「倖せの構造」を提示ーー「幸福塾」の5回目。

「幸福塾」の5回目。

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以下、塾生の「学び」。

  • 本日もありがとうございました。今日は他のZoom会議があったため30分遅れて参入しました。入った途端、目に飛び込んできたのが「ライフステージにより変化する倖せの構造」の1枚の図でした。「公人」「私人」「個人」という3つの大きな円。公人⋂私人は「バランサー」、公人⋂個人は「ライフワーカー」、私人⋂個人は「ネットワーカー」で、ライフワーカーの「創造→自己実現」とネットワーカーの「交流→社会貢献」の共通部分が「最も幸福」。お見事!としか言いようがありません。今後、この図のそれぞれの部分の幸福について深めていくとのこと。楽しみです。その他重要なこと。「アンテナが立っていること。アンテナが立ってないと何を読んでもダメ。」「明治時代に日本にいた外国人が日本人見て『日本ほど幸福な国はない』といった、その『日本人の幸福論』とは何かを追求したい。」後半の幸福に関する記事の紹介では東洋経済の「他人の幸福を願う人ほど幸せになれる」というFacebookの記事を取り上げました。が、ありきたりの結論でつまらなかったかなと思いました。(一応、図解にしたものをここに添付します)他の方の幸福についての紹介では「市井の人の名言」というのが印象に残りました。永六輔「大往生」をまた読んでみたいと思います。
  • 久恒先生、みなさま、本日は幸福塾ありがとうございました。今回は「倖せの構造」ということで、久恒先生がこれまで蓄積されてきた人物記念館の探索記録と古今東西の先人の名言、合わせて3000件のデータベースをもとに、幸福の構造を図解で明らかにするという壮大なスケールの講義を伺い大変勉強になりました。一口に幸福といっても、それらには「公人」としての幸福、「私人」としての幸福、「個人」としての幸福、という3つの大きな柱があって、その大きさはライフステージにより変化していく、というダイナミックな見方で腑に落ちるところがあります。そして人生100年時代を生きていくうえでは、とりわけ「個人」としての幸せを育てていくことが大切。それには創造や自己実現をめざす「ライフワーカー」、社会貢献で人と人とを結ぶ「ネットワーカー」という生き方が幸福につながる、という理解は、自分の今のライフステージに照らしても視界が開けていく感じがしました。塾生の発表コーナーでは土井善晴さんの「一汁一菜の勧め」の中からシンプルな食事や料理の中から感じる幸せについて書かれている部分を抜粋させて頂きました。毎日の静かで穏やかな生活の中に安心・幸せを感じるところがあるということかと思いました。「倖せの構造」でいうと「私人」の幸せでしょうか。
  • 本日はありがとうございました。「幸せの構造化」プロジェクト!素晴らしい目標を掲げていただきありがとうございます。また学習意欲が湧いて来ました。日本人の幸福論と問われると、果たして何があったのか考え込んでしまいました。今この大きな歴史の転換期に外国の受け売りでは無い幸福観を考える事が、とても重要だと思います。公人、私人、個人の考え方は、先生の仰る通りと思います。もっと自分の中でも考えてみたいと思いました。それと個人の力量で幸福度も変わるような気もしました。市井の人の名言、集めてみたいと思います。ありがとうございました。
  • 色々勉強になりまして、参加させて頂いて感謝しております。もう惰性で日々過ごしていけば良いものと思っておりましたが、気付く事が多多ありました。人生百年時代では、まだ実年期であり、公人私人の円がどんどん萎んでいるなかで、個人の円を拡げて行く事を目指していくことに、お墨付きをいただいた感があります。さっそく読む本のジャンルを広げて行きます。早く皆さまのペースに追い付く様、無理せず頑張りますので、よろしくお願い致します。
  • 久恒先生、みなさま、本日もありがとうございました。
    今日の「幸福塾」では、久恒先生から「人生の豊かさは自由の拡大にある」という図解から始まり、「自分の人生は個・公・私で成り立っている」というトライアングルの図や、「人生100年時代のライフデザイン」という人生を6期に分けた図で、これまでにお話しいただいた「人生」に着目した解説があった後、「倖せの構造」図で、仮説としての幸福論の解説がありました。この構造図のおかげで、これからは、いろんな人が語っている「幸福」を、「公人、私人、個人」3つに分類しながら読んでいけば、頭の中で整理しやすいし、認識しやすくなるなぁと思いました。次に、参加者が見つけた「幸福」を紹介する時間では、私からは「アドラー心理学×幸福学でつかむ! 幸せに生きる方法」という平本あきおさん・前野隆司さん共著の本を紹介しました。この本は3つの構造図に当てはめると「個人」に分類できると思いますが、今の自分が意識しているのが、公人・私人より個人の割合を大きくすることだったので、この本を見つけられた理由について、今日改めて気づいたしだいです。どうもありがとうございました。しっかり読んでいきたいと思います。
  • 久恒先生、本日はありがとうございました。全体構造を説明くださったおかげで、各種幸福論を位置づけできるようになり、整理された状態で認識できるようになりました。まだまだ自分は、守破離の「守」です。なので、見聞した幸福のお話が、全体のどこに位置づけられるかを意識して考えるようにいたします。「自己実現と社会貢献の両方ができて幸福である」が一番印象に残りました。今は言葉でしか理解できていない状態なので、このことの本質が一体何であるかを問い続けます。〜〜〜紹介したインタビュー記事の一部を共有いたします。本日の朝日新聞朝刊です。若い方の例で恐縮ですが、未知の世界に飛び込むことでも幸福は得られることに気づいた次第です。最終的には自分のあり方なのだと、認識させられました。
  • 久恒先生、皆様、本日もお疲れさまでした。本日は「幸福塾」で汗を流しました。人物記念館めぐりというフィールドワークで培われた膨大な情報から、久恒先生は今回「倖せの構造」を仮説。今後様々な事例を当てはめ検証しながら、幸福とは何という思考を深めていくという、先生の構想をレクチュア頂きました。①限られた時間の中、「カネ」と「ヒマ」の自由度は反比例するもの、目的意識を持つ事により流されず生き抜くという「アタマ」と「ココロ」が重要。②「孔子の人生訓」年齢スケールは人生50年の時代の物、人生100年の今は孔子時代の1.6倍に換算、65歳は働き盛り。③現役世代は社業(公人)と子育て(私人)で目一杯だが、定年を境に形相は一変、「個人」がその後の「わたし」を支えていく。今のうちから個人を「膨らます」活動が必須、さてどうやって?当塾で薫陶が得られる今の倖せを噛みしめた次第です、今後も食らいついていく。一方「個人」の形成には「ライフワーク」(掘り下げる)と「ネットワーク」(繋ぐ)という2つの切り口、どちらから進もうと大成すると両方ピカピカになっている(自己実現と社会貢献)人望と尊敬。情報が氾濫する今、これから自分がどこまで達成できるかはわかりませんが、少なくとも流されないで居続けられる為に、自分とは何か今後も明のるく自問して行きたいと思います。レポート編集会議では編集方針と図の集積体制について塾生皆様との意思疎通が図られ、こちらも前進(別途図解塾f/bookへup致します)本日も実り多き回となりました。有難うございます。次回も宜しくお願い致します。
     
