寺島実郎の「世界を知る力」ーーシンガポール報告。「青藍工房 Parisの予感」展。「アートアクアリウム美術館GINZA」

寺島実郎の「世界を知る力」(5月)。

  • 日本は閉塞状況の中にある:円安の進行。融解する政治状況。
  • 日本経済:アベノミクスの呪縛からの脱却が必要
  • アベノミクスの実態:日本の産業は2割圧縮。国民は窮乏した(給与・消費はダウン。輸入インフレ)。
  • 経済・産業の再生:「豊かさの追求」から「国民の安全と安定」へ。イノベーションの鍵は「総合エンジニアリング力」。ファンダメンタルズへの回帰「食と農」「医療と防災」(基幹産業へ)。「人材」(多国籍軍を率いるプロジェクトリーダーが必要)。
  • 大中華圏の中核としてのシンガポール:光「アセアンの真珠」(一人GDP8.5万ドル。多民族共生。外交の中立性)。影「笑顔の北朝鮮」(一党支配)。首相交代でターニングポイントを迎えている。
  • シンガポール2024:大英連邦(ユニオンジャックの矢)と大中華圏の交点、英国のアジア帰り。グレートエスケープは中国をどう変えていくか。日本の存在感の後退(2万人の節税移住者。小売り・外食産業の進出)
  • 日本シンガポール交流史と豊かな国造りからの教訓:アセアンの重要性。公(パブリック)への貢献のための選択と貢献。文化力の劣化をどう補うか)

以下、図メモ。

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午後:銀座

銀座かねまつ」の「青藍工房展 Parisの予感」。

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  • メタモジの浮川初子専務。「空間プロデュース」「青藍と3D文字のコラボ」「日本人のDNA]「ワフリカ」「立体文字」「十二支を古代文字・金文で」
  • トークセッション:日本の藍(ジャパンブルー)とフェルメールブルー(ラピスラズリ)と北斎ブルー(広重ブルー)のベロ藍(ベルリン・プルシアンブルーからベルリン藍と命名)の交流。3D文字がオブジェに。徳島。藍師。漢字は図像・絵。ワフリカ(Wafrica)。文化的精神性。伝統に新しいものを加えて日本と日本人のDNAをとり戻そう。

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MetaMoJiの浮川和宣社長と浮川初子専務と。

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銀座三越の「アクアリウム美術館」を見学。

優美に舞う金魚を使った幻想。生命が宿る美術館。

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上岡龍太郎さんは「意外と頼りなくて」 ラジオで20年共演した桂雀々さん - 産経ニュース

「名言との対話」5月19日。上岡龍太郎「僕の芸は20世紀まで」

上岡 龍太郎(かみおか りゅうたろう、1942年昭和17年〉3月20日- 2023年令和5年〉5月19日)は、日本漫才師司会者、元タレント。享年81。

京都市出身。主に関西で活躍したお笑い芸人で、番組の司会者としても人気が高かった。流ちょうな話術と博覧強記で理路整然と語る。独特のユーモア、鋭い洞察、切れ味のいい毒舌、社会的風刺が含まれておりファンが多かった。

話の入り口には、和歌、俳句、ことざわなどを使う講談調の滑らかで知的な雰囲気を感じさせる話術だった。やしきたなじんとともに大阪を代表するタレントであった。そのため、この二人の名前は知ってはいたが、その芸は身近に感じてはいなかった。

上岡龍太郎は「芸能生活40周年を迎える2000年の春になったら完全に隠居する」と宣言していたとおりの行動をとった。まだ58歳だった。

「僕の芸は20世紀まで」とタレント自身がいうのは珍しい。40年もの間、浮き沈みの激しい芸能界を見事に泳ぎ、スターの地位まで昇りつめた。その間、時代の変遷や社会の変化に対応しながら、大衆の笑いを生み続けた人だ。

