昼に岡山に到着。
知研岡山の伊藤会長に付き添っていただいて、人物記念館の旅を始める。
まず井原市の平櫛田中美術館を訪問。
以下の彫刻が印象に残ってた
島守。天心先生記念像試作。平安老母。一休。獅子頭。湊川神社狛犬。西行。西山公。五浦釣人。ウオーナー先生像(第二次大戦時、京都奈良の文化財の爆撃を身をていして阻止した人)。月姫。尋牛。気楽坊。転生。
東京上野桜木町の田中旧邸のアトリエが再現されている。田中が転生を作るために、横山大観、観山、武山がそれぞれ絵を打って金を作った。友情の贈り物である。田中が100歳のときに30年分の原木を購入した、その檜材を使ったものである。
試作鏡獅子。鏡獅子試作裸形。鏡獅子試作頭。
中原悌二郎の平櫛田中の47歳の肖像。
笠岡市の小野竹喬美術館。
竹内正栖鳳に師事した日本画家。京都市美術大学教授。文化功労者、文化勲章を受賞。89歳死去。
敦盛。聖徳大使。北条政子。光明皇后。以上が印象に残った。
この美術館では菊池契月展を開催していた。この人も京都で活躍した画家である。人物画が面白い。
福原故事。悪者の童。近藤重蔵。などが印象に残ってた。
浅口市の仁科会館。
日本の現代物理学の父と言われる仁科芳雄を顕彰したした建物だ。
岡山中学、第六高等学校、東京帝大電気工学科を首席で卒業した秀才。理化学研究所で活躍した。昭和10年には原子核実験室でサイクロトロンを完成させた。広島に新型爆弾が落ちた時、これは原子爆弾であると断定した。文化勲章受賞者。昭和25年6時歳で永眠。
仁科は湯川秀樹と朝永振一郎という2人のノーベル賞受賞者を育てていることも特筆すべきだ。仁科は親方と呼ばれていた。仁科の師は理研の長岡半太郎である。
「環境は人を創り、人は環境を創る」。仁科の言葉である。
スポーツ万能で絵も上手、音楽も得意だった。故郷では浜中の神童と呼ばれていた。
基礎科学の研究の重要性をいつも語っていた仁科は「終始一貫」という書を残している。
ホテルで一休みして、岡山国際交流センターで行われる知研岡山の会合に出掛ける。
私の講演のテーマは「日本と中韓台朝の歴史教科書にみる東アジア近代史の位相」。
30人ほどのメンバーに1時間半をかけて講演をした。
終了後は20人ほどの人たちと居酒屋で懇親会。旧知の人も多く楽しい時間を過ごした。
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命日。
- 団琢磨:何でもよいから自分のやりかかったことを小でも大でも、し遂げてしまう。小さいことをいくつも成功していく間に漸々(漸々、ぜんぜん=徐々に)と大きなことにも成功するようになる。
- 岸田國士:一人では何も出来ぬ。だが、まず誰かがはじめなければならぬ。
誕生。