「知研・読書会」の17回目ーー漫画・時間・文学者・自分史

ぶんがkも毎月開催で、もう17回目。ということは1年半以上も続いていることになる。毎回5冊以上の紹介があるから、来月出で100冊になるのでははないか。

聴きながらとった私のメモのキーワード:「HPはお墓」「chatGPTを自分の分身に」「週という時間感覚」「若き日は広げる、そして絞る」「座右の書の意味」「代表的日本人の肖像」「書評という形の蓄積」。

私は、次の自分史本を紹介した。

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以下、都築さんの総括。

「知研・読書会」第17回が終わりました。祝日の夜ということもあり、参加者は5名でしたが、単なる本の紹介にとどまらず、たいへん濃い話ができたと思います。最後に、久恒先生から新たな提案もありました。紹介された本をここにあげておきます。
  • 新久千映『ミカコ72歳 1・2』コアミックス(2022)。 マンガです。72歳のミカコさんは夫を亡くしたばかり。今後は夫と暮らした家にこだわって一人暮らしをするつもり。心配な子や孫にスマホを持たされ、使い方にしだいに慣れてきたたところ、死んだおじいさんのアカウントと偶然繋がってしまう。ミカコさんは、返信がなくても毎日、「暖かくなってきました。」など感じたことや思ったことを送信し続ける。ミカコさんの勤める病院の医師が偶然それを知って、夫が亡くなったことが分かっていても発信し続けることが生きる支えになっていることに気づき、毎日の診察でどうでもいいことを話し続ける高齢者をうるさいと思っていたが、話を聴くことの大切さを改めて認識した。第2巻はミカコさんがしだいにいろいろなツールを使えるようになり世界が広がっていく様子が描かれている。全体として、とてもほっこりさせてくれる。参加者から、もし自分が亡くなってもブログを発信し続けるよう設定している、という話が出ました。別の参加者から「ミカコさんの夫の生前の投稿をChatGPTに学ばせておけば、ミカコさんの発信に夫が応えてくれるようになるのではないか」というようなアイディアが出ていました。
  • ■オリバー・バークマン(高橋璃子約)「限りある時間の使い方」かんき出版(2022)。人は、80歳まで生きても4000週間、90歳でも4500週間しか生きられない。時間をいかにうまく使うかが人生の最重要課題。先人たちが直面してきた課題から、「生産性とは,罪なのだ。」ということが浮かび上がってくる。効率を上げれば上げるほど、ますます忙しくなる。タスクをすばやく片づければ片づけるほど、ますます多くのタスクが積み上がる。そこで、限られた時間を有効に使うために、自分が人生でやりたいことを25挙げてみる。そして、その中から最も上位の5つを選び、残りは捨てる、とこの本では提案している。
  • ■宮川健郞「日本の文学者36人の肖像・下」あすなろ出版(2021)。明治・大正・昭和・平成の150年間に活躍した、日本の文豪の生涯とその代表作をぎゅっと凝縮した近代文学入門書。教科書に登場する作家を中心に大きな肖像写真で紹介している。下巻で取り上げているのは、次の作家たち。宮沢賢治/江戸川乱歩/草野心平/金子みすゞ/井伏鱒二/梶井基次郎/川端康成/中原中也/新美南吉/椋鳩十/中島敦/太宰治/三島由紀夫/寺山修司/まど・みちお/茨木のり子/吉野弘/井上ひさし。この本の特徴は、見開きにするとA3版になる大型本で、各作家ごとに4頁をとっている。Ⅰ頁目は作家の大きな顔写真。どの写真も親近感がもててすばらしい。2頁目が年譜。3頁目が作品の一部紹介で4頁目が解説となっていて、たいへん読みやすい。
  • 【久恒先生から】橘川幸夫さんが中心になって創刊準備中の雑誌「イコール」で書評倶楽部が設けられようとしている。これまでにブログで紹介した本の中から何冊か書評を書いてみた。自分で書くのと並行してChatGPTに書かせて比較してみた。ChatGPTは語彙が豊富で格調高いがリアリティが無い。ChatGPTの言葉を参考にして自分が書くのが最もよいのではないか。この「知研・読書会」も17回続いてきた。これまで紹介された本について可能ならそれぞれ書評という形にしてみるのがいいのではないか。また、個人で本の紹介を投稿している「ブックカバーチャレンジ」については、noteの形にしたほうがよいのではないか。
  • 都築:この「知研・読書会」は例えて言うなら、駅前の小さな本屋さんでいろんなジャンルの本が並んでいる、そこで偶然会った知人に「この本いいよ」と薦められ、会話が進んでいく、その周りにいる人も耳を傾ける、といった感じでしょうか。紹介する本がなくても気楽に参加して対話を楽しんでいただけるよう心がけて今後も続けていきたいと思います。次回は12月の第四木曜日、28日(木)の予定です。
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「名言との対話」