長い間、自分を励まし、芸を磨いてきて、これ以上の自己刷新は無理だと判断したのだろう。

現在も大御所として活躍しているコメディアン、俳優、映画監督の道を歩んだ「たけし」、最近は「ブラタモリ」で圧倒的な才能示した「タモリ」、落語を究めるだけでなく、日本全国を歩きまわり人気の人柄が知れ渡った「鶴瓶」などを眺めると、彼らの歴史は、自己革新の連続だったように感じる。いつの間にか、新しい分野に移動していき結果的に幅の広い、そして奥の深い領域にたどり着いている。彼らは学び人である。

上岡龍太郎の場合は、その過酷な成長のサイクルを、人気の低迷という事実を突きつけられてからではなく、また病気のよる断念でもなく、自らの意志で断っている。その「出処進退」の哲学とそれを実践することができたこの人に私は興味を覚える。

引退後の生活をさぐると、ほとんど公式の場には登場せずに、定年後の隠居生活で静かな暮らしを楽しんでいたようだ。

最後の最後まで「芸」にこだわって、それを讃える報道もよくありそれも感動を誘う。一方で上岡龍太郎のスッキリした出処進退の美学にも感銘を受ける。人生100年時代の生き方の一つのモデルのあげておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「公文情報塾」の「参謀」の読書会の動画。

5月10日の公文情報塾のテーマは「参謀」。最初に私は30分ほどのミニ講義を行った。その動画がリリースされた。

https://www.youtube.com/watch?v=f2r6k7a1UBA&t=55s

以下は、作成した資料。

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朝はヨガで汗をかいた。
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若山弦蔵の写真、名言、年表、子孫を徹底紹介 | 昭和ガイド

「名言との対話」5月18日。若山弦蔵「アテレコは声を合わせるんじゃなくて息を合わせるんだ」

若山 弦蔵(わかやま げんぞう、1932年昭和7年〉9月27日12本- 2021年令和3年〉5月18日)は、日本声優ラジオパーソナリティナレーター。享年88。

樺太大泊町出身。子ども頃から「変な声」と言われ、コンプレックスを持っていたが、「貴重な声だ」とされて、ラジオドラマで活動していた。

ある時、演出家に「君はまだ声で褒められているの?」と言われ、演技に目覚める。その結果、若山の甘く低く落ち着いた渋い声は、「艶のあるビロードのよう」とされ、「レディース・キラー・ボイス」「マダムキラー」と呼ばれ、最後は「深い声」と評価されるようになる。

「007」シリーズのショーン・コネリー演じるジェームス・ボンドの吹き替えは、1976年の「ロシアより愛をこめて」から2006年の「ダイヤモンドは永遠に」まで12本。その他、コネリー作品のほとんどは若山の吹き替えだ。

オーソン・ウェルズの吹き替えもやっているが、「第三の男」の吹き替えはかなわなかった。私も親しんだ「ローン・レンジャー」や「モーガン警部」も若山の声だったことを知った。五木寛之『さらばモスクワ愚連隊』の朗読を聴いてみたが、低い魅力的な声だった。「暴れん坊将軍」シリーズのナレーターの若山である。

ラジオパーソナリティとしては、1973年からTBSラジオ若山弦蔵の東京ダイヤル954」は1995年まで22年間続き、5700回に達した。また「パック・イン・ミュージック」のパーソナリティでも人々の記憶に残っている。

若山弦蔵は「声優」の草分けとされ、「秋の「あ」と朝の「あ」は同じ文字だが発音は別だ」というように声の演技に徹し、しだいに「至宝」とされるまでになり、最後は「声優界の最高のキング」と呼ばれるまでになった。まさに声優のプロフェッショナルだった。

俳優の世界では、主役をはる人たちの活躍する期間は総じて短いが、「脇役」の活動期間は長い。したがって脇役のこなした作品の量は多くなる。この「名言との対話」でも「声優」を数人取り上げているが、総じては活躍する期間が長い。

若山弦蔵の場合は、88歳という長寿でもあり、最晩年までラジオ番組に生出演しており、様々な作品を通じて人々の耳が記憶している。今回、若山の作品をいくつか聴いて、その魅力をあらためて知った。その魅力は生来の持って生まれた地声だけでなく、長年かかって積みあげた声の演技の技術によるものだとわかった。才能と努力の結晶が若山弦蔵の作品群である。

