「幸福塾」:2年間に行った34回の講義の総括ーー独自の「幸福学」の体系と豊富な人物事例集が完成。

本日の「幸福塾」は、2022年1月から2023年12月までの2年間をふり返りながらの総括講義。

フィールドワーク(人物記念館の旅1000館)と文献研究(「名言との対話」2900日)を土台とした、独自の「幸福学」の体系と豊富な人物事例集が完成した。来年からは「代表的日本人」シリーズに挑む予定。松永先生、富山さんにも参加いただいた。

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以下、塾生たちの学び。

  • 久恒先生、皆様、おつかれさまです。本日、幸福塾。2022年1月よりスタート以来、まる2年が経過し、一つの節目として今回久恒先生より『総括』のレクチュアを頂きました。「教育」、「研究」、「社会貢献」という3つのエレメントで成る久恒先生ご活躍のフィールドにおいて、近代を中心とした『日本の偉人』探求はその中核的存在。特に1063館にのぼる「人物記念館の旅」や、6600日連続更新中のブログに連載の「名言との対話」により蓄積された膨大な「人物データベース」は、そのボリウムは勿論、ジャンル・年齢・性別を問わない幅広さにおいてもはや『日本唯一』の存在。ここから繰り出される「幸福塾」は、当初「図解塾」の課外授業としての単独開催でしたが、「ライフプラン」「遅咲き」といった様々な視点を持つ奥深さが有り、隔週開催されるようになりました。『孔子の人生訓』に1.6倍した新たな年齢層の分類や、「公」「私」「個」という3要素と、そこから発展する「ライフワーカー」「ネットワーカー」という2タイプから成る『倖せの構造』において個々人の年齢層やパーソナリティに応じて様々な配分パターンが有る事など、人物名や格言の羅列に留まらず、タイプ毎に生き様やその背景分類しより深く理解するというアクティビティは、もはや『幸福学』と呼ぶべき。この倖せの構造に則り、「起業家」、「恋愛・家庭主義者」、「コレクター」、「〇〇の父」、「天職」、「美術館を作ったヒト」、「ライフワーク」、「コレクション」など、様々な切り口をテーマに、毎回久恒先生から怒涛の如き人物情報のシャワーを浴びさせて頂きました。その過程の中で「平凡なヒト」が「運命的な出会い」からそのテーマを手掛け、「地道に継続」する中で周りからの理解賛同が得られ、最終的にはその分野における第一人者へと発展していくというパターンを幾つも目にすることができた事は自分への励みとなり大変有意義だったと思います。久恒先生が仰る通り『人生百年時代』の現在を生きる我々にとって、仕事や子育てといったフェーズを終えた後の長い期間を、いかに張り合いと希望をもって健全に生きるかという命題と対峙していく事になる訳ですが、力む事なく、素直に正直にひたむきに生きる事、上機嫌と好奇心を忘れない事を改めて思い出す事が出来た事が非常に良かったと思いました。また先生からの人物シャワーを浴びながら、以前新聞切り抜きで知った中村哲さんの偉業が鮮明に思い出されました。内戦のアフガニスタンで孤軍奮闘された方として有名ですが、元々お好きだった山歩きや昆虫採集がかの地へ赴くキッカケだった事、医療以前に必要と知った生活用水確保の為、河川治水の大家に教えを乞う素直さや行動力、そしてそのひたむきな活動を日本から支え続けた愛する家族の存在など、インターネット検索で知る事が出来、先述の『倖せの構造』に当てはめると非常にバランスと取れたお人柄である事が分かりました。参考までその時作成した図を改めて添付共有致します。来月より始まる「人物探求」の新シリーズ、大変楽しみです。今後ともよろしくお願い致します。有難うございました。
  • 久恒先生、皆様、本日は幸福塾ありがとうございました。今日は約2年間の幸福塾の総集編でした。久恒先生の「ライフステージにより変化する倖せの構造」と言う図解に基づいた「公人」「私人」「個人」「ライフワーカー」「ネットワーカー」という切り口で、それぞれの偉業を成し遂げた人物や名言の数々を2年間分一気に振り返りました。俯瞰してみると、圧巻の一言。実にたくさんの人物や名言をご紹介をいただいたことに、改めて驚きました。1つひとつがそれぞれに味わい深いのですが、中でも一番心に残ったのが、第7回目の講義で取り上げた「凡人」。経営者岩田弐夫の「平凡の凡を重ねよ。いつかは非凡になる」という言葉は、座右の銘のひとつになりました。また、本日の講義の最後に、「人間力」が劣化しているという話と、これを補うためには人物論を学ぶこと!という話がありましたが、大変共感しました。幸福論に続く「代表的日本人」に繋がっていく話で、沸々と興味が湧いてきました。2年間の幸福塾ありがとうございました。次回以降も楽しみです。よろしくお願い致します。
  • 久恒先生、本日も幸福塾をありがとうございました。久しぶりの参加で、一区切りの大切な回に参加できて大変光栄です。2年間でこんなにも多くの方の生き方を解説いただいていたのだと、とても驚きました。それぞれの回で印象に残ったことを思い出しながら講義を拝聴いたしました。人の生き方を知ることは、自分の生き方を見出すきっかけになることに気がつきました。キャリアパスが声高に叫ばれているのも、もしかしたら、人の生き方を見聞する機会が少ないからかもしれないと思いました。偶然を活用して生きてきた方もいれば、計画的に生きてきた方もいらっしゃるわけで、生き方には答えがなくて、かといって、答えを求めるものでもなく、プロセスそのものではないかと思った次第です。 来年からの「代表的日本人」シリーズ、楽しみにしています。
