拾った。

  • 「僕はこんな美しいものを見たよ」と報告すればいいいのである。
  • 風景が懐に入るが如く捉えられ、写真にすることが出来たら、その作家は自然の中に溶け込んだので、自分も殺さず、自然も冒さず一如の境に入り得ぬとは云えません。(主客合一)
  • 技術以上に全人格をかけて「道」として、写真に取り組む。(写真と芭蕉を重ねて語っていた)
  • 新しい状況において出現した新しい技術と様式を以て、賦役を表現することが安井の「道」であった。
  • 座右の銘「松のことは松にならへ、竹のことは竹にならへ」(芭蕉の教え)
  • 見る者と見られる者、その間には何の関係もない様で、しかし又、目に見えぬ何かを大きな糸ででも結ばれているように思われます。
  • 古への紅毛人の造りたる カメラオブスキュラ 今吾が命

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見田宗介さん『現代社会はどこに向かうか』

「名言との対話」4月1日。見田宗介「新しい世界の胚芽となるすてきな集団、すてきな関係のネットワークを、さまざまな場所で、さまざまな仕方で、いたるところに発芽させ、増殖し、ゆるやかに連合する胚芽をつくる」

見田 宗介 (みた むねすけ、 1937年 8月24日 - 2022年 4月1日 )は、日本の 社会学。享年84。

東京都出身。東大文学部社会学科卒業。講師、助教授を経て1982年に教授に就任。見田ゼミは人気が高く、吉見俊哉宮台真司小熊英二上田紀行などの多くの優れた研究者を輩出している。

1988年の社会学科長時代には、中沢新一助教授に推すが教授会で否決されるという事件(中沢事件)が起こる。

著作のタイトルには「現代」と「社会」という言葉が多い。現代社会の中で生きる青年像、生きがい、社会意識などを追及し、メディアを通じて影響力があった。代表には作は1996年刊行の『現代社会の理論』などがある。見田の著作には私も何冊か触れている。

見田は社会学の課題は、未来を予見し、未来を構想することと語っていた。その構想とはいかなるものであったか。

2018年8月に刊行した『現代社会はどこに向かうかーー高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書)で、見田宗介の次のようなメッセージを聴いた。

貨幣経済と都市の論理の原理が社会全域に浸透し、無限性を生きる理想を600年かけて追求したのが「近代」である。それが1970年代に世界の有限性に気づき、反転し急速な減速に陥った。世界の有限性を生きる思想を確立するという課題に直面している。

その課題を解決する方向として、以下を提言している。

新しい世界の胚芽となるすてきな集団、すてきな関係のネットワークを、さまざまな場所で、さまざまな仕方で、いたるところに発芽させ、増殖し、ゆるやかに連合する、ということである。

一人の人間が、一年間をかけて一人だけ、ほんとうに深く共感する友人を得ることができたとしよう。10年で10人。20年で100人、30年で1000人、40年で1万人、50年で10万人、60年で100万人、70年で1000万人、80年で1億人、90年で10億人、100年で100億人。前回の革命に600年を要したとすれば、速い革命である。これは破壊する革命ではなく、創造する革命である。

近代の終焉、そして見田のいう現代が始まって半世紀が過ぎた21世紀初頭の現在に生きる私たちに送る最後のメッセージを重く受け止めたい。

 

 

 

 

 

 

鎌倉FMの「理系の森」に出演中(youtubeで)。「川柳まつど」ー「価値観が違うからこそ価値がある」

鎌倉FMの「理系の森」に3週連続出演しています。

司会の樋口さん、顧問の富山さんとの笑いの多い掛け合いになっています。youtubeで公開されています。

第202回 久恒さん 成長は止まらない!70代の挑戦 (youtube.com)

 

第203回「図解コミュニケーション」入門 (youtube.com)

 

第204回は、3月30日に放送。再放送は4月1日の19時半から。全国どこからでも下記から聴けます。3回目のテーマは「継続力」。

鎌倉FM - JCBAインターネットサイマルラジオ|コミュニティエフエムのポータルサイト (jcbasimul.com)

以下、番宣から:「人間は自分の理解出来るレベルでしか理解できない。だから日々ブラッシュアップが必要。」「 好きだから続けるんじゃない。 続けるから好きになるんだ。 」「毎日続ける事は困難。スマホが壊れたとか、夫婦げんかしたとか、やる気がないとか。だから、面白い。だから、貴重。だから、続けた人には適わない」聞き逃した方、是非再放送でチェックしてみて下さい
#久恒啓一 再放送本日19時半〜  
スマホからも聞けますよ!https://buff.ly/3I61iWS

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「川柳まつど」の463号。「吐鳳」。

  • 「句と向きあう」のページ。

  「毎日を自動詞だけで暮らしたい」の解説。

  • 宿題「転機」(米島暁子選)

  「価値観が違うからこそ価値がある」

  • 宿題「転機」(渡辺柳山選)

  「今さらと言うな君たち今からだ」

    「価値観が違うからこそ価値がある」

  「居ないのにまだ安倍派とは情けない」

宿題「とうとう」

  「悪党とダメな野党の猿芝居」

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「名言との対話」3月31日。山本圭「ぼくとは3つしか違わないけど」

山本 圭(やまもと けい、1940年昭和15年〉7月1日 - 2022年令和4年〉3月31日)は、日本俳優声優

大阪市出身。成蹊大学中退後、俳優座養成所第12期となる。1962年、山本薩夫監督の『乳房を抱く娘たち』でデビュー。

1966年、テレビドラマ『若者たち』の三男役で人気が出る。映画化され同じ役をつとめ、毎日映画コンクール助演男優賞を受賞。

舞台俳優としてはシェークスピア作品の多く出演している。

派手さはないが、知的な風貌で、内面に強さを秘めた役柄が似合う俳優だった。

山本圭の映画デビュー作品の監督である山本薩夫は、父方の叔父である。薩夫監督はこの甥を起用している。

3つ年上の兄・學は、先日もラジオで朗読を聴いたようにまだ現役だが、テレビと舞台で存在感のある怪優として名脇役でもあった。3つ年下の亘も舞台とテレビで活躍している。

