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井上智洋「ヘリコプターマネー」

井上智洋「ヘリコプターマネー」(日経新聞出版社)を読了。

 

ヘリコプターマネー

ヘリコプターマネー

 

 ヘリコプターマネーは、統合政府(政府や中央銀行)が空からお金を降らせるかのように、貨幣を市中に供給し、景気を浮揚させる経済政策である。具体的には政府による現金給付、日銀に買いとらせた国債を財源とした財政支出、減税などの金融政策である。それによって景気がよくなり失業が減る。インフレ・ターゲッティングを採用すべきだ。統合政府の貸し借り自体には意味は無く、国は借金を返す必要は無く、償還期限が来たら借り換えればよい。

不況の始まりは1991年、デフレの始まりは1998年。日銀が供給するお金が民間銀行で滞留し、企業に出ていかず、世の中に十分に行き渡っていない現状を打破する政策だ。デフレ不況の原因はヘリコプターマネーの量が足りないからだ。信用創造の罠というデッドロックから脱却せよ。

政府の貨幣発行益は打ち出の小槌だ。2-3%の緩やかなインフレまではヘリコプターマネーを実施すべきだ。定額給付金、児童手当など。

銀行は企業へ貸し出すことによって利益が出ないので利息を払えなくなる。国民は利子を得たかったらリスク資産である社債投資信託を購入するしかない。リスクがなく流動性がある預金に利息がつくというのは金融の原則に反している。

汎用AIが実現する2030年頃には第四次産業革命が起こる。雇用の大部分が消滅するとともに、爆発的な経済成長が可能となる。汎用AIを導入した国としない国に大きな格差が生まれる。第二の大分岐である。この時代には失業対策としてベーシックインカムを導入すべきだ。税金を使った固定ベーシックインカムとヘリコプターマネーをベースとした変動ベーシックインカムも必要になる2階建てBIである。

 

「名言との対話」1月15日。平櫛田中「六十、七十洟垂れ小僧、男盛りは百から百から。」

平櫛 田中(ひらくし(又は ひらぐし) でんちゅう、1872年2月23日明治5年1月15日) - 1979年昭和54年)12月30日)は、日本彫刻家。本名は平櫛倬太郎。旧姓は田中。井原市名誉市民(1958年)、福山市名誉市民(1965年)、小平市名誉市民(1972年)。

98歳から移り住んだ東京・小平市の邸宅は現在、記念館となっている。庭には直径1・9メートルのクスノキの巨木がある。100歳の時に田中が、さらに20年、30年と創作活動に取り組めるよう、取り寄せたものだ。

現在国立劇場のロビーに展示されている代表作の「鏡獅子」、そして岡山の田中
田中は東京芸大を退官するまで、登校のたびに、大学構内に置かれた自身の作品「岡倉天心像」に最敬礼したという。彼が、師と仰ぐ天心から指導を受けた期間はわずかであった。しかし「田中は一日として師恩を忘れなかった」。

年表によると、72歳で東京美術学校の教授になり、77歳で東京芸術大学の教授。そして93歳で名誉教授、という不思議な肩書と年齢の関係がみえる。70を超えて母校の教授になり、90歳で文化勲章をもらったこともあり、その3年後に名誉教授に推薦されている。

残っている映像で100歳を超えた日常が紹介されていた。彫刻の題材を探すためもあって、ハサミを片手に新聞を切り抜く姿があった。とにかく興味が多岐にわたり、好奇心とバイタリティに溢れた人だったらしいことがわかる。家族の証言によると、早起きで午前2時には起きて、本や新聞を読み、6時から着物を着て洗面、朝食。その後庭での30分間の散歩。午前中は居間で本を読み、手紙を書く。午後は書道。就寝は午後9時、という充実した日常だった。

「実践、実践、また実践。挑戦、挑戦、また挑戦。修練、修練、また修練。やってやれないことはない。やらずにできるわけがない。今やらずしていつできる。やってやってやり通せ。」

98歳で小平市に転居し向こう 30年間は創作活動を続けられるよう原木を用意してあった。ということは、130歳まで仕事の予定があったということになる。それを証明するような逸話もある。同じく天心の薫陶を受けた日本画横山大観、地唄舞の武原はん、そして画家・丸木スマの彫刻をつくろうとしていた。

「男盛りは百から、百から」はともかく、「六十、七十、洟垂れ小僧」は、現在の高齢時代に生きる私たちに「喝」を入れてくれる。この気概を見習いたい。

 

「副学長日誌・志塾の風170115」

センター入試二日目。本部詰め。

最強寒波。東京には影響はない。

無事終了。

下井先生。樋口先生。今泉先生。、、、。