杉山正明『モンゴル帝国と長いその後』(講談社学術文庫)。

杉山正明モンゴル帝国と長いその後』(講談社学術文庫)を読了。

 昨日の『世界史の誕生』と同じ思想で、世界史の興亡を描いた力作。

モンゴル帝国はアジア(日いずるところ)、ヨーロッパ(日没するところ)、アフリカの「アフロ・ユーラシア世界」を緩やかにまとめあげた。全体像を持つ世界史が誕生した。旧世界の陸と海の大半がつながった。これ以降、モンゴルの国家システム(暦・暦学・天文学・数学、、)がユーラシアに共通するスタンダードになる。

・スキタイ・匈奴から始まる遊牧国家は、多民族・多文化・多地域をつつみこむハイブリッド国家だ。近代国家のようなナシナリズムや排他性はない。モンゴル帝国の特徴は、人種・民族・文化・言語・宗教などの違いによって人を区別することが希薄だったことだ。支配はゆるやかで、徴税も低率。信教は自由。

・チンギスハン(1206-1267)。オゴディ(1229-1242)。グユク(1246-1248)、モンケ(1251-1259)。クビライ(1260-1294)。チンギス、オゴディ、そしてクビライは30年をかけてモンゴル世界連邦のかたちを整えた。

・1492年のコルンブスによる航海はクビライの巨大帝国への旅だった。

・モンゴル時代の後半期の日本は「日元貿易」で大陸との一大交流が行われた。茶道、能、書院造り、儒教仏教道教の知的体系、漢文典籍とそれを模した五山版、、、など日本文化の基層はほとんどこの時期に導入・展開したものに発している。東福寺など有力寺社が商船を仕立てて交易をした。

・ 20世紀の初めの第一次世界大戦の前後に一斉に消えた諸帝国は、いずれも13・14世紀のモンゴル帝国とその時代に、起源・由来を持っている。ロマノフ朝ロシア(1917年消滅)、オスマン帝国(1922年)、大清帝国(1912年)、ムガール帝国(1858年)そして神聖ローマ帝国の流れを汲むドイツ帝国とオーストラリア・ハンガリー帝国(1918年。ハプスブルグ家)である。

 

 

「副学長日誌・志塾の風」170914

・杉本係長:偏差値

・金先生:多摩学。アクティブラーニング。

・中庭先生・梅澤先生:学生寮

・高野課長:学長講演

 

「名言との対話」9月14日。赤塚不二夫「自分が最低だと思っていればいいのよ。一番劣ると思っていればいいの。そしたらね、みんなの言っていることがちゃんと頭に入ってくる。自分が偉いと思っていると、他人は何も言ってくれない。そしたらダメなんだよ。てめぇが一番バカになればいいの」

赤塚 不二夫(あかつか ふじお、本名:赤塚 藤雄1935年昭和10年)9月14日 - 2008年平成20年)8月2日)は、日本漫画家

天才・赤塚不二夫を記念した赤塚不二夫会館が青梅にある。会館のある住江町は、昭和の懐かしい映画看板を掲げてまち興しに取り組んでおり、その一角に2003年にこの会館がオープンした。青春時代に観た「哀愁」「第三の男」「駅馬車」など、映画黄金期の傑作の看板が並ぶ町並みは懐かしい。

天才バカボン」「おそ松くん」「ニャロメ」などの作品で知られる赤塚の作品と、幅広い交遊ががわかる資料が楽しくみれるように工夫されており、中は案外広い赤塚不二夫は、手塚治虫を先頭とする漫画の勃興期に赤塚はその才能を思う存分に発揮し、世の中に良質の笑いを提供したギャク漫画の王様である。「シェー!」「これでいいのだ」などの言葉は多くの人が覚えているだろう。

伝説のトキワ荘に集った漫画家志望の若者達は、神様・手塚治虫の「一流の音楽、一流の映画、一流の芝居、一流の本」を実行したから、同時代の若者とは何かが違ったから、成功者が多く輩出したのだろう。その何かは「志」だろう。「僕たちみんな貧乏だったけど、志だけは溢れるほどあったのだ。」と本人が語っている。そして赤塚不二夫はこれに加えて、「人」に会い続けている。「毎晩飲みに出てマンガ以外の違う世界ができたのは、本当に面白かった。それがまたマンガに跳ね返り、発想の源になっていく」。

「わたしは文部省がこのシリーズ(「天才バカボン」)をなぜ「道徳」の副読本に採用しないのか、また日教組がそうすることをなぜ文部省に迫らないのか、理解できない」とまで作家の井上ひさしは述べている。
赤塚不二夫120%」(アートン)という自伝を読んだ。この中から赤塚不二夫の創作の秘密を取り出してみたい。「僕はギャグマンガを描く時、多重構造で考える。(テーマは文化人向き、ストーリーを組み立てて、台詞はサラリーマン、大学生向けにはアクションを含めた台詞、高校生にはダジャレ、中学生にはアクション、小学生には動物)、、、だから自慢じゃないけど、読者層がすごく広い。」「とにかく、誰も描いたことにないマンガを描こう、それしか考えなかった。それで描いたのが、「おそ松くん」だった。」「マンガっていうのは、社会と同時進行しているものなのだ。だから自分だけ先走りすぎても受け入れてもらえないし、時代と一緒に生きていないとつまらない」。

赤塚不二夫は、若い頃から晩年まで、自分を最下層に置いて人から教えを請い、接するあらゆる人から学び続けようという姿勢を貫いている。有名になっても謙虚な人柄は変わらなかった。こうした社会、時代、読者、と一緒に生きていこうとする表現者としての仕事への取り組みの結果生まれる作品群が、皆の共感を呼んだのは当然かも知れない。