この3兄弟が俳優としての道を歩んだのは、叔父の薩夫監督の影響が大きいようだ。薩夫監督は自分の作品に3兄弟を使っている。薩夫の息子の山本駿、山本洋も映画監督である。

山本薩夫は、社会の矛盾を突く社会派の監督として多くの作品をつくっている。『戦争と人間』三部作、『華麗なる一族』、『金環蝕』など話題作が多い。体制告発でありながら娯楽性も高い手腕を持っていた。

學・圭ともに、実力派の脇役、バイ・プレイヤーという評価があるのも面白い。圭はテレビドラマ『若者たち』、『やすらぎの郷』、映画の『戦争と人間』でいい演技が印象に残る。

「主役級の脇役」との評価のある弟・圭が亡くなった時、兄・學は「私など足元にも及ばない名優でした」と惜しんでいる。

「ぼくとは3つしか違わないけど」は、作品の中で山本圭がいう台詞である。山本兄弟と同じだと思い、記すことにした。

 

 

妻のお伴でNHK全国短歌大会に参加ーー「うめ、さくら、ばら、チューリップくらいしか知らない僕の「あの花」が咲く」

渋谷のNHKホールの「全国短歌大会」に参加した。妻が短歌をやっているのでお伴。快晴の春日和で、都心はごった返していた。春到来。

短歌関係では一番大きな大会のようで、NHK紅白歌合戦の会場は満杯だった。やはり年配者がほとんど。渋谷の街のものすごい混雑とあちこちで行われているイベントでは、若者と外国人が目立ったが、こういう大イベントもあるのだ。今年で25回目。

永田和弘。小島ゆかり。川野里子。俵万智穂村弘。私が知っている短歌会のスターも参加。朗読は加賀美幸子。さすがに豪華版だ。選者は昭和19年生の三枝昴之、22年生の永田和弘から、平成元年生の大森静佳まで。中心は小島ゆかり、川野里子、俵万智ら昭和30年代。コロナ禍を明けて、随分と若返ったらしい。

特選作品の中で私の好きな歌。こういう歌が詠めるといいなあ。

「はつなつの風渡る部屋大の字になれば私はたった三画」

「うめ、さくら、ばら、チューリップくらいしか知らない僕の「あの花」が咲く」

小島ゆかり選の作品が好きだ。妻がファンなのでその影響か。

「大事なこと俺が決め何が大事かは妻が決めてる平らかな日々」

「椋鳥の群れは自在に変形し夕暮れのプロジェクトマッピング

その他。

「鳴き声がロビーに響く嗚呼これは私を父にするファンファーレ」

16時半から、電車の中で鎌倉FM[理系の森」で出演した3回目の番組を聴きながら帰宅。

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俳優メモ : 蟹江 敬三

「名言との対話」3月30日。蟹江敬三どんな役でもやれるけど、でも、何をやっても「蟹江らしいね」と言われる俳優。そんな存在を目指して、この40年間やってきたつもりです」

蟹江 敬三(かにえ けいぞう、1944年10月28日 - 2014年3月30日)は、日本俳優ナレーター。享年69。

子どもの頃は自閉症気味で赤面症もありおとなしかったのだが工業高校の文化祭でたまたま芝居をやって目が開き役者の道を歩むことになる。

日活ロマンポルノで強姦の美学」とまで言われた野性的な演技が話題になった。演技のうまさには定評があり、NHK大河ドラマにも数多く出演している。「勝海舟」の学友・田辺。「春の波濤」の幸徳秋水。「炎立つ吉彦秀武。「葵 徳川三代」の福島正則。「龍馬伝」の岩崎弥太郎。そして、朝の連続テレビ小説あまちゃん」の天野アキの祖父でもいい仕事をした。私もその一人だが、こういう番組で蟹江の演技を覚えている人も多いだろう。

当初は悪役が多く、子どもはいじめられたそうだ。蟹江は「ごめんな、パパが悪役で。でもこれが俺の仕事だ。お前たちは俺が守る」と言っている。そして後半は、刑事役などが多くなり善人役へ転身している。その息子の一平は今風なイケメンの俳優になって活躍中だ。

蟹江は「役には良い役も悪い役もない。面白い役かつまらない役かだけだ」として、「ひたむき」をモットーに演じていた。盟友であり厳しく演技を要求する演出家・蜷川幸雄は「蟹江の芝居に注文を付けたことは一度もない」「蟹江となら、心中してもいいと思った」と全幅の信頼を置いていた。「どうやって監督を裏切るか」を考え、工夫をしていた結果だろう。

名脇役だったが、「自分が出るシーンは自分が主役」と考えていた。「役は『作る』ものではなく『なる』もの」という信念だった。そのためには「まずは相手のセリフをよく聞く」ことから始めている。

脇役とは能楽の主人公を引き立てる役の「ワキ」からでた言葉だ。脇役という存在は、名前は定かではないが、いろんなところに出ている、という印象を与える俳優たちだ。

たとえば、「半沢直樹」の香川照之、「孤独のグルメ」の松重豊。ミステリアスな演技の柄本佑、「踊る大捜査線」稲葉敏郎。「わたしの脇役人生」というエッセイを書いた澤村貞子もいる。これらの名脇役たちの特徴は、出演作品の多さだ。圧倒的に仕事量が多いことだ。多々良純の出演作リストがどこまでも続いていて驚いたこともある。