・12月分(近代)の人選

・来年の2月分の人選ーー1月と合わせてやれそうだとの感覚。

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2022年5月2日の「名言との対話」の内容をchatGPTで4000字に要約してもらった。https://k-hisatune.hatenablog.com/entry/2022/05/02/000000

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「名言との対話」11月23日。樋口一葉あの源氏物語は立派な作品ですが、私と同じ女性です。あの作品の後に、それに匹敵する作品が出てこないのは、書こうとする人が出てこないからです。今の時代には今の時代のことを書き写す力のある人が出て、今の時代のことを後世に伝えるべきであるのに、そんな気持ちを持った人が全くいないのです。」

樋口 一葉(ひぐち いちよう、1872年 5月2日(明治5年3月25日)- 1896年(明治29年)11月23日)は、日本の小説家。 

樋口一葉(1872-1896)は明治時代の日本を代表する女性小説家である。彼女の短い生涯は、女性の文学への貢献と社会における彼女の立場という観点から特に注目される。

彼女は本名奈津(後に夏子)として生まれ、一葉というペンネームを用いた。この名前は「闇桜」という作品から取られ、インドの達磨大師が一葉の芦の葉に乗って揚子江を下った故事に因んでいる。彼女は浮世の波間を漂う舟のような存在であり、金銭的な困難をユーモアで乗り越えていた。

20歳で金港堂の雑誌「都の花」に「埋もれ木」を発表し、文壇に登場する。この作品で得た原稿料は樋口家にとって大金であった。彼女の才能はすぐに認められ、「文学界」誌での活躍を通じて文壇での地位を確立した。

1894年から1896年にかけて、彼女は「大つごもり」、「たけくらべ」、「軒もる月」などの作品を発表し、文学界を驚かせた。この期間は「奇蹟の十四ヶ月」と称され、彼女の才能の頂点を示すものであった。

一葉は学問にも秀でており、小学校高等科を首席で卒業したが、母親の反対により進学を断念した。その後、自らの教育は歌塾「萩の舎」と東京図書館で行われたと述べている。彼女は萩の舎で上流階級の娘たちと交流し、自身が下級官吏の娘であるというコンプレックスを感じながらも、最高点を取るなどしていた。

樋口家は父や長男を失い、貧困に苦しんでいた。17歳の一葉は家族を養う責任を担い、萩の舎の姉弟子である三宅花圃の処女小説が原稿料33円20銭で売れたことを知り、小説執筆に興味を持った。一葉は家族のために小説を書くことを決心し、朝日新聞の小説および雑誌担当記者だった半井桃水に師事した。二人の関係は周囲の憶測を呼んだが、一葉は彼に宛てた手紙で自らの感情を表していた。

一葉は、東京台東区竜泉の一葉記念館を訪れ、そこで彼女の手焼き「一葉せんべえ」や「一葉泉」と名乗るクリーニング屋があることを知った。記念館は建て替え中であったが、台東区生涯学習センター3階に設置された仮設の展示施設を訪れることができた。センターは合羽橋の道具屋街にあり、一葉が住んでいた竜泉寺町の大音寺通りの地図を見ることができる。

一葉の生活は貧困に満ちており、文学を通じてその困難を乗り越えようとしていた。彼女の手紙は、友人や恩師への深い思いやりと苦悩を示している。彼女は自己表現に苦しみながらも、心の内を「一葉日記」に綴っていた。この日記は、彼女の生活と文学への情熱、家族や社会に対する彼女の考え方を反映している。

日記の中では、彼女は家族への愛と責任、文学への献身、そして社会への洞察力を表現している。一葉は、当時の女性の地位や彼女自身の社会的立場についても意見を述べており、特に源氏物語の作者である紫式部と比較されることがある。彼女は、現代の出来事を記録する作家の不在を嘆き、自身がその役割を果たすことを願っていた。

一葉の生涯は、24歳で肺結核により終わった。彼女の死は、文学界に大きな衝撃を与え、彼女が生きていればどのような作品を創り出したのかという想像を今もなお刺激している。彼女の作品は、その後も多くの人々に影響を与え続けており、彼女の遺産は日本文学において重要な位置を占めている。彼女の記念館や日記、手紙は、彼女の生涯と作品を後世に伝える貴重な資料となっている。