上野:東博「法然と浄土宗」。「蓮玉庵」(池波正太郎が通った蕎麦屋。茂吉、鴎外、一葉、逍遥、万太郎も)

あまりに天気がいいので、妻と外出することに。今日は上野。

東京国立博物館で開催中の「法然と浄土宗」展。法然による浄土宗の開宗850年。国宝、重文を含む文献、絵巻、仏像のオンパレード。詳しくは「図録」を読んでから。

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上野の仲間地通りの蕎麦屋「蓮玉庵」で昼食。池波正太郎が通った店だ。上野の街も外人が多いが、この店はすいていた。まだ、人気作家が好んだそば屋までは情報が深まってはいないようだ。

この店の初代八十八が不忍の池の蓮を眺め、その葉の上にまろぶ玉のような露に因んでつけたのが店の名前である。「はちすはのにこりしまぬこころもてなにかはつゆをたまとあさむく」(古今和歌集僧正遍照

斎藤茂吉池之端の蓮玉庵に吾も入りつ上野公園に行く道すがら」。そして鴎外「雁」、一葉、逍遥の文章にも登場する店だ。店頭の「石額」は久保田万太郎の筆。こういう「いわれ」を知ると、歴史の中に生きている感覚がするなあ。

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鈴本演芸場」。

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昼の部のトリは「金馬」。夜の部のトリは「一之輔」。

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「名言との対話」5月17日。平賀淳「僕をヒマラヤに連れて行ってください」

平賀 淳(ひらが じゅん、1978年9月13日 -2022年5月17日 )は、日本の山岳カメラマン。享年43。

山梨県甲斐市出身。少年時代にカメラ撮影に目覚める。韮崎高校では山岳部で登山に熱中。日本映画学校で映像や写真を学ぶ。

2003年からの10年間は、ヒマラヤ山域を撮影した。この10年間の登山リストを眺めると、毎年凄まじい頻度で500mから600m級の山々に挑んでいることがわかる。2007年には野口健のエベレスト登山に帯同し登頂を果たす。「僕をヒマラヤに連れて行ってください」は、「野口健エベレスト清掃登山」にカメラマンとして参加を懇願したときに野口健に言った言葉だ。平賀は野口の弟分という存在となっていく。

世界50カ国以上の秘境や自然を舞台に撮影活動を行った。その成果は主にテレビ番組で報道されている。2022年5月のアラスカで滑落死。野口健は「平賀さん、早く帰ってきてください」と語っている。

冒険、探検の分野の植村直己星野道夫、長谷川恒夫、そして平賀淳も43歳の若さでの死である。角幡唯介は「冒険系表現者に43歳で死ぬ者が多いのは」、男の厄年としたうえで、「43歳が人生のある種の頂点を形成しているからだ」と述べている。

五大陸の最高峰登頂、犬ゾリによる単独北極点到達などを成し遂げた「不死身」といわれた植村直己の「植村直己冒険館」、「長い旅の途上」でヒグマに襲われて客死した星野道夫の企画展などを思いだした。

さて、43歳という年齢である。冒険家たちの精神と肉体の頂点という角幡の見立てには納得感がある。この年齢は彼らにとっての厄年で、頂点であり、下降に向かう出発点であるかもしれない。

山田風太郎『人間臨終図鑑Ⅰ』で43歳を引くと、植村直己以外には、滝田樗陰、若山牧水直木三十五、西竹一、田宮二郎などが並んでいる。彼らのあげた業績は、それまでのものだったのかと驚く。

自分の場合の43歳はどういう時代だったのだろうか。会社の危機に際して設置された社長直轄組織で、早朝から深夜まで奮闘していた頃だ。精神的、肉体的な頂点の時代だったから乗り切れた感じもする。

思い返せば、その年齢で転職の誘いがあった。それからの30年は思いがけない新しい世界の光景を見ることができた。あのまま進んでいたら、クレバスに落ちていたかも知れない。そういう難しい年齢だったのだろう。

1978年生まれの平賀淳は、もし生きていたら、どういう生涯を送ることになっただろうか。見てみたい気がする。

 