左卜全千秋実小松方正根上淳、谷敬。主役から転じて母親役として脇役に転じた田中絹代。反対に脇役から主役に転じた森光子。

名脇役から後に、「水戸黄門」で主役として有名になった東野英治郎は、後年になって脇役が増えた平幹二郎に「芝居は主役が芯をとってリードする。その流れている芝居のテンポに沿って、自分の役を作っていかなきゃいけない」とアドバイスをしている。

蟹江敬三は「 どんな役でもやれるけど、でも、何をやっても「蟹江らしいね」と言われる俳優。そんな存在を目指して、この40年間やってきたつもりです」と語っているように、人がつけるレッテルからかけ離れた存在になろうとしていたのだ。蟹江敬三は、そのとおり「蟹江らしい」俳優になったのではないか。

この俳優哲学には私も共感する。長い仕事人生では、脇役の期間が長いし、大小にかかわらず主役である期間もある。突っ走る、守りを固める、臨機応変、突破力、、、、。個性的な人は、あの人らしい仕事をしたね、と言われる。その結果が「あの人」になる。どのような役がまわてきても、結局はその人らしい仕事になるのだ。

主役か脇役かにかかわらず、蟹江がいうように、「自分が出るシーンは自分が主役」という意識が、いい仕事をする条件だろう。

10人の共著『旅は新たな発見』が届く。

私も仲間に加わった共著『旅は新たな発見』(「人生100年時代を輝かせる会編。日本地域社会研究所)が届いた。

荒木義宏、伊藤廉、小野恒、鹿島孝和、呉羽和郎、斎藤利治、菅納ひろむ、都築功、久恒啓一、力丸萠樹、以上10人の共著である。

1942年から1952年までのシニア層がほとんどで、中心は団塊の世代だ。現役時代は土木エンジニアが多く、アジアや中東などの海外勤務経験者も多い。

国内は、奥の細道、離島の旅、動物園と水族館を巡る旅、人物記念館の旅。そして海外は、中国、インドネシア、東欧、西欧、南米、中東、アフリカなどの旅の様子が紹介されている。

私は、「人物記念館の旅」を寄稿した。「なぜ人物記念館か」「数字で振り返る」「節目の記念館」「ココロの革命」「7つの共通項」「偉い人とは、影響力の大きな人」「なぜ人物記念館の旅が続いたか」「現地にいかなければわからないことがある「偉人伝の復活を」「人間学へ」。

この内容に、具体的な訪問記を加えて、書籍にすることにしたい。

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「名言との対話」3月29日。大河原良雄「相手の事情を理解しあえるよう努力することが不可欠」

大河原 良雄(おおかわら よしお、1919年2月5日 - 2018年3月29日)は、日本外交官。享年99。

大河原は外務省で一貫して日米関係を担当している。最後は1980年から5年にわたった駐米大使である。本省のアメリカ局長、官房長に加えて、1960年代、1970年代、1980年代とアメリカ勤務を3回している。アメリカ側は60年代は無関心、70年代は貿易不均衡、80年代は経済以外にも日本に関心という流れであった。

大河原良雄へのロングインタビュー『オーラルヒストリー 日米外交』を今回読んだ。以下は、その本の内容である。

駐米大使時代は、以下のような事案に取り組んでいる。日米貿易摩擦。イラン石油輸入問題。自動車の対米輸出規制。牛肉・オレンジ交渉。シーレーン防衛。鈴木総理の日米同盟関係発言。日昇丸事件。中曽根総理の不沈空母発言とロン・ヤス外交。対日規制法案。先端技術分野の日米競争。、、、。日本は大平、鈴木、中曽根総理、アメリカはカーター、レーガン大統領の時代だ。

大河原駐米大使がアメリカ全土で講演活動を行っているニュースを日本でもよく耳にしたし、帰国してからも記者クラブ(外務省、日本、外国特派員)などでも「経済摩擦、対日批判、日本がとるべき対応」などを講演し、日米関係を良好にする努力を重ねた。

ワシントンポスト、ニューヨークタイムスの幹部からは、アメリカ世論を親日にするためには東京の特派員を大事にしろとアドバイスを受けている。また日本の新聞社特派員の記事は時差の関係で夕刊に間に合うから、日本ではトップになりやすい。その記事がアメリカに逆流するというメディアのサイクルが回っている。ここは注意が必要だという。

盛田昭夫石原慎太郎の『NOと言える日本』という本が話題になったが、大河原は逆に「NOと言い過ぎる日本」とユーモアを交えながら語っている。最初から「NO」と言いすぎているのではないか。相手の反応をみながら一歩づつ下がるという交渉スタイルは後味が悪いという。難しいアメリカとの付き合いのコツを熟知した人の未来へ向けての貴重な遺言である。

キッシンジャーは1970年代から、日本はいずれ軍国主義になり核兵器を持つ、と言い続けていたという述懐もある。このインタビューは2002-2003年に行われており、30年経ってもそうはならなかったと笑っていたが、それから20 年以上経って現在に至っている。世界情勢の変化でどうなるかはわかない。

大河原には日米関係は永遠ではなく、互いに努力しなければ良好な関係は続かないという危機感も強かった。「相手の事情を理解しあえるよう努力することが不可欠」は、大河原の外交、特に日米関係維持の基本にあった。具体的には「お互いに相手に対してショックを与えることにないよう、努力する必要がある」ということであり、そのための「不断の努力を怠ってはならない」ということになる。

日本からのアメリカへの留学生の減少、企業のアメリカ駐在員の減少、アメリカの世界情勢への関心の後退、日本と英国という二つの同盟国の衰退というアメリカの世界認識など、相互理解の基礎構造の変化があり、国際情勢は予断を許さない。日本の自立の好機ではあるが、それを生かす戦略的思考ができるかが問われる時代になった。

 

 

 

