2006-05-01から1ヶ月間の記事一覧

雑誌連載という仕事

「企業と人材」6月5日号に「考える社員を育てるための 図解思考入門」の3回目の連載を執筆。6ページという量なので、連載としてはかなり重い部類である。以下、小見出し。 今、どの仕事に一いちばん時間がかかっているか 日常の仕事に忙殺される理由が見…

韓国版知的ビジネスマン誕生の印象。拙著のハングル翻訳書5冊目

「図で考える人の 実践 知的生産の技術」(大和出版)という本の韓国語翻訳書が完成し、研究室に届いた。原書はソフトカバーだったのだが、翻訳書はハードカバーで、原書よりも装丁が立派なのが面白い。また、カバーが青と緑の2種類あった。この本が届いたと…

授業で宮城大学の第一期生をゲストに招いて話をしてもらう

授業で宮城大学の第一期生をゲストに招いて話をしてもらう。この人物は卒業後、起業を行って最近組織を株式会社にした。現在28歳。最近はこの地域にこだわり若者と地域の企業のコーディネート事業をターゲットにしており、長期インターンシップのコーディネ…

石ノ森章太郎ふるさと記念館

宮城県登米市中田町石森に2000年に建った天才漫画家・石ノ森章太郎ふるさと記念館がある。住所の石森はイシノモリと読む。石ノ森章太郎はふるさとの住所をペンネームにしていたのである。1938年生まれで1998年に逝去しているから60歳と随分と早い死である。…

鳴子温泉峡中山平温泉へ家族4人の日帰りドライブ小旅行

土曜日は久しぶりの家族4人の日帰りドライブ小旅行。最近は娘と息子が運転ができるようになったので、私たち夫婦は後部座席でゆっくりする。時代は変わったことを実感する。まず、登米市中田町の石ノ森章太郎ふるさと記念館を訪問する。東北自動車道の若柳イ…

本への影響比較−−−朝日新聞と日本経済新聞

本日の日本経済新聞朝刊に「通勤電車」本の広告がでた。前日の書評メルマガwebookでの紹介と相まって、アマゾン等での売り上げ順位が急騰している。「図で考える」シリーズ3部作や「合意術」が日経から出ていること(日経新聞に広告)、日経BPの各種雑誌(日…

NPO法人キャリア開発研究機構の総会

会議、学部ゼミ生指導、大学院修士論文指導、大学院講義。夕刻、大学近くの仙台ロイヤルパークホテルで三菱樹脂主催の会で講演。東北地区においてインフラ関連の管財・設備機器・住宅関連製品及び包装材関連製品を取り扱っている有力代理店の社長・支社長30…

「人物記念館の旅」---空白県は25県

一昨年から始めた「人物記念館の旅」もようやく100館を超えたところで、まだ一館も訪問したことのない県を地図上で数えてみると、25県あることがわかった。日本の全ての県のようやく半分を超えたところに過ぎない。仙台にいるという物理的な状況から東北が多…

われら戦後世代の「坂の上の雲」--ある団塊人の思考の軌跡(寺島実郎著・PHP新書)

先日、東京で寺島実郎さんと三井物産のレストランで二人で昼食を摂ったときに、その場でサインをしてくれたこの新著をもらった。寺島さんは言うまでもなく、硬派論壇の第一人者で財団法人日本総合研究所の会長で、本業の三井物産ではこの春に常務執行役員に…

井を掘りて 今一尺で出る水を ほらずに出ぬといふ人ぞ 憂き(新渡戸稲造)

「ほんとうの時代」6月号(PHP)に連載中の「人物記念館を訪ねる旅」は、新渡戸稲造を書いた。青森県十和田市と岩手県花巻市に、新渡戸記念館がある。以下、抜粋。

基礎ゼミ蔵王合宿--事業計画学科新入生全員参加

新入学生の基礎ゼミという科目が設定されて2年目を迎える。4月から7月の間の3ヶ月間で友達をつくりながら、勉強や大学生活の過ごし方を学ぶという趣旨の科目である。大学での講義のほかに、全員で合宿を行っている。今年も蔵王のラフォーレで教員や在校の先…

「知研フォーラム」289号は170ページの大作(NPO法人知的生産の技術研究会:梅棹忠夫特別顧問)

NPO法人知的生産の技術研究会(梅棹忠夫特別顧問・私が理事長をしている)の機関誌「知研フォーラム」の289号(5月10日号)が届いた。年間10回のペースだったから、28年ほど出し続けているという計算になる。今月号は、170ページという大型の編集とな…

人生とは、継続で成り立っている---ブログ連続記入600日

いつの間にか、このブログの連続記入も600日を超えた。インフルエンザや海外旅行で何日もアクセスできずに、後からまとめて書き込むこともあった。突然、真空状態になって書くべき内容のない日が現われることもあったり、今日は何を書こうかなあと困る日…

宮城大学同窓会設立プロジェクト

宮城大学も早いもので10年目を迎えた。今年で建学の第一期が終わる。大学では10周年記念の行事を企画しているが、その一つに卒業生の同窓会の設立がある。すでに卒業生も5期に及んでいるので、その数は1500名以上になる。一期生は27−28歳になっており、主と…

「無理させて 無理をするなと 無理を言う」(サラリーマン川柳・歴代最高傑作?)

