「遅咲き人伝」の「ゴッホ篇」(28)をリリースーー「偉大なことは弾みで為されるものではない。小さなことの積み重ねによって成し遂げられるものである」

https://youtu.be/NxVsAsW-Ldk

ーーーーーーーー

明日の「図解塾」の準備。面白い企画を考えついたので試してみよう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」2月21日。下中弥三郎「出版は教育である」

下中 弥三郎(しもなか やさぶろう、1878年6月12日 - 1961年2月21日)は、平凡社の創業者、教員組合創始者、また労働運動農民運動の指導者。

兵庫県生まれ。小学校前期3年を終了後、代用教員から出発。1914年に平凡社を創業。「現代大衆文学全集」「世界美術全集」「新興文学全集」「社会思想全集」「大辞典」「国民百科事典」、、、とヒットを飛ばした。平凡社という名前は「名前は平凡でも、やる仕事は非凡だ」と田中館愛橘博士が絶賛している。

百科事典をつくった男・下中弥三郎は、「出版は教育である」という信念を持っていた。教育者を志して教壇にたった。教員時代の弥三郎の国語教育の目標は「本を読むことをすきにする。本を読んで考えるようにする」ということだった。その延長線上にもっと多くの人たちに影響を与える出版事業に邁進したというわけだ。

出版とは何か。平凡社を創業した下中弥三郎は、「出版とは教育である」と喝破している。また、講談社創業者の野間清治の理念は「面白くてためになる」であった。この真意は興味を引くような顔つきの本ではあるが、実は読み進めると知識がつくということである。学校教育を補おうとしたのであり、野間にとっては出版事業は教育事業だった。

和田芳恵筑摩書房の三十年』(筑摩選書)には、「岩波書店のなした仕事というものは、ひとつの大学をぶっ建つぐらいの寄与を、日本文化にしているんじゃあないか。ひとつ、どうだい」 「それはいいじゃないか」との旧制松本中学の同級生の臼井吉見との会話が記されている。岩波茂雄のなした壮大な出版事業を、古田らは教育事業とみなしていたことがわかる。当時の大学は権威があった。7つの帝国大学に加え、原敬内閣の大学令で、1920年には慶應、早稲田など10大学が誕生している。「ひとつの大学」といっても、そのスケールは現在とは比較にならないほど大きかった。筑摩書房の創業者の古田晃は、教育事業として出版を志し、その志を完遂した人であった。

下中弥三郎の出版事業をながめると、ある分野の全体を鳥瞰的にわしづかみして全集という形で世の中に提供しようする姿勢は一貫している。「出版は教育である」という信念を実現させた下中弥三郎の人生は、莫大なエネルギーに満ちている。大いなる人生であったとの感を深くする。

「人物記念館の旅」や「名言との対話」などで気がついたことの一つは、俯瞰や鳥瞰という視点で仕事をしているということだった。以下、例をあげてみましょう。

政治家の田中角栄元首相は、「政治家として大切なことは、ものごとを鳥瞰的、俯瞰的にみることだ」と語っている。ソフトバンク孫正義は、「自分は発案して全体を俯瞰する役割。いつもまず全体を考える」と語っています。コンサルタント梅田望夫は「世の中を俯瞰して理解したい。関係性に興味がある。俯瞰してものを見て全体の構造をはっきりさせたいという志向がある人はこれからの時代は有利になる」と総合的視点を持つことの重要性を指摘している。東大総長をつとめた小宮山宏は、「知の構造」の重要性を語り、実際に大学で「学術俯瞰講義」を展開した。セコム創業者の飯田亮は、私が取材した時に、「東京を俯瞰する高層ビルの最上階」から東京全体を見ていると語ってくれました。平凡社を創業した下中弥三郎は、「分野全体をわしづかみ」にするという鳥瞰思考によって百科事典事業を成功させたわけだ。

芸能の世界でも同じだ。女優の樹木希林は、「俯瞰で見ることを覚え、どんな仕事でもこれができれば生き残れる」「俯瞰で観るクセがついているので、わりと思い違いはないです」と述懐していた。能楽師野村萬斎は、「狂言を俯瞰してみるために、、他のジャンルに挑戦している」と芸能の世界とそれ以外の世界についても挑戦することにしている。