 

上野:東博「法然と浄土宗」。「蓮玉庵」(池波正太郎が通った蕎麦屋。茂吉、鴎外、一葉、逍遥、万太郎も)

あまりに天気がいいので、妻と外出することに。今日は上野。

東京国立博物館で開催中の「法然と浄土宗」展。法然による浄土宗の開宗850年。国宝、重文を含む文献、絵巻、仏像のオンパレード。詳しくは「図録」を読んでから。

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上野の仲間地通りの蕎麦屋「蓮玉庵」で昼食。池波正太郎が通った店だ。上野の街も外人が多いが、この店はすいていた。まだ、人気作家が好んだそば屋までは情報が深まってはいないようだ。

この店の初代八十八が不忍の池の蓮を眺め、その葉の上にまろぶ玉のような露に因んでつけたのが店の名前である。「はちすはのにこりしまぬこころもてなにかはつゆをたまとあさむく」(古今和歌集僧正遍照

斎藤茂吉池之端の蓮玉庵に吾も入りつ上野公園に行く道すがら」。そして鴎外「雁」、一葉、逍遥の文章にも登場する店だ。店頭の「石額」は久保田万太郎の筆。こういう「いわれ」を知ると、歴史の中に生きている感覚がするなあ。

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鈴本演芸場」。

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昼の部のトリは「金馬」。夜の部のトリは「一之輔」。

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「名言との対話」5月17日。平賀淳「僕をヒマラヤに連れて行ってください」

平賀 淳(ひらが じゅん、1978年9月13日 -2022年5月17日 )は、日本の山岳カメラマン。享年43。

山梨県甲斐市出身。少年時代にカメラ撮影に目覚める。韮崎高校では山岳部で登山に熱中。日本映画学校で映像や写真を学ぶ。

2003年からの10年間は、ヒマラヤ山域を撮影した。この10年間の登山リストを眺めると、毎年凄まじい頻度で500mから600m級の山々に挑んでいることがわかる。2007年には野口健のエベレスト登山に帯同し登頂を果たす。「僕をヒマラヤに連れて行ってください」は、「野口健エベレスト清掃登山」にカメラマンとして参加を懇願したときに野口健に言った言葉だ。平賀は野口の弟分という存在となっていく。

世界50カ国以上の秘境や自然を舞台に撮影活動を行った。その成果は主にテレビ番組で報道されている。2022年5月のアラスカで滑落死。野口健は「平賀さん、早く帰ってきてください」と語っている。

冒険、探検の分野の植村直己星野道夫、長谷川恒夫、そして平賀淳も43歳の若さでの死である。角幡唯介は「冒険系表現者に43歳で死ぬ者が多いのは」、男の厄年としたうえで、「43歳が人生のある種の頂点を形成しているからだ」と述べている。

五大陸の最高峰登頂、犬ゾリによる単独北極点到達などを成し遂げた「不死身」といわれた植村直己の「植村直己冒険館」、「長い旅の途上」でヒグマに襲われて客死した星野道夫の企画展などを思いだした。

さて、43歳という年齢である。冒険家たちの精神と肉体の頂点という角幡の見立てには納得感がある。この年齢は彼らにとっての厄年で、頂点であり、下降に向かう出発点であるかもしれない。

山田風太郎『人間臨終図鑑Ⅰ』で43歳を引くと、植村直己以外には、滝田樗陰、若山牧水直木三十五、西竹一、田宮二郎などが並んでいる。彼らのあげた業績は、それまでのものだったのかと驚く。

自分の場合の43歳はどういう時代だったのだろうか。会社の危機に際して設置された社長直轄組織で、早朝から深夜まで奮闘していた頃だ。精神的、肉体的な頂点の時代だったから乗り切れた感じもする。

思い返せば、その年齢で転職の誘いがあった。それからの30年は思いがけない新しい世界の光景を見ることができた。あのまま進んでいたら、クレバスに落ちていたかも知れない。そういう難しい年齢だったのだろう。