第一生命が主催しているサラリーマン川柳コンクールの今年の上位作が発表された。応募作品数は、21,774句 。ベスト10投票数は、130,745票 という人気だ。 今年の第一位は「昼食は 妻がセレブで 俺セルフ」だった。毎回、身につまされるような…

コミュニケーションが苦手な若者たちの会で話をする

コミュニケーションが苦手な大学生・専門学校生が学ぶ小さな会が泉区にある。その会では、将来の就職に備えて親も入って、挨拶の練習をしたり、エニアグラムなどを学んでいる。この会から、コミュニケーションが苦手な子供たちに図解や文章法を学んでもらっ…

白州次郎・白州正子・渋沢栄一・ドラッカー

午前中、小田急線鶴川の白州次郎・白州正子の武相荘を訪問。GHQが「従順ならざる唯一の日本人」と書き留めた次郎。NHKの「その時 歴史が動いた」では「マッカーサーを叱った男」としてとりあげられている。吉田茂首相を助けて通商産業省をつくた。白州…

12日の朝日新聞に書籍広告

12日の朝日新聞に三笠書房の広告が出ており、「通勤電車で寝てはいけない!」が載っていた。大前研一さんの訳の「ハイ・センス」が大きく、残ったスペースに私の本と樋口裕一さんの「悪魔の文章術」が並んでいる。今月下旬には日経新聞でも広告をよていし…

体と五感を磨く徒歩通勤の誘惑

暖かくなってきたので、一年ぶりに歩いて大学に通ってみようと思いたって実行してみた。底の厚い黒靴を履いて家を出る。愛犬チョコラの散歩を兼ねて家内と話をしながら歩いていく。家から円形の紫山公園を辿りながら少し歩いて右折すると一直線の道路に出る…

高村光太郎記念館・高村山荘(花巻市)

高村山荘花巻市の郊外に建つ高村山荘は、彫刻家高村光太郎が晩年の7年間(1945-1952年)に独居した山荘跡である。光太郎は1883年生まれだから60歳代の中盤はこの地で過ごした。光太郎は1956年に亡くなるが、最後の仕事として十和田湖畔の乙女の像制作の前に…

人目を引くタイトルと鮮やかな装丁

最新刊「通勤電車で寝てはいけない!」は、全国の書店の店頭に並ぶ前に重版になった。連休明けの9日に配本、その日に重版が決定という連絡が著者にきたのである。配本したら取次ぎの反応がよかったというのがその理由だった。「配本」とは出版社から取次ぎに…

「談志」老いたり

連休明けの月曜日。午前中の学部ゼミ、午後の2つの講義を終えて、夜は電力ホールで開催された「立川談志独演会」を聞く。会場は満員だった。しかし体調不良もあったのだろうが、冴えない高座となった。体形、顔つき、声量、ネタ、、、。落語会の革命児も1936…

宮澤賢治記念館

三陸大地震の年1896年に生まれた宮澤賢治の記念館(花巻市)訪問は、2年前の連休から2度目である。前回はもう桜の季節は終わり、若葉が目に眩しい素晴らしい季節だった。今年は春が遅いおかげで、桜の満開の季節の訪問となった。「風の又三郎」企画展が開催…

寺山修司記念館

異才・鬼才・異星人・聖人と様々に表現されるように、際立った個性の持ち主だったことを思わせる寺山修司(1935−1983年)の記念館(1997年開館)は、青森県三沢の公園の一角に外壁いっぱいに名のある崇拝者たちの書き付けを張り巡らせながら、強い自己主張を…

人物記念館の旅ー20世紀に活躍した真・日本人

福沢諭吉 1835−1901年司馬遼太郎1923−1996年朝倉文夫 1883−1964年瀧廉太郎 1879−1903年土井晩翠 1871−1952年新渡戸稲造1862−1933年後藤新平 1857−1929年高野長英 1804−1850年佐藤義美 1905−1968年重光葵 1887−1957年三浦梅園 1723−1789年浜田広介 1897−1973…

棟方志功記念館

青森市内にある棟方志功(1903−1975年)記念館の春の展示は「森羅万象--自然の表現」である。訪問記念に住所と名前を書き付けるノートを見ると北海道や千葉県などの文字がみえる。全国区の記念館である。今回は2度目の訪問だ。校倉造りを模した建物は池泉回…

梅棹忠夫の「日本探検」

梅棹忠夫著作集第七巻「日本探検」を読み終わった。1959年から数年間の仕事で「中央公論」誌上で連載したものである。ぞくぞくするような知的興奮に満ちた読書だった。梅棹先生の著作はいつ読んでも新しい。探検の対象に挙げた地域や団体は様々だが、どの切…

井上靖

旭川の自衛隊駐屯地に程近い場所に立つ井上靖記念館を見学。「敦煌」「孔子」などを書いたすぐれた小説家。旭川は生まれた土地ということだけだが、母から聞かされた言葉でイメージを膨らませたという。四高から九大法文学部に入学後、登校意欲をなくし東京…

三浦綾子

旭川の公園の中に素敵な形をした記念館が建っている。24歳から37歳までカリエスで絶対安静でベッドの上で過ごした三浦綾子。42歳のときに朝日新聞の1千万円の懸賞小説で一席になった「氷点」を書きその後多忙な作家生活に入る。30年間で70余冊本…

太宰治記念館「斜陽館」

仙台から、平泉、花巻、盛岡、弘前と東北自動車道を延々と走り、津軽の中心である五所川原からさらに北にのぼってやっと太宰治(1909年ー1948年)の生れ故郷の金木に着いた。本州の北の果てだ。太宰治記念館「斜陽館」は悠然とした大きな姿を現した。太宰の…