知研・読書会(第21回)ーー「地図と図解」中心の読書術。

第21回知研・読書会。

以下の本を紹介した。地図と図解を中心の本の読み方のトライアル。

公文情報塾で対象となった『中東戦争全史』と『イスラエル』の読書会では、加えて『ダビデの星をみつめて』『梅棹忠夫著作集』第14巻を用いて臨んだ。読書の方法のトライアルの結果について述べる。

  • 一般的に、著書にとって大事な箇所は「図解」を用いる傾向にある。本文よりも図解に情報を書き加えることで本質が見えてくる。
  • 「中東」「イスラエル」の本は、図解の一種である「地図」の変遷で近年の経緯がわかる。「中東」では、著者の主張は最後に「図解」として登場している。ここは自分なりに納得できるまで理解する。その一般論を日本の現状などに当てはめて理解を深めることができる。
  • 日本人が書いた「中東」に掲載されている地図と、米国在住のユダヤ人が書いた「イスラエル」に掲載されている地図は微妙に違い、相互補完の関係にあり、地図による認識がが豊かになる
  • 二つの本の地図と図解には、自分で理解した簡単なコメントを加えることで、それぞれの地図の意味と変遷が理解できる。
  • 対象の本以外の寺島実郎の本の中の「地図と図解」で、ユダヤ人の始祖から始まる歴史と、現在のイスラエル聖墳墓教会の分割の様(ローマカトリックは1割。他は各国の正教が占めている)を確認できた。
  • 次に私が描いた「梅棹忠夫著作集」の世界の宗教の「歴史と地理」の図解で中東とイスラエルを世界全体のなかで位置づけて相対化する。
  • こういった作業と現在の世界情勢を考えて、自分なり問題意識と意見が浮上してくる。
  • 永く迫害を受けてきたユダヤ民族の国・イスラエルパレスチナをは強者として迫害している構図は、報復の連鎖を呼ぶことになるのではないか。自制が必要だ。
  • 中東とウクライナの紛争や戦争が導火線となって、世界戦争にまで発展する恐れを感じる。停戦が必要だ。
  • 以上のプロセスを経る中で、中東のイスラエルとアラブの根の深い問題を理解するための、自分なりの「骨格」ともいうべき基礎の土台ができた。
  • 今後、この骨格に折に触れて出会う情報で「肉付け」していくことで、複雑で厄介な中東問題に関して、自分なりの見方ができてくることになるだろうという確信が生まれることになった。

 

 

 

 

 

 

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Ryuichi Sakamoto Details ‘Gigantic’ Score to ‘The Revenant’ – Rolling Stone

「名言との対話」3月28日。坂本龍一「遊びは結果を求めませんし、プロセス。僕が音楽を作るのもそんなプロセスが面白いから、、、子どもの遊びみたいに、何を作ろうとイメージするのではなく、いじっているうちに形になっていく。それが創作であり、僕にとって創作こそ遊びだと思います」

坂本 龍一 (さかもと りゅういち、Ryūichi Sakamoto、1952年昭和27年〉1月17日 - 2023年令和5年〉3月28日)は、日本作曲家編曲家ピアニスト音楽プロデューサー 

東京都出身。新宿高校から東京芸大で学ぶ。メンバーとなったYMO(イエローマ・ジック・オーケストラ)で成功をおさめる。そして、音楽の様々のジャンルを横断していく。

大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』に出演するとともに音楽を担当し高い評価を得る。1989年の映画『ラストエンペラー』では日本人初のアカデミー作曲賞を受賞し、世界的音楽家となった。その後、1990年からはニューヨークを拠点に活躍し、世界のミュージックシーンをリードしていく。

坂本の活動は音楽を中心とする芸術分野にとどまらず、環境問題などに発言を重ね、3・11の復興への関与や、原発問題への発言を続けるなど、大きな影響力があった。

以下、1年前の亡くなった当時に坂本龍一の音楽を聴きながら、言葉をつづったことがある。

  • もともと、自然の声を聞くということはアートの根源だと思います。(美術・音楽)
  • 遊びは結果を求めませんし、プロセス。僕が音楽を作るのもそんなプロセスが面白いから、、、子どもの遊びみたいに、何を作ろうとイメージするのではなく、いじっているうちに形になっていく。それが創作であり、僕にとって創作こそ遊びだと思います。(知的生産)
  • 日本だけで100万枚売るのは難しい。しかし10ヵ国で10万枚ずつ売れば100万枚だし、100ヵ国で1万枚ずつ売れて100万枚。これは不可能じゃないんじゃないかと、、(1990年からニューヨークに拠点)
  • 僕は、やるからには常にうまくいくことしか考えていません。小心者というか、石橋を叩いても渡らないタイプだから、そもそも負ける喧嘩はしない。失敗の可能性がちらつくものには近づきません。(第6識)
  • 映像で語りきれなことを、音楽で語らせる、という方法もある。(眼識と耳識)
  • 曲を作ってからどの音楽をどの場面に入れるかのリストを作り、大島監督と突き合わせをしたらなんと99%一致していて、これですっかり自信がつきました。(「戦場のメリークリスマス」:大島渚監督から、俳優としてオファーを受けた。「音楽を任せてもらえるなら出演します」と答えたら、監督から快諾を得た。