 

 

 

 

 

寺島文庫。ほんまる。岩波。BOOK HOUSE.。紀伊国屋書店。ビックカメラ。オステオパシー。読書会。

今日は、九段下、神保町、新宿、立川と動き回った。

まず、九段下の寺島文庫で寺島さんと面談:近況報告。アクティブ・シニア革命。インテリジェンスユニット。シェア本棚。食事会。知人の消息、、、、。林遼太郎さんとも会話。

神保町のシェア書店「ほんまる」で自分の棚を確認。

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 岩波のカフェで執筆途中の本の原稿。

 本日発刊の寺島実郎『21世紀未来圏 日本再生の構想』を購入。

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 「BOOK HOUSE」で昼食。絵本の語りの会に紛れ込んでしまった。

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新宿:「ビックカメラ」「紀伊国屋書店

立川のカフェで執筆途中の本原稿チェック。

 オステオパシーで体を整える。

20時:自宅からリモートの「知研読書会」。半分は新メンバーで、紹介された本も多彩で面白かった。共通点は、「よりよく生きるための本」だった。

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私は寺島実郎『21世紀未来圏 日本再生の構想』(岩波書店)を紹介。

以下、紹介された本。

詳細:都築 功 | Facebook

「多彩なバックグラウンドをもって活動されている方々ばかりで、自己紹介を聞くだけでもとても楽しかった会でした。まさに「本を介して人をつなぐ」ということが実感できました。」


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「名言との対話」5月16日、澤田隆治「残さなあ、かわいそうやないですか」

澤田 隆治(さわだ たかはる、1933年昭和8年〉3月18日 - 2021年令和3年〉5月16日)は、日本テレビプロデューサーテレビディレクターラジオプロデューサーテレビランド代表取締役社長。享年88。

大阪府吹田市出身。神戸大学文学部日本史学科卒業後、朝日放送に入社。朝日放送「魔王」と恐れられるなど活躍、東販企画社長も兼務しプロデューサーとして大活躍する。1980年代の漫才ブームの仕掛け人でもあり、多くの芸人を育てている。

澤田のキャリアはヒット作品の連続だ。私が知っているだけでも、「スチャラカ社員」「新婚さんいらしゃい」「てなもんや三度笠」「伝七捕物帳」「裸の大将」「花王名人劇場」「ジュームイン!!朝」、、などがある。

『私説コメディアン史』などの著作、「NHK人間大学」での「笑い学コウザ」、『ABC落語ライブラリー』なども手がけている。そして「笑いと健康学会」の会長もつとめた。
放送芸術関係やアニメ、映画などの専門学校の校長としても人材の育成を行っている。亡くなる寸前まで、新聞連載、テレビ出演などで「喜劇」の歴史を語り続けた八面六臂の活躍をした超人である。

澤田の多彩な業績の中で特筆されるべきは、映像製作だけでなく、喜劇人たちの足跡の記録を残したことだ。『私説コメディアン史』、千ページを超える『笑人間』、『上方芸能列伝』、『笑いの放送史」、『笑いをつくる』『漫才ブームメモリアル』、『テレビは何を伝えてきたか』そして、花登や雁之助、永田キング、ルーキー新一さだまさし、森光子、ひょうきん族などを紹介した本も多い。軽く見られがちで、消えていった芸人たちへの愛情を感じる。

テレビの創成期の渦中にいながら、その流れを冷静に見つめ、そして喜劇という分野を、映像などの現物だけでなく、その意味と意義を問い続けた。「残さなあ、かわいそうやないですか」というように、深い愛情と強い意志で記録に残そうとしたのである。澤田隆治という希代の喜劇人の真骨頂はここにある。

 

「幸福塾」の「新・代表的日本人」シリーズ:「切磋する敵」の2回目は「意外なライバル関係」。

5月15日は、1932年に犬養毅首相が暗殺された「五・一五事件」の日だ。

今日の幸福塾の「新・代表的日本人」は、意外なライバル関係をテーマに18組を紹介した。個人を追うのではなく、ライバルとの関係の中で浮き上がる個性や特徴を講義した。準備も大変だったが、私自身も面白かった。