  • 本日もありがとうございました。2年間にわたる学びの総括をとおして、膨大なデータベースの中から様々な視点で串刺しにして示してくださいました。全く知らなかった人物、名前は聞いたことがあるけどどんなことをした人か改めて知ったという人物、よく知られている人物だけど独自の視点で浮き彫りにされたエピソードなど。いずれまとめたものを出版されることを期待します。また、例えば「迷ったときの決断」「しのぎを削り合ったライバル」「人生を変えた親や先生の一言」などいろいろ考えられると思いました。最近、中高生向けの人生100年時代の本が出て(「16歳からのLIFE SHIFT」)、若い人たちにも人生100年時代を考えてもらうことができるというのを知りました。ぜひ幸福塾でやってきたようなことを何らかの形で中高生にも示せればと思いました。1月から「代表的日本人」というテーマで、日本の江戸時代からの精神的基盤を培ってきた(と解釈してますが)人々を取り上げるということで、楽しみにしております。
  • 12月の幸福塾に参加しました。久恒先生、皆様、ありがとうございました。 二年間毎月開催された幸福塾は、今回が最後で、少し寂しい気もします。今回は、まとめとして幸福塾で今まで取り上げた人物を振り返りました。テーマは、「公人総論」、「起業家・実業家」、「神様」、「…の父」、「明治の津和野人」、「創業者は何を残すか」、「事業家、経営者の美術館」、「私人、家庭、家族」、「個人ライフワーク」、「二刀流」、「コレクター列伝」、「戦後歴代の総理編」、「個人実年期、晩成力」「ネットワーカー」などが紹介されました。  特に印象に残った内容は、ライフワークのテーマで緒方洪庵の「フーフェランドの翻訳」です。緒方洪庵が、ドイツの医者フーフェランド氏の医師の心得が書かれた本を翻訳し、33歳から52歳まで亡くなる直前までかかって完成されたライフワークにとても感動したことを思い出しました。幸福とは、何かを考えながら、毎回参加させていただき、公人、私人、個人においてバランスよく生きることが大切だと思いました。その中でも、個人として、ライフワークやネットワークを充実させて生きることの大切さがわかりました。ライフワークに取り組むのに何歳から始めても年齢的に遅すぎることはないということもわかりました。特に実年期からが大事で、晩成力が大切であることがわかりました。幸福塾でいろいろなライフワークに取り組まれた人物を知ることで、人生の指針になり、心の豊かさを得たような気がします。振り返れば、あっという間の幸福塾での二年間、ありがとうございました。来年からの「代表的日本人」も楽しみにしています。
  • 本日は2年間の総まとめでした。ものすごい量のお話。こんなにたくさんの人たちの講義を受けていたんだなぁと、先生の知識の深さに圧倒された2時間でした。今回改めて聞けて良かったところは、ライフワークが完成して偉人。でも未完の偉人たちもいて、その一人ガウディのように、設計図などを残して後世の人達に託すという、後世に技術を残し、後世に続いていくこともあることを再確認しました。つまりは影響力の強い人→偉い人。ということですね。また、ネットワーカーでもあったということになりますね。この2年間の人たちを、倖せの構造の図解に当てはめていくと、、、ものすごいものができそうですね。2年間の幸福塾、どうもありがとうございました。来年からの代表的日本人、も、ものすごいことになりそうですね。どうぞよろしくお願いいたします。
  • 久恒先生、みなさま、本日もありがとうございました。今回は、この2年間の講義の総括ということで、幸福塾が始まった2022年1月から現在までを順に振り返ってご説明いただきました。幸福塾は、2021年11月から12月に開催された図解塾の課外授業「幸福論シリーズ」から引き続いて立ち上がった塾。「幸福とは何なのか」というテーマで、著名人が述べている「幸福論」を、久恒先生が手元の情報(当初は読書や人物記念館巡り等で得たもので100名ほどあったとのこと)から抜き出して解説いただきながら、参加者からも発表してもらう参加形式でした。結果、膨大な数の著名人の「幸福論」を伺い、その数だけ異なる「しあわせ」感があることを知るとともに、それぞれの背景や人物の特徴等も含めて解説していただいたことで、私はいずれもが「幸福」を表していると思いましたし、だからこそ幸福を定義するのは難しいことだと実感しました。
     また、久恒先生の図解「倖せの構造」に書かれているとおり、ライフステージによって倖せの構造は変化するし、「公人」「私人」「個人」のいずれの立場でも幸福論が出されていることから、自分がこれからを生きるうえで、どの倖せを実現させたいのかを考えるきっかけになりました。(早期退職するきっかけの一つになりました。)次回(1月)からは「代表的日本人」というテーマに変わるとのことですが、これぞ日本人という方がどんな人物なのか、今から楽しみです。よろしくお願いいたします。
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「名言との対話」12月13日。中江兆民民主の主の字を解剖すれば、王の頭に釘を打つ」

