「幸福塾」ー渥美清。やなせたかし。串田孫一。黒田初子。スティーブ・ジョブス。ヒルトン。フンボルト。団鬼六。篠田桃紅。岡義武。小林秀雄。伊藤肇。芥川龍之介。

「幸福塾」6は、総論の2回目。取り上げた人々は以下です。

渥美清やなせたかし串田孫一。黒田初子。スティーブ・ジョブスヒルトン。フンボルト団鬼六。篠田桃紅。岡義武。小林秀雄。伊藤肇。芥川龍之介

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  • 久恒先生、みなさまありがとうございました。今回は、竹内まりやさん「人生の扉」の歌を聞かせていただき、その歌詞に70歳80歳90歳についての扉があることに気が付きました。すごい発見です。今日は「倖せの構造」の総論の2回目。渥美清さんの「男はつらいよ」は観たことはありますが、日本的なしあわせを表しているというのに納得いたしました。やなせたかしさんの、戦争体験からの飢えている人に食べさせたかった。ということからの、アンパンマンのマーチ「そうだ うれしいんだ生きるよろこび♪」つながりました。その他、フンボルトの「人間が幸せか不幸せかは、できごとをどう捉えるかであり」という性格によるということが興味深かったです。小林秀雄さん「人はその性格にふさわしい事件にしか出会わない」芥川龍之介さん「運は性格の中にあるという言葉はなおざりに生まれたものではない」など、たくさんの言葉をいただき、性格はもう変えようがないものなので、その性格を理解し活かしていけるようにしたいと思いました。エニアグラム、みなさんとやると楽しそうです。あとは、みなさまに紹介していただいた言葉、高校の教科書に「公共」ができたことを知りました。今だから興味を持てそうなきがします。「ひまわり」もぜひ観たいと思いました。また、日本人も幸福感がU字になれるよう、もう下がることはない上を向いているんだと言えるようになりたいと思いました。ひすいこうたろう「3秒でハッピーになる超名言100」(Discover)の帯の言葉「人は、幸せになる前に、幸せをもたらす言葉と必ず出会っている」を紹介させていただきましたが、まさにこの講義ですね。次回もどうぞよろしくお願いいたします。
  • 久恒先生、皆様、ありがとうございました。冒頭に紹介された幸せの尺度「ハッピー、楽しいか」「ウェルビーング、満足してるか」、幸福学の基礎となる4つの因子「やってみよう」「ありがとう」「なんとかなる」「ありのまま」。漫然と考えていた幸福なるものに対して、納得のゆく切り口だと思いました。また、性格は人のOSで、先生が学生の就職指導で、性格が合う仕事を勧めているとのお話、私が採用担当をしていた時、会社に合う人物を求めていたことに繋がるのかなと思いました。まだまだ借りてきた猫状態ですが、早く皆さまの足を引っ張らないところまでいきたいと思います。次回も宜しくお願いします。
  • 今日も本当にありがとうございました。最初に紹介していただいた竹内まりやの歌、知らなかったのですがとてもいいですね。前半で7人の幸福論が紹介されました。私はやはりやなせたかしさんが一番心に染み入ります。「性格は人の人生を形づくる基本ソフト(OS)である」というのは新しい発見でした。性格はなかなか変えるのが難しいから、残念な気もしますが、いわれてみれば確かにそうかもしれません。後半の各自の拾い集めた幸福論の紹介、私はたまたま先週どさっと購入した高等学校の新しく改訂された教科書の中から「公共」という新しい教科の中で語られている言葉を紹介しました。「よく生きるとは、すなわち幸せ(幸福)に生きるということである」「幸せに生きるとは、....個人の欲望が満たされることは幸福の一つである。」「しかし、幸福にはもう一つ、自分以外の人と実現する幸福もある。」「ほかの人の幸福を考えると、自分の幸福と矛盾してしまう場合がある。」など。「ひまわり」の映画、白書から年齢による幸福度の比較などいろいろな面から幸福についての資料が紹介され、たいへん興味深かったです。
  • 本日はありがとうございました。エニアグラム、簡易的にテストできるサイトがありました。やってみたところ、タイプ5の調べる人でした。https://www.enneagram.ne.jp/about/diagnosis性格を改造して幸せになるのではなく、自分の性格を知って受容することが、幸せへのプロセスなのではと思いました。幸せを学んでいると、生き方や生きることも結果として学んでいることに気づかされました。ウェルビーイングとは、幸せを持続して生きていくことなのではと、思った次第です。幸福塾に縁をいただき、学ばせていただけていることに深く感謝申し上げます。
  • 久恒先生、みなさま、幸福塾ありがとうございました。今日は、竹内まりや の曲「「人生の扉」をYouTubeで視聴するところからの始まりでした。「人生100年時代」のイメージと重なるとのことで聞きましたが、20歳から90歳までの思いが込められた英語の歌詞やメロディーなど、改めてなるほどと思いました。本題は、「公人」「私人」「個人」の3つが重なる「総論」部分の2回目。渥美清やなせたかし串田孫一、黒田初子、スティーブ・ジョブスヒルトン、フンボルトなどが残した言葉を拾いました。この中では、遅咲きだったやなせたかしの「遅れて出てきた人はすぐにダメになることはありません」という言葉が印象に残りました。また「性格は人の人生をかたちづくる基本ソフト(OS)である」というテーマのもと、「性格」をキーワードにして、団鬼六、篠田桃紅、岡義武、小林秀雄、伊藤肇、芥川龍之介の言葉もご紹介いただきました。その中で、小林秀雄の「人はその性格にふさわしい事件にしか出会わない」という言葉は一見不思議な感じがしましたが、「性格」はその人の基本ソフトであると考えれば、確かにそうかもしれず、意味深い言葉だと思いました。後半の発表では、国民生活白書などで見つけた幸福度の国際比較などを紹介させて頂きました。塾生のみなさんから持ち寄られた幸福に関する事例のご紹介も、様々な観点からのもので、大変興味深く伺いました。次回もたのしみです。
  • 久恒先生、皆様、おつかれさまです。幸福塾の宿題先行提出として『ひまわり』を掲載いたします。4/7付け新聞によりますと、東京の映画配給会社は本作品上映50周年記念としてデジタルリマスターし、横浜周辺3館での上映決定をSNSで告知すると全国から声が掛かり、現在上映館は全国約90か所に増加中との事。
    今般、ウクライナ主要都市における一連の残虐行為はロシア軍によるもの…ウクライナ大統領は戦争犯罪を訴えています。あらすじはさておき、第二次大戦での過ちが今回繰り返されてしまったという人間の愚かさが残念でなりません。戦地に消えた夫を探す為、遥々訪れた村で古老が主人公である妻に語ったセリフを図中にコラージュ致しましたが、地平線まで一面に咲く花が吹き渡るそよ風に一斉に揺れる光景の美しさは筆舌に尽くし難く、敢て同作品の画像を使用致しました。美しい風景・映像という『文化』と戦争の歴史と現実という『野蛮』との対比に、「倖せは壊れ易いのに、過ちを繰り返す人類の愚かさ」を我々はしっかり受け止めなければなりません。
     