自分のライバルとの関係についても改めて考えるいい機会になった。

「幸福塾」

以下、塾生の学び。

  • 本日もありがとうございました。さまざまなライバルの形を知ることができました。藤田宜永小池真理子夫婦で作家でライバルで、おしどり夫婦なんて、どんな生活をしているのかと気になりました。後藤新平北里柴三郎の仲が悪いライバルから親友になってお互い助け合うところ、岩崎弥太郎渋沢栄一も、競っていて一緒に日本郵船をつくるところ、などやり取りが面白かったです。大山康晴升田幸三のお話も印象に残りました。升田がチェスはとった駒を殺すが、将棋は生かす、日本人の精神そのものだ。と、おしゃべりが面白い人気者の升田幸三に対して努力家な大山康晴。性格を知ることで二人の関係も浮き出てきました。また、小澤征爾山本直純のように、タテに伸びる人とヨコに伸びる人。すみわけ、される方々のお話もあり、いろいろなライバルの形を知ることができました。こうやって比べてみると、何度もお名前が出てくる方々も違った側面を知ることができ、偉人たちとはいえ、みんな人間なんだなぁ。と親近感を持つことができました。ライバルと呼べる友や先輩たちはやはり必要ですね。 次回もどうぞよろしくお願いいたします。
  • 本日もありがとうございました。人数はいつもより少なかったけど、盛りだくさんの内容でした。先月のライバル関係の続きです。何と18組!徳川幕府の2傑小栗上野介勝海舟、作家の夫婦の藤田宣永と小池真理子、画家の兄弟村上隆と村上裕二、水泳の古橋広之進と橋爪四郎、指揮者の小澤征爾山本直純内務省でライバルで後に友人となる後藤新平北里柴三郎高校野球監督の上甲正典馬淵史郎、柔道の山下泰裕と斎藤仁、船舶輸送会社同士に加え女性をめぐる岩崎弥太郎渋澤栄一、漫画家の手塚治虫水木しげる、将棋の坂田三吉と関根金次郎、鉄道会社の五島慶太堤康次郎社会党自民党浅沼稲次郎池田勇人自民党総裁を争った田中角栄福田赳夫、将棋の大山康晴升田幸三、落語の古今亭志ん朝立川談志、浮世絵の葛飾北斎安藤広重、写真家の土門拳木村伊兵衛。それにしても、よく調べられたと感嘆しました。 それぞれ、非常にバラエティに富んだライバル関係でした。中には自民党総裁選のようにむき出しの権力闘争もありますが、互いにリスペクトする関係、あるいは一方がもう一方を目標とするような関係、または互いに「すみわけ」をして真正面からぶつかるのを避ける関係など。誰にも多かれ少なかれライバルをもった経験はあり、それが成長する上で非常にプラスになってきた、ということが改めて分かります。まさに本日のタイトル通り「切磋するライバル関係」です。
    来月は「琢磨する友」。また楽しみです。

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「名言との対話」5月15日。岸井成格「たるんじゃったな、みんな」

岸井 成格(きしい しげただ、1944年9月22日 - 2018年5月15日)は、日本政治部記者

慶應義塾大学卒業後、毎日新聞入社。ワシントン特派員を経て、1991年論説委員政治部長、編集局次長、論説委員長、主筆、特別編集委員等を歴任。2016年3月までTBS「NEWS23」アンカー。TBS「サンデーモーニング」コメンテーター。

第2次安倍政権の特定秘密保護法案や安全保障関連法案などを批判する論陣を張った。2016年2月、放送局に対する停波命令の可能性に言及した高市早苗総務大臣の「電波停止」発言には、田原総一朗氏ら他のジャーナリストとともに抗議声明を発表した。この会見で「権力が強くなれば腐敗し、暴走するのが政治の鉄則。そうさせてはならないのがジャーナリストの役割だ」と、訴えている。

佐高信との対談『保守の知恵』では、「保守とは解決できないことを両者がどうにか平和りに共有し合って、事態を乗り越えていくということ」と語っている。慶應でゼミ同期の佐高信は、岸井は保守だったが、時代が右になって今では左だと言われていると講演で語っていたのを私も興味深く聞いたことがある。