1978年生まれの平賀淳は、もし生きていたら、どういう生涯を送ることになっただろうか。見てみたい気がする。

 

 

 

 

 

 

寺島文庫。ほんまる。岩波。BOOK HOUSE.。紀伊国屋書店。ビックカメラ。オステオパシー。読書会。

今日は、九段下、神保町、新宿、立川と動き回った。

まず、九段下の寺島文庫で寺島さんと面談:近況報告。アクティブ・シニア革命。インテリジェンスユニット。シェア本棚。食事会。知人の消息、、、、。林遼太郎さんとも会話。

神保町のシェア書店「ほんまる」で自分の棚を確認。

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 岩波のカフェで執筆途中の本の原稿。

 本日発刊の寺島実郎『21世紀未来圏 日本再生の構想』を購入。

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 「BOOK HOUSE」で昼食。絵本の語りの会に紛れ込んでしまった。

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新宿:「ビックカメラ」「紀伊国屋書店

立川のカフェで執筆途中の本原稿チェック。

 オステオパシーで体を整える。

20時:自宅からリモートの「知研読書会」。半分は新メンバーで、紹介された本も多彩で面白かった。共通点は、「よりよく生きるための本」だった。

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私は寺島実郎『21世紀未来圏 日本再生の構想』(岩波書店)を紹介。

以下、紹介された本。

詳細:都築 功 | Facebook

「多彩なバックグラウンドをもって活動されている方々ばかりで、自己紹介を聞くだけでもとても楽しかった会でした。まさに「本を介して人をつなぐ」ということが実感できました。」


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「名言との対話」5月16日、澤田隆治「残さなあ、かわいそうやないですか」

澤田 隆治(さわだ たかはる、1933年昭和8年〉3月18日 - 2021年令和3年〉5月16日)は、日本テレビプロデューサーテレビディレクターラジオプロデューサーテレビランド代表取締役社長。享年88。

大阪府吹田市出身。神戸大学文学部日本史学科卒業後、朝日放送に入社。朝日放送「魔王」と恐れられるなど活躍、東販企画社長も兼務しプロデューサーとして大活躍する。1980年代の漫才ブームの仕掛け人でもあり、多くの芸人を育てている。

澤田のキャリアはヒット作品の連続だ。私が知っているだけでも、「スチャラカ社員」「新婚さんいらしゃい」「てなもんや三度笠」「伝七捕物帳」「裸の大将」「花王名人劇場」「ジュームイン!!朝」、、などがある。

『私説コメディアン史』などの著作、「NHK人間大学」での「笑い学コウザ」、『ABC落語ライブラリー』なども手がけている。そして「笑いと健康学会」の会長もつとめた。
放送芸術関係やアニメ、映画などの専門学校の校長としても人材の育成を行っている。亡くなる寸前まで、新聞連載、テレビ出演などで「喜劇」の歴史を語り続けた八面六臂の活躍をした超人である。

澤田の多彩な業績の中で特筆されるべきは、映像製作だけでなく、喜劇人たちの足跡の記録を残したことだ。『私説コメディアン史』、千ページを超える『笑人間』、『上方芸能列伝』、『笑いの放送史」、『笑いをつくる』『漫才ブームメモリアル』、『テレビは何を伝えてきたか』そして、花登や雁之助、永田キング、ルーキー新一さだまさし、森光子、ひょうきん族などを紹介した本も多い。軽く見られがちで、消えていった芸人たちへの愛情を感じる。

テレビの創成期の渦中にいながら、その流れを冷静に見つめ、そして喜劇という分野を、映像などの現物だけでなく、その意味と意義を問い続けた。「残さなあ、かわいそうやないですか」というように、深い愛情と強い意志で記録に残そうとしたのである。澤田隆治という希代の喜劇人の真骨頂はここにある。

 