絵描きたちはどうか。鳥瞰図絵師を名乗った「大正の広重」こと吉田初三郎の画法は、一番多く「構図に時間を割く」とし、中心の周辺は湾曲させた独特の鳥瞰図絵で人気を博した。現代の大和絵画家の山口晃は、「超絶的な鳥瞰図法」で、中世、近世、現代という広大な時間と空間を配置した大いなる鳥瞰図を描いた。イラストレーターの真鍋博は、鳥瞰的視点で「絵地図から国家計画まで」ジャンルを軽々と越えていった。複眼、データ、数字、記号を用いると結論をひきだしてしまうとし、虫の目もさることながら、全体、昨日今日より明日を見る鳥瞰的視点を大事にした。不染鉄はマクロの全体構造にミクロの細部を組み合わせる画法だった。代表作の「山海図絵(伊豆の追憶)」では富士山、日本海、太平洋を描きながら、伊豆近海で泳ぐ魚も描いているなど、俯瞰と接近の相まった独特の視点、マクロ視点とミクロ視点の混淆の絵を残している。横尾忠則は、「超越者の視点」を得たいといっていうそして「たまに寝込むと、世の中を俯瞰して見ることができる」とtwitterで発信している。安野光雅は俯瞰的な風景画を描き人気があるが、顕微鏡でようやくわかる細部にイタズラ心がある。
写真家も同様だ。白川義員は「〇〇鳥瞰」というタイトルの写真が多い。「天地創造」という最後の写真集は神の目も感じる出来栄えだ。

学者たち。心理学者の宮城音弥は、「心理学の鳥瞰図」を意識した傑作を上梓している。考現学者の今和次郎は、透視図と俯瞰図という手法を使って現代を描くという優れた仕事をした。
歴史学者の磯田直史は、「司馬遼郎で学ぶ日本史」という司馬の全作品を鳥瞰的に論じた納得感の高い本を書いている。文芸評論家の加藤典洋の「戦後入門」は、高い山から100年前の1914年の第一次大戦から鳥瞰した名著だ。

詩も同様である。作詞家の阿久悠の「日記力」を読むと、時代、変化、アンテナ、数字、観察、名前、メモ、短歌などを一日一ページの日記を毎日書き続けて、時代を俯瞰しながら優れた詩を書きつづけた。詩人の谷川俊太郎は、「詩というのは俯瞰して、上からいっぺんに「今」を見ようとする」と詩の本質を説明している。そして、全世界を1枚の図にあらわす「曼荼羅のすみっこみたいな、それが詩じゃないか」という。

以上にみるように、ジャンルにかかわらず、優れた仕事師たちは、「鳥瞰」「俯瞰」という視点を持っているという共通項がある。

2021年。NHKラジオで下中弥三郎インタビューを聴く機会がった。自国中心ではない世界大百科事典完成の翌年に死去。著者中心から出版社中心の企画へ転換。編集には自由がありそれが面白さ。世界連邦。アジア会議。平和7人委員会。国民百科事典7巻はベストセラー。世界国家、民族、、共存自治。偏らない、囚われない。人に後ろ指をさされない生き方を母から学ぶ。母の教え一筋。、、、、

下中はパール判事(1886-1967年)と深い親交を持った人物だ。この二人は兄弟の交わりをしている。2013年に箱根のパール下中記念館には二人の言葉が記された石碑があった。パール「すべてのものをこえて、人間こそは真実である。この上のものはない」。下中「世界連邦 平和の道 外はあらし 国人すべて ここにあつまれ」。

現在の四谷の主婦会館の土地は、清水鳩子が平凡社下中弥三郎社長から安く買ったものだ。募金をしたところ、目標額600万円だったが、建設資金1億2千万円が集まった。建て替えのときは清水が会⻑のときであったのだが、企業の人が寄付をくれた。当時から応援してくれる人が多くいたのである。

下中弥三郎という知の巨人は、「出版は教育である」との信念のもと、あらゆる分野を大づかみにしたが、それは自分のためであり、人のためであった。そしてその鳥瞰精神は、出版にとどまらず世界にむかったのである。まことにスケールの大きな人物だった。