岸井の著書『議員の品格』を読んだ。政治の劣化は、小選挙区制と一票の格差にあるとしている。そして有権者に側にも品格が求められると言い、選ばれた議員は国民の鏡であり、国民にも、そしてメディアにも品格がもとめられると述べている。

NEWS23」アンカーとしての最後の出演となった放送で、岸井は次のように述べていた。「報道は変化に敏感であると同時に、やっぱり極端な見方に偏らないで、そして世の中や人間としての良識・常識を信じて、それを基本にする。そして何よりも真実を伝えて、権力を監視する。そういうジャーナリズムの姿勢を貫くとうことがますます重要になってきているなと感じています」。

TBS「サンデーモーニング」の司会者・関口宏は見舞いの時の最後の言葉を紹介している。「何か言いたいことない」って聞いたら、一生懸命、彼は声に出そうとして、「たるんじゃったな、みんな」と言った。

岸井成格の遺言どおり、政界も、経済界も、官界も、学界も、メディア界も、すべてにおいて、「たるみ」があると感じる時代になった。そして岸井の死から6年経って、「令和」の幕が開いたのだが、ピンと張った緊張感がゆるみ、「たるみ」はさらに膨らんで、だらしなく、醜い姿をあらわしてきた感じがする。

 

 

 

『「図解の技術」大全』の刊行に、ようやく目途が立った。

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(後姿探検隊)

今日は、出版社の編集者と会って、進行中の企画について、じっくりと相談をした。

2020年から『図解コミュニケーション全集』の刊行を続けてきた。第8巻まで刊行済みで、現在第9巻を編集中だ。

並行して、『「図解の技術」大全』』の執筆を継続してきた。本日、編集者に第3章までの修正加筆した原稿を手交した。残りの4章、5章の完成にかかる。これでようやく目途がたった。10月刊行予定でスケジュールを組んだ。

400ページに近い大作になる。これを『全集』の総集編の第10巻とすることにしたい。

全10巻の『全集』と総集編の大作『大全』で、「図解」というライフワークがひとつ完成することになる。

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  • NHKアーカイブス「昭和人物史」の「永井荷風」の①②を聴く。永井荷風の華麗な生い立ち、銀行を含む職業遍歴、そして38歳から亡くなる前日まで42年間にわたって書き続けた『断腸亭日乗』という日記の意義。この放送に刺激を受けて、荷風の言葉を拾ってみた。「世間のつまらぬ不平や不愉快を忘れるには学問に遊ぶのが第一の方法である」「休戦の祝宴を張り皆々酔うて寝に就きぬ」「もし今日の東京に果たして都会美なるものがあり得るとすれば、私はその第一の要素をば樹木と水流に俟つものと断言する」
  • NHKラジオ深夜便の聞き逃し配信で「帚木逢生」(精神科医・作家)のインタビューを聴く。この人は1947年生まれ。東大の仏文を出てTBSに入社。すぐに辞めて故郷に帰り九大医学部を卒業して精神科の医者になる。以降、作家と医者の二刀流で生きてきた人。その二つは実は一つであった。「ネガティブ・ケイパビリティ」ということを説明していた。答えの出ない事態に耐える力 が重要だと力説。「仕事の中身を変えるのが骨休め」とも。以前読了した『日御子』。2-3世紀の弥摩大国と漢・魏・晋と韓半島との交流と女王・日御子の物語。通訳を家業とする使譯の「あずみ」一族の代代が語り部となって物語が展開する。一族の教え「人を裏切らない」「人を恨まず、戦いを挑まない」「良い習慣は才能を超える」、「仕事の中身を変えるのが骨休め」を軸に展開する。鉄、倭国、那国と奴国、金印、生口、氷室、紙、文字、人と人を結ぶ、天と人を結ぶ日御子、人の人たる土台、親魏倭王、戦いへの備えと交易は裏表、玄学、、、。

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「名言との対話」5月14日。河合雅雄「サルまで立ち返って人間性の根源を調べにゃならん」