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    永山で橘川さんと昼食。
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「名言との対話」4月13日。木村秀政「仲間と一緒になって、夢中になって取り組んで、さんざん苦労したものが報われる。その感動をいろんな人に味わってもらいたい」

木村 秀政(きむら ひでまさ、1904年〈明治37年〉4月13日 - 1986年〈昭和61年〉10月10日)は、日本の航空機設計者、航空機研究者。、航空工学教育者。

北海道生まれ。南部藩の代官の家柄。一高を経て、1924年東京帝国大学工学部航空学科へ進学。この時、航空学科へ入学した10名の中には三菱重工業九試単座戦闘機(九六艦戦)や十二試艦上戦闘機零戦)の設計主務者となる堀越二郎や、川崎航空機の土井武夫がいた。木村は大学院に進む。

1938年、東大の木村が設計した航空研の飛行機は、木更津、銚子、太田、平塚を結ぶ関東平野の一周400キロの周回コースを三日間飛び続けた。29周で1万1651キロを飛んだ。6年前にフランスのブレリオ・ザバタが作った記録を破った長距離飛行の世界記録だった。

1940年は皇紀2600年にあたることから、東京・ニューヨーク間の無着陸の親善飛行を目的とするA-26の設計主務者となる。Aはスポンサーの朝日新聞のA、26は皇紀2600だ。しかし日本の真珠湾攻撃でこの企画は頓挫する。1941年、東京帝国大学助教授を兼任。

1945年に敗戦。東京帝国大学教授に就任するが、GHQの意向で、航空工学科が廃止され失職する。1947年、日大工学部教授に着任。 1953、日本航空学会会長に就任。

1952年にサンフランシスコ講和条約で独立を果たすと、国産旅客機生産の機運が高まり、木村や堀越たちが集められ、双発のプロペラ機YS-11の開発が始まった。そして1962年、戦後初の国産旅客機として初飛行。試作機2機を含めて合わせて182機が製造された。東京オリンピックの聖火を運んだことで、「オリンピア」という愛称をつけられた期待の飛行機だった。
プロペラ機からジェット機への過渡期の7年間の空白をとり戻そうとしたYS-11の製造を通して、木村は多くの若手技術者を育て、戦前に発展した日本の航空技術の伝統を次世代に引き継ぐ架け橋となった。

日大時代の1961年11月に初飛行ニュースを聞いた人力飛行機開発を学生たちとともに計画する。1963年から所属する機械工学科航空専修コースの卒業研究テーマとして研究開発に着手し、リネット1世号として日本初の飛行を実現させた。

木村秀政は長距離飛行世界記録、YS11の開発、人力飛行機の開発などの功績があった。NHK「人・物・録」の映像では、「仲間と一緒になって、夢中になって取り組んで、さんざん苦労したものが報われる。その感動をいろんな人に味わってもらいたい」と語っている。こあたりのことはたなかてつおの漫画『挑戦者』の中でも、「長距離飛行世界記録に挑戦した爽やか航空人・木村秀政」として描かれている。

私は1973年に日本航空に入社しているが、名機YS-11のこと、航空機の大御所・木村先生のことはよく聞く機会があったが、本社で仕事を頃には先生は引退されていて、接触はなかった。今回、その人生を追う中で、国運を担う技術者チームの努力と成功と感動の物語を味わうことができたことは幸運だった。