「幸福塾」の「新・代表的日本人」シリーズ。本日のテーマは「修養」「鍛錬」「研鑽」。
「修養」とは身を修め心を養うこと。「鍛錬」とは鍛え練ること。「研鑽」とはどちらも磨くこと。以下、「修養」を意識した人々を紹介。
- 安岡正篤。新渡戸稲造。野口英世。二宮尊徳。本多静六。佐藤一斎。
- 小橋麟瑞。広瀬淡窓。三宅雪嶺。浜口雄幸。野間清治。安田善次郎。広岡浅子。中西悟道。後藤静香。大塚久雄。蓮沼廉三。金沢弘和。松山幸雄。今村均。戸田城聖。上原正吉。江崎利一。直木三十五。渡部昇一。横山大観。双葉山。長谷川如是閑。内田満。桂文楽。柳家小さん。
- 平野歩夢。羽生結弦。長友佑都。本田圭佑。イチロー。松井秀喜。ダルビッシュ。田中将大。片山晋呉。黒澤明。小津安二郎。
以下、ズームの要約。
以下塾生の学び。
- 本日もありがとうございました。「修養・鍛錬・研鑽」が今日のテーマ。最初に示された、日本人の精神を形成した3つの要素ー仏教・儒教・神道ーは非常に納得がいくものでした。安岡正篤、新渡戸稲造、二宮尊徳、野口英世、本多静六、佐藤一斎、森嶋通夫が最初に登場しました。佐藤一斎の「少にして学べば、すなわち壮にして為すことあり。壮にして学べば、すなわち置いて衰えず、老いて学べば即ち死して朽ちず」という言葉は、後半部分がまさにアクティブ・シニアにぴったりで「知の再武装」に通じると思いました。その後がすごかった。次々と「修養」の偉人と名言が切れ目なく登場して、名前だけメモをとるのがやっとという感じでした。ともかく、多くの人たちが「修養」を目指していたことがわかります。さらに、現代のアスリートたち、有名人も「修養」という言葉は使ってないとしてもまさに「修養」の人たちでした。一通り終わってから、突然、教員研修について「研究と修養に努めなければならない。」というフレーズを思い出しました。現代でも、「修養」という言葉は少なくとも教育界には生きています。しかし、国家公務員法や地方公務員法の研修には「修養」が含まれていない。仕事効率化にとどまらず、人格を磨くというか、そういうことも法律に明記した方がよいのではないかという話題に発展して、新しい発見がありたいへん充実しました。来月も楽しみにしています。
- 久恒先生、みなさま、本日は「幸福塾」ありがとうございました。今日は、偉人・先人・現代人の言葉の中から、「修養」ということについて、改めて考える貴重な機会でした。そもそも「修養」とは「身を修め心を養う」とのこと。今の言葉で言うと、心の持ち方であるとか、人格を高めるといったことに繋がるものと思いました。その根っこにあるものとして、日本人の場合は、「儒教(道徳心)、仏教(慈悲心)、神道(忍耐心)がある」(新渡戸稲造)という話は、なるほどその通りだと感じました。紹介いただいたたくさんの偉人・先人の修養に関する言葉の中で、特に印象深かったのは、「高齢者に適しているのは、人間学。『修養』と言ってもいいかもしれない。人間学の中心になるのは、古典や歴史だ。・・・人間学を学んで、『修養』を積んでいる人はいつまでも衰えない。」という渡部昇一の言葉。また、濱口雄幸の「偉人は凡人の結晶物であり、大業はその偉人の努力の結晶物である。」という言葉も、大いに励まされる心の持ち方だと思いました。 現代人では、松井秀喜の「心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば、人格が変わる。人格が変われば運命が変わる」という言葉も印象に残りました。「修養」は心や行動を変え、運命までも変える力があるものと理解しました。現代では「成長する」という言葉はよく見聞きしますが「修養」は意識する機会がほとんどありません。しかし修養の意味に含まれる身を修める=人格を高めることの大切さはもっと意識したほうがよいということに気付きました。ありがとうございました。
- 12月の「幸福塾」「新・代表的日本人」に参加させていただき、ありがとうございました。今回は、第11回「修養・鍛錬・研鑽」をテーマに偉人の言葉や生き方から、日本や日本人の在り方を学びました。とても興味深い内容でした。お話では、「修養」という言葉に焦点が当てられ、その重要性や意味について深く学ぶことができました。二宮尊徳、安岡正篤、新戸部稲造、野口英世、本多静六、佐藤一斎、濱口雄幸、安田善次郎、広岡浅子といった偉人たちが紹介され「修養」をどのように実践したかを知ることができました。 今回のお話を聞いて私が思ったのは「修養」と「道徳」との違いです。「修養」は、単に知識や技術を学ぶことではなく、自らの内面を磨き上げ、人格を高めることを意味することがわかりました。