「世界を知る力」10月ーーロンドン報告。パレスチナ。国家構想(日英。通貨)

ロンドン報告。3年9ヶ月ぶりのロンドン。ロンドンの視点が重要だ。アカデミズム、シンクタンク、メディア。ロンドンエコノミストは、インテリジェントユニットを持っている。

情報にはインフォメーションとインテリジェンスと言う意味がある。インテリジェンスとは統合された、解析された情報であり、優先度が加わっている。インテリジェンスとはインテグレート(統合)とした見方だ。

  • 英国のコロナ事情。230,000人が死んだ。国民保健サービスNHSスは破綻。米国は1,180,000人が死亡。健康保険にも60,000,000人が入れない。すべては金次第の国。日本は75,000人が死亡。致死率が低かった。日本の教訓は、国産ワクチンが作れなかったこと、コロナ病床が作れなかったこと。世界の教訓は、次のパンデミックにどう向き合うのかという事だ。格差と貧困が拡大する中で。
  • EU離脱後のイギリス。ブレグジットからブレグレットへ。反省の意味を込めて。2016年の国民投票では、EU離脱について、43歳以下の若手は反対した。43歳以上の人は賛成に回った。2020年1月30一日にジョンソン首相がEU離脱。舵を切った。現在の世論はどうか。6割が反省的、失敗ではなかったかと考えている。グローバルブリテンへの志向が出てきた。大英連邦ネットワークである。英語圏は24億人がいる。英国はアジアのTPPに入る。アジア回帰が鮮明である。クワッドにも入ろうとしているが、非同盟のインドは反対するのではないか。香港をめぐる中国との関係が悪化している。ドイツとフランス中心のEUはこの動きと、ロシアの動きを見つめている。全体的には流動的になっているから、決めつけないほうが良いと思う。
  • ロシアとウクライナ。イギリスの対応は? NATOの結束が強くなったが、これが長期化し、EUには温度差が出てきた。NATOはロシアとの直接対決は避けたい。ユダヤ人のセレンスキーには付き合い切れないと言う見解も出てきた。わからへん位なへの訓練は慎重になってきている。ロシアはこの戦争でルーブルが大きくダウンするの疲弊している。ロシア国民はなぜ無事良治するのか。ロシアの復権はミラー型のオルガル被害引っ張ってきた。経済的に。プーチンはこれから取り戻してきたので指示がついている。
  • パレスチナ問題。ハマスの後にはイランが降り、ロシアもいる。軍事峡谷となったイスラエル。中東の地殻変動が起こっている。キッシンジャーの言説に注目。今まではNATOには入らないということだったが、NATOへの加盟を支持している。平和へのキーワードは、このことと、ウクライナのクリミアの放棄ではないか。そしてドンバスについては、国連によるグレーゾーンかという案になるかもしれない。それを踏まえて、スキーはプレミア攻撃をしているのである。
  • 国家構想について。日本とイギリスとのコントラストから考える。アメリカの同盟国は、東野日本と子の家子である。2000年にはこの参加国で世界のGDPの50%を占めたいた。2022年には32%大きくダウンしている。米国にとってはこれは同盟国の衰退である。ソフトパワーが重要である。通貨について考えると、英国は実力以上のポンド高。日本は実力以下の円安。この円安は輸入インフレによってもたらされている。なぜ日本は世界と逆行し、財政支出をするのか。なぜ正常化できないのか。アベノミクスの前向きな総括が必要だ。
  • 国家構想について。通貨の価値から考える。明治4年は1ドル1円であった。1940年は1ドル2円であった。敗戦後360円になった。その後308円時代、変動相場制を経て、2011年には円高で75円となった。現在はその半分の価値となってしまった。円安はドル高であったが、この1年で円はアジア最弱の通貨になってしまった。シンガポールインドネシア、タイなどと比べ、15%から25%のダウンとなってしまった。これは、日本への信頼の歪みである。政治的円安だ。それが日本人の窮乏化につながっている。2012年から始まったアベノミクスは調整インフレ政策であった。円の購買力平価では、110円から120円程度が実力だろう。現在の極端な円安は、株高、円安誘導というやすきに流れたのが原因である。食糧で9.5兆円、エネルギーで33.5兆円。合計43兆円の負担が、円安によって49.2兆円の負担となる。6兆円の負担増である。日本では家計の96.5%は円による投資である。国内にいる限り危機感は薄い。

正常な資本主義へ向けて歩み出さねばならない。経済人は株と為替の話しかしない。本当は技術とプロジェクトが重要なのである。政治家については与野党も同じだ。党利党略。夏休みが2ヶ月という職業はあるのか。1人2億円の費用がかかっている。人口比率で言うと、アメリカの2倍以上の議員がいるという実態がある。

ーーーーーーーー

ファイル:Kentaro Ooi.JPG

「名言との対話」10月15日。大井憲太郎「人存すれば、すなわち自由あり、自由滅せれば、すなわち死す」

大井 憲太郎(おおい けんたろう、天保14年8月10日(1843年 9月3日) - 大正11年(1922年)10月15日)は、日本の政治家、弁護士、社会運動家

大分県宇佐市出身。漢学を学んだ後、長崎で蘭学、英学を学ぶ。江戸に出て、仏学、化学を学ぶ。維新後は、大学南校に入学。民選議院設立をめぐり、加藤弘之と論争し名を挙げた。元老院少書記官となるが免官。愛国社創立に参画し、弁護士として活動する。

自由党に参加、秩父困民党を指導。そして1885年には、朝鮮の内政改革を企て、大阪事件を起こし逮捕される。出獄後は、立憲自由党を結成。1894年には第3回衆議院議員選挙に大阪から立候補し当選する。日本はアジア革新の指導者となるべきだというのが大井の主張であった。

1899年には片山瀬潜らと普通選挙期成同盟を結成する。大井憲太郎は、終始対外強硬論者として活動した。大井は正教徒であり、埋葬はニコライ堂で行われた。

因みに、宇佐市には、大横綱双葉山主婦の友創業者の石川武美などが出ている。また、疏水事業の父と呼ばれる南一郎平、石橋をつくる専門家の松田新之助本草学者の加来飛霞、大砲製造の加来惟熊がいる。

さて、大井憲太郎である。こういった経歴から見えるように、まことに血の気の多い人物であった。それは私生活にも影響しているようだ。

大井には妻がいたが、福田英子と内縁関係を持ち、男子をもうけている。この福田英子は傑物であった。婦人解放運動の先駆けとして知られ、「東洋のジャンヌダルク」と称された人だ。彼女は、大井と別れた後、女子実業学校などを設立している。平民社に参加し、社会主義運動に身を投じた。月刊新聞「世界婦人」を発刊して主筆となっている。

福田英子「妾の半生涯」では、大井は次のように罵倒されている。

「実に、私の半生を不幸不運の淵に沈めた導火線であった」「私の終生の誤りであったことだ」「彼は全く変心したのである。彼は私の帰国中に私の親友であった清水富美子と情を通じて、私を遠ざけようと謀ったのである」「ああ、このようなものを信頼したことこそ過ちであったのだなあ」

正教徒であり、東京弁護士会の会長を長く務めた、自由民権運動の先駆者もかたなしだ。「人存すれば、すなわち自由あり、自由滅せれば、すなわち死す」という言葉も空しく響く感もあるが、私生活はともかく、公的生活では、時代を牽引した人なのだろう。宇佐市院内町役場には、明治100年記念事業で建てた像がある。