調布の深大寺の門前に「鬼太郎茶屋」がある。その2階で「水木さんと調布展」という企画をやっている。水木さんとは、もちろん1959年以来50年以上も調布に住む妖怪漫画家の水木しげるさんである。水木さんは2008年3月には調布市の名誉市民になっている。この鬼太郎茶屋は2003年10月に開店した。参道の入口近くにあり、そば屋を改造した二階建てである。
2階に登る階段から妖怪だらけだ。水木しげるの発明したあらゆる妖怪が狭い空間にひしめいている。そしてうっそうと生い茂る緑の木々を堪能できる木製の「癒しのデッキ」でも、さまざまの資料を見ることができる。等身大の水木さんの写真が立っており、そこに出身地や身長、などさまざまのデータが記されている。その中に、「幸福の7カ条」があった。
水木しげるの幸福の7ケ条
- 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはならない。
- しないようではいられないことをし続けなさい。
- 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
- 好きの力を信じる。
- 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
- 怠け者になりなさい。
- 目に見えない世界を信じる。
一階の妖怪ショップ「ゲゲゲの森」で「日本妖怪大全」「水木しげるワールドの妖怪たち」「水木さんの幸福論」を買う。また、水木さんの言葉を背中に書いたTシャツも購入する。「怠け者になりなさい」というTシャツが気に入ったが、サイズが小さ過ぎるのと大き過ぎるのとしかない。あまり勤勉にやっていると幸福になれないかも知れないと思ったのだが、ないからにはしょうがない。「のんびり暮らしなさい」の方を買う。私は怠け者になってはいけない、と水木さんから言われたような気がした。そういえば「、妖怪いそがし」という妖怪がいたのを思い出した。
帰って、「水木さんの幸福論」(日本経済新聞社)を読んだ。日経新聞に連載した「私の履歴書」を中心に「水木さんの幸福論」と「わんぱく三兄弟、大いに語る」と「鬼太郎の誕生」という漫画が付いている。参考になったところを抜き出してみる。
- 筋を考えるのが漫画家の生命線です。、、、売れなかった時代でも、原稿料の大半は、漫画の筋を考えるのに役立ちそうな本とか、妖怪の作画のための資料とかを買い込むのに使っていました。
- 好きな道で六十年以上も奮闘して、ついに食いきったからです。
- 43歳の人気漫画家の誕生である。
- 楽しいな、楽しいな、おばけにゃ学校も 試験もなんにもない−−というテレビの主題歌は、実は私が作詞した。
- 日本に帰ると、私も南方病が重くなっていた。、、、翌年から仕事を減らした。気が付けば50歳だった。
- 、、、やがて膨大な数の妖怪画が蓄積されていった。、、、その後、何度か妖怪ブームが繰り返し、描きためた絵が大きな財産になり、何冊もの本になった。
- 妖怪をリアルに再現するためには、表情、動作、背景などを入念に描き込まないといけない。資料を探し、文献を読み、想像力を働かせる必要もあって、総合力で作画に取り組まないといけない、、、
- 次第にやりたい仕事を自分で追いかけられるようになってきた。全八巻の劇画「昭和史」は、戦争で死んだ人への鎮魂を込めた自分史でもある。
- 「楽をして、ぐうたらに生きる」がわたしの座右の銘、、
30年近く前、「知的生産の技術」研究会で「私の書斎活用術」(講談社)という本を出したことがある。私はこのプロジェクトの責任者でもあったが、16人の著名人の書斎を訪問してまとめた。このとき、調布の水木さんの自宅を二度訪問している。確かお寺の墓場の隣に家があった。そのお墓をバックに楽しい話を聴かせてもらったが、その時「この人は本当は妖怪なのではないか」という疑問が頭をかすめたことを思い出す。
妖怪のたくさん入った引き出しをみせてもらった。新しい妖怪をつくるには、いくつかの妖怪を組み合わせるのだとの説明だった。
また、廊下には南方から買ってきたお土産の妖怪達が並んでいて気持ちが悪かった。
その時、やはり「幸福」についての言及があった。天国はどこにあるのかという問題意識だった。そのときのテーマが「水木さんの幸福論」になったのだ。