河合 雅雄(かわい まさを1924年大正13年)1月2日 - 2021年令和3年)5月14日)は、日本の霊長類学者、児童文学作家理学博士。享年97。

兵庫県丹波篠山市出身。旧制新潟高校から京都大学理学部動物学科御卒。日本モンキーセンター所長。朝日賞、紫綬褒章などを受賞している。

日本における「サル学」の創始者たる今西錦司に学生時代から師事し、宮崎県の幸島の野生のニホンザルを研究した。それぞれのサルの顔と覚え、名前を付けて、戸籍をつくる。餌づけに成功し個体を観察することによって、社会の存在を確認した。ある若いサルが芋を海水できれいに洗って食べるという行動をした。それがすべての猿の行動、もっと言うと文化になっていくことを発見するなど、徹底したフィールドワークはに基づいた日本の「サル学」は世界の注目を浴びた。

河合は日本の「サル学」の道を切りひらいた霊長類研究の世界的権威となっていく。この辺りのことは、私は「梅棹忠夫著作集」第7巻「日本研究」の「高崎山」をワクワクイしながら読んでいる。

NHKテレビ「100年インタビュー」で河合雅雄は、3つの要件を持つサルが人間であると喝破していた。一つは日本足歩行。二つ目は社会集団の単位は家族(日本の発見。父親の存在)。三つ目はコミュニケーション(言葉)。サルと違って、人間には「父親」が存在する。その役割は、守る、経済、養育であるとし、男女が共同して養育にあたることが特長だと語っている。

日本では猿は人間にとって身近で親しい存在だが、西洋では単なる動物として研究対象にしている。日本ではサルと人間は地続きである点が西洋とは違う。そういう関係が、独特の「サル学」を生んだのである。

河合雅雄は、霊長類学者である一方で、草山万兎(くさやま・まと)というペンネームを持つ児童文学者で、童話を書く作家でもあった。「霊長類学」という科学の研究をする一方で、人間には「創造する力」があることを証明したいとのことで二刀流の生活を送っている。

河合隼雄という有名な臨床心理学者は弟である。調べてみると、河合兄弟は男ばかりの6人兄弟だった。長男は外科医、次男は内科医、三男の雅雄は霊長類学者、四男は歯科医、五男の隼雄が臨床心理学者、六男は脳神経学者。この兄弟が、人間の肉体と精神と脳の世界に挑む風景は壮観である。互いに「人間」についての情報を交換しあったのだろう。

河合雅雄は戦争が終わって、どうして人間はこんな愚かなことを繰り返すのかと考える。人間とは何か、それを根源から調べよう。それには大本から、つまりサルを対象にしようと考えたのだ。「サルまで立ち返って人間性の根源を調べにゃならん」、それが河合雅雄の人間研究の動機だった。

 

 

 

 

 

 

 

ユーチューブ『遅咲き偉人伝』ーー「坂村真民」をリリース「クヨクヨするな。グラグラするな。ボヤボヤするな。ペコペコするな」

 

『遅咲き人伝』の50本目は。詩人の坂村真民。真民の詩は心に響く。

「凡才は長生きの手しかないかな」「全てとどまると くさる」「人間は本物に出会わなければ、本物になれない」「悟りとは 自分の花を咲かせることだ」「人間は終焉に向かって 自分を磨いて ゆかねばならならぬ、、」「ふかきを きわめ あさきに あそべ」


https://www.youtube.com/watch?v=xHwo8Fl-Xz4

「遅咲き偉人伝」で取り上げた人物:松本清張永田耕衣鈴木大拙宮脇俊三伊丹十三加藤廣グランマ・モーゼス。森光子。山口洋子佐藤忠良柴田トヨ。村野四郎。片岡球子。古川薫。川田龍吉。宇野千代葉室麟石井桃子白洲正子ゴッホセザンヌ壺井栄今西錦司宮尾登美子吉田茂渡辺京二石橋正二郎新藤兼人東山千栄子。小野寺百合子。原田マハタモリ戸田奈津子綾小路きみまろ樹木希林山本博。尾畑春夫。藤沢周平。松岡和子。伊能忠敬東山魁夷

