図解塾:「情報社会における芸能」「唯物論政府」「ミナト神戸の運命ーー都市と情報」「情報と消防」「情報社会への対処」「情報論語録」

「図解塾」5期⑧。『梅棹忠夫著作集』第14巻「情報と文明」の図解化に挑戦中。

今日のテーマは、以下。

  • 「情報社会における芸能」:芸能のコミュニケーション化。無意味芸能。活字のカラオケ。プロとアマのあいだ。芸能フリーター。先生としての芸能者。大衆社会と芸能。過剰芸能。
  • 唯物論政府」
  • 「ミナト神戸の運命ーー都市と情報」:神戸とモダニズム。灘の生一本。見かけこそは本質。ミナト神戸。情報港。
  • 「情報と消防」:情報化社会という言葉。知識と情報のちがい。情報の経済的意味。「情報産業」の由来。情報とお役所。情報か物質か。消防も情報を火災からまもる。法隆寺の火事の場合。10年後には大きな変化。
  • 「情報社会への対処」
  • 「情報論語録」:語録1「体験的・放送文明論」:教育者。進学率。編成部長。語録2「情報産業の新局面」:パイプそうじ。経営論。性生活。放送料。聖職者。プ語録3「放送料とその性格」:プレスティジ。精神的再生産。電波料。NHK。語録4「実業と虚業のあいだ」:お布施。バランスシート。BGM。精神と物質。思想。語録5「創造的価値のゆくえ」:創造性の条件。ビジョン。構想力。アークタイプ。人間学。経済主義。公務員。パーティ学。語録6「放送人の機能と理念の確立を」:フロンティア。自覚。地方性。

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以下、終了後の塾生の学び。

  • 久恒先生、塾生のみなさん、本日もどうもありがとうございました。今回印象にの残ったのは、「あらゆる専門学は実は問題解決学である」、「洋服の体系はTPO、和服の体系はSTPO」「論理を鵜吞みにするのではなく、具体的なことをあてはめて考えてみる」などです。そして毎回驚くことですが、梅棹先生の分析の細やかさとそれに伴う提案内容の先見の明。まるで預言者のようです。これからもワクワクしながらパワポを作成していきたいと思います。また、「図解Web」がリニューアル版が公開されたことが改めて紹介されました。先生の現在の取組みがよりわかりやすく表現されているのはもちろん、これまで蓄積された膨大な資料を拝見する際、すごく簡単に取り出せるのでとても便利だと実感しました。どうもありがとうございます。これからも活用させていただきますので、よろしくお願いいたします。
  • 久恒先生、みなさま、本日の図解塾ありがとうございました。はじめに新しく衣替えとなった「図解WEB」のご紹介がありましたが、たくさんのリンクが張られた知的生産物の集合体という感じで圧巻でした。当「図解塾」をはじめ、「幸福塾」や「遅咲き偉人伝」「人物記念館の旅」などが一堂に集められていて、縦横無尽に閲覧できるところが、とても良いと思いました。「情報と文明」のパワポ化では、今回も梅棹先生の情報社会に対する考え方の先見性を感じました。情報社会の進展により、プロとアマ、本業と副業、などの区分がなくなり、「ひとつの職業に一生」という職業観から「いくつもの仕事をこなしていく」へ変化する、というあたりは、まさに最近の職業に対する意識や環境の変化を言い当てている感じがしました。パワポ化もいよいよ終盤、仕上げに向けて取り組んでいきたいと思います。
  • 本日もありがとうございました。「情報産業」のシリーズが始まってからずっと、梅棹忠夫先生の先見性の確かさに驚いています。工業社会から情報産業社会への移行にともなって、「自分でする芸能が主流」になるとか「職業概念のゆらぎ」とか「大衆教養社会」とか。「展示学」については、非常に納得できます。現在でも展示学という名の分野はありませんが、科学コミュニケーターの方々や動物園教育の方々と接していて、それらの方々が実質的に展示学を体現し研究されていることを感じます。展示学は、プレゼンテーションについての学問といってもいいでしょうね。全ての社会活動にも必要だと思います。また、「問題解決」も今でこそ主流になりつつありますが、半世紀近く昔にその重要性を提唱されたのはすばらしいです。
  • 久恒先生、本日もありがとうございました。図解WEBサイト、リニューアルオープンおめでとうございます!1年目から23周年の現在までの変遷の実例から、最初に作るのは目標ではなく、原形という手法の良さも感じることができました。梅棹先生の情報の文明学、前回レクチャーのパワポ化での復習では、「ほんとうの学問は問題解決学」「情報産業社会は消費と享楽の社会」「洋服はTPO、和服は”S”TPO(Sはステータス)」というフレーズが今日のお気に入りです。また、具体例を自分で考えることで論理のあいまいさに気付くという理解の深堀り法も表面的な言葉でわかった気にならないために身につけたいと思いました。次回もよろしくお願いします。
  • 本日もみなさまお疲れ様でございました。今回は、梅棹先生の講演されてきた跡を追うようなお話でした。前回のパワポで清書した図をもとに、展示学についてお話を詳しくききました。実際に美術館や博物館などいくと、テーマが明確で雰囲気があるお部屋や、中央に椅子があって一番よい場所で座って鑑賞できたり、また音響や映像や体を動かして体験する展示。休憩したいときに椅子があったり、お茶するスペースがあったり、、、と、すべて今回の展示学のお話につながるなと思いました。展示学が、心理学や人間とは何か、というところまで発展し、むしろ芸術工学、とても大きな学問だと言えると思いました。次回は放送についてお話になりますね。今日説明いただいたのをもとにパワポにしてさらに説明できるようにしていきたいと思います。次回もどうぞよろしくお願いいたします。

