オスカーを受賞した「
おくりびと」の原作となった「
納棺夫日記」(文春文庫)を感動を持って読み終わった。死という現実を真正面から見続けた人が到達した境地がここにある。青木さんは菩薩になったのではないだろうか。
- 死体に抱きつくようにしないと、腰紐が通せない。
- 私の全存在がありのまま認められたように思えた。そう思うとうれしくなった。この仕事をこのまま続けていけそうな気がした。
- 友人たちが遠ざかっていったことが、寂しかった。
- 服装を整え、礼儀礼節にも心がけ、自信をもって堂々と真摯な態度で納棺をするように努めた。納棺夫に徹したのである。すると途端に周囲の見方が変わってきた。
- 仕事柄、火葬場の人や葬儀屋や僧侶たちと会っているうちに、彼らに致命的な問題があることに気がついた。死というものと常に向かい合っていながら、死から目をそらして仕事をしているのである。
- 己の携わっている仕事の本質から目をそらして、その仕事が成ったり、人から信頼される職業となるはずがない。
- 「穢らわしい、近づかないで!」とヒステリックに妻は拒否した。
- 西洋の思想では、生か死であって、「生死」というとらえ方はない。
- 雪でもなく、雨でもない、手に取れば水となってしまうみぞれ。
- 鼻毛を洗い、鼻毛をきれいに取り除いたら、案の定臭いがしなくなった。
- 蛆も生命なのだ。そう思うと蛆たちが光って見えた。
- 葬という象形文字は、草と草との間に死がある合字、死という文字もばらばらになった骨と人をさかさにした形との合字である、
- 最近とみにぶよぶよとした死体が多くなってきた。
- そんな農村での老人の死体は、遺骸という言葉がぴったりで、なんとなく蝉の抜け殻のような乾いたイメージがあった。
- 毎日毎日、死者ばかり見ていると、死者は静かで美しく見えてくる。それに反して、死を恐れ、恐る恐る覗き込む生者たちの醜悪さばかりが気になるようになってきた。
- 死者と毎日接しているうちに、死者の顔のほとんどが安らかな顔をしているのに気づいた。
- にもかかわらず、死者の顔はみんな同じように安らかな相をしている。死んだままの状態の時などは、ほとんど眼は半眼の状態で、よくできた仏像とそくりである。
- 特に宮沢賢治作品の素晴らしさは、賢治の視線が微生物の世界を追っていたかとおもうと、次の瞬間には太陽系、銀河系、全宇宙へと移動し、瞬時にしてその視線が素粒子の世界へと移っていて、しかもその眼は極小から極大まで自在に動くズームレンズのような機能を持っているといった具合である。それはあたかも「般若心経」の観自在菩薩のような自在の眼で世界を認識しようとしていたかのようだ。視点の移動があって、思いやりが生まれる。
- 元はといえば「我々はどこから来て、我々は何で、我々はどこへ行くのか」があいまいであることから来ているのである。
- 死に近づいて、死を真正面から見つめていると、あらゆるものが光って見えてくるようになるのだろうか。
- 「仏は不可思議光如来なり、如来は光なり」(親らん)
- あらゆる宗教の教祖に共通することは、その生涯のある時点において、「ひかり」との出合いがある」ことである。「われは世の光なり」と言ったキリストも、天理教の中山ミキや大本教の出口なおなども、すべての教祖は「初めに光ありき」から出発した体現者であった。
- 宙に浮いた第三の視点からは、「さんたんたるわが身」も見え、「きれいな青空」も見えるのである。そこから「さんたんたる景色(現世)を横目で見ながら、すきとおる空(浄土)へと直行するわけで、死はどこにもない。
- 親らんの阿弥陀信仰は、どのような者でも「無碍なる不可思議な光」に必ず出合えるという絶対の確信からきている。
- 釈迦のように、光に包まれて肉体のとらわれを離れた心が、なお生を保つ肉体によって維持されながら四十五も持続できたのは、人類の奇跡としか言いようがない。
- 親らんも道元も、そして良寛も、偉大な良き人は、みんな詩人でもあった。
- あの「光」に出合うと、生への執着が希薄になり、同時に死への恐怖も薄らぎ、安らかな清らかな気持ちとなり、すべてを許す気持となり、思いやりの気持ちがいっぱいとなって、あらゆるものへの感謝への気持ちがあふれでる状態となる。こうした状態になった人のことを、仏教では菩薩という。
- 宗教がどれくらい科学の立証に耐えるかによって、今後の宗教が歴史に残るかどうか決まるかもしれない。
- 今日のあらゆる分野で最も必要なことは、現場の知ではないだろうか。
- 要するに、菩薩に近い人が側にいれば一番いいのである。人は、自分と同じ体験をし、自分より少し前へ進んだ人が最も頼りとなる。
- 私は、湯棺・納棺をしていた頃、死者と私だけがぽかりと光に包まれているような奇妙な経験をしたことがある。