今年は「養生」がマイブームというか、キーワードになりそうだ。
昨年末に五木寛之『養生の実技』、『シン養生論』を読んだ。その後、「養生」という言葉が目につくようになった。
新年になって斎藤茂太『新・養生論』、そして貝原益軒『養生訓』(杉靖三郎解説)を本棚から見つけた。
五木寛之は自身の体をエビデンスとした実践的養生法であるのに対して、斎藤茂太も、杉靖三郎も医者である。
齋藤茂太『新・養生論』を読んだうえで、本体の『養生訓』をじっくりと読むことにしたい。
- 朝:6時25分からのテレビ体操。器具を使ったマッサージ(腰。足。肩)。2度目のテレビ体操。これに神社までの往復を加えると1時間ほどになる。テレビ体操を2度やるとは体が活性化する気がする。
- 土曜日は9時からヨガの日。2024年の「ヨガ始め」で女先生の指導の下、仲間4人と久しぶりに体を整える。この習慣は大事にしたい。自宅でもユーチューブの講座でやってみよう。
- ウォーキングは、昨年、一昨年と平均7000歩代前半だった。今年は後半を目指したい。帰宅後は、休養とともに、昨年までやっていなかった足腰のマッサージを忘れないようにしたい。
- 月1回通っているオステオパシーも20年以上になる。これに加えて、近所のマッサージも活用したい。
貝原益軒によれば、養生とは「善行・健康・長寿」の三楽の実践であり、それが人生の歓びである。カラダの健康とココロの健康を一つに組んだ「心身一如」の健康への道が養生である。生命(いのち)を存分に発揮し、生命を全うすることが養生のテーマだ。その個人の健康が社会の健康につらなっていく。今はそう理解しておこう。
今年は日常の行動、飲食、睡眠などを「養生」という視点で再構成していく日々としていこいこうか。
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「今日の収穫」
- 1月4日に死去した篠山紀信の日経の記事。「風のように撮り、風のように去る」「いつも自分の気持ちを清廉潔白にして、一点の曇りもないように相手をちゃんと見る。澄んだ目を持って僕は撮るんだ」。
- 大佛次郎。「鞍馬天狗」誕生から100年。「日本人の精神とは何か。それを求めて晩年に書き続けた『天皇の世紀』」は未完に終わった。
年始の日経記事から。苦し紛れで書いたものが成功。
- 佐伯泰生:『居眠り磐音』シリーズを中心に25年間で300冊、累計7840万余部の時代小説を刊行。編集者から「残されたのは官能小説か時代ものだな」と言われて時代物を書く破目になった。
- 大佛次郎:関東大震災で外務省を辞めたが外国小説の抄訳の仕事もなくなって収入の道が途絶えた。編集者から進められて書いたのが『鞍馬天狗』であたり人気作家になった。
雑誌、新聞記事などで気になった記事や言葉を撮影し、「今日の収穫として蓄積していくことにしよう。
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「名言との対話」1月6日。越智直正「いい靴下は噛めば分かる」
越智直正(おちなおまさ 1939年6月2日ー2022年1月6日)は、経営者。タビオ創業者。享年82。
愛媛県出身。中学卒業後、大阪の靴下問屋に丁稚奉公。1968年に28歳で独立し、ダンソックス(現タビオ)を創業し、靴下の卸売りを始め、オリジナルの手作りの靴下を開発した。1982年に小売りに進出し、1984年に「靴下屋」1号店をオープンし、フランチャイズチェーン展開を始めた。
高い品質と独自の生産・販売管理システムを構築し、タビオは靴下のトップブランドとなった。靴下製造協力工場から店頭までのサプライチェーンマネジメントのシステムを構築し、高品質と低価格を実現した。
2000年に靴下専業として初めて大証2部に上場し、その後に東証2部上場。2006年にタビオに社名を変更。Tabioは「The Trend And the Basics In Order(流行と基本の秩序正しい調和)の頭文字をとって命名。
2008年に長男に社長を譲り会長に就任。2022年1月6日に妻と一緒に交通事故で死去した。
タビオは2002年からイギリスのハロッズを皮切りに、フランス、アメリカにも出店し、国内外で280店舗を擁すまでになっている。9割が女性向けの商品で、2019年の売上高は163億円の企業に成長している。
経営についての言葉。
- 経営者は困らないといけません。困らない経営者に進歩はない。
- 流行を追うと、流行に捨てられる。
- 我がタビオは、世界一の靴下総合企業を目指しています。売上基準ではありません。一流の商品で一番になるための創意工夫を重ねての世界一を目指しているのです。
越智直正は、経験から教訓を引き出す人だった。小学校の先生、丁稚奉公の大将から学んだことを生かしている。
- 私には、何事も体で覚えないとつくれない、という思いがあります。「手を使って、よく学べ」と小学生のときに言われたことはありませんか?それこそ、職人の技につながるものと思っています。
- 丁稚時代、大将からは「売れすぎても失敗」「売れなくても失敗」と怒られ続けました。在庫が足りなくなっても、余っても、それは商売として間違っていると、叩き込まれたわけです。
靴下専門店の全国チェーンを一代で築いたのだが、経営は順風ではなかった。資金繰り、営業不振、、。上場後の利益重視方針による低迷による危機など、波乱万丈の生涯だった。
13年という長い丁稚奉公時代は、過酷な労働環境の中、長時間労働、低賃金で働いている。その間、「靴下を履く・手や頬で触る・全身を使って肌触りを確認・噛むなどをして品質確認」などを実践し、商売の勘所を身に着けたのだ。「靴下を噛む」という行為は、靴下の弾力を確かめるためだ。「靴下の神様」と呼ばれただけのことはあると感心した。