 中江 兆民(なかえ ちょうみん、弘化4年11月1日1847年12月8日) - 明治34年(1901年12月13日)は、日本思想家ジャーナリスト政治家衆議院議員)。享年54。

高知出身。土佐藩の留学生として長崎にて坂本竜馬と出会う。江戸でフランス学を学ぶ。 1871年、司法省から留学生としてフランス留学。1874年帰国。東京外国語学校長。元老院権少書記官となるが、1877年辞職。1881年西園寺公望らと「東洋自由新聞」を創刊(主筆)し自由民権論を唱え、ルソーの社会契約・人民主権論を『民約訳解』で紹介し「東洋のルソー」と呼ばれるなど、自由民権運動の理論的指導者となった。

保安条例で東京追放の後は1888年以降、大阪の『東雲新聞』主筆として、普選論、部落解放論、明治憲法批判などを展開した。1890年の第1回衆議院議員総選挙で、大阪から被差別部落民の支持を得て当選。その後は、新聞、鉄道事業などを多くを手がけるが、いずれも成功していない。

経歴を眺めると、実に多くの人物と縁がある。坂本龍馬、福地源一郎、大久保利通西園寺公望後藤象二郎、、、、。魅力的な人物だったのだろう。

号の「兆民」は億兆の民の意である。「秋水」と名乗ったこともあるが、弟子の幸徳伝次郎に譲渡している。帝国憲法発布時には、「玉か瓦か、また、その実を見るに及ばずして、まずその名に酔う。国民の愚かなるにして狂なる」と秋水に嘆いている。

アバタ面で背は高くなかった。性は豪放磊落で日常生活は無頓着であり、狂人や乞食、賭博の親分などと間違われたエピソードがあるなど、奇行、奇談の多い破天荒な人物だったようだ。

兆民は、喉頭がんで余命は1年半と宣告されるや、ただちに『一年有半』を遺稿として書き始めた。終えた後は「続一年有半」を10日ほどで書き上げている。こういう厳しさも参考にしたいものだ。日本人に欠けているのは「考える」ことと指摘している。「わが日本古より今に至るまで哲学なし」という言葉もある。この二書はベストセラーとなった。

中江兆民の代表作は、『民約訳解』、『三酔人経綸問答』、『一年有半』である。『三酔人経綸問答』では、洋学紳士、豪傑、南海先生の3人の酔っぱらいの対談で、笑いながら読めるが、内容は一種の哲学書である。秋水は「先生の人物、思想、本領」を知るにはこの書に如くはなし、と評価している。

民主の主の字を解剖すれば、王の頭に釘を打つ」と喝破した中江兆民には、「自由はとるべきものなり、もらうべき品にあらず」、「官は手足なり、民は脳髄なり」、「剣をふるって風を斬れば、剣がいかに鋭くても、ふうわりとした風はどうにもならない。私たちは風になろうではありませんか」などの名言もある。後の石橋湛山中江兆民福沢諭吉を評価していた。民が王の頭に釘を打つのが民主である。

 

参考

中江兆民。鶴ケ谷真一訳『三水神経綸問答』