「幸福塾」の「新・代表的日本人」シリーズ:「切磋する敵」の2回目は「意外なライバル関係」。

5月15日は、1932年に犬養毅首相が暗殺された「五・一五事件」の日だ。

今日の幸福塾の「新・代表的日本人」は、意外なライバル関係をテーマに18組を紹介した。個人を追うのではなく、ライバルとの関係の中で浮き上がる個性や特徴を講義した。準備も大変だったが、私自身も面白かった。

自分のライバルとの関係についても改めて考えるいい機会になった。

「幸福塾」

以下、塾生の学び。

  • 本日もありがとうございました。さまざまなライバルの形を知ることができました。藤田宜永小池真理子夫婦で作家でライバルで、おしどり夫婦なんて、どんな生活をしているのかと気になりました。後藤新平北里柴三郎の仲が悪いライバルから親友になってお互い助け合うところ、岩崎弥太郎渋沢栄一も、競っていて一緒に日本郵船をつくるところ、などやり取りが面白かったです。大山康晴升田幸三のお話も印象に残りました。升田がチェスはとった駒を殺すが、将棋は生かす、日本人の精神そのものだ。と、おしゃべりが面白い人気者の升田幸三に対して努力家な大山康晴。性格を知ることで二人の関係も浮き出てきました。また、小澤征爾山本直純のように、タテに伸びる人とヨコに伸びる人。すみわけ、される方々のお話もあり、いろいろなライバルの形を知ることができました。こうやって比べてみると、何度もお名前が出てくる方々も違った側面を知ることができ、偉人たちとはいえ、みんな人間なんだなぁ。と親近感を持つことができました。ライバルと呼べる友や先輩たちはやはり必要ですね。 次回もどうぞよろしくお願いいたします。
  • 本日もありがとうございました。人数はいつもより少なかったけど、盛りだくさんの内容でした。先月のライバル関係の続きです。何と18組!徳川幕府の2傑小栗上野介勝海舟、作家の夫婦の藤田宣永と小池真理子、画家の兄弟村上隆と村上裕二、水泳の古橋広之進と橋爪四郎、指揮者の小澤征爾山本直純内務省でライバルで後に友人となる後藤新平北里柴三郎高校野球監督の上甲正典馬淵史郎、柔道の山下泰裕と斎藤仁、船舶輸送会社同士に加え女性をめぐる岩崎弥太郎渋澤栄一、漫画家の手塚治虫水木しげる、将棋の坂田三吉と関根金次郎、鉄道会社の五島慶太堤康次郎社会党自民党浅沼稲次郎池田勇人自民党総裁を争った田中角栄福田赳夫、将棋の大山康晴升田幸三、落語の古今亭志ん朝立川談志、浮世絵の葛飾北斎安藤広重、写真家の土門拳木村伊兵衛。それにしても、よく調べられたと感嘆しました。 それぞれ、非常にバラエティに富んだライバル関係でした。中には自民党総裁選のようにむき出しの権力闘争もありますが、互いにリスペクトする関係、あるいは一方がもう一方を目標とするような関係、または互いに「すみわけ」をして真正面からぶつかるのを避ける関係など。誰にも多かれ少なかれライバルをもった経験はあり、それが成長する上で非常にプラスになってきた、ということが改めて分かります。まさに本日のタイトル通り「切磋するライバル関係」です。
    来月は「琢磨する友」。また楽しみです。

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「名言との対話」5月15日。岸井成格「たるんじゃったな、みんな」

岸井 成格(きしい しげただ、1944年9月22日 - 2018年5月15日)は、日本政治部記者

慶應義塾大学卒業後、毎日新聞入社。ワシントン特派員を経て、1991年論説委員政治部長、編集局次長、論説委員長、主筆、特別編集委員等を歴任。2016年3月までTBS「NEWS23」アンカー。TBS「サンデーモーニング」コメンテーター。

第2次安倍政権の特定秘密保護法案や安全保障関連法案などを批判する論陣を張った。2016年2月、放送局に対する停波命令の可能性に言及した高市早苗総務大臣の「電波停止」発言には、田原総一朗氏ら他のジャーナリストとともに抗議声明を発表した。この会見で「権力が強くなれば腐敗し、暴走するのが政治の鉄則。そうさせてはならないのがジャーナリストの役割だ」と、訴えている。

