平野啓一郎『マチネの終りに』ーー天才ギタリストと国際ジャーナリストの恋愛

平野啓一郎『マチネの終りに』(毎日新聞社)。

オーディブル。15時間。1.2倍速で聴き終わった。

世界を舞台に、イラク戦争、3・11という現代史の中で、38歳の天才ギタリストと2歳年上の女性ジャーナリストの互いを思いばかるが故のすれ違いの数年間の恋愛を描ききった珠玉の小説である。最後は、再会する直前の場面であるが、それぞれが選択をせざるを得なかったもう一つの人生を踏まえたうえで、未来をどう生きていくのかを考えさせる場面で終わる傑作だ。

その後、『本心』を聴き始めた。こちらは1.5倍速。これは2040年代の未来小説。しばらくは平野啓一郎を読み、聴くことにしたい。

平野啓一郎の作品を読んだ経験を記してみよう。

  • 2007年に『ウェブ人間論』(梅田望夫平野啓一郎)を読んだ。京大在学中に芥川賞を受賞した鬼才・平野の人間の暗部に対する拭いがたい不信感と、ウェブ2.0という革命の最前線の優れたウオッチャーである梅田の楽観論という対照は、取り組んでいるテーマというより、それぞれの気質に影響を受けているように感じる。むしろそういった気質がそれぞれの関心を呼び込んでいるといった方が正確かもしれない。1975年生れの平野の立場はウェブ世界を当然のこととしている世代であるにもかかわらず、人間に対する問題意識が先行するが、この平野が読者に代わって突っ込み、最終的には人間総体をトータルでは信頼する梅田がそれに答えていく。
  • 2012に訪問した森鷗外記念館の映像。鴎外の本は全て読んだという平野啓一郎は、「高瀬舟」「舞姫」「阿部一族」などを話題にしていた。あらがってもどうしようのないものがある、足るを知ることだ、という「諦念」が鴎外にはある。3・11以降に鴎外の作品を読むと不思議な慰めがあるそうだ。平野は鴎外を読むということは日本語を知るということであり、世界とつながることだ、と最大級の賛辞を送っている。
  • 2013年。夜のテレビの野口健(1973年生)と平野啓一郎(1975年生)の達人対談が面白かった。エベレスト登山の行動派と書斎派の小説家。どちらも時代と向き合っているから共鳴しあっていた。平野の本はいくつか(「日蝕」、、)読んだことがある。改めて両者の本を読むことにしよう。まず手元にあった平野の「私とは何か--個人から分人へ」から。次に「空白を満たしなさい」か。
  • 2013年。平野啓一郎『私とは何か--個人から分人へ』(講談社現代新書)を読了。この本の主張は、人間の単位を考え直すことだ。
    個人という意味で使っているindividualは、これ以上分けられないという意味であるが、本当にそうか。そして本当の自分なるものがあるという考え方が間違いのもとではないか、というのがこの本の問題意識である。平野は、人間は分けることが可能な存在であり、人間は対人関係ごとに複数の顔を持っており、一人の人間は複数の分人のネットワークによって成り立っているという。そして個性とは、その複数の分人の構成比率によって決定されるというのだ。以下、ポイントをピックアップ。
  • 誰とどうつきあっているかで、分人の構成比率は変化する。その総体が個性となる。
  • 自己の変化とは、分人の構成比率を変えるしかない。それはつきあう人間を変えることだ。
  • 自分という人間は、複数の分人の同時進行のプロジェクトと考えよう。
  • 自分探しの旅とは、欠落している新しい分人を手に入れて、新たな個性を創出しようとする行為だ。
  • 私たちは、複数の分人を生きているからこそ、精神のバランスを保っている。
  • 自分が気に入る分人を少しづつ増やしていくことができれば、自分に肯定的になっていける。
  • 片思いとは、お互いの分人の構成比率が、非対称な状態である。それが許せずに自分向けの分人を大きくしようと、異常な行動にでるのがストーカーだ。
  • 分人主義は、人間をここに分断させず、単位を小さくすることによって、きめ細かなつながりを発見させる思想である。
  • 帰属するコミュニティが一つであることがアイデンティティであったが、今後重要なのは複数の分人を使って複数のコミュニティに参加することだ。むしろ矛盾する複数のミュイティに参加することが大事なのだ。

