3人でミニ同窓会(JAL装備工場時代)

JALの整備本部装備工場管理課時代の同期の友人たちと新宿の「隠れ房」で昼食。シアトルから来日中の中村君(無線課)と、平元君(油圧課)。今はカメラマンと技術コンサル。入社時に青春を共有した仲間だ。

良樹は40代前半でアメリカのグリーンカード取得し、シアトルに移り住んだ。今は写真家として大活躍している。

2012年に中村夫妻の一時帰国で集まったグループ(テニス・スキー)に参加したことがある。リアルで会うのは10年ぶり。

2016年に新宿で平元君と久しぶりの食事会をしている。JAL整備本部の技術部長を経て、破綻時の監査役だったから大変だったらしい。今は数社の技術関係のコンサルタントだそうだ。

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良樹と歌舞伎町の喫茶「集」で2次会。

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永井路子『炎環』(オーディブル)を聴きながら往復。
・1万2千。

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プッチーニ『ジャンニ・スキッキ』のあらすじと解説

「名言との対話」11月29日。ジャコモ・プッチーニ「私は聴衆に一歩先んじるが、決して数歩は先んじない」

ジャコモ・アントニオ・ドメニコ・ミケーレ・セコンド・マリア・プッチーニGiacomo Antonio Domenico Michele Secondo Maria Puccini1858年12月22日 - 1924年11月29日)は、イタリアの作曲家。

プッチーニは24歳で最初のオペラを書き上げる。35歳で完成させた3作目の『マノン・レスコー』で脚光を浴びた。その後38歳から42歳にかけて、『ラ・ボエーム』1896年)、『トスカ』1900年)と傑作を生みだしていった。甘く抒情的な旋律とドラマティックな展開がプッチー二の作風である。

私は20代のロンドン時代にオペラ『マノン・レスコー『を見たことがある。騎士デ・グリューと他の男たちと、美少女マノンとの愛と破局の物語だ。嫉妬と欲望の織りなす名作で、感動した。このオペラの原作はロマン主義文学の始まりとされている。

プッチーニが『蝶々夫人』を書くのは、音楽家として脂の乗り切った時期であった。興味を持った題材が、長崎を舞台にした日本人女性の物語『蝶々夫人』である。日本文化の研究を重ねている。日本音楽の楽譜を調べ、レコードを聞き、日本の風俗習慣や宗教的儀式に関する資料を集め、熱心に制作に励んだ。1902年に評判の高かった川上貞奴の舞台をイタリアのミラノでみて感銘を受け、それまでに書いていた作品に命を吹き込んだのだ。

蝶々夫人』はイタリアオペラを代表する演目の一つとなっている。日本人に最も身近なオペラの一つとなった。アメリマ海軍士官・ピンカートンと蝶々さん蝶々夫人)の愛の物語。長崎で「ある晴れた日に」を歌いあげる姿はよく知られている。

日本初のオペラ歌手・三浦環は、1915年、ロシアの名歌手ロージンとプッチーニ作曲『蝶々夫人』を歌い大好評を得る。その歌声は、作曲者のプッチーニ自身からに「わが夢」と激賛された。以後、三浦環は欧米各国で20年間にきっちり2000回にわたり「蝶々さん」を演じている。1935年帰国。翌年、2001回目の『蝶々夫人』演奏会を歌舞伎座で開催した。三浦環は、「マダム・バタフライ」と称される。

2006年に長崎のグラバー園を訪問したとき、三浦環が「蝶々さん」に扮した和服姿の銅像三浦環の象」が、プッチーニ銅像とともに建っていた。

オペラ歌手・佐藤しのぶは、1984年、「メリー・ウィドウ」「椿姫」に抜擢されデビュし、その後、プッチーニの代表作『トスカ』や『蝶々夫人』を次々と演じ、オペラ界のスターとなっていった。

蝶々夫人』は、日本人に最も愛されたオペラではないだろうか。その作曲者のプッチーニは「私は聴衆に一歩先んじるが、決して数歩は先んじない」と言っている。この言葉は『マノン・レスコー』の初演が不評で3か月後に書き直して成功した経験から学んだのではないだろうか。数歩先の作品が受け入れられなかったから、一歩先まで後退して聴衆が歓喜したと解釈しておこう。

半歩、一歩、五十歩、百歩、万歩など、歩数に関する言葉は多い。

  • 写真家のキャパ「君がいい写真を撮れないのは、あと半歩の踏み込みが足りないからだよ」
  • 国家主義者・頭山満「人の半歩先を行け」
  • 「文藝春秋」池島信平編集長「大衆の半歩先を行く雑誌にしたい」。
  • サントリー佐治敬三社長「世の中の半歩先を歩け」
  • 出版人・矢澤領一「情報産業の一翼を担う出版は時代より半歩進んだ先見性が求められる」
  • 事業家・千本倖生半歩前に気づきアクション
  • 青木雄二漫画「ナニワ金融道」)「理想の世の中をつくりだすためには、一歩でも半歩でも前進するべきだと思っている」

「半歩」だけでも以上のようにたくさんある。「一歩」も多い。半歩、一歩という間合いが大事で、数歩先を歩むと失敗をもたらすか、あるいは殉教者になってしまうということにしておこう。