佐高信との対談『保守の知恵』では、「保守とは解決できないことを両者がどうにか平和りに共有し合って、事態を乗り越えていくということ」と語っている。慶應でゼミ同期の佐高信は、岸井は保守だったが、時代が右になって今では左だと言われていると講演で語っていたのを私も興味深く聞いたことがある。

岸井の著書『議員の品格』を読んだ。政治の劣化は、小選挙区制と一票の格差にあるとしている。そして有権者に側にも品格が求められると言い、選ばれた議員は国民の鏡であり、国民にも、そしてメディアにも品格がもとめられると述べている。

NEWS23」アンカーとしての最後の出演となった放送で、岸井は次のように述べていた。「報道は変化に敏感であると同時に、やっぱり極端な見方に偏らないで、そして世の中や人間としての良識・常識を信じて、それを基本にする。そして何よりも真実を伝えて、権力を監視する。そういうジャーナリズムの姿勢を貫くとうことがますます重要になってきているなと感じています」。

TBS「サンデーモーニング」の司会者・関口宏は見舞いの時の最後の言葉を紹介している。「何か言いたいことない」って聞いたら、一生懸命、彼は声に出そうとして、「たるんじゃったな、みんな」と言った。

岸井成格の遺言どおり、政界も、経済界も、官界も、学界も、メディア界も、すべてにおいて、「たるみ」があると感じる時代になった。そして岸井の死から6年経って、「令和」の幕が開いたのだが、ピンと張った緊張感がゆるみ、「たるみ」はさらに膨らんで、だらしなく、醜い姿をあらわしてきた感じがする。

 

 

 

『「図解の技術」大全』の刊行に、ようやく目途が立った。

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(後姿探検隊)

今日は、出版社の編集者と会って、進行中の企画について、じっくりと相談をした。

2020年から『図解コミュニケーション全集』の刊行を続けてきた。第8巻まで刊行済みで、現在第9巻を編集中だ。

並行して、『「図解の技術」大全』』の執筆を継続してきた。本日、編集者に第3章までの修正加筆した原稿を手交した。残りの4章、5章の完成にかかる。これでようやく目途がたった。10月刊行予定でスケジュールを組んだ。

400ページに近い大作になる。これを『全集』の総集編の第10巻とすることにしたい。

全10巻の『全集』と総集編の大作『大全』で、「図解」というライフワークがひとつ完成することになる。

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  • NHKアーカイブス「昭和人物史」の「永井荷風」の①②を聴く。永井荷風の華麗な生い立ち、銀行を含む職業遍歴、そして38歳から亡くなる前日まで42年間にわたって書き続けた『断腸亭日乗』という日記の意義。この放送に刺激を受けて、荷風の言葉を拾ってみた。「世間のつまらぬ不平や不愉快を忘れるには学問に遊ぶのが第一の方法である」「休戦の祝宴を張り皆々酔うて寝に就きぬ」「もし今日の東京に果たして都会美なるものがあり得るとすれば、私はその第一の要素をば樹木と水流に俟つものと断言する」
  • NHKラジオ深夜便の聞き逃し配信で「帚木逢生」(精神科医・作家)のインタビューを聴く。この人は1947年生まれ。東大の仏文を出てTBSに入社。すぐに辞めて故郷に帰り九大医学部を卒業して精神科の医者になる。以降、作家と医者の二刀流で生きてきた人。その二つは実は一つであった。「ネガティブ・ケイパビリティ」ということを説明していた。答えの出ない事態に耐える力 が重要だと力説。「仕事の中身を変えるのが骨休め」とも。以前読了した『日御子』。2-3世紀の弥摩大国と漢・魏・晋と韓半島との交流と女王・日御子の物語。通訳を家業とする使譯の「あずみ」一族の代代が語り部となって物語が展開する。一族の教え「人を裏切らない」「人を恨まず、戦いを挑まない」「良い習慣は才能を超える」、「仕事の中身を変えるのが骨休め」を軸に展開する。鉄、倭国、那国と奴国、金印、生口、氷室、紙、文字、人と人を結ぶ、天と人を結ぶ日御子、人の人たる土台、親魏倭王、戦いへの備えと交易は裏表、玄学、、、。