  • 本日もありがとうございました。「倖せの構造」の図を、人との出会いの場所からひらめき、図解して構造化し、さらに深めて、アウトプットされるところを、何というか自分のものにしていく過程を見せていただいている感じがいたしました。「自己実現」→「社会貢献」逆に「社会貢献」→「自己実現」両方重なったところが「倖せ」となる。という幸福の構造図。自分にとって今はどこが大きいのだろう。10年後は?20年後は?と、できれば楽しく楽観的に想像?計画?してみよう、したいなぁと思いました。次回からのそれぞれのフェーズの日本の方たちからの深堀り、楽しみにしております。課題の言葉は、「365歩のブルース」 小説家 桜木紫乃  エッセー2022年3月10日 日経新聞 夕刊「嗚呼(ああ)、幸せも健康も、歩いて来ない怠け者なのだな。」幸せも歩いてきてはくれない。待ってるだけじゃなく、自ら歩かなくちゃ。そのためには心と体と時間とお金が自由でなければ、久恒先生がおっしゃる自由への拡大につながるなぁと思いました。このエッセイに以下の言葉がありました。「歩くためには健康でいなくてはならぬ、しかしその健康は歩いて手に入れる。なんだこのおかしな連鎖は。」
    近頃ウォーキングしていますが、体調と気分が乗らないとショートカットし足の運びが少なくなってしまいがちです。このぐるぐるがとっても共感できて笑ってしまいました。次回もよろしくお願いいたします。
     
