新雑誌「イコール」(橘川幸夫編集長)を創刊!。クラファン開始。仲間募集。

来年1月から新雑誌「イコール」(橘川幸夫編集長)が刊行されます。

メディア情報誌「イコール」を創刊したい。(クラファン)
https://greenfunding.jp/miraifes/projects/7900

 

プレスリリース。

創刊0号内容

特集(1)参加型シェアエコの時代
シェア書店TAKIBI店長・安藤哲也インタビュー
シェア書店の棚主になってみて/久恒啓一・田中よしこ

特集(2)地域
日本が生まれ変わるとは、日本の地域が生まれ変わることである。
糸島通信/平野友康
知らない街で屋台を出して5年になります/吉池拓磨

新聞販売店の未来/青山一郎
リブライズが始めるシェルマとは?/地蔵真作
著作権相談室/入江武彦
暗中模索メソッド/田原真人
盆踊り3.0/北野英隆
ポップ宣言/岩谷宏
宇宙人との付き合い方/宇宙人プロジェクト
その他 執筆者50名余

仕様
A5版、128頁、全4色カラー
定価 1200円
全国のシェア書店6箇所に棚を借りてイコール常備販売店としてます。
書籍コードで、全国一般書店、電子書店でも購入出来ます。

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「イコール」はコミュニティ参加型メディア。原稿書きたい人、取材をしたい人は、イコールのコミュニティに参加してください。 equal-info@demeken.netまで。

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ふるさと納税

・川柳の投稿

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「名言との対話」11月12日。石川安二郎「ハイカラ」

石川 安次郎 (いしかわ やすじろう、 1872年 9月19日 〈 明治 5年 8月17日 〉- 1925年 〈 大正 14年〉 11月12日 )は、明治・大正期の 日本 の ジャーナリスト 、 代議士 。 

岡山県出身。慶応義塾卒業後の経歴は以下の通り。『庚寅新誌』記者。『信濃日報』主筆。『中央新聞』経済部長。『東京毎日新聞主筆。『報知新聞』記者、主筆。『東京朝日新聞』。『萬朝報主筆1924年には衆議院議員の当選している。

「政界ゴシップの天才」の石川は、新語、造語、奇語の名人だった。その代表が、流行語となり、今日でも時々耳にする「ハイカラ」である。この言葉は、「バンカラ」に対する語で、1898年に石川が西洋かぶれを揶揄する語として新聞で使い始めた語である。

ワイシャツにつける高襟をハイカラーといい、これを身に着けた有力者を人物評欄で「ハイカラ」と呼んだのだ。頑固頑迷の山県などの保守主義者のチョム髷党(ちょんまげ)、ピストル党(髷の形が西洋人を撃つピストルに似ている)に対して、大隈、伊藤、西園寺ら開国派を軽佻浮薄なハイカラと揶揄した。

イカラは、新帰朝をほのめかす、すまし顔、気障、生意気などの印象をあった。あの人はハイカラだとも言い、ハイカラ文士なども登場、そしてハイカラ節、ハイカラどんまであらわれて当時は大流行している。この言葉はしだいに、元の意味から離れて、進歩的、お洒落など肯定的な意味をもってくるようになり、1892年のNHK連続テレビ小説「ハイカラさん」なども登場している。

私は子どもの頃、小学生あたりだったか、母親からオシャレな服を着せられたときに、ハイカラさんといわれた記憶がある。

石川安次郎は、テンポが良く、切れ味の鋭い人物評で人気があったが、今日まで命脈を保っているのは、この「ハイカラ」だけである。後に石川は「惟唯一ハイカラといふ一語だけが、馬鹿に大流行を来した」とし、「一の重要なる日本語となッて仕舞ふた」と述懐している。

一つの日本語をつくったということは、新しい概念を創造したということである。時代の空気を一言で言いあらわし、それが人口に膾炙し、大流行となって、後々まで使われるとはジャーナリストとして名誉なことだ。

文明開化の明治という時代をふり返ると、それは「ハイカラ」な時代であったという言い方がふさわしい感じもする。いずれにしても、本人は思いがけなかっただろが、この一語で石川安次郎という名前は歴史に残ったのである。人間の織りなす歴史は実に面白い。