以下、坂本の活動に触れたことから。

  • 映画製作者で小説も書く川村元気が、各界の著名人にインタービューしたものをまとめた川村元気「仕事。」(集英社)を読むと、坂本は「下をみちゃいかん」と語っていた。
  • 2023年の文芸春秋には、塩崎恭久・馬場憲治「革命同志・坂本龍一を偲ぶ」が掲載されていた。彼らは新宿高校の同級生だ。30歳の頃、坂本はYMO、馬場はベストセラー作家、塩崎は日銀からハーバード大学大学院留学中であり後に政治家となった。坂本は「何にでも素直に反応して、吸収し、新しいものを作り出すことができる人間だった」と彼らは語っている。
  • 細野晴臣坂本龍一イエロー・マジック・オーケストラYMOを結成し、翌年伊波ワールドツアーを2度敢行するなど、このテクノ音楽グループは世界的大成功をおさめた。 私は音楽にうとくて、このグループの活躍は知っていたが、そのメッセージも、彼ら3人のこともよくは知らない。息子が音楽の世界いることもあり、細野の本を読んだり、坂本の音楽には少し触れた程度で、高橋につてはまったく知らなかった。
  • 細野晴臣高橋幸宏 YMOを語る」、というユーチュブの動画をみた。細野は、改めてYMOの全曲を聴いてみたが、「ユキヒロのものだ」と発言している。それに対して、ドラマーであった高橋は謙虚に「太鼓持ちです」と応じている。高橋の作曲の曲に、2人が肉付けしたときに「一番YMOらしさが出る」というのが細野の述懐だった。
  • 細野は坂本龍一との対談で、慎重な坂本に対してファーザー・コンプレックスだったと語っていた。坂本龍一はあるところで「遊びは結果を求めませんし、プロセス。僕が音楽を作るのもそんなプロセスが面白いから、、、子どもの遊びみたいに、何を作ろうとイメージするのではなく、いじっているうちに形になっていく。それが創作であり、僕にとって創作こそ遊びだと思います」と語っていた。この時、音楽も知的生産なのだと共感したことがある。
  • 小泉文夫『日本の音 世界の中の日本音楽』(青土社)を読んだ。オビで坂本龍一は、「小泉文夫はぼくの音楽に対する態度に決定的に影響を与えた人です。実は音楽にとどまらず、あらゆる文化・人を公平に見るということを教えてくれた人です」とその早い死を惜しんでいる。

日本の政治状況ついても発言している。「基地、米軍、武力が必要なら日本人の全てが等しく背負うべきだ」「普通の人が口出すのが民主主義でしょ」「たかが電気のために命を危険に晒してはいけない」

「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」は闘病生活中の2022年7月から連載のタイトルだった。

坂本龍一の言葉からは、「遊びは結果を求めませんし、プロセス。僕が音楽を作るのもそんなプロセスが面白いから、、、子どもの遊びみたいに、何を作ろうとイメージするのではなく、いじっているうちに形になっていく。それが創作であり、僕にとって創作こそ遊びだと思います」を採ることにしよう。芸術的生産は、知的生産と同じだったのだ。70年を駆け抜けた同世代の坂本龍一という人物の視界の広さと深さに思いを馳せることにしよう。

 

 

「図解塾」:「梅棹文明学」図解プロジェクトの最終回。4月からは「ジャパン」図解プロジェクトを始めます。

「図解塾」は、「梅棹文明学」図解プロジェクトの最終回。

  • 第13巻「地球時代に生きる」の総括講義。
  • 梅棹忠夫著作集」の全体構造講義:「知的生産の技術」と「知的生産」
  • 「梅棹文明学」を構成する4つの巻の総括講義。ーーー第14巻「文明の情報史観」、第5巻「文明の生態史観」、第7巻「日本研究」(日本文明)、第13巻「地球時代を生きる」。

2年ほどかけて100数十枚の図解ができあがったが、それでも「梅棹忠夫著作集」全22巻の一部に過ぎない。肥沃な知的沃野がまだまだ残っている。「全集」「著作集」にまとまっていることの有難さを感じる。