1909年生まれには著名人が多い。水原茂斎藤史大岡昇平淀川長治中島敦横山隆一太宰治益田喜頓土門拳上原謙まどみちお田中絹代森口華弘埴谷雄高松本清張。中里恒子。「名言との対話」でまだ取り上げていないには、斎藤史上原謙森口華弘くらいか。

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「アクティブ・シニア革命」:8pのモデル版。台割表。

「アクティブ・シニア革命」編集部ミーティング

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「名言との対話」5月13日。瀬戸雄三「月給取りになったらアカン」

瀬戸 雄三 (せと ゆうぞう、1930年2月25日 - 2013年5月13日) は日本の実業家

絶頂期に入社し30年続く転落で「夕日ビール」と揶揄されたアサヒビールの社長としてスーパードライを無敵の商品に育て上げた人である。1992年に社長になって「キレとコク」のスーパードライに「鮮度」を加える。社内の軋轢を乗り越えて製造後20日以内の出荷を10日を宣言し、その後も手を緩めることなく5日にするという目標を達成している。製造から物流にまで徹底的に改革したのだ。97年にはスーパードライはついにナンバーワンになった。私もこのうまいスーパードライのファンになった。現在では製造後、3日以内となっているそうだ

日経新聞私の履歴書」が元となった自伝『月給取りになったらアカン』(日経)を読んで、たたき上げの営業マンのファイトあふれる、足が地に着いたリーダー論に共感した。

・よい人材をいかにやる気にさせるかがリーダーの役目である。

・リーダーは演出家である。

・社長業は駅伝と同じだ。必死で走り、順位を上げて、バトンを渡す。

・リーダーは、目標を達成するために組織の先頭に立って一番つらい仕事をする。

・リーダーは情報の坩堝(るつぼ)でないといけない。

・経営者は、明快な方針をわかりやすい言葉で組織に示し、組織をダイナミックに動かしていくことが重要だ。

波瀾万丈での企業人生を送り、「変化と挑戦」を続けた瀬戸雄三のリーダー論の中で、私は不満や理由を取り除き現場の負担を解消するという考えに共鳴する。公式な報告だけでなく、現場の本音の「生」の情報に接して、情報の坩堝となって問題のありかをとらえるべきだ。スーパードライと同様に問題の「鮮度」に敏感に反応し、明快な解決策を講じ、すぐさま実行していく。そのサイクルをまわす役目が目指すべきリーダー像であろう。

「月給取り」は、サラリーマン、奉公人、社員などともよばれるが、どういう心構えで仕事をすべきか。私が共鳴した、大成した人たちの言葉を聴こう。

  • 小林一三「サラリーマンとして成功したければ、まずサラリーマン根性を捨てることだ」「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしてはおかぬ」「金がないから何もできないという人間は、金があっても何もできない人間である」
  • 上原正吉「奉公人根性を去れ」は、本人の心構えを窺える言葉だ。若い頃から、奉公人意識ではなく経営者として当事者意識でことにあたったのであろう。
  • 山口瞳「(新入社員)諸君、一所懸命はたらきなさい。誠心誠意ではたらき有能な社員になってください。有能な社員とは、役に立つ社員のことです。役に立つ社員とは、何か自分のものを持っている社員のことです。誠心誠意はたらきなさい。ミミッチイ考えを起しなさんな。給料分だけはたらけばいいだろう、なんて薄ぎたない根性をお持ちになったらオシマイだよ」

意識が、心構えが、志が、人を育てることを痛感する。

 

 

 

今村将吾『塞王の盾』ーー「最強の盾」と「最強の矛」の戦いを描いた至高の作品。

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今村将吾の直木賞受賞作『塞王の盾』をオーディブルで19時間かけて聴き終わった。

舞台は戦国時代。どんな攻めをもはね返す石垣と、どんな守りをも打ち破る鉄砲との戦い。「最強の楯」を誇る職人集団と「最強の矛」を誇る職人集団の対決という「矛盾」を描いた至高の作品だ。

