世田谷文学館の「萩原朔太郎」展を見た後、菊池寛実記念・智美術館を訪問した。
この美術館はホテルオークラの近くにあり、地下に降りていくという趣向になっている。今回は細川護煕「胸中の山水」展が目的で、この美術館は二回目の訪問である。
最近始めた油絵の東日本大震災を描いた作品が最初に出迎えてくれた。生半可な素人の絵ではない。
「油絵と書」、「陶仏」、「茶陶」と三部に分かれ、作品と解説が読める。
陶淵明の「飲酒」、「寒山」、「黄鶴楼」、柳宗元の「江雪」、陶淵明の「桃花源記」、北宋の蘇東坡「谷川の音は御仏の説法の声、山の姿は清らかな御仏の身体」、「赤壁賦」、「老子」、王維の「送別」、、などが印象に残った。
最後に、この人の経歴を改めて眺めて驚いた。
1938年生まれ。
16歳、大工か植木屋になりたいと考えていたが、伯父・近衛文隆のシベリアでの悲報を聞いて志を継ぐことを決意。
25歳、上智大学法学部卒業、朝日新聞社入社。
30歳、朝日新聞を退社
33歳、参院自民党から初当選、二期目は熊本選挙区から衆議院議員に当選
45歳、熊本県知事、二期8年。書を始める。武相荘に白洲正子を訪ねて旅行にも同行。
54歳、日本新党を創設し、代表に就任
55歳、内閣総理大臣
56歳、新進党結成
59歳、離党
60歳、4月27日民主党結成、その直後の5月7日に衆議院議員を辞職し政界を引退。
33歳で初当選、55歳で総理になり、結局27年間を政界で過ごしたことになる。
祖父の近衛文麿が求め祖母が住んでいた湯河原の家を「不東庵」と名付けて5月から住む。
61歳、作陶の気持ちが強くなる。奈良県の辻村史朗さんの押しかけ弟子になり居候。轆轤の修業を始める。
62歳、修業が一年半経った頃卒業となる。自宅に轆轤と窯の作業場をしつらえる。
63歳、日本橋の壺中居で初個展。京都の古美術柳で個展。作業場が完成。
64歳、壺中居にって個展。古美術柳にて個展。福岡天神の岩田屋にれ個展。
65歳、杉皮葺きの三畳の草庵の茶室完成。壺中居にて個展。札幌三越にて個展。ギャラリー吉井(パリ)にて個展。古美術柳にて個展。五輪塔を自分の墓にとやきもので制作。
66歳、漆絵を始める。軽井沢の穴窯が完成。壺中居にて個展。古美術柳にて個展。日本橋三越にて個展。「不東庵日常」(小学館)を刊行。
67歳、童子像や陶仏をつくる。松江にて個展。茶道資料館にて記念展。壺中居にて個展。古美術柳にて個展。
68歳、松山三越にて個展。壺中居にて個展。逸翁美術館(大阪)にて二人展。尾道白樺美術館にて個展。古美術柳にて個展。
69歳、「細川護煕 数寄の世界」が全国巡回。作品集「晴耕雨読 細川護煕作品集」(新潮社)刊行。壺中居にて個展。ニューヨークにて個展。東京益田屋にて個展。古美術柳にて個展。中国旅行。
70歳、三重にて個展。中国旅行。東京柿博ギャラリーにて個展。熊本県立美術館「細川コレクション 永青文庫展示室」で展示。成羽町美術館にて個展。壺中居いて個展。「ことばを旅する」(文芸春秋社)刊行。名古屋松坂屋にrて個展。富山大和店にて個展。中国旅行。古美術柳にて個展。
71歳、油絵を描き始める。中国旅行。壺中居にて個展。岡山天満屋にて個展。古美術柳にて個展。「跡無き工夫--削ぎ落した生き方」(角川書店)を刊行。中国旅行。「閑居の庭から--続・不東庵日常」(小学館)を刊行。
72歳、日経新聞に「私の履歴書」を執筆。広島天満屋にて個展。姫路山陽百貨店にて個展。パリ三越にて個展。銀座メゾンエルメスフォーラムにて個展。「内訟録 細川護煕総理大臣日記」(日経)を刊行。壺中居にて個展。「美に生きた細川護立の眼」(求龍堂)を刊行。羽田空港内にDISCOVERY MUSEUMがオープン。古美術柳にて個展。東北芸術工科大学と京都造形技術大学の初代学園長に就任、大阪三越にて個展。壺中居にて個展。菊池寛実記念・智美術館にて「胸中の山水 細川護煕」展。
60歳で政界を引退して13年。あとほぼ同じ時間をこのまま延長でき、87歳を超えることができたら、細川さんは人生の前半は政治家、そして後半はそれ以上の年月を芸術を中心とした数寄者人生を過ごすことになる。
こう考えていくと、この細川護煕という人物は、途方もない道を歩いているという気がしてくる。年輪を重ねるごとに次第に大きな人物として立ち現われてくる可能性がある。