「副学長日誌・志塾の風11月22日」
日本私立大学協会 平成28年度 教育学術充実協議会。アルカディア市ヶ谷。
テーマ「高大接続改革再考」。
193大学の理事長、学長、副学長ら253名が参加。
3つのポリシーの実質化と入試改革を通じた教育力の向上(関西国際大学理事長学長・濱名篤)
- 大卒の非正規比率23.1%。中退者61.8%。転職を繰り返すと非正規比率があがり年収も低下していく。
- 行き過ぎた多様化と質保証の欠如(高校も大学も入試も)
- 高校生の学習時間上位層と中位層は改善しているが、下位層は低い水準。
- アクティブラーニング=ハイ・インパクトプラクティス
- 3つのポリシー:つながりと統合。カリキュラムポリシーは内容・方法・評価を記載。アセスメントポリシーは大学レベル・学部レベル・学生レベル(卒研・テスト・KUIS・GP)。
- ルーブリック:普及度が低い(5%、10%)。評価の観点と尺度を組み合わせた評価(記述評価も含む)。ばらつきをしだいに修正していく。
- ラーニングルートマップ(各学生の4年間の学修プランのポイントを図式化したもの):つながり。学生が自分の成長を実感し説明できるか。米国の科目数は学期で3-5。日本は10-12で多すぎる。
- DPは簡単に変更できないが、他のポリシーはPDCAによって見直し、変更は可能。
- 選抜型入試と品質管理型入試。
- 何を学んだか(履修型)を越えて、何ができるようになったか(修得・活用型)を、実感させ、証明出来るか。
- 3つのポリシー(DPが基本)を測定可能にする。説明責任があり、アセスメントポリシーまで整備が必要。
- PISA(OECD生徒の学習到達度調査)は、2006年を底として現在は最高値。科学的リテラシー1位、読解力1位、数学的リテラシー2位。(高校1年夏)
- 私立大学等改革総合支援事業263億円(201億円)。2/3は地域を支える大学連携プラットフォーム形成支援事業と連動し加算。1では高大接続を加算(高校との連携・アドミッションオフィス・追跡調査の妥当性、、)
小・中・高から見た高大接続改革(埼玉県教育長・関根郁夫)
- 一人一人の伸びをはかる、へ転換。ノウハウの共有。教育産業と共同研究など連携して世界へ。
- アクティブラーニング:20%がやっている。TOPはできる。2/3番手ができない。クラスの人間関係などの土台が必要、これがあるかどうか。ALでなければ海外には太刀打ちできない。トップレベルの高校は日本の大学を相手にしていない。学び続ける人間の育成。
- 教員の多様化:対応能力の低下。学びの共有(学校内・学校間)。ネットワークというプラットフォームを整備。学び合いで育っていく。ハブとしてのリーダー。
- 大学は一人一人の到達度を引き継いで引き上げて欲しい。高校と大学の共同研究。ナナメの関係をつくる。
- 財政問題:教育に金をつぎ込まない姿勢。寄付金集めのシステムを考えねば。同窓会を財団にするなど。
「名言との対話」11月22日。大宅壮一。
「ライフワークを手がけるのが10年遅かった」
大宅 壮一(1900年(明治33年)9月13日 - 1970年(昭和45年)11月22日)とは、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家。妻は大宅壮一文庫の理事長を務めた大宅昌、三女はジャーナリストの大宅映子。
マスコミ界の怪人・大宅壮一は、造語の名人だった。辞書にの載っている「一億総白痴化」「恐妻」「駅弁大学」「青白きインテリ」「口コミ」などその数は三百を越す。履歴によると、1967年に「東京マスコミ塾」を開講し、約480人の塾生が巣立った。2013年1月15日発行の「大宅文庫ニュース」の枝廣映子理事長(娘の大宅映子)の「大宅壮一文庫は公益財団法人に移行しました」によれば、大宅壮一が集めた20万冊が基本になっている。現在、雑誌は1万種、72万冊。1997年に発行の「文学館探索」(榊原浩)では雑誌は46万冊と書かれている。その10年後の訪問時は66万冊であったから、順調に収集が進んでいる。
大宅文庫の表にある看板には「日本唯一の雑誌図書館」とあり、故大宅壮一の「本は読むものではなく、引くものだ」という警句が示されている。
「昔陸軍、今総評」「自動車と別荘と二号は、使用頻度のわりに維持費がかかりすぎる」など人口に膾炙した言葉は多い。
- 外国旅行は、ジェットコースターに乗せられ、ぐるぐる廻っているようなものだから、話を聞いたらメモをしておかなければ駄目だよ。
- 物事は「上から見る」「横から見る」「下から見る」のでは、それぞれ違ってくる。常に多角的に見る習慣を身に付けろ
- 「男の顔は履歴書。
- 本というものは読むものではなく、引くものだ。
- 美しく死ぬことはやさしい。しかし美しく老いることはむずかしい。
この大宅壮一にして「ライフワークを手がけるのが10年遅かった」と最後に語っている。この人にして突出した名著、満足できる書物を遺すことができなかったのか。高齢社会においては、「ライフワークをつくりましたか」、この問いが重要になる。