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以下、塾生の学び。

  • 久恒先生、みなさま、本日もありがとうございました。今日は梅棹忠夫著作集の「第13巻地球時代に生きる」の総括をはじめ、この2年間に実施された同著作集の図解化プロジェクト全体の総括が行われました。久恒先生の手書きの図解や塾生がパワーポイント化した図解を順に振り返りながらの解説でしたので、懐かしかったです。全体総括を聞いて思ったのは、まず、梅棹先生の行動力の凄さを知り、これまで考えたこともないすばらしい発想に接する機会をもらえたことが奇跡だったなということでした。しかも、難解で膨大な著作集を私は全く読んでいないのに、久恒先生が作成された手書きの図解をPPT化しただけで概要を知ることができ、疑問点は久恒先生のさらなる解説で解消。また、図解が物事の全体像をどれほど的確に表すことができるか、その凄い力を実感できた贅沢な2年間だったと思いました。今回学んだことや体験したことを元に、これからも「図解を書くことで理解する」とか、「図解を使って伝える」ということを実践していきたいと思います。 来月以降は「日本とは何か」を表すプロジェクトが始まるとのこと。楽しみにしていますので、引き続きよろしくお願いいたします。
  • 久恒先生、皆様、おつかれさまです。本日、図解塾。年度末の今回は『地球時代を生きる』の最終回、今迄のおさらいとして講義で使用された図メモを全員で再確認しました。①『国際交流と日本文明』:日本文名の良い点は「受信」の能力…高感度、低ノイズ、正確。一方弱点は「発信」の能力…ノイズ大で低出力。沈黙の貿易ではダメ。世界に向けて情報を強力に沢山発信し続けるべし…今後のあるべき姿。②『国際紛争の理解の為に』…ちょうど100年くらい前、帝国の時代が終わり「大紛争」の時代へ、民族国家が分裂し互いが自己主張を始めた。紛争解決には、宗教もイデオロギも、宗教も何の役にも立たない。ここはひとつ民族間で互いを理解し合うしかなく、地球規模での諸民族研究の推進が必要…現在のパレスチナウクライナでの紛争は勿論、台湾海峡をはじめとする中国のアジア領海問題にも当てはまり、積年の人類の願いはいつ成就されるのか?③『もう一枚の文化地図#1&2』…日本の様なほぼ単一民族の国家は世界的に珍しく、多くは複数の民族で構成されている、殊にクルド族が少数民族を形成するユーラシア各国や、中東でのイスラム宗派間では絶え間ない紛争が後を絶たない。一方インドシナ半島(東南アジア)ではタイ/ベトナム両国が取り合いの歴史を重ねた。こういった知識を踏まえる事は単なる旅行のみならず、アジア諸国にまたがるビジネス展開において重要な意味を持つ。④『日本のなきどころ』およそ100年前の日本では20数民族の複合民族国家を形成の後、秩序崩壊という失敗の歴史がある。先述のとおりほぼ大和民族単一で成る日本では民族問題の免疫が無かった為で、現在も根気強い解決模索がもとめられている。⑤『国際交流の未来学・文明の全体像を伝える努力を』…シンクタンクの使命は国際交流における相手国研究に基づく平和戦略構築に在り、コミュニケーションや情報発信は今後益々必要。⑥『大阪万博』…1970年のテーマに「調和」が加わった、それ迄の発展一辺倒へのアンチテーゼで、健全な自浄作用だった。2025年万博では 世界の民族の祭典たる「万民博」の自覚が必要だが、主催側の認識やいかに…。簡単に振り返るだけでも膨大な情報量でしたが、「地理」「歴史」夫々の見地に基づいたスケールの大きい視座と的確な構成要素の関連定義は約50年を経過した現在でも矛盾することがない梅棹先生の所見の確かさと夫々の課題持つ世界観を1枚で明確に伝える久恒先生直伝の『図解』の凄さを改めて知る事が出来た事、加えてSNSはじめ情報サービスの発達著しい現在だからこそ猶更、民族間の相互理解の重要性を改めて実感できた事が今回の大きな収穫となりました。。次回4月10日からはいよいよ新シリーズ『図解Japan Project』が始動。「入れ墨」「床の間」「折衷」「落語」「盆」…誰もが 知っているつもり の日本独特の習慣・風俗を果たして我々はどれだけ ちゃんと 理解しているのか?いま迄の「地球規模」から一転、ドメスティックな世界へと新しい視点へ変わっていきますが、変わらず図解を通じて見識が広がり、深まる様子を想像しただけでワクワク致しました。次回も宜しくお願い致します、有難うございました。
  • 久恒先生、みなさま、本日は図解塾ありがとうございました。今日は前回までの梅棹忠夫著作集第13巻『地球時代に生きる』の総括と、これまで久恒先生の図解で読み解いてきた第5巻『比較文明学研究』、第14巻『情報と文明』、第7巻『日本研究』を総括する時間となりました。おさらいを通して感じたことは、「民族」単位で見た「社会と文化の総合体」=「文明」が、それぞれどのような違いがあり、千年単位の昔から近代、現代までどう変化してきたか、これからどうなって行きそうかという膨大なテーマを、梅棹先生の独自の視点で比較・俯瞰することができた貴重な機会だったと改めて思いました。生態学やフィールドワークからの視点で、学校で習った地理や歴史にはない見解がとても面白く、また大いに納得する場面がいくつもありました。これも、図解があってこそ理解が進み、伝わってくるものも多かったものと感じます。また、手書き図解をパワポにしていく過程では、図解のパターンが知らず知らずの内に身に付いていく感覚もあり、大変よかったと思いました。ありがとうございました。 来月からの図解塾は、新しく「ジャパン・プロジェクト」ということで、「日本とは何か」を図解していくプロジェクトに入っていくとのこと。大変楽しみです。引き続きよろしくお願い致します!
  • 本日もありがとうございました。梅棹忠夫著作集シリーズの最終回ということで、感慨深いものがあります。特に「情報の文明学」では半世紀先を予言したような論考にただ驚くばかりで、知研セミナーで現代の高校教育改革に結び付けて話をしたり、「知的生産の技術」を読み直したくなって5回にわたる特別なセミナー「いま『知的生産の技術』をよみなおす」を開催させていただいたりしました。「文明の生態史観」や「日本研究」「地球時代に生きる」ではそれまでの見方や考え方ががらりと変わるようなことを毎回のように体験しました。今日の世界情勢を読み解く上でも大きく役立ったと思います。4月から始まる日本の文化や文明についてのシリーズ、楽しみにしていますし、自由課題を通して自分の日本を知る力が向上すると期待しています。
  • 今夜もありがとうございました。これまでの総集編を見せていただき、脳が沸騰しました。図解の深さに驚き、すごい学びを皆さんが積み重ねられたのだとわかりました。考えろと言われても、意見を言えと言われても、知の蔵が空っぽでは、何も言えません。考えるための素材が必要です。私も少しづつ図解にチャレンジして、知の蔵を豊かにしていきたいです。文章はごまかせるというお話はイタタタと思いました。図解をしながら、考えるというのに取り掛かってみようと思います。今日の図解本が出たら、絶対買います!
  • 3月の図解塾に参加させていただき、久恒先生、皆様ありがとうございました。本日は2年間のまとめであり、これからの地球時代における生き方の重要性を感じました。特に民族問題について考える必要性が浮かび上がりました。普段は地球規模で物事を考えることもなく、民族問題について深く考えたこともありませんでしたが、図解塾を通じてその重要性を理解しました。梅沢先生は、民族紛争の解決は容易ではなく、根気よく話し合いを重ねる必要があると述べられていることは、とても大切なことだと思いました。またインターネットや交通手段の発展により、世界が狭くなり、他国や地球規模で物事を考えることが求められているように思います。自国の歴史や世界観を把握することは難しいですが、梅沢先生の全集を読むことで理解が深まり、物事を考える基盤が整うと感じました。図解により理解が深まり、説明能力も向上すると期待しています。図解塾で多くのことを学び、皆さんとの意見交換は楽しい時間であり、心の財産になりました。次回の講座も楽しみにしています。ありがとうございました。
  • 先生、みなさま、お疲れ様でございました。本日もみなさんのさまざまな近況から始まり、久恒先生の近況のお話。アクティブシニア革命。楽しみですね。梅棹文明学の総まとめ。図解のフラッシュバックでしたね。あらためてこんなにやってきたのだと、びっくりいたしました。本日たまった図解を整理しようと試みたのですが、断念。近いうちに全部をまとめたいと思います。分厚い、中身も分厚い図解集になりますね。でも、これがまだ一部とは。。。22巻はすごいです。棹先生は、動物学からはじまり、生物学、文化、文明、民族、あらゆることを学ばれて、俯瞰し、自分の考えとして述べられていて、それを久恒先生の図解で、全体像をみながら関係性をみながら学ぶことができて、良い経験をさせていただきました。ありがとうございました。4月からの日本の文化の図解。楽しみたいと思います。
  • 久恒先生、みなさま、本日は図解塾ありがとうございました。今日は前回までの梅棹忠夫著作集第13巻『地球時代に生きる』の総括と、これまで久恒先生の図解で読み解いてきた第5巻『比較文明学研究』、第14巻『情報と文明』、第7巻『日本研究』を総括する時間となりました。おさらいを通して感じたことは、「民族」単位で見た「社会と文化の総合体」=「文明」が、それぞれどのような違いがあり、千年単位の昔から近代、現代までどう変化してきたか、これからどうなって行きそうかという膨大なテーマを、梅棹先生の独自の視点で比較・俯瞰することができた貴重な機会だったと改めて思いました。生態学やフィールドワークからの視点で、学校で習った地理や歴史にはない見解がとても面白く、また大いに納得する場面がいくつもありました。これも、図解があってこそ理解が進み、伝わってくるものも多かったものと感じます。また、手書き図解をパワポにしていく過程では、図解のパターンが知らず知らずの内に身に付いていく感覚もあり、大変よかったと思いました。ありがとうございました。 来月からの図解塾は、新しく「ジャパン・プロジェクト」ということで、「日本とは何か」を図解していくプロジェクトに入っていくとのこと。大変楽しみです。引き続きよろしくお願い致します!
 