テーマは「戦争と平和」ということになるだろう。矛や盾は何のためにあるのか、を問い続ける塞王と呼ばれる棟梁の心の動きを描いている。現代の問題に正面から取り組んだ力作だ。

最強の防御壁と最強の攻撃兵器。守りの工夫と攻めの開発の限りない競争。だが、これらは本当に強いのか。

石には声がある。石工職人の頭は「石は人である」ことを知る。生花の師匠は「活けたら花は人になる」とも語っていたことを思いだす。日本の山川草木の自然の中には人がいて神がいる。

少年のころに落城という悲劇によって家族を亡くした経験を持つ、石工の頭となっている主人公の匡介。「絶対に破られない石垣」を造れば、誰も攻撃をしようとは考えなくなり、民を泣かせる戦いは無くせると考えていた。

一方、戦いで父を喪った鉄砲職人の彦九郎は「どんな城も落とす砲」で皆に恐怖を植え付けることによって、誰も戦いを望まなくなり、戦いは無くなると考えていた。

天下を統一した秀吉が衰え死に至る。豊臣と徳川の戦いの気配が近づく。琵琶湖畔にある大津城の「ほたる大名」と呼ばれた京極高次は、匡介に石垣造りを依頼する。豊臣方の石田三成は、彦九郎に強力な鉄砲作りを依頼する。

西陣営の激突の勝敗を左右すると思われた大津城をめぐる攻防は、侍の戦いであると同時に、当代最高の職人集団の生存をかけた対決の場でもあった。

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「幸福塾」の準備に着手。

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旺文社『高二時代』第4巻第9号(1967)より

「名言との対話」5月12日。ジョージ秋山なにがすごいって、人の心を和ます奴ほどすごい奴はおらんだろうなぁ・・・」

ジョージ 秋山( - あきやま、本名:秋山 勇二(あきやま ゆうじ)、1943年昭和18年4月27日 - 2020年〈令和2年〉5月12日)は、日本漫画家。享年77。

東京都日暮里出身。中学卒業後、貸本漫画の取次店で仕事をしながら漫画家を目指す。1969年に「バットマンX」で講談社児童まんが賞を受賞し逆漫画家となる。

1970年代になって「銭ゲバ」、「アシュラ」など露悪的な描写で有害図書に指定されるなど話題になる。

1971年以降は青年漫画誌に活動をひろげる。1973年から『ビッグコミックオリジナル』に「浮浪雲」の連載を始める。幕末の品川宿でゆるやかに生きる主人公を中心に市井の人々の喜怒哀楽を描いた、この時代劇漫画は大ヒット作品になった。連載は2017年まで44年という記録的な長さとなった。2度にわたり、テレビドラマとなった。

1984年からは成人向けの漫画に手を染め、日活ロマンポルノの作品ともなった。また、聖書の漫画化にも取り組むなど、生涯にわたり、様々なジャンルを漫画という武器で渉猟した。

私自身はジョージ秋山の作品には接していない。代表作『浮浪雲』では多くの人々から共感を寄せられた。それは、主人公が語る言葉に魅了されたためだろう。

以下、いくつか拾ってみた。

「富士山に登ろうと心に決めた人だけが富士山に登ったんです
散歩のついでに登った人は一人もいませんよ・・・」という前向きな言葉もあるが、多くは次のように脱力系だ。

  • 立派になろうなんてのは、疲れますから、自分のやりたいことだけ、自分が楽しいことだけ、考えたらいいんですよ。
  • 怠けるだけ怠けたら、やる気になりますよ。人間なんてそんなもんですよ
  • 小事を気にせず 流れる雲の如し

そして、「なにがすごいって、人の心を和ます奴ほどすごい奴はおらんだろうなぁ・・・」という言葉もある。また、「人生で一番大切なことは 機嫌がいいこと」とも言っている。

平凡な日々を上機嫌で暮らすこと、そして周りの人の心を自然に和ますこと、そういう存在が大事だという人生観だ。他の作品も読んではいないので、ジョージ秋山は漫画家という職業は、そういう生き方にいい影響を与える仕事だと考えていたのだろうとしておこう。