個人を複数の分人のネットワークとしてとらえると新しい視界が開けてくる気もする。分けるというより複数のレイヤー(層)によって重層的に個人が形成されていると考えることもできる。ヨコに分けられているのではなく、タテにつながっているととらえるのがいいのではないだろうか。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」2月11日。野村克也「生涯一捕手」

野村 克也(のむら かつや、1935年昭和10年〉6月29日 ‐ 2020年令和2年〉2月11日)は、プロ野球選手コーチ監督野球解説者野球評論家

京丹後市出身。1954年に南海(福岡ソフトバンクの前身)に入団。1965年に戦後初の三冠王を獲得。1970年から1977年は選手兼任監督として活躍となった。本塁打王9回、打点王7回、通算657本塁打(王に続く歴代2位)など、数々の記録を樹立した。引退後はヤクルト・阪神楽天などの監督を歴任した。

以下、このブログに記した野村克也の名言録から。

  • 筋書きを書いて演出までやるのがキャッチャー。
  • もしスペンサー選手やブレイザー選手がいなかったら、日本のプロ野球精神野球の域をなかなか脱せず、日本の野球は相当遅れていただろう。
  •  草柳太蔵は何事も生きているうちは勉強という意味の「生涯一書生」という言葉を野村克也に贈った。それが野村の名言「生涯一捕手」になった。また、「いい仕事は必ず誰かが見ていてくれる」とアドバイスされ、心に深く染み込んだと後に野村が述懐している。
  •  才能には限界がある。でも、頭脳に限界はない。
  • 常に(V)時代が脳裏にあり、川上さんを鏡にしていた(川上哲治死去に際し)
  • 素質が一流でも思想が二流では成長しない。
  • 器用な人はもう一工夫、もう少しの地道な努力が足りないことが多いので、長期戦になれば最後は必ず不器用が勝つんです。
  • 才能は学びから生まれる。
  • 中心なき組織は機能しない。
  • エースと4番は育てられない。
  • 足と肩にスランプなし。
  • 指揮官の重要な仕事は人づくりである。
  • 監督は「気づかせ屋」でなくてはならない。
  • チームづくりの終着は「まとまり」。
  • 士は己を知る者のために死す。
  • 人間学のないリーダーに資格なし。
  • 監督の5原則。1:仕事を通じて人間形成、人格形成をする。2:人生論が確立されていないかぎりいい仕事はできない・目(目のつけどころ)、頭(考えろ、工夫しろ)、感性(感じる心)・コツ・ツボ・注意点(意識させる)が重要・無形の力をつけよ。3:教育こそ監督に求められる第一の使命。4:心が変われば人生が変わる。5:指揮官の最初の仕事は戦力分析にある。

以下、語録。

「常にV)時代が脳裏にあり、川上さんを鏡にしていた」

「若い頃の一時期、自分が好きな対象に溺れるほどに熱中するのは、絶対に必要なこと。その中でカンであれ、何であれ、一流の基礎が養われる」

「素質が一流でも思想が二流では成長しない」

「器用な人はもう一工夫、もう少しの地道な努力が足りないことが多いので、長期戦になれば最後は必ず不器用が勝つんです」

「才能には限界がある。でも、頭脳に限界はない」

野村克也『私が選ぶ名監督10人 采配に学ぶリーダーの心得』(光文社新書)を読んだ。名監督野村が評価しているのは、三原水原茂鶴岡一人川上哲治西本幸雄の5人だけであった。たたき上げの野村は、テスト生から始まり、捕手から始まり、三冠王、コーチ、そして4つの弱小球団の監督になってリーグ優勝、日本一、その後は、評論家としてカンドコロをついたテレビの名解説で人々を魅了した。プロ野球という世界のフルコースを堪能した人生だった。その野球訓は人生訓にまで高められており、著作もよく売れている。調べると、著書の単行本は80冊、新書は45冊、共著12冊ほどで、軽く100冊を超えている。他の人が野村を書いた本は26冊。著者としても一流だった。この方面でも、これほどプロ野球に貢献した人はいないだろう。

「生涯一捕手」の精神は、どのようなポジションでもそこに生涯をかけるという態度を示すものだろう。名選手、名監督、名解説者、名著者であった野村は、その一貫した姿勢で日本のプロ野球界を牽引したのである。