 
 
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Akiko Suzuki松本龍
 
 

 

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新宿で橘川さんと昼食打ち合わせ。

カレーの「ガンジー

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夜はバーになる「DUG」でコーヒー。

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「名言との対話」3月27日。朝倉摂「芸術家の行為はレジスタンスです」

朝倉 摂(あさくら せつ、1922年7月16日 - 2014年3月27日)は、日本舞台美術家画家。父は彫刻家朝倉文夫。妹は彫刻家の朝倉響子。享年91。

彫刻家の父・朝倉文夫の「他人の子を育てている自分が、自分の子供を育てられないことはあるまい」という考えから、学校へは一切通わず家庭教師より教育を受けた。朝倉文夫の作品に、二人の少女の有名な裸像があるが、それは娘二人をモデルにしたものである。まだまだ当時はモデルのなり手がなかったために朝倉文夫は娘を使ったのだ。

長女の摂は日本画の道に進み、1953年には上村松園賞を受賞するなど才能を開花するが、1960年代からは舞台美術に関心を持つようになる。歌舞伎、前衛演劇、オペラ、舞踊、映画など幅広い分野で活躍。大胆で新鮮な舞台で話題を提供した。

JAL時代、1980年代に広報の仕事をしていたとき、舞台装置を海外に運ぶ案件で接触したことがある。その当時には舞台美術の朝倉摂の名はよく知られていた。また小田急線の唐木田駅前で見かけた少女像は凜とした雰囲気がありなかなかいい。誰の作品かとみたら、作者は妹の彫刻家・朝倉響子だった。

朝倉摂によれば、 絵画や彫刻は時間と空間を平面や立体に閉じ込めて永遠の時間を描く芸術であり、演劇・映画・音楽は時間そのものを描こうとする。その空間を受け持つのが舞台美術だ。舞台美術家の仕事は、戯曲の持つ意味をビジュアルに観客に伝えるかを考えることである。だから舞台美術は「時間」に対して明確なコンセプトを持つ必要がある。

舞台美術のアイデアは、古典絵画、シュールレアリズムの絵、廃屋、などあらゆるものがヒントとなる。材質への徹底したこだわり。階段はタテに動くことができるので無限の広がりを示すことができる。こういうところに、朝倉の仕事への姿勢がみえる。

主な作品としては、蜷川幸雄演出秋元松代作「近松心中物語」、市川猿之助演出梅原猛作「ヤマトタケル」、蜷川幸雄演出唐十郎作「下町万年町物語」などがある。

絵画では、1950年サロン・ド・プランタン賞。1953年上村松園賞。1972年講談社出版文化賞絵本賞。舞台美術では、1980年テアトロ演劇賞。1982年日本アカデミー賞優秀美術賞(『悪霊島』)。1986年芸術祭賞(『にごり江』)。1987年紫綬褒章。1989年朝日賞。日本アカデミー賞優秀美術賞(『つる -鶴-』)。東京都民文化事業賞。1991年紀伊國屋演劇賞(『薔薇の花束の秘密』ほか)。1995年読売演劇大賞優秀スタッフ大賞(『オレアナ』ほか)。2006年には文化功労者となった。

2022年に開催された練馬区立美術館の「生誕100年 朝倉摂展」を訪問した。神奈川県立近代美術館葉山での企画展を見逃したので。朝倉摂は、日本画家から始まり、デザイン、挿絵、絵本、そして舞台美術にたどり着いた表現者だ。時代を駆け抜けた感のある人である。この企画展をみて改めてその膨大な足跡を堪能した。『朝倉摂の見つめた世界』(青玄舎)を購入。