これに対して「道徳」は、社会性や人との付き合いにおいてルールを守り、調和を保つための基準であることがわかりました。道徳は社会全体との関わりの中で重視される一方で、修養は個人が自分自身を見つめ、成長させることに重きを置いてい流ことが理解できました。どちらも大切でバランスよく取り組むことの大切さを実感しました。 「修養」は内面の心を磨くことですが、「修養」は危機やトラブルに遭遇したときの対応や日常の振る舞いや態度に表れるのではないかと思いました。ふとしたときの仕草や心配り、他者を褒める謙虚さなど、修養を積んだ人は自然とその内面が表に出るのではないかと思いました。現代では「修養」という言葉があまり使われなくなっていますが、これは日本人の精神文化の根幹に関わる重要な概念だと思います。 「修養」は、豊かな人生を築くための基盤であり、私も「修養」を大切にして日々の生活の中で自分自身の内面を磨いていきたいと思います。素晴らしい学びの場を提供していただき、本当にありがとうございました。
- 本日もありがとうございました。「修養」は、久恒先生の講義で知った言葉で、理解しているようで難しい言葉だと思っていました。あらゆる分野に修養にあたることをされている方々がいて、その人たちが日本を作ってきた。本日もたくさんの方々のお話を伺いました。また現代の活躍している人たちの中にも見ることができる。こういった人たちの言葉は、どんなことをされているか目にする機会が多いので、解りやすくてよいですね。あとは、研修が、研究と修養だったとは。初めて知りました。修養すなわち心を養うこと鍛えること、これができていると顔に出てくる。これはとても心に響きました。 今年もありがとうございました。次回は来年になりますね。どうぞよろしくお願いいたします。
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「名言との対話」12月11日。三輪壽雪「不器用は、不器用なりに。茶碗の場合はの。器用すぎてもいかんのじゃ」
三輪壽雪(みわ じゅせつ 1910年2月4日 - 2012年12月11日)は日本の陶芸家。享年102。
山口県萩市出身。代々萩焼を家業とし、旧萩藩御用窯であった三輪窯の九代休雪・三輪雪堂の三男として誕生する。 旧制萩中学校卒業後、兄・十代休雪を助けながら伝統技法を学ぶ。1941年、川喜田半泥子に師事し、茶陶の制作技法を身につける。独立までの約30年間ひたすら修練に打ち込む。
1955年に作家活動を開始。1957年日本伝統工芸展に初出品した「組皿」が入選し、1960年には日本工芸会正会員になるなど、高い評価を受けた。萩焼の伝統的な茶陶の作風に新たな展開を示した。純白の藁灰釉による「休雪白」の作品を発表している。1967年、兄の休雪の隠居後、三輪窯を受け継ぎ十一代休雪を襲名。1976年紫綬褒章、1982年には勲四等瑞宝章を受章、1983年4月13日に重要無形文化財「萩焼」保持者に認定された。兄弟での人間国宝認定は陶芸界で前例の無い快挙だ。
近代萩焼の革新者であり、それまで注目されなかった桃山時代の雄渾なスタイルを現代に甦らせることで、現在美術としての萩焼を創出させた。美濃焼における荒川豊蔵、唐津焼における中里無庵、あるいは備前焼における金重陶陽らに、匹敵する人である。
「若い連中がまねしてやろうという根性になってはだめ。自分の仕事の力になるように受け止めないと」
全ての作陶過程を自らの手で行う事にこだわりを持ち、晩年まで活動を続けた。2012年12月11日、老衰のため死去。102歳没。百寿(100歳)の上もあることが今回わかった。茶寿(108歳)、皇寿 (111歳)、大還暦(120歳)。
センテナリアンであった三輪壽雪は胃腸が悪く、長生きしようと自分で健康法を編み出して実践した。4時半に起床し、体操と全身マッサージを1時間半。その後、無農薬野菜をつくる畑仕事を1時間。冷水を2杯飲んで朝食。就寝は9時半。 体が弱かったことが、かえって長生きにつながった。体調管理はどのような分野でもいい仕事をするための基本である。
三輪壽雪は「不器用は、不器用なりに。茶碗の場合はの。器用すぎてもいかんのじゃ、これは。茶碗の場合はの。器用すぎるほど、土が伸びてしまっていかんのじゃ。やっぱし技術的には稚拙なところが、多少はあるほうが茶陶、茶碗としては、好ましい雰囲気のものになるわけじゃ」と不器用を礼賛している。
「健康第一。体調は作品に表れるので、体調の悪いときにいくら頑張っても良いものはできん。健康は基本じゃ」。健康第一の心がけで百寿の名人になった人だ。
30年の修業期間を経ての45歳からの作家活動は遅いと見えるが、100歳を超えるまで半世紀以上の時間があったことになる。この人も遅咲きの人である。