     
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AI自動議事録ソフトを使って「幸福塾」の様子を試す。

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終了後、宮城・福島で震度6強地震が23時36分に発生。関東は震度4。

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昼食は町田で兄弟会。

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「名言との対話」3月16日。村山長挙「君(緒方竹虎)は生きて、私どもを導くことの何と大きく、死んで私どもに半生を与えることの何と多いことでしょうか」

村山 長挙(むらやま ながたか、旧字体:村山長擧、1894年3月16日 - 1977年8月7日)は、日本新聞経営者。朝日新聞社社長社主。 

東京都府中市生まれ。京都帝大卒。1919年、朝日新聞初代社主の村山龍平の長女と結婚。婿養子となる。1920年取締役として朝日新聞に入社。1933年会長。1940年社長。主筆で声望の高かった緒方竹虎と不仲であった。1943年、「資本と経営の分離」で緒方を解任する。1944年緒方は退社し政治の世界へ向かった。敗戦後、朝日新聞の戦争責任を明らかにするために経営陣は総退陣した。村山は追放解除後、1951年に社主に復帰し会長になる。1960年、社長に就任。1960年退任した。

今西光男「占領期の朝日新聞と戦争責任」を読んだ。サブタイトルは、「村山長挙と緒方竹虎」である。村山は緒方よりも6歳ほど年下であった。

戦時体制他の新聞は安楽な時代であった。一県一紙体制が確立し、激しい販売競争はなくなり収入は安定した。新聞の内容は大本営発表をなぞるだけになった。戦後はGHQの指令した民主化と戦争責任追及の動きで朝日新聞は混乱を極めたのである。

終戦詔勅のラジオ放送があった日の午後、朝日新聞東京本社では重要な会議が開かれた。朝日新聞は聖戦の完遂を掲げ、戦争新聞を発行してきた。編集局長の細川隆元は、今まで「一億一心」など最大級の言葉を使って戦争を鼓舞してきたが、がらりと態度を変えなければならない。「まあだんだんに変えていくことにしようじゃないか」、と発言をしている。これに怒って退職したのが「たいまつ」を刊行するむのたけじだ。

その後、村山との暗闘に破れた緒方は政界に出てたちまち存在感を示した。総理になると目された直前の緒方竹虎は突然に死去する。国にとってもその損失は大きかったが、それは朝日新聞にとっても同様だった。

永年にわたり対立した村山は弔辞で「何と強く、そして逝くことの何と疾かったことか」「君が往くところ、堅い氷は解け、熱い火も自ら避けるといった観がありました」と悼んでいる。

朝日新聞は創業以来、「資本と経営」の相克に揺れた新聞社であったことがわかった。この本の著者は朝日新聞の記者として要職をこなした人である。2008年に退職したのだが、その年にこの本を上梓している。この根本問題を解決せず、新聞社という「特権」を抱えたまま双方が弛緩したという見方である。

権力と新聞の関係は、民主社会にとって大きな課題であるが、ネット時代を迎えて、新聞の影響力は減じつつあるが、それでも世論形成に与える影響は依然大きい。新聞社が普通の企業になり始めていることに対する激励と警告の書である。

外部の権力との関係、内部の資本と経営の関係など、メディアには大きな課題が山積している。村山長挙はその渦中にあったが、緒方竹虎という敵については、「君は生きて、私どもを導くことの何と大きく、死んで私どもに半生を与えることの何と多いことでしょうか」と語っている。本音であったろう。組織は人間と人間の関係で動いているのだと改めて思った。