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「名言との対話」5月14日。河合雅雄「サルまで立ち返って人間性の根源を調べにゃならん」

河合 雅雄(かわい まさを1924年大正13年)1月2日 - 2021年令和3年)5月14日)は、日本の霊長類学者、児童文学作家理学博士。享年97。

兵庫県丹波篠山市出身。旧制新潟高校から京都大学理学部動物学科御卒。日本モンキーセンター所長。朝日賞、紫綬褒章などを受賞している。

日本における「サル学」の創始者たる今西錦司に学生時代から師事し、宮崎県の幸島の野生のニホンザルを研究した。それぞれのサルの顔と覚え、名前を付けて、戸籍をつくる。餌づけに成功し個体を観察することによって、社会の存在を確認した。ある若いサルが芋を海水できれいに洗って食べるという行動をした。それがすべての猿の行動、もっと言うと文化になっていくことを発見するなど、徹底したフィールドワークはに基づいた日本の「サル学」は世界の注目を浴びた。

河合は日本の「サル学」の道を切りひらいた霊長類研究の世界的権威となっていく。この辺りのことは、私は「梅棹忠夫著作集」第7巻「日本研究」の「高崎山」をワクワクイしながら読んでいる。

NHKテレビ「100年インタビュー」で河合雅雄は、3つの要件を持つサルが人間であると喝破していた。一つは日本足歩行。二つ目は社会集団の単位は家族(日本の発見。父親の存在)。三つ目はコミュニケーション(言葉)。サルと違って、人間には「父親」が存在する。その役割は、守る、経済、養育であるとし、男女が共同して養育にあたることが特長だと語っている。

日本では猿は人間にとって身近で親しい存在だが、西洋では単なる動物として研究対象にしている。日本ではサルと人間は地続きである点が西洋とは違う。そういう関係が、独特の「サル学」を生んだのである。

河合雅雄は、霊長類学者である一方で、草山万兎(くさやま・まと)というペンネームを持つ児童文学者で、童話を書く作家でもあった。「霊長類学」という科学の研究をする一方で、人間には「創造する力」があることを証明したいとのことで二刀流の生活を送っている。

河合隼雄という有名な臨床心理学者は弟である。調べてみると、河合兄弟は男ばかりの6人兄弟だった。長男は外科医、次男は内科医、三男の雅雄は霊長類学者、四男は歯科医、五男の隼雄が臨床心理学者、六男は脳神経学者。この兄弟が、人間の肉体と精神と脳の世界に挑む風景は壮観である。互いに「人間」についての情報を交換しあったのだろう。

河合雅雄は戦争が終わって、どうして人間はこんな愚かなことを繰り返すのかと考える。人間とは何か、それを根源から調べよう。それには大本から、つまりサルを対象にしようと考えたのだ。「サルまで立ち返って人間性の根源を調べにゃならん」、それが河合雅雄の人間研究の動機だった。

 

 

 

 

 

 

 

ユーチューブ『遅咲き偉人伝』ーー「坂村真民」をリリース「クヨクヨするな。グラグラするな。ボヤボヤするな。ペコペコするな」

 

『遅咲き人伝』の50本目は。詩人の坂村真民。真民の詩は心に響く。

「凡才は長生きの手しかないかな」「全てとどまると くさる」「人間は本物に出会わなければ、本物になれない」「悟りとは 自分の花を咲かせることだ」「人間は終焉に向かって 自分を磨いて ゆかねばならならぬ、、」「ふかきを きわめ あさきに あそべ」


https://www.youtube.com/watch?v=xHwo8Fl-Xz4

「遅咲き偉人伝」で取り上げた人物:松本清張永田耕衣鈴木大拙宮脇俊三伊丹十三加藤廣グランマ・モーゼス。森光子。山口洋子佐藤忠良柴田トヨ。村野四郎。片岡球子。古川薫。川田龍吉。宇野千代葉室麟石井桃子白洲正子ゴッホセザンヌ壺井栄今西錦司宮尾登美子吉田茂渡辺京二石橋正二郎新藤兼人東山千栄子。小野寺百合子。原田マハタモリ戸田奈津子綾小路きみまろ樹木希林山本博。尾畑春夫。藤沢周平。松岡和子。伊能忠敬東山魁夷