 

5月の快晴の土曜日の一日

快晴の土曜日。

  • ブログ執筆:公文俊平情報塾。反戦・平和作家の早乙女勝元
  • テレビ体操:2004年のブログ開始以前の2001年あたりから毎日行っている。体力維持の基礎部分という感じ。
  • ヨガ教室で1時間:2016年頃から毎週土曜日の朝9時から。この時間は身体と精神をリフレッシュする時間。
  • 松田俊秀君から電話あり。近況交換。
  • 唐木田で妻と昼食。往復6500歩。アラビアータとワインとコーヒーを楽しむ。

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  • 昼寝。
  • 散歩3500歩:家族、女性同士で散策する人が多い。平和な風景。
  • 今村将吾『塞王の盾』(オーディブル):自宅や散歩途中で聴いている。もうすぐ読了となる。時代は戦国時代だが、テーマは「戦争と平和」ということだろう。城の石壁職人集団の棟梁と鉄砲を得意とする集団との激突。石は人である。
  • 内村鑑三著・鈴木範久訳『代表的日本人』(岩波文庫):以前読んだだ記憶があるが、改めて本格的にここ数日で読み、本日風呂で読了した。
  • ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」を改めて堪能。
  • テレビ「プロジェクトX」:明石海峡をまたぐ全長4キロの世界一の橋をつくりあげた男たちの物語。上司と部下。師と弟子。
  • 明日の「名言との対話」の準備:中西太阿部牧郎か。

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西鉄時代の中西太氏 ― スポニチ Sponichi Annex 野球

「名言との対話」5月11日。中西太「何苦礎(ナニクソ)」

中西 太(なかにし ふとし、1933年4月11日- 2023年5月11日)は、プロ野球選手内野手)・コーチ監督解説者評論家。享年90。

香川県高松市出身。高松第一高等学校時代から豪打で「怪童」とよばれた。1951年の夏の甲子園大会では準決勝に進出した。翌1952年に西鉄ライオンズに入団して新人王に選ばれた。1953年はホームラン36本、86打点で二冠王となり、打率3割1分4厘に加え、36盗塁もマークし、史上3人目の「3割30本30盗塁」を達成した。

1954年は本塁打王、1957年は打点王のみに終わったが、1955年と1958年は首位打者本塁打王、1956年は本塁打王打点王となった。入団7年目で計4回も二冠王となった。水原巨人を3年連続破った三原監督率いる西鉄黄金時代の豪打瞬足の4番打者である。

1959年以降は右手首の故障により代打出場が多くなり、1962年からは監督兼任、1969年で現役を退いた。

中西はホームラン王を5回とった打者である。その飛距離は圧倒的で平和台球場の場外ホームランは日本プロ野球史上最長飛距離(一説では162メートル)であるといわれている。また打球の速さが他の打者とは違った。そして瞬足であった。このあたりは大谷翔平を彷彿とさせる。ユーチューブの画像で、大谷については、身体の進化、努力、人間性をあげ、毎日テレビで応援していると語っている。

三原マジック」といわれた義父の三原脩から受けついだ野球と人生にかんするメモを満載した「三原ノート」は、日本ハム栗山英樹監督に引き継がれた。その流れがWBCの優勝につながっているのだろう。

現役引退後は監督として日本ハムファイターズ阪神タイガースなどの監督や代行を務めた。またいくつかの球団のコーチとして、若松勉岡田彰布掛布雅之宮本慎也など多くの逸材を育てた名コーチでもあった。中西はグラウンドでの豪打に似ず、意外なことに繊細な性格だったという見方が多いことを初めて知った。

中西の活躍した時代は私が小学校にあがる前である。私は長島のいる巨人ファンだったが。周りには西鉄ファンが多かった。その中心にいたのが中西だった。

中西太座右の銘はナニクソをもじった「何苦礎」である。何ごとも苦しい時が自分の礎をつくるという意味だ。この言葉は後輩にも影響を与え、岩村明憲田口壮らが引き継いでいる。豪打、俊足の天才打者・中西太はナニク魂の持ち主だったのだ。