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「名言との対話」7月20日二宮忠八「若い頃、毎晩飛行機に乗った夢を見、この頃でも時々見るが、今始めて空を飛んだ気持ちは、夢で見たのと少しも違わなかった」

二宮 忠八(にのみや ちゅうはち、慶応2年6月9日(1866年7月20日)- 1936年(昭和11年)4月8日)は、明治から昭和期の軍人、航空機研究者、実業家。
愛媛県八幡浜市出身。

漫画『日本人の航空創成期  孤独な空の挑戦者 二宮忠八』(たなかてつお)は、人類初の動力飛行を成し遂げるはずだった孤独な挑戦者・二宮忠八を描いている。この漫画の参考資料は、吉村昭「虹の翼」(文春文庫)と「そのとき歴史は動いた12」(NHK取材班)だ。

二宮忠八は、忠八凧、カラス型飛行器、タマムシ型飛行器を発明した人だ。「凧を斜めにするように、、風を受け止めて風に乗っているんだ!」、カラスの羽根を真似て大きな翼を作れば、、、「人が乗って飛べるかも知れない、、、」

それから1年半かかって1891年「カラス型飛行器」を作成し飛ばした。飛行距離は9m、世界初の動力飛翔体であった。そしてカブト虫、その中でも玉虫が飛行に性能を持っているという結論に達した。明治26年両翼の長さ2mの玉虫型飛行機の大型模型が完成する。陸軍で長岡外史大佐に具申するが却下される。

陸軍を退職し大日本製薬で頭角を現し、余裕ができた二宮は飛行機の設計に乗り出す。発動機付自転車、翼の羽布には絹を採用。

ところが1903年ライト兄弟による史上初の有人飛行が成功したというニュースが届く。それで気落ちした二宮は夢をあきらめる。世界初の有人動力飛行という快挙を逃し、飛行器の枠組みをハンマーで破壊してしまった

1922年、陸軍省航空本部では白川義則中将による「二宮式飛行機」についての研究資料が提出され長岡外史中将から、上申書を却下して大発明を台無しにした不明への許しを請う手紙が届いた。陸軍が採用していれば、人類初の有人飛行は日本人の手でなし遂げられていたはずだったのだ。忠八は後に数々の表彰を受けている。

二宮忠八は京都の自宅内に「飛行神社」を建立し、空の殉教者を慰霊した。この飛行神社には10数万人の航空殉難者の魂がまつられている。1937年から小学校の国定教科書に「飛行機の発達」と題して玉虫飛行器設計の話が掲載されている。
1954年、英国王立航空協会は、二宮忠八の「玉虫型飛行器」の模型を展示し、「ライト兄弟よりも先に飛行機の原理を発見した人物」と紹介している。日本でも近年「日本の航空機の父」として評価が高まっている。
晩年、忠八は一度だけ飛行機に乗っている。「若い頃、毎晩飛行機に乗った夢を見、この頃でも時々見るが、今始めて空を飛んだ気持ちは、夢で見たのと少しも違わなかった」と感想を述べたそうだ。日本人の二宮忠八が世紀の大発明の偉業を逃したことは、まことに残念だ。