1909年生まれには著名人が多い。水原茂斎藤史大岡昇平淀川長治中島敦横山隆一太宰治益田喜頓土門拳上原謙まどみちお田中絹代森口華弘埴谷雄高松本清張。中里恒子。「名言との対話」でまだ取り上げていないには、斎藤史上原謙森口華弘くらいか。

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「アクティブ・シニア革命」:8pのモデル版。台割表。

「アクティブ・シニア革命」編集部ミーティング

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「名言との対話」5月13日。瀬戸雄三「月給取りになったらアカン」

瀬戸 雄三 (せと ゆうぞう、1930年2月25日 - 2013年5月13日) は日本の実業家

絶頂期に入社し30年続く転落で「夕日ビール」と揶揄されたアサヒビールの社長としてスーパードライを無敵の商品に育て上げた人である。1992年に社長になって「キレとコク」のスーパードライに「鮮度」を加える。社内の軋轢を乗り越えて製造後20日以内の出荷を10日を宣言し、その後も手を緩めることなく5日にするという目標を達成している。製造から物流にまで徹底的に改革したのだ。97年にはスーパードライはついにナンバーワンになった。私もこのうまいスーパードライのファンになった。現在では製造後、3日以内となっているそうだ

日経新聞私の履歴書」が元となった自伝『月給取りになったらアカン』(日経)を読んで、たたき上げの営業マンのファイトあふれる、足が地に着いたリーダー論に共感した。

・よい人材をいかにやる気にさせるかがリーダーの役目である。

・リーダーは演出家である。

・社長業は駅伝と同じだ。必死で走り、順位を上げて、バトンを渡す。

・リーダーは、目標を達成するために組織の先頭に立って一番つらい仕事をする。

・リーダーは情報の坩堝(るつぼ)でないといけない。

・経営者は、明快な方針をわかりやすい言葉で組織に示し、組織をダイナミックに動かしていくことが重要だ。

波瀾万丈での企業人生を送り、「変化と挑戦」を続けた瀬戸雄三のリーダー論の中で、私は不満や理由を取り除き現場の負担を解消するという考えに共鳴する。公式な報告だけでなく、現場の本音の「生」の情報に接して、情報の坩堝となって問題のありかをとらえるべきだ。スーパードライと同様に問題の「鮮度」に敏感に反応し、明快な解決策を講じ、すぐさま実行していく。そのサイクルをまわす役目が目指すべきリーダー像であろう。

「月給取り」は、サラリーマン、奉公人、社員などともよばれるが、どういう心構えで仕事をすべきか。私が共鳴した、大成した人たちの言葉を聴こう。

  • 小林一三「サラリーマンとして成功したければ、まずサラリーマン根性を捨てることだ」「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしてはおかぬ」「金がないから何もできないという人間は、金があっても何もできない人間である」
  • 上原正吉「奉公人根性を去れ」は、本人の心構えを窺える言葉だ。若い頃から、奉公人意識ではなく経営者として当事者意識でことにあたったのであろう。
  • 山口瞳「(新入社員)諸君、一所懸命はたらきなさい。誠心誠意ではたらき有能な社員になってください。有能な社員とは、役に立つ社員のことです。役に立つ社員とは、何か自分のものを持っている社員のことです。誠心誠意はたらきなさい。ミミッチイ考えを起しなさんな。給料分だけはたらけばいいだろう、なんて薄ぎたない根性をお持ちになったらオシマイだよ」

意識が、心構えが、志が、人を育てることを痛感する。