若い人が多く、この漫ホラー漫画家の圧倒的な人気に驚いた。代表作は『富江』シリーズ、『うずまき』など。映像化された作品も多い。図録を購入し、読み始めた。別途、詳しく書く予定。
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同時開催されていた『巴里土産 小堀杏奴 油彩画展』。
今日の収穫。
オリンピックも中国とアメリカに次ぐ20個の金メダルを獲得した。選手たちの名言をまとめたい。
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「名言との対話」8月11日、森英恵「揺るぎない「志」と、尽きない「好奇心」、絶えざる「努力」があったからというしかありません」
森 英恵(森 英惠、もり はなえ、1926年1月8日 - 2022年8月11日)は、日本のファッションデザイナー。享年96。
島根県出身。1947年に東京女子大学国文科卒業後、主計将校だった森賢と結婚。ドレスメーカー服装学院へ通い、1951年新宿に東口のラーメン屋の2階に洋裁店ひよしやを開く。1954年日活映画の衣装を手がけ、以後7年間で500本以上の映画衣装を担当。
1965年ニューヨークで初の海外コレクションを発表、欧米での活躍の第一歩となった。1967年、日本航空の客室乗務員にユニフォームをデザイン。1977年日本人初のパリ・オートクチュール協会のメンバーとなる。
1992年のバルセロナ、1994年のリレハンメル両オリンピックの日本チームのユニホームや、雅子妃のローブ・デコルテのデザインを担当した。また、海外のオペラやバレエの舞台衣装も手がける等ファッション界の第一人者として国際舞台で活躍した。1989年レジオン・ドヌール勲章シュバリエ章受章、文化功労者。1996年文化勲章受章。2002年レジオン・ドヌール勲章オフィシエ章受章。
揺るぎない「志」と、尽きない「好奇心」、絶えざる「努力」。これを森英恵の他の言葉で分解して深掘りしてみよう。
「志」:日本でデザインし、日本の布地を使い、日本人の手で縫い上げた服をジェット機で米国に運ぶ。
「好奇心」:大切なのは心のアンテナ。これは前を向いて走り続ければ、風を受けて大きく開くし、後ろを振り向いてしまいよ、たちまち縮んでしまうのです。
「努力」:きのうの自分を乗り越えて、日々新しく、前に進んでいくことです。
「NYに行った時、NYのデパートで日本製品は一番ランクの低い階にてみすぼらしいものが1ドルという価格で安く売られているだけでした。その時から私は、最高のモノを日本の素材で作ってもっと良い階層にて商品を並べさせてやる、と決意しました」。経営を担した夫の森賢と一緒に、二人三脚で戦って二人は戦友となった。夫は表舞台に姿を見せない人であり、ファッションショーも一番後ろでニコニコしながら見ていたと森英恵は語っている。その時の屈辱がバネとなって、「ハナエモリ」を世界的ブランドにまで押し上げたのだ。
1996年の森賢が死去すると、経営が傾き2002年に民事再生を申請し倒産した。2004年にパリのコレクションを機に引退した。