本:吉野俊彦『鴎外語録』から1。ラジオ:加藤秀俊『九十歳のラブレター』、俵万智『未来のサイズ』。人:弟と。

吉野俊彦『鴎外語録』(大和出版)1「青春の激情と挫折ー二十代・三十代の男の生き方」から。鴎外の全著作から人間の生きがいに関連したものを中心に編んだ本。

  • 始終何か更にしたい事、する筈の事があるように思ってゐる。併しそのしたい事、する筈の事はなんだかわからない。或時は何物かが幻影の如くに浮んでも、捕捉することの出来ないういちに消えてしまふ。(『カズイスチカ』
  • 舞台監督の鞭を背中に受けて、役から役を勤め続けてゐる。此役が即ち生だとは考えられない。(『妄想』)
  • 漢学者のいふ酔生夢死というやうな生涯をおくってしまふのが残念である。(『妄想』)
  • 現在は過去と未来との間に劃した一線である。此線の上に生活がなくては、生活はどこにもあにのである。(『青年』)
  • そのうちに夏目金之助君が小説を書きだした。金井君は非常な興味を以て讀んだ。そして技ヨウを感じた。(『ヰタセクスアリス』)
  • 世間の人は性欲の虎を放し飼いにして、どうかすると、其背に騎って、滅亡の谷に墜ちる。自分は性欲の虎を馴らして抑へてゐる。(中略)只馴らしてある丈で、虎の怖るべき威は衰へてはゐないのである。(『ヰタセクスアリス』)
  • 余は我志を貫き我道を行はんと欲す。吾舌は尚在り。未だ嘗て爛れざるなり。我筆は猶ほ在り。未だ嘗て禿せざるなり。(『敢て天下の医師に告ぐ』)
  • 然れども軍職の身に在るを以て、稿を属するは、大抵夜間、若くは大祭日日曜日にして家に在り客に接せざる際に於てす。(中略)世或は余其職を曠しくして、縦ままに述作に耽ると謂ふ。冤も亦甚しきかな。(『即興詩人例言』

吉野は「本書に引続き第二、第三の「鴎外語録」の執筆を続けてゆく積りであり、それが私の老年の生きがいでもある」と市川市東菅野の二号書庫で書いた「まえがき」に記している。

木下杢太郎は鷗外の文業を「テーベス百門の大都」と形容した。ルクソール神殿や死者の谷があるエジプトの古都テーベのこと。

吉野の現代語の翻訳ではなく、できるだけ原文を採用してみた。鴎外の吐息が聴こえる気がした。今日は20代・30代の読者に焦点を絞った言葉だが、まだまだ続編がある。

NHKラジオアーカイブスを2本。

加藤秀俊。90歳。妻との日々をつづった『九十歳のラブレター』。65年間の二人三脚。昭和から平成に至る“世相史”にもなっている。

俵万智

7年ぶりの第7歌集『未来のサイズ』(角川書店)が超空賞と詩歌文学鑑賞を同時受賞。牧水短歌甲子園(宮崎県日向市)が縁で、宮崎県に住んでいる。

  制服は未来のサイズ入学の子もどの子も未来着ている

  第二波の予感の中に暮らせどもサーフボードを持たぬ人類

  トランプの絵札のように集まって我ら画面に密を楽しむ

  自己責任、非正規雇用、生産性 寅さんだったら何をいうかな

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第二波の予感の中に暮らせどもサーフボードを持たぬ人類
第二波の予感の中に暮らせどもサーフボードを持たぬ人類

弟との飲み会。町田にて。

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「名言との対話」10月8日。村上輝久「いい音ってなんだろう」

村上輝久(1929年10月8日〜 )は、ピアノ調律師

1948年ヤマハ株式会社(当時日本楽器製造株式会社)入社以来、ピアノ調律一筋の生涯だ。1965年に来日した、ミケランジェリの奏でる音に魅せられ、1966年から1970年まで、ヨーロッパへ研究に出かけ、ミケランジェリをはじめ、リヒテル、シフラ等の専属調律師として、世界二六カ国をまわる。1967年ドイツの新聞紙上で「すべてのピアノを『ストラディバリウス』に変える東洋の魔術師ムラカミ」と報じられた。1980年ヤマハピアノテクニカルアカデミーを設立、初代所長に就任する。

ピアノがイタリアのフィレンツェで誕生してから300年、日本で作り始めてから100年経った。ピアノは幅広い音域と豊かな表現力があり、「楽器の王様」といわれる。ピアノ調律師の仕事は、調律、整調。整音の3つだ。音程・音階を合わせる「調律」、タッチを整える「整調」、音色・音量全体のバランスを整える「整音」の三つの作業がある。

約8000 ある部品に木材や羊毛、皮革など天然素材をふんだんに使った自然楽器であり、温度、湿度の変化、ゆるみなどが相俟ってなどで、音程やタッチが変化する。その微妙な狂いを正常な状態に戻し、演奏者にとって最高の状態になるように手直しをするのがピアノ調律師の仕事である。

演奏家とピアノと調律師は三位一体の間柄にある」ともいわれるほど、調律師の役割は大きい。日本には1 万人ほどのピアノ調律師がいる。少子化の影響などで、新しくピアノを購入する家が減っており、調律師の数も減少しているという。

「大事なのは、ピアニストと言葉を交わし、その端々から相手の心の中を想像し、彼らが求める音を冷静に具現化する能力です」。「人間を読む力」。「肝心なのは忍耐と好奇心」。「自分で何かを生み出す力は、泥まみれになってようやく獲得するものである」ということなのだ」

村上輝久『いい音ってなんだろう』(ショパン)を楽しく読んだ。

「いい音」を求め続け、巨匠の下で修行を重ね、本場ヨーロッパで一流調律師として認められた。その後、夢であったヤマハピアノテクニカルアカデミーを設立する。ここでは「全人教育」を理想としている。技術教育だけでなく、音楽芸術論や音楽美学、一般教養など音楽に関わる周辺知識の授業に力を入れている。

世界28カ国、国内は全県を踏破する出歩きの人生だった。マジシャンと呼ばれたり、「すべてのピアノをストラディバリウスに変える東洋の魔術師」と新聞で絶賛を受けたり、調律師冥利につきる人生だ。日記をつけていたので、記述は詳細にわたっている。

「好奇心と幸運と健康」が村上輝久のピアノ調律師の生涯を支えた。確かにこの本の中には「運」「幸運」という言葉が頻繁に出てくる。前向きの性格が幸運を呼び込んだのだろう。

この本は「いい音ってなんだろう」というテーマを生涯をかけて追い続けた人の軌跡だ。単純だが、本質的な問いへの答えを探し続けた職人人生である。励まされる。