 若い頃から一貫して、「芸術家の行為はレジスタンスです」、「すべてに闘わないとだめ」といった姿勢を貫いた朝倉摂は、常に若々しいエネルギーに満ちた前衛の人であった。草分けとなった舞台美術という分野を創り上げた朝倉摂は、生涯現役で、生き物である劇場を喜ばせる仕事を天職としたのである。

 

朝倉摂 舞台空間のすべて

 

 

橋本大也『頭がいい人の ChatGPT&Copilotの使い方』(かんき出版)を読了。

橋本大也『頭がいい人の ChatGPT&Copilotの使い方』(かんき出版)を読了した。

ビジネス・コミュニケーションには「理解」「企画」「伝達」の3つのシーンがある。この3つをバランスよく大きくしていくのが、仕事で成長することである。それぞれ、学校教育では「よむ」「考える」「かく」だ。難しい言い方をすると、「認識」「創造」「表現」となる。私たちは生まれてから死ぬまで、この3つの能力を磨いているともいえる。

そういう私の考えから、「生成AI」を使うにあたってのこの本の主張を整理してみよう。

  • 「理解」ーー学者として使う。

  数十億冊を読んだ前代未聞の物知りから援助してもらう。

  • 「企画」ーー思考のパートナー、アシスタントとして使う。

  思考(調査。考える。要約。分類整理。シミュレーション。BS)。 

  企画(アイデア。新商品開発。企画書)。

  • 「伝達」ーー中級テクニックを身につけたエンジニアとして使う。

  プレゼン。可視化。各種生成AI(音声、動画、音楽など各種)

 

「生成AI」については、いくつか概念的な本、テクニックに偏った本をみてきたが、この本は、生成AIとは何かを噛んで含めるように説明してくれている。また具体的なプロンプトの書き方とAIの応答を並べてくれているので威力がよくわかる。そしてQRコードを使って、スマホで音声や動画などにアクセスできるという配慮も嬉しい。

今のところ、初級から中級あたりの読者にとって、この本以上の本は無いと思う。

2023年2月のデータを使って、2024年3月18日に刊行しているので、実際にプロンプトを打ち込んでみると、応答は進化している。開発のスピードが速いことを感じる。

この本の表紙には「仕事時間が3分の1になる!」になると書かれている。仕事と作業は違う。仕事は人間が行い、作業はITにまかせる。社内に仕事を残し、作業は外注する。こういう考え方からすると、仕事は人間が行い、そのための作業は生成AIにやってもらうということになる。

実際に時間を費やすのは、作業の方が多いのが実態だろう。そうすると今までの仕事時間の3分の2が削減されることになる。削減された時間は、創造的な時間として活用するか、あるいは仕事以外の時間として使えることになる。勤め人にとっても仕事革命が劇的に進行することになるだろう。また自由人にとっては、創造的な時間が増え、楽しみの時間も増えて、さらに豊かな人生が待っていることになるはずだ。

この本に沿って一人で学ぶのもいいが、初級者による読書会で、一緒に勉強するのもいいかも知れない。

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「連作と大作」。

「図解塾」の準備

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Kenichi Hagiwara: Songs list, genres, analysis and similar artists - Chosic

「名言との対話」3月26日。萩原健一「ジェットコースターのような人生だったけども、今後は2人でメリーゴーランドのようなゆっくりした人生を歩みたい」

萩原 健一(はぎわら けんいち、1950年〈昭和25年〉7月26日 - 2019年平成31年3月26日)は、俳優歌手。享年68。

グループサウンズの代表格、テンプターズのボーカルとして「エメラルドの伝説」を歌うなど華々しい活躍をした人である。タイガースの沢田健司研二(ジュリー)と並び、ショーケンとして人気を二分していた。その後、歌手だけでなく、俳優としてもい仕事をしている。『誘拐報道』でニホンアカデミー賞の優秀主演男優賞、『青春の蹉跌』でキネマン旬報ベストテンで最優秀主演男優賞も受賞している。

最期にみたのはNHK大河ドラマ「いだてんーー東京オリムピック噺ーー」の高橋是清役。このシーンは死後に放映された。

めまぐるしい生涯であった。飲酒運転での人身事故、交通事故、恐喝事件などでの逮捕歴。4度の結婚歴(2度目はいしだあゆみ)。一方で、生き方や演技のなどで、同世代や若手の芸能人に対する影響力も大きかった。

私とは同い年でもあり、この人のアップダウンのニュースには時折触れていたが、詳しくは知らなかった。今回ショーケンの言葉を少し知ることができた。

「今、新しい映画の脚本を書いているんだ。何かやりたいなら自分で動かないとね」。自分で動くから、トラブルも多くなったのだろう。

団塊世代よ、脱皮して新しい50代を楽しもうぜ」と語ったが、実際には、10年遅れたようだ。2011年の60歳での4度目の結婚の時には「ジェットコースターのような人生だったけども、今後は2人でメリーゴーランドのようなゆっくりした人生を歩みたい」と語っている。その後は芸能活動をしながら、東洋思想や仏教研究に取り組んだ。

「でも死なんて、メイビー、無になることでしょ。死の世界はホワイト。真っ暗じゃなくて真っ白って感じ。何も残らない。オレにはそれで充分ですよ」と死生観を語っている。

60代の前半にで空海真言宗を語っている。「空海との縁でいうと、20年ほど前に四国88カ所を巡礼しているんです。あのときは66番札所の雲辺寺毘沙門天の前ですごい達成感を覚えてね。オリエンタルなものを直観した。空海を演じる前に、あの感覚を再確認するため、もう一回88カ所を巡ったんです」。そして、「金剛峯寺というか、真言宗側は僕に対してとってもジェントリーですよ。とってもソフトでね。一歩、譲ってくれてます」。東洋思想、仏教、真言宗に心を奪われていたようだ。

「オレの人生は壮大な無駄使いでした」と総括したが、最晩年の10年近くは、落ち着いて、空海との同行2人を楽しんだのだろう。